根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【VERIVERY】成人式カバーで思ったことつらつら

 スリットがざっくりと入ったシンプルな黒のドレス、スリットの隙間から見える膝上ぐらいまでのタイツ、こ、これはまさか、私は少しドキドキしてしまう。それは会場に漂う妖しい色香にあてられたからではなく、ここにはいない「誰か」の反応を窺う心の動きに似ている。誰かの批判が、怖い。

 

 さて、私が好きなK-POPグループVERIVERYのファンミーティングが有観客で開催され、私も当日慌ててオンラインチケットを買いました。その感想については少なくともこの記事とは別に書きたいので割愛させていただくとして、その中でパク・チユンの成人式(Coming of Age Ceremony)のダンスカバーを上記の衣装で披露しまして。

 本家のミュージックビデオではなさそうですが、一応貼っておきます。

Park Ji Yoon - Sung In Shik (Coming of Age Ceremony) 박지윤 - YouTube

 YouTubeで検索すれば、数多のK-POPアイドルがカバーしてきたのがわかるので(BTSとかTWICEもカバーしてたのね)見るといいと思います。本家の歌詞(和訳)も読んでいたのですが、なかなか挑戦的な曲で…これを「成人」に一般適用するのは難しい気もするが、そういう成人もある。全然、ある。

 2021年の段階でグループ内で唯一の未成年だったカンミンさんが晴れて成人になられたということで、それを踏まえてのComing of Age Ceremonyなわけですね。さらに補足すると、VERIVERYは上から下まで年齢差が大きいグループなので(とはいえ、真ん中は98年99年00年生まれとわちゃわちゃ団子になっているのですが…)グループの大半はとっくに成人で酒も飲めるわ~~~という年なのに、カンミンさんだけずっと置いていかれてたわけです。出演できる時間帯(アイドル側で時間も場所も決められるVLIVEとかいうコミュニケーションツールであってもそれは同じ)も制約あっただろうし、本人としてはやきもきする部分もあったかと思います。で、祝おうじゃないかと。Coming of Age Ceremony採用の理由などは私は追えてないので、調べてみてくださいな、という感じ。

 さて、経緯説明は以上。本題のパフォーマンスに入るわよ。

 私は危惧した。「これ、怒られるやつじゃない?」正直身構えました。それは「私はこれを許容できるが、許容できない人も、このご時世いるのではないか」と思ったからです。

 K-POPを比較的長く見てきた人なら覚えがあると思うのですが、昔は本当に男性グループのヨジャダンス、ガールズグループのダンスカバーがたくさんあったわけです。今は本当に少なくなったのではないかと思う。数として本当に減ったかはわからないけれど、実感としては減ったのではないかと思う。いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」の考えが段々とメジャーになってきたことも影響している、のかもしれない。フェニミズム運動とも関連している、かもしれない。

 私がヨジャダンスを支持できない理由があるとすれば、それは男性が女性のダンスを踊ること、そこに女性性的な何かを軽んじたり馬鹿にしたりあえてフォーカスしたりすること、ではなく、演者の恥らう姿を鑑賞者として一方的に楽しむ、歪な権力性、関係性を個人として支持できないからでした(もちろんやりすぎな演出は駄目なんですけど、何に不快感を抱くかって個人の中でも確固たる基準があるわけではない、不安定なものだと思っているので、昨日OKとしてものが翌日NGなんてこともあるのでな…)。そしてこれは別にヨジャダンスだけの話ではないわけで。

 その点、VERIVERYさんたちのComing of Age Ceremonyはもう本気と書いてマジと読むやつで、本当に集中してやっていた。センターのカンミンちゃんには何かが降りてて神々しさまであった。ぶっちゃけあれほどまでに浸るとは予想外だった、というぐらい、踊ってた。

 では、彼らのパフォーマンスは、ポリコレ的な観点で、非難(批判ではないよ)されるものなのだろうか? 

 

 すごく気を遣っていたなと思う。衣装にしても女性的なものに全振りするのではなく、少し中性的な方に寄せていた。例えば上半分だけ見ればかなり中性的だ。下半分についても、おそらくスリット(女性的)なものをタイツでカバーしていてマイルドになっている。振付については、まあ女性的なんだけど、不思議と舞踊的な優雅さみたいなものがあって私はそちらの方に見惚れてしまった。ドンホンさんがいい感じなのよ。あとヨンスンはさすがに魅せ方をわかっていて、角度とか肩の入れ方とかがいいのよ。こんな感じで、メンバーごとにこの振り付けをどういうアプローチで消化するのか、違いがあって面白いです。あと思っていても実際に動けるのかというところに違いがあったり。

 だから今回の発見として、やっぱり男性の身体と女性の身体は異なるもので、身体的に動かしてきた(あるいは動かせる)体の動きと、文化的に規定されてきた動きってのはおそらく分けられて、腕のウェーブの仕方とかはやっぱり女性の方が上手いよなーとか、そういう驚きがありました。ありがとうVERIVERY。

 私は比較的肯定的にこのパフォーマンスを受け止めていますが、そうでない人ももちろんいると思う。ではその間にあるものは何か、それは埋まらない溝なのか、考える機会はあってもいいと思います。

 ちなみに逆に考えてみると、ガールズグループがゴリゴリに男性のダンスを踊るとき、男性側から見たらどう思うのですかね?かっこいいと思うのかな。私がVERIVERYのダンスを見たときに感じる複雑さみたいなものが発生するのかしら。発生しないとしたらそれは何故? そんなことも考えておりました。ま、これからも考えていきたいところです。

【音楽】心が洗われるような/Mili『Bento Box Bivouac』

 スマホ向け音楽アプリゲーム『DEEMO Ⅱ』を遊んでいます。

DEEMO II | 音楽、それは青空への願い―― | Rayark Inc.

 不思議で多くを語らない世界観が気に入って、時間があるとき、気分転換したいときに叩いています。登場するキャラクター達も可愛いのに、決して触れてはいけない雨が降り続くが故に、まったりとした絶望感が底を流れていたりもして、なかなかいい感じ。それだけが理由ではないけれど、基本的にゲームに課金はしないという鉄の掟を破ってしまいました。まあ、Deemoとcytus2を無課金で散々遊んだのだからお金払わにゃならん!みたいな、謎の義務感に駆られました。日頃から素敵な音楽ゲームを遊ばせてもらっているので…。

 と、ゲーム内のイベントなどをこなしていたら、「お!」と思う曲がありまして。

 

youtu.be

 Deemoプレイヤーはおなじみの音楽グループMiliさんの『Bento Box Bivouac』です。DeemoのUtopiosphereばっかり叩いていた身としては(ほんとうにUtopiosphereばかり叩いていた)もう嬉しくて嬉しくて。あと私はやってないけど『魔法使いの約束』の印象的な曲(Cast Me a Spell)もMiliさんだし、やー、どうかな好きになれるかなと思って聴いたら、ちょっとこれはすごいぞと思いまして。これを書いている次第です。

 

 よろしくお願いします 

 この後は、この曲のポイントをがーーーーーーっと語るので、いいから聴け。YouTubeだと和訳も載っているからいいから見てくれ。頼む。

 

 見た?聴いた?OK。

 

 Bivouacは、露営とか野宿とか。MVのサムネイルからもうかがえると通り、山のてっぺんでお弁当を食べている人の歌なのでしょう。

 「お米二合をざるにいれ」という歌詞があるように、どうやらお弁当を作るようです。残菜に梅干しもお弁当箱に詰めて、山の上でひとりお弁当箱をあけるよ、と。やったね、ピクニックだよ、と。ここまで聴いていると、お弁当作ったで、山の上で食べるぞ、おいしいな、という歌なのかと思うわけです。で、この先一体何が待っているのかと、怪訝に思いながら聴いていくと、一番で最も盛り上がる部分がやってきます。

 

 The salt, salt

 From my eyes, they dropped

 

 この部分です。や、やられたーと思いました。

 なんというか、このパートまですごく客観的な行為の羅列なんですよね。お米が二合あります。ざるで研ぎます。鍋に入れて、みりんも入れちゃいます。沸騰させて、蒸します。行為、行為、行為。そこには行為の主体である誰かの感情は一切うかがえない。山に行き、一人で座り、お弁当の蓋をあける。まだまだ続きます。そして一番のピークで、この人は泣くのですよ、ってのがわかる。泣きたくなる何かがこの人にはあるのですよと。あるいは、泣きたくなるけど何もないのですよ、かもしれないけど、とにかくここで初めて心情みたいなものが立ち現れてくる。すごいーーー。まず一番。

 私が好きなのは二番で、

 

 Though I am blank

 Nothing on my mind

 There's no room to, no room, to fit in another human

 That’s okay

 

 ひょえー。泣いてしまうよこれは。

 MVの日本語字幕では「私は真っ白だとしても 頭が空っぽだとしても それでも他人が入る余裕を見つからない それでいい」とあります。

 

 わかる気がするなあ、と思いまして。簡単に「わかる」と言うのは憚られますが、それでもわかる気がする。

 目の前に広がる圧倒的な自然を前にして言葉を失う感覚。また、大いなる自然を前に満たされる感じ、充足感。あとは肉体的精神的な疲労で何も考えられない感じ。それは「真っ新」とか「真っ白」と言えなくもない。そんな状態だと他人は入ってこないのもわかる。スペースがない。何も考えられない。

 私は色々出かけるのが好きで、ときには極限まで歩き回ったりすることもあるので、肉体的に疲れすぎてマジでなんも考えられないという感覚は身に覚えがありすぎて、そんな感覚想像しながら聴いています。一方で精神的な疲労にみまわれている場合も当てはまるかなと思います。日常に忙殺され「ここはどこ、私は誰」みたいな自己同一性まで侵食されてる疲労状態、あるいは、深い悲しみ、激しい憤りのあとに訪れる虚無感に襲われているときの余裕のなさみたいなものにも寄り添ってくれる曲のような。『Bento Box Bivouac』はそれを"That's okay"と肯定しているわけです(私の解釈)。えーん (つд⊂) 泣いてしまう。

 「心が洗われるような」という表現がありますが、その通りだなと、緑豊かな場所に出向くと思います。病んでいるときは公園とか行くのおすすめです。

 

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ここ1か月で海にたくさん行ったので海のことばかり話してる

 

 

Bento Box Bivouac

Bento Box Bivouac

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【食】カップヌードル カレー味が好き

 週に1回のペースでカップヌードル トムヤムクン味を食べている私です。タイ料理はあんまり得意ではない気配がしつつこのトムヤムクンヌードルは食べられる(パクチーが苦手なんですね)、昨今から今年にかけて狂ったように食べております。

 コンビニでカップ麺買うならトムヤムクン一択だわと思ってますが、偶に、違う味を食べたくなる。そして手を伸ばすはカレー味。これがべらぼうに美味しいのです。やっぱりカレー味だわ。ということでこの文章を書き始めました。正直に言うと、トムヤムクン味も好きなので愛を捧げる文章を書いていたのですが(下書きに入っている、珍しく)いいや、やっぱりカレー味、おめえだわ、ということで鞍替え。

カレー味の好きなところ、3つ。

  1. ほくほくしたじゃがいも
  2. シャキシャキの玉ねぎ(みじんぎり)
  3. 粘度のあるスープ

以上です。解説していきます。

 

 まず、じゃがいも。これは具ですけども、やや厚みを残しつつ平べったい正方形。食感が独特でほくほくシャキシャキしている。食べると嬉しい。好きなので大体最初に食べてしまってそれは悲しいところ。

 次の玉ねぎ。人力で可能なみじん切りより細かい印象。人でも家庭用フードプロセッサーでもあそこまで細かく、かつ、きちんと形を維持するみじん切りはできないのでは?と思う仕上がり。工場の機械だなー。この玉ねぎが食べてとても良いアクセントになっていると感じます。シャッキリとした食感は残っているので麺を啜るならスープを飲むときにちゃんとシャリシャリするのです。好きだー、食べてて楽しいです。

 最後に粘度のあるスープ。とろみのあるスープ。カレー味の食べ物ってなかなか味にバラエティが富んでいると思っていて、ちなみに私はめんつゆがそんなに好きではないでお蕎麦屋さんのカレーうどんをあまり食べないのですが、どうしよう、めんつゆの感じが出てたら…とドキドキしながら最初はカップヌードル カレー味を食べたものです。そう、カレー味。一言でカレー味といっても、合わせる出汁や伸ばしたい風味で印象って全然違うと思います。お菓子のカレーせんとかも違うもんなぁ…。で、この日清のカップヌードルでは、確かにまるっきりカレーではない、何かがある、それはカップヌードル的出汁なのかもしれないが私はよくわからず、大事なのはちゃんとカレーであるということです。カレーっぽいの「っぽい」要素がカレーを凌駕してないバランスが好きだなーと思います。まあ、私の好みの味なんでしょうね。

 ということで、味が好きで食べてて楽しいカレー味、偶に食べると美味しいです。これからもその美味しさに新鮮に驚きたいのでトムヤムクンヌードルを食べていきたいと思います(トムヤムクンも美味しいのよな、これが)。

日清 カップヌードル カレー 87g×20個

I listened to seventeen's song in the pool

 時々プールで泳ぎます。なんか英語のテキストみたいな文だな。I sometimes swim in the pool. 

 まあ、とにかく、私は時々泳ぎます。理由は私がたまたま泳げる人間だからで、例えばテニスができればテニスをするだろうし、バスケットボールができればバスケをするだろうし、トランペットが吹ければトランペットを吹くだろうと思うけど、できることがそれしかないので私は時々泳ぐ。泳ぐことはいいストレス発散になる。そしてめちゃめちゃ疲れる。

 室内プールでは音楽が流れていて、一旦水の中に沈みこめば何が流れていようが気づかないのだけど(水中でも音楽が流れるなんてそんなハイテク設備ではない)気にせず邦楽が流れ続けている。ビート板でキック練習をするときは頭が水の上なので存分に音楽を聴くことができる。

 25mプールをちょうど行って帰ってきたところで、たらららららー、と見覚えのあるイントロが流れた。思うのだけど、多分この世界の80パーセントくらいの人間は自分のことを「イントロクイズが得意な人間だ」と思っている。御多分に漏れず私もその中の一人で、私はイントロ当てが得意なので(自称)すぐにわかった。

(これは余談だけれど、イントロクイズが強いかどうかってのは「どれだけの曲を知っているか」に大きく左右されるのではないかしら)

youtu.be

 あらまあ、せぶちだ。少し心を落ち着けて聞き入る。・・・。やっぱりせぶちだ。うーむ、久々に聴くけどやっぱり良い曲。そうだよな、これ日本語のオリジナル楽曲だもんなあ…最近の曲ではないからこの選曲は謎だけど…、なんて鑑賞モードに突入してしまった。

 プールで『舞い落ちる花びら』に聴き入る人間はそんなにいないのではないか。つまり、プールに流れるそれが『舞い落ちる花びら』だと知っている人がいるのかということ。もちろんcaratで水泳が趣味のおじさまおばさまお兄さんお姉さんはゼロではない(現にここに一人)。水中ウォーキングをしているおばさまが「あら、この曲いい感じじゃない、どのアーティストかしら」なんて興味を抱いてそのままCaratになる世界線も否定はできない(ただしプールに持ち込めるものは限られており、あとで曲を調べようにもなかなか難しいだろう)。ただ、そこまで確率は高くない。せぶちの曲を知っている人が、プールで泳いでいて、そのタイミングで『舞い落ちる花びら』が流れるのは、多分。

 ということで、私は感動していた。室内スピーカーからガンガン流れるせぶちの曲をしみじみと味わう。なんというか、音が大きいしそれなりに響くので、重たく真面目に聞こえる(seriousのニュアンス)から説得力が半端ない。良い曲だと思っているけど、この曲の力は自分が思っているよりずっとすごいのだろうな、ということを考えながら結局最後まで聴いてしまった。呆けたように立ち止まっていたものだから体が冷えて寒い。私は気持ちを切り替えてさっさと泳ぎ始めた。先ほどまで体じゅうを満たしていた全能感というか充実感はあっという間にどこかに消え去ってしまい寂しかった。

 

 こんな風にたっぷりと曲を聴くのは楽しいなあと思う。なんというか、情景が、状況が先にあって、それに合わせて私が曲をセレクトしていくのだけれど(今回は曲も併せてやってきた)情景や状況を意図的に発生させることはできなくて、常に私は受け身にならざるを得ない。それは僥倖なんだろうなと思う。おしまい。

 

 

【雑記】良心の青田買いについて

 新年早々こんなことを書くと「病んでいるのか」と思われそうだが、そうでもない。むしろ本当に駄目だと何も書けなくなるので、これでも私は回復していると言える。年末年始は確かに調子が悪かったけれど。

 良心の青田買いについて考えていた。以下は新明解国語辞典より。良心とは「自分の本性の中にひそむ欺瞞や打算的な考えなどを退け、自分が人として本来あるべきだと信じるところに従って行動しようとする気持」のこと。青田買いとは「稲のとりいれ前に、収穫高を見越して前もって(安く)買うこと。俗に最終学年になって間も無い(いたる前の)学生と入社契約を結ぶこと」。

 それを踏まえ、ここで私が言う「良心の青田買い」というのは、何かを好きになるときに、対象の良心を図ろうとする行動、である。わかりやすく言えば「この人大丈夫なのだろうか?」と思ってしまうということ。私はそれをかなり打算的に行っているのではないか。それって、はっきりいってすごく窮屈だ。サイズが小さい服を着せられている感覚。

 何故こんなことを考えているのかというと、例えば何か(誰か、でもいい)を好きになったとして、蓋をあけてみれば自分の価値観的には「無いな」と思う倫理観の持ち主だったとか設定だったとか、とにかくそういうことがあって(ままある)そのことに私は少なからず傷ついてきたという経験があるから。でも思うけれど、傷つく道理なんてあるのかな。傷つくことが果たして私に許されているのだろうか。そうして自分の中に生じた感情をいつだって持て余してきた。あるときは寝て食べて体を動かして忘れてきたし、あるときは中途半端に向き合ってモヤモヤとした感情が消え去るのを待った。そうした遅延行為みたいなものは一つの対処として有用ではあるが、私の場合あまりに繰り返されている。その繰り返しに私はうんざりしていたのかもしれなかった。

 話は変わるけれど、好きな小説である『スロウハイツの神様』のとある一節のことを思い出した。この作品に登場する小説家チヨダ・コーキはこう言った。以下は辻村深月スロウハイツの神様(上)』より。

『もし、それが本当だとするなら——』

 微かな震えを浮かべた声は、けれど一語一語、とてもはっきりと発音されていた。

『僕の書いたものが、そこまでその人に影響を与えたことを、ある意味では光栄に思います。人間の価値観を揺るがせてしまうなんて、小説って、僕が思う以上にすごい。作家冥利に尽きます』

 チヨダ・コーキは自身の小説が他者に与える影響、それに伴うあらゆることを引き受けると言った。(どういう文脈でこんなことになったのか、気になる人は読んでみてください)

 この言葉に倣えば(もしかしたら倣っていないかもしれない。チヨダ・コーキと私は立場も状況も違うのだ)何かを好きになる時点で、何かしらの責任が生じるのではないかと思うのだった。責任と言っても大袈裟なものではない。主体的に好きになるということだった。好きになる対象、客体にまつわるあらゆる事象・現象を、私は私なりに引き受ける必要があるのではないかと(引き受けた結果、「対象から逃げる」という選択もあるのかもしれない)。

 良心の青田買いをしてしまうのは、一言で言えば、間違いたくないからであり、失敗したくないからであり、善良なる人間でいたいからだ。好きになった相手が倫理的に眉を顰める振る舞いをしたとして、私の責任をそこでごちゃごちゃと考えたくないから。でも、多分関係ないってことはありえないんだ。「引き受けない」という選択を私は諦めなければならないのだ。そう思ったら、ほんの少しだけ肩の荷が下りた感じがした。

 もちろんこれからも、私は私の価値観で以て何かを好きになることがあると思う。好きになった対象が「うーん」と思う状況に陥ることもあるだろう。そのとき、私は私なりに問題と対峙しよう。いいかげん腹を括るのだ。

 

 そんなことを考えていた。何かを軽率に好きになることをいつの間にか怖がるような、そういうところが最近あるような気がしたから。

 

 また、この試みは何かを好きになることに限らない。例えば「何かを支持する」ということにも繋がるであろう。

 つい先日、Choose Life Projectという映像プロジェクトに対する抗議文が発表された。その内容は多くの人を失望させたと思ったし、CLPのコンテンツをそれほど追ってなかった私も残念に思った。今、CLP側に何らかの対応が求められているのは言うまでもないが、CLPに少なからず関心を抱いていた私もこの問題の背景にあることと向き合わないければいけないのではないか、そんなことを思った。そうでもしないと、この気持ち(失望感?)を消化できない、というのもあるのだけど。

 

 思えば、私(私たち)が人間を一瞬で正確に見極めることが可能なのだろうか。よほど人生経験豊富な人、あるい何か修行でもして曇りなき心の眼を持っている人でもなければ無理ではないか。私は私以外の人を瞬時にどういう人か判断することはできないし、判断したくない。だから好感を抱いていた人に裏切られることもあるだろうし、失望することもあるだろうし、その逆もきっとあるだろう。だから良心の青田買いは些細な抵抗とも言える。 未来に起こる失望に対するちょっとした保険、結構疲れるんだよね、この人大丈夫かなどうなのかな、って考えるのが。

 だからこれからは、あんまり考えないで好きになりたいな、と思う。好きになったその先で何かあれば決然とした態度で臨みたいな、そういう強さを持てるようになりたいな、と。

【読書】2021年に読んで印象に残った本

 今年もやります。あくまで今振り返ってみたときに印象に残った本、というカテゴリで。名作は名作、好きな作品は好きな作品というカテゴリがあって、それとは別、かもしれん。

 

 今年は110冊いくかいかないかという読書量だったのですが(近年だと一番少ない)これは嫌味でもなんでもなく(本を読まない人からすると「そんなに読んで?」と思われるかもしれないが)「すくねえ!!!」と愕然としてしまったところがあって。別に、読書量がすべてでもなければ人間の価値でもなく(つーか人間の価値とか知らんがな)むしろ一冊一冊を丁寧にじっくりと大切に読む方がいいのでは?と思っている一方で、この世にはまだまだ自分が読んだことのない本があるのだと思うと、自分は一年でこれしか読めないのかと思うと、まあ、わくわくするのと同時に落ち込みます。読みつくせないほどたくさんの本が刊行されていて本当に良かったなあ…。

 

1. レティシア・コロンバニ『三つ編み』

 1月に読んだ本なので遠いと言えば遠いけれど、この本良かったなあと思って、その気配がいまだに残っている。これは三人の闘う女性の話なんです。タイトルの「三つ編み」そういうことね!となりますので最後まで読んでほしいし、巡り巡るのだと考えれば日々の一つ一つの行動も疎かにできないなと思った記憶。

三つ編み

 

2. 江國香織『ホリー・ガーデン』

 図書館で借りて読んで、買ってからもう一度読んだ本。なんだろうな、ただただ、だらーんと日常が過ぎていくけれど何かが変わっていくというのが好き。あと主人公の一人、静枝さんがストイックなスイマー(高校教師)なのが好き。それ以外にも好きなところはたくさんありますが。

ホリー・ガーデン (新潮文庫)

 

3. デイヴィッド・ミッチェル『ボーン・クロックス』

 当たり前なんだけど、自分が自覚している欲しいものは私が買うのが一番外れなく、私が買わないと誰も買ってくれないのでもちろん私が買いましたけど、5390円の本を買うのもなかなかよね。後悔はしてないです。いっぱい読めばいいだけなので。いや、むしろ読まなくてもいい、すぐ手に取れるということが大事なのだから。

ボーン・クロックス

 

4. アマル・エル=モフタール、マックス・グラッドストーン『こうしてあなたたちは時間戦争に負ける』

 難解な表現も多いし、彼女たちの世界について描かれていないところもたくさんあるのだけど「敵対するエージェント同士の文通」に胸が熱くなるばかり。言葉を信じる、大切にする、誰かとのささやかな交歓、その喜びが静かに体に広がっていく感覚が好きです。

こうしてあなたたちは時間戦争に負ける (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

5. アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』

 自分が変わっていくことが怖いと思うし、自分の頑なさが誰かを傷つけてやしないか怖い。色々と考えさせられる作品です。あと、表紙が最&高。

春にして君を離れ (クリスティー文庫)

 

6. 李琴峰『星月夜』

 最近読んだからというのもあるけれど、これはタイトルが素晴らしい。「ほしつきよる」と読むのだけど、そう読ませるタイトルで良かったな、タイトルって大事だなと思った作品。表紙も素敵。小説にできることって本当に様々で、『星月夜』みたいなこともできるし、『星月夜』という作品はそれ以外にももちろん読める、というところが小説って感じがしていいのです。私たちは問題を解決しなければいけないというのも思うし、なかなか感想が難しいのですが…。

 

星月夜 (集英社文芸単行本)

 

7. 村上春樹『辺境・近境』

 こちらも最近読んだから、というのが一つ。あともう一つは旅の記録ということについて。トラベルログというやつについて考えることがあったので。言語化すること。そこから何を見出せるのか云々。その辺はうまくまとまっていないので書かない。村上春樹のエッセイは読むのに小説は何故か読んだことがない(短編は二、三冊ある)。不思議。いつか読むのか、読まないまま終えるのか。

辺境・近境 (新潮文庫)

 

 でもこうして改めて振り返ると、そのときそのときで思い出深い本があるわけで、その事実に「なんと嬉しいことか」と、変な表現ですか感謝というか感動します。生きていれば本に出会えるのね、と。

 私にとって「本」について語るということは、他のものやことよりも少し難しく、それは私という個人と読む本の関係性が近いことによる危機感や緊張感ゆえですが、でも誰が何と言おうと私にとって思い出深い本はあるのだと、それは認めていいのだと、私は思うことにしています。好きに読ませろ!(別にあれを読めだ、これは読むなと言われたわけではないですが…)

 来年も素敵な読書生活を。

【お出かけ】レインボーブリッジを歩いて渡る

 唐突ですが、台場に行く用があったので良い機会だからとレインボーブリッジを歩いて渡ることにしました。

 レインボーブリッジは港区芝浦と台場を結ぶ橋で、台場は「お台場」と呼ばれること多し、フジテレビ本社ビルや多くのショッピング施設や観覧車や実物大ユニコーンガンダム像やらコミックマーケットの会場があったり、まあとにかく色々なものがある場所。東京の中心部から車を使わずに来るのであれば、モノレールのゆりかもめでレインボーブリッジを渡るか、りんかい線臨海副都心線)になると思うけれど、私はそれを徒歩でやるといっているのです。正気か。正気。

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 伝わる人には伝わる、これがゆりかもめ

 台場の対岸側、港区芝浦付近から撮りましたこの写真、芝浦までだと到底レインボーブリッジの高さに至らないので、芝浦ふ頭を後にすると、ゆりかもめはぐるりと回ってレインボーブリッジの高さまで上がるわけです。

 

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 この先の道中が若干心配になる看板。てか、レインボーブリッジって本当に今渡れるのか。

レインボーブリッジ|よくいただく質問集|港湾局のご案内|東京都港湾局公式ホームページ

 2021年12月の時点で、北側と南側の二本の遊歩道のうち北側が工事中だった為、南側のみの通行でした。年明けからはその南側が工事になって北側が歩けるようになるのだとか。夜に歩くのもなかなか洒落ているのでは…機会があればもう少し遅い時間に歩いてみたいものです、なんてことを考えられるのは歩いた後だからこそ。本当にやっているのかいな、歩けるんか、と不安でいっぱいでした。

 

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 いざ尋常に。芝浦側はエレベーターでレインボーブリッジの高さまで上がります。台場側は橋のたもとまで緩やかな傾斜になっているので徒歩で上がり下がりします。

 

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 今回はサウスルート一択。

 

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 遊歩道はこんな感じ。見ればわかる通りすぐ横を自家用車やらトラックやらバイクやらが容赦なく行き交う。すなわち、揺れる。海抜47mくらいの高さの橋が、揺れる。酔いました。私はすぐに慣れましたけど、足を一歩前に踏み出すごとに揺れているのか揺れていないのかよくわからない気持ち悪さを感じるのはしばらくは続いたかと思います。

 

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 でも景色はめっちゃ綺麗。先ほどたもとから撮ったグルグルしているゆりかもめもこんな感じ。まるでプラレールとか、ジオラマの世界。川崎かな、東京湾の工場やら何やらゴツゴツと厳めしい建物や重機が並ぶ光景もめっちゃ綺麗でした。ちょうどいい高さなんですよね。もう少し高いと完全に見下ろす形になってしまうから。

 

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 そうそうこんな感じ。落下防止の為に多くの部分は網フェンスがかけられていたけれど、それは仕方ないです。なかったらなかったで怖いし。

 

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 今回の目的地じゃ~~~。遠い!

 遊歩道は「芝浦側出入口から台場側出入口まで1.7キロメートル(徒歩で20~30分程度)」(「レインボーブリッジ|よくいただく質問集」より)ということなので、特段遠いわけでもないのですが、台場側入り口からフジテレビ(仮)まで、徒歩だとさらに10分くらいは歩くので、まあ、トータルで考えたら遠いです。レインボーブリッジのたもとまで行くのも大変(主義なわけではないが今回はゆりかもめ乗らないぞマンになっていた。ゆりかもめ自体は別に嫌いではありません)。

 

 

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 そうそう、これこれ。個人的に一番の見どころだと思ったのが、お台場の名前の由来、そのまま台場。元々は江戸を守るための砲台の置き場、確かにここに砲台置くよね~という場所にある。今は、第三と第六が生き残っていて(全部で第六台場まであったとか)第三台場は徒歩でも行けるけれど、写真の第六台場は完全に孤島。中の生態系とかどうなっているのだろう、海鳥の恰好の休息場かしら、なんてことを思いながらレインボーブリッジで通り過ぎます。

 私は高所恐怖症ではないのでそこまで怖いと思わなかったし、どこかのツリーみたいに、ところどころ床がガラス張りになっていて眼下を見下ろせる、みたいな演出はなかったと思うので、そこまで高さは意識しませんでした。言うて低山にハイキングにいけば余裕でもっと高いですからね。先ほども書いた通り、ちょうどよい高さ、という感じでした。

 東京のとある冬の日の気温という寒さでしたが歩く人はいるもので、中には台場から走って渡るランナー集団もいるものだから、本当に色々な人がいるなあと面白かったです。自分のこと置いて言うのもなって感じですが、どういう発想でレインボーブリッジを歩いて渡ろうと思ったんだろう、この人たち…。

 あ、ちなみに書いてませんでしたが、このレインボーブリッジの遊歩道、なんと、無料です(超大事)。無料です。無料じゃなかったら面倒で歩かなかった説ある。ゆりかもめなら、芝浦~お台場海浜公園間の運賃が260円です。・・・。そこまでお得でもないか(そもそもお得とかそういう問題でもないしな、なんていったってロマンだから!)

 色々書いてますが、ちゃんと楽しかったです。芝浦口は人いないし行き止まり間たっぷりで不安になるけどもちゃんと営業しているので!興味ある人は運動がてら歩いてみるのもいいと思いました。私は満足感でいっぱいなので当分歩きませんが。