根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【VERIVERY】Heart Attackがすごい ~SERIES ’O’ (ROUND 2 : HOLE)より~

 前置きは不要です。VERIVERYの新しいミニアルバムに収録されているHeart Attackがすごい。

  活動曲(プロモーション活動を引っ張る核の曲)は『TRIGGER』であってそちらもまた違った良さがあるのだけれど、先に語りたくなったのが『Heart Attack』なのでこちらを書きまするるる。

 

 今日この曲を聴きながら歩いていたとき考えていたのは「最善とは何か」ということで、一つひとつのパートに関して、そのパートを歌うメンバーのことを考えていました。

 冒頭のミンチャンさん。ああ、ミンチャンさんが歌っておられる!(今年6月に休養から復帰したばかり)その嬉しさよ!出だしって大事よね、だって3分だか4分だかの物語を突然始めなければならないのだもの、陸上のリレーは1走から4走まであって、やっぱりそれなりに各走順に適したタイプがあると聞きます、ミンチャンさんは1走にぴったりの声なんじゃないですかね、存在感ある落ち着いた声なので。

 そんなミンチャンさん、私のポンコツ聴力で頑張って聴いても、パートが冒頭しかない気がするのです(他にもパートがあったらごめんね)。

 そこで、先に書いた「最善とは何か」という話に繋がります。

 音楽のド素人である私の意見を言うと、パート配分というのはその曲の完成度を高めるために徹底されるべきで、パートの多寡に一喜一憂するのは受け手として勿体ないというスタンスです(まあ、そう思わないと推しのパート不足に耐えられないということでもある)。例えば「推しは運営側に嫌われているのかしら」とかは考えるだけ精神を摩耗させるだけなので無駄です!

 ということで、私は出された料理をそれが最善だったのだと思って食べます。パート配分から演出側の意図を、曲の奥深さを感じようと努力します。その方が楽しいもんね。(何回も聴いていたら、サビでうっすら低音が入っているのはミンチャンさんかなあ、どうかな)

 では、今回の曲のポイントは何だったのか。

 それは、ケヒョン様のご活躍並びに、ヨンスンさんカンミンちゃんの躍進でしょう。後者については曲がリリースされる度に言っている気がしますが、今回はさらに一段階二段階飛躍されたと思います!おい、2019年の私よ、これが2021年だ!(デビュー曲とかはほんとヨンスンさんパートが少なかったんですよ…彼の声の良さが目立つパートではあったものの…)

 まずケヒョンさんのご活躍。

 VERIVERYの楽曲には時々、ケー様(ケヒョンさんのこと)大活躍ソングというのが出現するのですが(ほんとこの現象面白いです)Heart Attackもご多分に漏れず、です。最近だと、アルバム『FACE YOU』のSKYDIVEなんかはそうですね。この曲とかサビはケー様一強体制です(最後のサビはヨノのボーカルの裏でケヒョンさんが思いっきり跳ねてます)。

 そういえば、最近のショーケースで披露されたSKYDIVEで、サビはケヒョンさんのボーカルにミンチャンさんが下の音程で入っていることが判明(!)して、改めて奥深いなと思いました。公式定点画像だと補正されてしまっているので、fancamやVLIVEのライブ映像の方がミンチャンさんの低音がより聞こえてきます。探してみてください。

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 Heart Attackはサビの中盤をケヒョンさんががっつりと持っていっています。1番はヨノ→ケヒョン→ヨンスンで締めてます。ここも、デビュー当時だったらヨノ→ケヒョン→ヨノになっていたんだろうな…なんて思いますけれど、それは後ほど語るとして、「Ooh- like a heart heart heart heart attack」のパートがケヒョンさんじゃなかったら誰になるのかなあと考えたら、やっぱりケヒョンさんの声が一番しっくりくる気がします。

 ケヒョンさんの声は、私個人の感覚ですけど、かなり特徴がある声だと思っていて、語弊がある言い方かもしれないですけど「歌が上手いか上手くないかよくわからん声だな」と思っていて、つまり、普段喋る地の声に近いというか、あからさまな歌唱モードにならない声というか、不思議な歌い方する人なんですよね。だからこそ、めちゃめちゃめちゃめちゃ印象に残る声で、ヨノをメインボーカル、ケヒョンをリードボーカルに据えたのは「わ、わかるう~」になります。

 これはケヒョンさんの歌、という印象を持てるのは、ケヒョンさんの特徴的な声質だったり歌い方に起因するのだろうと思います。つまり、彼は、はまると効果が倍増するタイプ。ヨノは無色透明なタイプ。曲を引き立てる出汁みたいな声。そう考えると、ケヒョンさんは加算タイプ、ヨノは引き算タイプの歌い手なのかなあ。まあここらへんは引き続き考えていきます。

 私が個人的に「宇多田ヒカルモーメント(なんか宇多田ヒカルの曲の展開っぽいから」と呼んでいる2:32あたりからの一番の聞かせどころは、サッカー漫画なら、ゴール直前、ゴールキーパーと一対一のシーン、ボールを持つケヒョンさんの後ろでメンバーが「ケヒョン、行け!」と目配せするパートだと思います。VERIVERYのこと知らないやつらに、一発かましてやれ、と。いやー、しっかり歌い上げていて聴きながら嬉しくなってしまいました。ずっとずっと努力されているのだなあ、また新たな力を見せていただいたと心震えるパートです。

 

 さて、ケヒョンさんの話をしたところで、次はヨンスンとカンミンの話です。

 ほんとこの二人がボーカル力を上げていることで、VERIVERYは楽曲の中でとれる選択肢が増えたなあと思います。昔のVERIVERYなら出せなかった曲がごろごろ出てきている感じ。特に、ヨンスンが高音域でも自分の声のままぶれることなく歌えるようになったというのが大きいかなと思いました。ただ歌うのではなく、自分の声のまま、聴く人が聴けば「あ、VERIVERYのヨンスンが歌っているんですね」という存在感を放って歌えていることが大切かと。それできないとVERIVERYの事務所って歌わせない気がする…勝手な印象ですけど。

 宇多田ヒカルモーメント後のラストサビも、私が間違っている可能性が大いにありつつも、ヨンスン→カンミン→ケヒョンで歌って、ヨノで締めているんですよね多分。え~~~これ昔じゃ絶対できなかったやつやん。総合力、上がってます!

 特に私が興奮したのはおそらくカンミンちゃんですけど、綺麗な裏声でthirsty歌ってる~~~渇きなんて~~~、です。感慨深いにもほどがあるだろ。

 ヨンスンさんカンミンちゃんの声はどう考えているか。ヨンスンに関してはご本人の印象にだいぶ引っ張られてますけど、少年漫画のほのぼの優しい主人公の声だなと思います。素朴というか、無加工という感じ。カンミンさんは形容するのが難しいです。毛玉みたいな声?ほかほかと籠っている感じですかね。音に対してほわわんと覆っている何かがある感じです。そう考えると、ヨンスンとカンミンさんの声は比較すると違いがわかりやすいかもしれないですね。ヨンスンの声は素朴できりりと端麗なので(何言ってんだ)。

 

 さて、だいぶ書きましたが、ラップについて感想はあるか?あります。

 ドンホンさんとホヨンさんの役割分担をどう考えるかというときに、今回のアルバムに限った話ではないものの、低いドンホン、高めをホヨン、という切り分けができると思いました。あと攻撃的なドンホンと優雅なホヨンという分け方もできる。Get Awayのサビ終わりの歌い方の違いなんかもそれですね。

 あとHeart Attackについては、つなぐラップとかき回すラップという違いがあって面白いです。2番の最初とかは初見だと絶対「んんん?」と困惑する一方で、曲の流れに馴染んで「あれラップってどこだっけ?」と違和感がないパートもある。この違いがあるのは面白いなあと思いました。

 

 書きたいことは書きました。Heart Attack、既に振付がある説に期待を寄せつつ、ゆるゆるとHOLE活を楽しみたいと思います。TRIGGERの感想もそのうち書くぞ!(多分)

Heart Attack

【雑記】私の読書感想文の書き方2021

 最近よく考えていることを1年前の私は既に言語化していて「あら、やるじゃない」と自分のことながら言ってみたいものだけれど、この件に関して2021年に新しく言いたいことがあるのかというと、それは「別に読書の感想に限ったことではないのよね」ということだった。

dorian19.hatenadiary.jp

 

 私の好きな『図書館の魔女』より、以下を引用する。注)傍点は省略

 ――なぜ私の不意をつきたかったのかって? 不意をついてどうするの? たまたま遭ったということで、普通の会見とは違う何か重要な違いが生じるの?

(中略)

「先を取るためです。自分の気持ちで勝負をはじめたというかたちにするためです」

 (高田大介『図書館の魔女 第一巻』p.158)

 

 私は本の感想を書こうと思っているとき、結果的に書かなかったとしても、自分の中で内容に関する感想がまとまるまでは他人の感想を読まないようにしている。まずは他人の感想にできるだけ染まってない状態を形にする。形にしたら、いくらでも気が済むまで他人の感想を読む。オリジナルなものとミックスしていく。変化していく。

 感想に「間違っている」なんてことはあり得ないのだけれど(同時に「正解」もない)自分の感想で観点がずれていたとしてもあんまり気にしないようにする。何故ずれているのか、何がずれているのか、そんなことを検討する方がずっと面白いと思うから。

 以上のことは、別に本の感想に限った話ではなく、最近だと日々のニュースで言えると思う。ただニュースは本の感想と少し違う感じがする。正しいか正しくないかの議論がもう少し活発だ(うまく表現できない)。そりゃそうだ。本の感想と社会的な出来事は違う。

 引用でキリヒトは「先を取るためです」と言った。私はこの言葉がずっと好きだった。他人の感想を読まないことは、私にとっての「先を取ること」で、つまり、主体的に物事と関わるということだった。

 少しずつ世の中のニュースに関わっていく。まずは先を取り、自分はどう思うのか考える。そして多くの人の意見に触れながら変容させていく。

 何故そんなことをする?うーん。誰かを無自覚に傷つけたくはないし、もし自分が間違っているとしたら(ほんとよくこの言葉できるけど、何なんだろうね「間違う」って。何と照らして「間違う」の?)そこは正したいじゃない?それに人間には好奇心ってものがあるのよ。

 

 ということで、方針は変わらない。本の感想に対する振る舞いを、社会的出来事に拡張しただけ。それにしてもこの世の中には「感想」が多すぎる。そのこと自体は絶対悪いことではない(大事なことだし)。ただ「感想」に触れて消耗しないというわけではないのよね、なんてことも考えていた。これも私の「感想」。

【文房具】ZEBRA サラサクリップ 黒 1.0mm

 「サラサの1.0mmを買えばいいんじゃないか?」

 唐突に、天啓のように、そのような言葉が降ってきたので、ディスカウントストアでパパっと買ってきた。

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 1.0mm、写経(写経?)に良いやん!!!使います。

 あと「薔薇」の字間違えてる…横棒一本足りないです。精進します。

SHOW BOY@シアタークリエ 観劇の記録

 シアタークリエ『SHOW BOY』を観劇してまいりました。

 このご時世、観劇できるかどうかは本当に直前になるまでわからず、公演が中止する可能性も大いにあり得ると(それはとても悲しいことですが)思っていたので、ぎりぎりまで公演の存在を意識しないよう生活をしていました。ずっと楽しみにしていて、いざ中止となった場合のショックからの回復に時間がかかること間違いなし…。それは自分なりのメンタルヘルスケアですが、この1年半近く、至る所でたくさんの人が悲しんできたし、今も苦しい思いをしている人がいることは事実。まずは無事に観劇できたこと嬉しく思うのと同時に、関係者の方々の感染対策に感謝したいところです。

 

※以降、ネタバレありなのでご注意ください 

 

初シアタークリエ

 初めてのシアタークリエでした。開演30分前からの開場でしたが、それ以前から入ることができました。案内の方々が親切で「こ、これが日比谷なのか…」と、その所作一つ一つに色めき立つ私。アンケート用紙を書くところかしら、アクリル板で仕切られたスペース一つひとつに除菌スプレーが綺麗に置いてあって「すげえな…」と思いました。はい。半券のもぎりは自分で、エレベーターは人数制限あり、劇場内では会話はお控えくださいという案内が大事ということでよく回っていて、感染者を出さないという意識がとにかく徹底されていたように思います。

 シアタークリエは約600席。観劇歴が少ない=訪れた劇場も少ない為、水準より広いのか狭いのかはわからないけれど、私は「ちょうどよいな」と感じるキャパシティでした。

 舞台には暗転幕(多分)が下りていて、暗がりの舞台上には甲板のセット。事前情報なしの私は、この時点で、物語の舞台が客船なのだと気づきました。HPも一応見たのですが、あらすじとかは載せないスタイルなのか。そもそもSHOW BOYに行こうとしている時点で事前情報を知っていると踏んでいるのか、それはわからず。

 

SHOW BOY 全体的な感想

 まず上演終了後、私の感想はまず「Endless SHOCK*1みたいな末永く続いていく作品になるんじゃないか(なってほしいな)」というものでした。それぐらい、ふぉ~ゆ~がSHOW BOYをやることのメッセージ性が高いなと。ふぉ~ゆ~抜きのSHOW BOYはあり得ないなと、そう思いました。そもそも私がふぉ~ゆ~を知ったのが他ならぬEndless SHOCKだったということもあるのですが。

 次に、とても充実した2時間半でした。脚本が緻密に練られていて隙が無い。本読みなので、物語上に散りばめられた伏線が回収されていく様、ああ、あの場面はそういうことだったのか、という気づきがもたらす快感はやっぱりいいですよね。ストーリー構成については後程別で書きます。

 最後に全体的な印象として「声が良い人が多いな」と思いました。視力が悪くてオペラグラスも持っていなかった私は、実はキャストの表情が全然わからず、動きと声で演技を楽しんでいたわけですが、皆さん、いい声をしていらっしゃると思ったのでした。私自身がアニメを好きなのもあるのかなあ…どうなんだろう。発声の仕方が演目毎の指導によって違う、ということはある?他の劇では「いい声しているなあ…」と思うことはなかったので、単純にここ数年で私が観劇に際して着目するポイントが変わったのかなんなのか。

 

ストーリー

 舞台は客船のキャバレー。その日最後のショーが始まる開演1時間前から物語は始まります。SHOW BOYを観劇している私たちは、「物語内のショーを観ようとしている観客」であり、かつ「物語を俯瞰して見る神的な視点を持つ目撃者」でもあります。この視点のズレがひとつポイントになります。面白いですよ~。

 物語は、最初のイントロダクション的なものの後に、第1話から第5話で構成されていました。(公式パンフレット買わなかったので、あくまで私が整理したものですが。)

 第1話から第4話までは、開演1時間前から開演直前(10分前とかそこらへんまで)の時間を、異なる4つの視点で切り分けています。文字で説明するの怠いなと思ったので、表にして整理しました。

 

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 私は、「1.intro」にてSHOW BOYのメインテーマをキャストで踊るやつは、客船のその日最後のショーのオープニングそのものだと思っていたのですが、どうでしょうね。このintroを起点に「と、その前に」という合図でもって、時間の巻き戻しが起こる認識です。合っているかしら。この物語のからくりが分からない初見で、introと2の「裏方とダンサー」の繋ぎに何が起こったかなんて覚えてないですからね、ああ、それだけ確認したいからあと1回は確実に観たい!

 観劇していて恩田陸の『ドミノ』っぽいなあ…と思いました。他にもこのような同時並行型?の話は多く存在すると思いますが、私がパッと挙げられる作品だと『ドミノ』?あとは『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の終盤、ハーマイオニーが逆転時計を使うやつ、みたい、と考えてもらえればわかりやすいかもしれない。

 このように、構成として簡単ではないので、戸惑う人もいるかもしれないなあと思いました。これぐらいごちゃごちゃしている方が歯ごたえがあって好み!という人ももちろんいるでしょう(私はこのタイプ)。

 

 裏方、ギャンブラー、マフィア、見習いが主人公となり、それぞれ『SHOW BOY』状のストーリーでは1~4話と設定されています。各話切り替わる前に「と、その前に」という口上で以て時間が巻き戻ります。ここの演出が見事で、舞台上は暗転、下ろした暗転幕に映像が投射されるのですが、次の話は誰誰が登場しますよ、というのがもうわかりやすくかっこよく紹介されててな。初見だと次は誰の番かわからないので、どきどきわくわくでした。SHOW BOYは字幕の移し方が凝ってて良かったなあ。シンプルに各話のタイトルが表示されるのだけど、そのシンプルさにセンスを感じました。各話ちゃんとタイトルがあるのですが忘れてしまったので、便宜的に出てくる登場人物で以下に紹介します。

 

裏方とダンサー

 「叶わぬ夢の下、と、憧れたあの人がいない舞台の上で」というお話。裏方が福田さん、ダンサーがジャニーズの高田翔さん。

 舞台前なのにイマイチ力が入っていないダンサー。本当は踊りたいのに事情で踊れない自分。だらしない後輩にガチで怒る真面目さや情の濃さを持ちながら、直前で踏みとどまり冷静に相手と会話しようとする裏方さんって、いい人だな…と思いました。そりゃあ、惚れる人もいるよね。

 印象的だったのは、甲板の上、夜空の下で先輩と後輩、お互いの本音をちょっとだけ明かした後で、でもやっぱり状況は変わらない。「先輩踊ってくださいよ」と言われて「よっしゃ、やります!」となるのかと思ったら、この時点ではやっぱり裏方は裏方のままで、引き続き牡蠣にあたって出られなくなったDIVAの代役を探すのが良いなと思いました。人生ってそんなに上手くいかない。この最後のシーンの裏方さんのカラッとした声音がいいなあと思いました。やらないといけないことをやらなければいけない。それって、大切なんですね。

 

 メタ的な話だと、裏方の福田さんはジャニーズの中でも様々なアイドルのバックダンサーを務め、デビューはせずにジャニーズJrを卒業?したふぉ~ゆ~のメンバーであり、高田さんは福田さんの後輩。当然ステージ上のキャリアも福田さんの方が積んでいるでしょうから、「俺より先輩の方が上手いのに」というダンサーの言葉は結構刺さりました。

 

ギャンブラーと少女

 「ギャンブルに向いてない優柔不断な男と強かな少女の交流」の話。

 訳ありで勘当されてしまい妹の結婚式に行くためギャンブルで一山当てようと思ってカジノに乗り込んだけれどボロ負けしたギャンブラーと、事情があって彼と行動を共にする少女の話。少女の率直な物言いがギャンブラーという表の仮面を剥がしていきます。

 性別も年齢も、その他立場や身分や国籍が異なっていても、人間何処かで共鳴し合えるというのはSHOW BOYの一つのテーマなのかもしれないな、と思いました。最初は語気が荒いギャンブラーですが、少女と交流をしていくうちに言葉が柔らかくなり本来の彼に近づいていっているのかと思うと興味深かったです。表のトリックスターはマフィアでしょうけれど、実は彼よりもギャンブラーの方が色々とやらかしているのもポイントです。第5話のギャンブラーは最初から最後までぶっ飛んでる。

 SHOW BOYは叶えてこなかった夢を叶える話でもありますが、さて、ギャンブラーの夢は叶ったのでしょうか。裏方、マフィア、見習いは一つ夢が結実したような気がしましたが、ギャンブラーは?少女と過ごした束の間の時間、それは失った妹との時間の追体験、だから間接的に夢は叶ったのかな。どうなのだろうねえ。少女が持っていた大金が結局どうなったのか追いきれなかったので、やっぱりもう一度見たいですね。

 

 ギャンブラーを演じる越岡さんですが、「おい!(荒い)」とか「くそ!(荒い)」とか、語気が荒めだったのか私はお気に入りポイントでした。ほら、越岡さんという人、穏やかでほわほわしていらっしゃるので…。かっこよかった…(越岡推し)。

 また、兄妹というよりは、おじさんと姪のような年の差の赤の他人であっても心が通じ合うそんなひと時、という図は私の好みでした。

 

マフィアと通訳と支配人

 「家族の為に気乗りしない裏家業に足を突っ込んでいるマフィアと、取引の為に駆り出された通訳と、キャバレーの支配人」の話。マフィアはふぉ~ゆ~の松崎さん、支配人は中川翔子さんです。

 まずは、支配人がストーリーにがっつり絡んでくるとは思ってなかったのでちょっと意外に思いました。それこそEndless SHOCKのオーナーのように、キャストを見守り導くイメージを持っていたので。

 客船で行われる銃の取引。マフィアは銃を用意し対価として大量のチップを受け取るはずが、それはこの国の当局による隠蔽捜査?であり、逮捕を間一髪のところで回避したマフィアは、何故か手錠でつながれてしまった通訳を人質に、客船内を逃走する、という流れ。手錠を外したマフィアは通訳と分かれ、何も知らない支配人から「あなたDIVAの代役?」と勘違いされ、なんと今夜最後のショーに出ることに。

 この話で大切なのは、マフィアは中華圏の人であり、支配人とは言葉が通じないという点。身振り手振りによるコミュニケーションはところどころミスがあるけども、不思議なことに着地するところには着地する。ステージに立てないと尻込みするマフィアを勇気づけるべく、支配人は自分の中にある蟠りをマフィアに語りかける。まるでもう一人の自分を解きほぐす様に。そして二人は意気投合していく…。

 SHOW BOYのセットでいいなあと思ったのが、可動式ドアと鏡が張られた化粧台なのですが、控室でマフィアをセットしていくシーンでは、記憶に違いがなければ、支配人もマフィアも観客に背を向けていたはず。観客は鏡に映った彼らの姿を見る構図だったと思うのですが、結構新鮮だな~と思いました。鏡って重要なアイテムだな~なんて。

 あとは、マフィア役の松崎さんの台詞は中国語も多かっただろうにちゃんと消化されていてすごいなと思いました。松崎、おそるべし。

 

見習いとマジシャンとエンジェル

 最後は、見習いとマジシャンとキャバレーのメイン歌手ことエンジェル。場面はその日客船で行われていた年に1回の見習い試験から。10年目になる見習いは、この試験をクリアしないと見習い失格、客船から下ろされてしまうのですが、緊張しいな見習いは案の定失敗、師匠であるマジシャンから最後通牒を言い渡されてしまいます。失意の見習いは、客船のバーで飲んだくれている一人の天使(エンジェル)と出会い…?という話。気弱でおとなしい見習いと、サバサバとぶった切っていくエンジェルの威勢の組み合わせが絶妙でした。

 印象的だったのは、やっぱり甲板のシーンでしょう。「失敗してしまうマジックも君の前だと上手くいってしまう、不思議だね」の見習いと共に楽しい時間を過ごしたエンジェル。二人には共鳴するものがあるけれども、一方はLikeで一方はLoveになるあの微妙な間合いが本当に良かった。柔らかい部分を掬っている感じです。見習いには意中の人がいて、なおかつ恋愛指向も噛み合わない二人であることは観客には一目瞭然で、しかしエンジェルは時間差で遅れてそのことを知るので、その辺のタイムラグも良かったです。なんというか、誰が悪いというわけでもないのにね。このLikeとLoveが関係性において入り混じるやつは誰しもありうることで、個人的には考えこんでしまうトピックでした。

 なんにせよ、見習いとエンジェルは心を通い合わせた瞬間があって、それは素晴らしいことなのだと、そんな感想に収束してしまいます。うまく言えないですね。

 

 辰巳さんは、発声の時点で「真面目な好青年」になるのがずるいです。好き。

 

好き勝手に好きなところを語るSHOW BOY

 これまで様々なグループのバックダンサーを務めてきたふぉ~ゆ~ですが、そんな彼らが主役となる構図が既にずるいなと思いました。この文脈を理解している人とそうでない人で、ストーリーの響き方が変わりそう。そういうところが面白い。個人的に「オラ、わくわくすっぞ」となったのは、支配人・中川翔子が真ん中でどーーーーーんと歌い上げるところで、それまでの主役モード・ふぉ~ゆ~だったのが、バックダンサーモードになるところ。ここ、すごく良い!「誰かを演じるふぉ~ゆ~」と、「ふぉ~ゆ~であるふぉ~ゆ~」と、「誰かの影となり引き立てるふぉ~ゆ~」と。彼らの様々な面を見ることができるというのが、このSHOW BOYの良さであり、なおかつ、ストーリーとしても破綻していない、過度な演出になっていない絶妙なバランス感覚が見事だと思いました。そしてふぉ~ゆ~のことそこまで知らない人が見ても、きっと面白いと思える舞台であると、自信を持って言えるクオリティなのもすごいです。「嫌いになれるやつがいない」というのは、いいコンテンツなんじゃないかなと思います。(もちろん「嫌いになれるやつがいない」ことが、良いコンテンツである為の必要条件ではないのですが。)

 

 繰り返しになるかもしれませんが、世代性別人種国籍、様々な違いはあれど、人は誰かと交歓できる瞬間がある、というメッセージが好きです。心が通い合うというのは、それは時間の積み重なりで必ずしも生まれるものではなく、瞬間的なことだってあるのだ。

 あとは、自分がミュージカルの身体だからだと思うけれど、「踊って歌って食べて飲めば仲良くなることってあるよね」と思いました。時々、「急に歌って踊りだすミュージカルってのがよくわからない」という意見を目にするし、冷静に考えれば「確かにな、意味わからんよな」と思うのだけど、事実、私は自分の感覚として「歌って踊って食べて飲めば仲良くなれそう、その気持ちわかる!」という身体なので、魂の叫びを歌に乗せ体の動きに宿らせる、ミュージカルのフォーマットに則った素敵な舞台だったと思います。

 長く続く舞台になればいいなあ。積み重なることで深まる劇ではないでしょうか。

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*1:KinKi Kids堂本光一が主演を務めるミュージカル作品「SHOCK」シリーズのこと。Endless SHOCKとは正確には2005年から光一さん自身が脚本・演出・音楽すべてを手掛けているようになった上演のこと。

【音楽】2021年7月の音楽

 2021年7月の音楽。なんというか、新しい音楽を聴かない月だった。このことがずばり自分の現在地を示している気がする。

 

TRIGGER『DIAMOND FUSION』

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 相変わらず毎日アイナナのゲームにはログインしているしデイリーミッションをちゃんとクリアしている。そしてストーリは進まない。第一部八章までクリア。

 なんやねん、全然ガチャ引けなくない?と思ってたけれど、そんなこと無かった。ちゃんとログインし、イベントを消化すれば知らない間に石が溜まっていく。そして私は時々、自分の運を試す為に10連ガチャを引く。時々URを引けて嬉しい。そういうぐらいの距離感でいきたい。週替わり日替わりで推しキャラが変わりますが、7/31現在はRe:valeの千さんです~。自分が進めたストーリーの段階ではまだ登場されないですけど、ラビチャ?というのかしら、愛着度みたいなものを溜めると公開されるチャットストーリー読んでて「えーん、千さん好き~」になる。というか、物の考え方とか振舞い方の参考になる。

 

ASIAN KUNG-FU GENERATIONソラニン

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 良い音で聴く好きな音楽というのは本当にいいものですね!

 

ASIAN KUNG-FU GENERATION『架空生物のブルース』

 アジカン好きの私ですが、おそらく生涯で一番聴いてるアジカンの曲が『架空生物のブルース』で、7月はとにかくずっとこれ聴いてた。理由はシンプルに「一番静かで落ち着いている」から。それぐらい、音楽を聴けない月だった。新しい音楽を聴く気にならないし、感想をまとめる気にもならない。知っている曲をただなぞるような、でもそういう休め方もあるでしょう?これが休んでいることになるのかはわからないけれど…。

 

 ということで、7月の音楽。あまりに中身が無くて書くかどうかも迷うけれど、6か月も続けているとやめられない。人間ってのはそういうものです。

【雑記】最近考えてたこと/政治について

 ふと、私は「華胥」(『華胥の幽夢』より)に登場する慎思(「しんし」と読みます)の言葉について考えていたのでした。以下引用です。

「なのでしょうね。私は取りあえず、違うと思う、とは伝えました。これが正しいと示すことはできないけれども、あなたのしていることに賛同はできない、と。それを聞いてもなお、自身の道に確信が持てるのであれば、砥尚の思うようにやってみればいいでしょう」(「華胥」 p.286)

  これは慎思が砥尚と喋っているシーンです。砥尚というのは慎思にとって息子同然の存在なのですが、考え方に関して二人には相違があるのでした。簡単に言うと、国を荒廃の一途に陥らせている現国王に対して抗おうとする急進派の砥尚と、穏健派の慎思という構図。慎思は砥尚の急進的なやり方に対して賛同できない意を表明した上で、砥尚のやり方を尊重はするということを言っています。。

 私は、「賛同はできないけれど、尊重する」という慎思のこのスタンスに、少し甘さを感じつつも、惹かれていることを否めません。というよりも、私はもう10年近く前(おそらく)にこの本と出会ったときに思いっきり影響を受けてしまったのです。価値観形成に十二国記からだいぶ影響を受けてます。

 

 先の都議選の開票速報を追っていて、ふと、「選挙って面白いなあ」と思ったのでした。そして、私がなりたい人物像って何だろうなあということも考えていたのでした。つまり、どのような人間に魅かれるのか、私はどのような人間になりたいのか、ということです。

 

 さて、正直に言うと、私の中には政治に対する漠然とした恐怖があります。恐ろしい闇があります。政治って面白いと思うけれど、一方で見るに耐えられないことが起こっている。ずっとそう思ってました。そして見えない恐怖について知ったところで私には何もできない、何も変えられないという気持ちがあります。

 そうした諦念が積り積もって今の日本のこのような状況があると思いますが、実のところ、日本のこの状況に対する強い憤りが自分の中にはない、ということに絶望しています。私は怒れないのか、と。この期に及んで、私は怒らないのか、と。

 ということで、少しやり方を変えることにしました。怒りが起こるのを待っていても私という人間はどうやら行動しないらしい。であれば、違うやり方で、私のスタイルで、私なりに政治と関わる必要があるのです。

 少しずつ気になったニュースを掘り下げることから始めようと思います。試しにラジオを聞いたり新聞を読んだり、いつもは読まないジャンルの本を読んだりしています。サボるときも当然ありますが、少しずつ習慣になればいいなと思って、やっています。

 私は人間の愚かさを見つめることがしんどいのですか。どうなんですかね。見なければ存在しないのと同じですからね。でも私にとっては存在しなくてもそれは幻ですからね。そして悲しいニュースを見ると、疲れているときなんかは本当に心が弱ります。泥に足元すくわれてそのまま抜け出せないような。でも、私より大変に苦しい思いをしている人はたくさんいて、自分が苦しむなんてお門違いなんだ、そういう息苦しさもあって、難しいなと感じます。私がオロオロしたままでは誰も救えないし、無知であることで誰かを傷つけることがあるならば、私は学び続けなければならないと思います。そう、結局何もしなければ何も変わらないんです。であれば、たとえ何かを変えられなくても行動したい。

 

 「華胥」の中でこんな言葉が登場します。

 「責難は成事にあらず」

 文字通り「人を責め、非難することは、何かを成すことではない」という意味です。その通りだと思いますが、この言葉で以て、人を責め、非難する人々の口を閉ざそうとするのは違う気がします。人を非難することも必要なことです、間違いなく。人を非難しないことは、己の怠惰によるものなのか、非難しなくていい立場に置かれているからか、一考する余地はありますよね。

 結局どのように振舞うかは個人の在り方の問題です(ああ、すごく十二国記的な考えだ)。だからそれぞれが生きたいように生きればいいと思っていて、ただ世の中を変えたいと思っている人の足を引っ張るのは違うので、応援したいなあと思います。

 私はTwitterをやっているけれど、どうもジャンル別にアカウントを分けるのが苦手で、好きな音楽のこともアイドルのことも、生活のことも、本のことも、切り分けられないものだから、逆にもっと混沌を極めたTwitterワールドにしたいなあ…。

 

 と、突然こんなことを考えたのは、先にも書いた通り都議選の開票速報が面白かったからです。選挙結果1つをとっても、見る人によって見方が異なりそれはつまり世界が異なるというわけで、明晰に各人分析をしていく様は、陳腐な言い方ですけれど、「すごいな…かっこいいな」と思いました。ただ、「誰も知らないことを私は知っている」という魔法に簡単に?かかれるのが世に蔓延る陰謀論だと思っていて、「誰も知らないことを知っている」という知識の所有は少し危険。知は所有するものじゃなくて、創造する?発見する?広げるものなのだろうと思います。うむ。

 

 最近考えていることでした。常に変わっていけたらいいよね。

【アジカン】また一つ最高のエンドロール曲が誕生してしまった/『エンパシー』

 映画のエンドロールが好きなんですね、私。

 

ちなみに、映画『東京喰種【S】』主題歌なのですが、ぜひ劇場でエンドロールで流れるであろうこの曲を聴きたい(本編は見ても見なくてもいいけど。この曲が流れるエンドロールだけ見たい、なんて思うことありませんか?)

【女王蜂】踊らにゃ損損/『Introduction』 - 根津と時々、晴天なり

私的エンドロールで聴きたいソングを収集中で、パッと挙げると、ゲスの極み乙女。『ロマンスがありあまる』(映画『ストレイヤーズ・クロニクル』より)と米津玄師『海の幽霊』(映画『海獣の子供』より)ですが、この『Dear Snow』も間違いなく映画館のエンドロールで流してほしい曲です。

【嵐】『Dear Snow』についてつらつら考えたので - 根津と時々、晴天なり

これ、映画館の椅子に深く沈み込んでエンドロールでしみじみと聞きたい…(映画のエンドロールも好きなのです私!)

【アニメ】私はこの「瞬間」に恋している/アニメ『BURN THE WITCH』本PV② - 根津と時々、晴天なり

 

 エンドロール曲というのをかつての私はこのように書いてました。

エンドロールで聴きたいってのは、自分の頭の中の映画本編のイメージと曲が合っているということであります。最近になって自分はエンドロールが好きになっていて、「エンドロールが好きって何事?」って自分でも思うのですが、あの本編が終わった後のぐぁーーーーーんとした余韻にゆっくりと浸かりながら聴く主題歌ってすんごく良いのですよ。

【嵐】『Dear Snow』についてつらつら考えたので - 根津と時々、晴天なり

 

 今思うのは、エンドロールというのは、映画という非日常のフィクションの世界から、退屈でささやかでありふれた日常の世界に移行する、両者の世界の境界なのだろうな、ということです。

 エンドロールには、内省が伴う。先ほどの映画は何だったのだろう。あの興奮は何なのだろう。ストーリーの、台詞の、登場人物の、構図の、あのシーンは何だったのだろう。それが胸に去来し思考が渦巻く時間。そんな時間に寄り添う音楽を、私は素晴らしいエンドロール曲だと言うのかもしれません。

 つまり、音楽を聴きながらふっと遠い場所のことを考える空気を含んでいる曲は、エンドロールと相性がいいのかもしれない。

 

ASIAN KUNG-FU GENERETION『エンパシー』

youtu.be

 

empathy 
 the ability to understand another person’s feelings, experience, etc.

https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/empathy?q=empathy

 英単語は英英辞書を引くとニュアンスが掴めていいぞ!ってどこかで教わった!

 他者の感情や経験を理解する力、それがエンパシー。今の時代に大切な力。

 

 ギターとボーカルで始まる静けさ、そしてベースとドラムが入ってくるこの流れにハッとさせられました。特にリズムを細かく刻むハイハットの気持ち良さよ。疾走とか焦燥とはちがって、時間が動く、物語が始まる感じ。この出だしから作品のTeaserなどで既に公開されているエネルギッシュなサビにどうやってつながるんだ?と思ったけれど、滑らかにつながっていく様にうきうきします。え~すごい。ちょこちょこと前に出てくるベースの音も「すっきっ…!」ってなります。バンドの音楽って、それぞれの音が組み立てられているな~という、すぐそこにあるのに気づかなかった発見に興奮しています(浴びるようにK-POP聴いてるからこそ気づくバンド音楽の良さ)。DTMとかよくわからんけれど、バンドスタイルと机の上で作っていく音楽では、作り方も違うのかしらね。そこらへん音楽を作る人はどうなんでしょう。音楽をやらない私の想像だけど、楽器を鳴らしながらの音楽は肉体の制約(手の数指の数は有限)がある一方で、DTMでは自分が弾けない音楽、技量に凝った音楽を作れるのかしら、とか。逸れた。

 この曲を聴くと「穏やかな時間を過ごしたい」という気持ちになるから不思議です。何もしない時間、空白の時間、真っ新な時間に、何かを振り返りたくなる。そうして呼吸を落ち着かせて、また、動き始めることができたら。その繰り返しで生きられたならいいのになーと。

 空っぽの時間に、自分のこととかまだ見ぬ誰かのこととか、考えられたらいいっすよね。エンドロールだなー。

 8/4発売。うーむ。買おうかなと思案中。