根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【雑記】アイドルもまた恋をする

 なんかふと考えたくなったので、以下のようなことをworkflowyを使って考えていた。特定のアイドルのことを考えながら書いているけれど、別にその相手を非難したい気持ちがあるわけではない。早く戻ってこないかなーとは思う。なお、ここに書いていることは私の思考の切れ端であり落書きである。間違っていることもあるはずなので、真に受けないでもらいたい。もちろん文責は私に発生するけれど。

 

  • アイドルもまた恋をする
    • 「恋をするな」と言う人は体感として少ないように思う
      • それは人としての意思決定、尊厳に抵触すると本能的に理解しているからだろう
    • 論点は「ばれないように恋愛をしろ」だろうか
      • 積極的に恋愛事情をオープンしていくことを許容する層はいるのか
        • 場作りがうまい人は「プライベートを詳らかにする」「それを祝福する私たちとあなた、同志」みたいな雰囲気を作るのがうまそう
          • それもあくまで「技巧」であり、猶予でしかないと思うけど
      • 「隠せるなら隠してほしい」が多数派になるのではないか
        • それは何故?何故隠さなければならない?
          • アイドルは幻想を維持する舞台装置の一部
    • 「ばれてもしかたないよ隠すの無理だもん」か「ばれるな馬鹿野郎が」というタイプにおおよそ分かれる?
      • 私はどちらかといえば前者
    • 「ばれないように恋愛しろ」はあくまでファンの願望であり、従う必要はない。それもまた個人の生き方の問題。
      • ただし、アイドル自身の振る舞いに幻滅して「推さない」という選択肢もまたファン側は持ちうる
    • しばし発生するこの議題は、私たちがアイドルの何を許容できるか、そしてアイドルが己に何を許すか、の問題?
      • それは本当に人の数だけ異なり、正解がない
      • 正解がないのに無理に押しつけようとするから歪みが生まれる
  • アイドルは人格者でないこともある
    • そもそもこの世の中で「人格的に優れている」とされる人がどれほどいるのだろう
    • 人の欠点をどの程度まで認めればいいのだろう
      • 答え→自分の頭で考えろ
      • ただし法的にアウト→アウト
    • でも、身近な人でも長く付き合って「うわあ…(幻滅」みたいなことありません?あれとアイドルの何が違うのだろう
      • 私たちは身近にいる「うわあ…」な相手の対処に困りながら考えながら生きており、ましてや画面越しのアイドルの何を理解できるのだろう。何を知ることができるのだろう。
  • 裏アカウント
    • アイドルがSNS等の裏アカウントを持っていたとして
      • アイドル側は「自分たちだけが知っている」という優位性を常に持ちSNSができる側面はあるかもしれない
        • とはいえそれは、面白い楽しい、だけではない。彼ら彼女らの本音の行き先は常に限定される
          • 開かれない(閉鎖的である)状況は誰であっても歪む
      • そもそも「オフィシャルな」個人SNSの運用を任されることがまだまだ少ない
        • 「オフィシャル」な像は巧みに作り上げられたもので、ファンが抱いているイメージを裏切らない運用が求められ、細心の注意が必要
          • その結果任せてもらえないことが多い?
    • 裏アカウントを持つことそのものに反発する人も、決して多くはないだろう
      • それなのに裏アカウントの存在を知り少し身構えるならば、マジックミラーのような非対称性をそのとき突きつけられるからではないか
      • 「私たちの発言が、一方で相手にも届くかもしれない」という意識の欠如
        • 真夜中に歩きながら一人歌ってたら後ろに人が歩いていて、歌声がすべて聞かれていた時に感じるバツの悪さ
  • どのようにしたら許されるのか
    • アイドルが度々不祥事などで活動休止を余儀なくされるとき、アイドルはどうすれば許されるのか。
    • 結論から言えば、「許したくない」と思う人が無数にいるからそれに全対応は無理
    • 私自身は、その出来事をきっかけに自分がどうしたいのか考えてもらえば何を考えても別にいいんじゃない?と思う
    • 自粛期間に誰と話し何を考えたのか、その時間が確保されていれば、正直私は何をやっても何を考えてもいい。必要なのは時間だ。
      • しかし時間は無限ではない
    • 「懺悔」というものを考える
      • 軽重の差こそあれ、人が何か誤った(とされる)ことをした時、そこから立ち直る方法というものは決められたものがあるわけではない
      • 人の数だけある回復の方法を、外部から強制することはできない
      • 許しもまた当事者間の問題になる
      • アイドルは「傷ついた」と思う人が膨大な為、対話は難しい。応答しようにもひとつひとつとコミュニケーションを取るのは難しいところがある
  • 完全体とそれを維持することの難しさ
    • 私は、完全体を愛でる傾向にある
    • それは何故?
      • ひとつの秩序であり、世界だから
    • 完全体が解散したとき、別に世界を構築し直さなければならないが、前例がある分難しい
      • なお、追加した場合も同様だが個人的には脱退より構築は容易い
    • 二つの違いは、未来を提示できるか否かではないか
  • そもそもアイドルだけでなく、世の中の人々の人間はどこかしら歪でそれが面白い
    • アイドルは作られた部分が多く、ミスが許されない風なのは苦しいと思う
    • また、歪みが肯定的に、愛くるしさのように捉えられるところもあり、正直この価値反転はケースバイケースすぎる。気まぐれな無理ゲー。
    • 身近な人間関係であれば、歪さのポジネガを行ったり来たりしながら時は進んでいくが、アイドルは相手があまりに多数でイメージは硬直していく。

【tripleS】Girls Never Dieを視聴する/その痛みはフィクションなのか

 「なんだっけか、tripleSってユニットで活動していた多人数グループがついに全員そろったらしい?聴いてみるか~」から始まり、この文章を書き始めるまでに1時間経たなかったな、tripleSのGirls Never Dieについて考えます。

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 前提として、私はtripleSのことを何も知りません。ユニットがあったのは知っているけれど、メンバーも知らないし事務所も知らない。プロデューサーは知っているけれど…このグループが成り立つ経緯を何も知らないのでこの辺りは触れずに、フレッシュな通行人の意見として書きます。この状態での感想って貴重だし、あとから読み返すと面白いこともあるから、積極的に残していきたい。

 

 まず、音楽単体から。落ち着いて平坦な聴きやすい曲だなと思った。「肩肘張っていない、これがデビュー曲?って嬉しいなあ」と思うような曲。このメッセージであればもう少し違うテイストにもできるのに。聴き終えて今さら振り返るけれど、シャウトらしいシャウトってない?よな。いや、あるにはあるけれど、演出として「ここから良いところ!」という見せ方をしていない、つまり聴く側も「OKOK来るのね、受けて立とうじゃないか」みたいな心構えが不要な曲。特定の誰かにスポットライトを当てることはしない、という方針が透けて見える。ええ、ええ、わかります。黒と白って感じがした。ルセラのデビュー曲は彩度の高い黒白って感じがしたけど、こちらはもっと低くした黒白。

 

 で、だ。問題はここからだ。ミュージックビデオだ。率直に書くと「滅入った」。滅入る。それは映像の内容が悪いとかそういうことではなく、単純に色々考えることがあって、それが私を落ち込ませた。音楽だけならこの文章を書かなくても良かったけれど、映像を見てしまったからには、書かないとどうしようもない(し、書いたら色々な発見があるだろうな)と思ったので、この文章を書いているというわけだ。

 最初に通して見て思ったのは「これは成功しなければならないけれど、成功する保証はどこにもない」ということだった。言っていることだけで見れば至極当然のことかもしれないが、私はさらに思う。「この曲を歌うからには、成功しないと嘘だ」と。

 これは保守的な考えなのだろう、「成功しなかったらどうするの」と思う自分がいて、すごい嫌になった。うっせーよバカヤローが、と自分に対して思った。これは決意なんだよ、成功するかどうかなんて知らねえ、でも歌うしかないんだよ。歌っていいんだよ。

 別グループになるけども、XGについて考えていた。XGはTippy Toesで世界へ挑戦する心を歌った。私は、そこで歌った挑戦が成功するか失敗するかどちらになるかなんて、深くは考えない。XGが進む道を応援したいし見守りたい、結果的にどうなるかなんて誰もわからないし、その道のりが既に尊いものであるわけだから。

 では、どうしてtriple Sに過剰に反応しているかというと、やっぱり映像のメッセージ性に尽きるだろう。そこには余りある切実さが込められている。これだけの「背景」があってそれでうまくいかなかったらそれこそ実存を疑うじゃん、と(巴マミの「死ぬしかないじゃない!」が脳内で再生される)。ミュージックビデオに過剰に感情移入してしまった、ということでしょうね。怖えな(自分が)。

 

 MVを見ていて思い出したのは、AKB48大声ダイヤモンドと、加藤ミリヤであった。厄介な組み合わせだ。そして私の年齢もばれる。まあ、それはさておいて。

 考えていたのは、自身の学校生活のことだった。24人というと、あくまで私の中のイメージだけど、その学校が普通校の共学だとすると、一つの学級の女子生徒の人数よりは多いと思う。学校という空間で、級友とコミュニケーションが取れないわけでもなく、いじめられるわけでも疎外されるわけでもないけど、多人数間のコミュニケーションに気が張りすぎて脂汗が出る人間としては、AKB48的な同世代多人数集団の窮屈さばかり思い出してしまい、見てて古傷が痛んだ。これはこちらの話であり、tripleSの問題ではないですが…。メンバー間ってどうやってコミュニケーション取っているのだろう。SMエンタのNCTとかにも思うことなのだけど。

 大声ダイヤモンドとか言い訳Maybeとかの、世界があってその中の私たちの世界の、仲睦まじいルール、秩序。Girls Never DieのMVの中である、捨てられたオフィスのフロアを占有して私たちだけの王国をつくっている感じは、女の子たちの独特のルールを感じて、私はそれがちょっぴり苦手だ。

 

 私たちが好きなものを持ち込んでメイクだってしちゃう、どうしてそれをしなければならないのかというと、外の世界は危険でいっぱい、生きるのが苦しいから。

 切実さがある。痛みがある。ラベルを剥がした2リットルのペットボトルの水、ゴミが捨てられない部屋、カップ麺、カラスの死骸や手のひらを這う蟻という生々しさによってさらに説得力を持つ。

 

 カラス(もしかしてカラスじゃないのかな)というものがどういうニュアンスで用いられているかわからないけれど、禍々しさとか、街の厄介者という意味合いを加味して、tripleSのメンバー=カラス、ということにしたのだろうか。私はカラスが醜いとは思わないけど、疎まれても存在を否定されても、空をたくましく羽ばたき貪欲に生きる利口なカラスのようにこれからやっていきまっせ、という決意表明だと受け取りました(不死鳥という言葉もありますな)。

 

 Girls Never Dieで描かれたどん底がかなりの底で、ここがスタートであるに違いはないけれど、何度も「ここ」に落ちていいわけじゃないからな????とは思った。物事上手くいくことばかりじゃない。だから落ちたらもう一度やり直せばいい。でも、深みに落ちたら駄目だ、浅いところで済ませよう、落ちすぎずに済む強さを持ちたい。

 

 このMVがキャリアの途中でリリースされていたらまた受け取り方は違って、この切実さはフィクションと現実のハイブリッドとして受容できたかもしれない。けれど、待ちに待ったデビュー作としてリリースするのとでは、フィクション要素を凌駕する現実の重さがあり、説得力が段違いになる。BTSが途中でI NEED Uを出したのとは違う(私はこの曲からもそれなりのメッセージ性を受けてしまうけど、彼らがこの曲をリリースしたのはデビューの時ではない)。

 

 tripleSに限らず、自身の痛みをどのように表現するのか、ということは定期的に考える。私が歌うのであれば、私が言葉を紡ぐのであれば、私の痛みは私の痛みとして誰にも侵されることなく世界に届けられるが、他者によるプロデュースの比率が高ければ高いほど、その痛みは私のものなのか、それとも他者から「想像せよ」と差し出されたものなのか、わからなくなりそうだ。ナイーブな感情は聴く人に強く働きかけ、大きな感情を引き起こすが、そのトリガーとなるナイーブな感情の出所をどう考えるのか、私には難しいと感じる。プロデュースされるにあたり「想像せよ」「表現せよ」と差し出された感情が、痛みなら駄目で喜びならOKである理由もないかもしれない。ただ思うに、喜びが人を損なうことはあまりないけれど、痛みや悲しみは人を損なわせ、扱いには注意を要するというのはあって、だから直感的に、人のデリケートな部分に訴えかけてプロデュースされながら曲が作られることに、危機感を感じるのかもしれない。

 

 その痛みがフィクションだとは言わせない。でも、私はこの曲のミュージックビデオをフィクションとして理解しなければならない。描かれていることが「実際に」彼女たちに起こったことではないから。私が過剰に反応したのは、おそらく映像としてのフィクション性と、「ユニットとして少人数で活動はしてきた中で満を持してのデビュー曲」というリアリティにある想像可能な切実さの切り分けの難しさ、その混乱によるものではないかと、思った。冷静に考えれば、この曲は恋をしている(恋をしてきた)者が歌うラブソングのように(あるいは失恋ソングのように)人間生活のリアリティと楽曲の虚構性をブレンドして味わえてもおかしくないが、テーマがそうさせないのだろうか。難しいな。

 

 大方考えたいことは考えられたと思う。他の人がGirls Never Dieのミュージックビデオを観てどう思ったのか知りたい。考えすぎたのかもしれない。シリアスになりすぎたのかもしれない。自分が馬鹿だったのかも。でも、猜疑心はシャットアウトして、それはそれで一つの感想として残しておこう。

【RIIZE】Impossibleの翌々日にGuitarにドボン

 タイトルの通りですけど、本当に見事にドボンしたな。どうしちゃったんだろう。もちろんImpossibleを好きにならないとGet A Guitarにはまらなかったと思います。Impossibleもめちゃめちゃ好きなんですけど、まずはGet A Guitarを消化しないと先に進めない(RPGかよ)。

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 この文章を書いている時点で把握しているのは、

  • SirenとGuitarとImpossibleは聴いた(他にも曲があるのは知っている)
  • ショウタロウとソンチャンは知っている、ソヒくんとウォンビンは覚えた
  • もちろんSMエンタのボーイズグループなのも知っている
  • ダンスが意味がわからんほどうまい

以上です。

 

Get A Guitar

MVの好きポイント

  • 長めの黒髪ウォンビンさんの絶対的エースっぷり
  • 往年のK-POPアイドルの流れを継いだ、これまた違うかっこよさのウンソクさん
  • 異なる2人のかっこよさを食らったところで現れるとどめのスンハンさん(ちょっとドボのケビンっぽいな、好きな顔だ~)

 なんか本当にMVの作りが巧みだなあ、デビュー曲?なのかな、ひとりひとりの尺をとって自己紹介されている感じだ。そしてそして自己紹介ひとつひとつの破壊力がえげつない。と、思ったところで、さらに、

  • さっぱり短め、ユノ先輩路線(路線?)の笑顔が素敵なソヒくん

この流れですよ。上手すぎんだろ。

 MVというかダンスの好きなポイントが明確にひとつあって、それはサビの後半で満を持してショウタロウくんが出るところなんですけど、今まで大ボス4人くらい倒して倒して何とかたどり着いた場所で、最強のラスボス登場、みたいな、とんでもないダンスをぶちかましてくるじゃないですか。このショウタロウくんを途中まで隠したまま十分すぎるほどのものがもらえて、なおかつ、ショウタロウくんにいい感じにバトンをつなげられるってのが、RIIZEすごいな~、と思っているところです。ショウタロウくんにまっすぐとスポットライトが当たって、他は影、みたいな演出もそれはそれで良いものかもしれないけど、あー、こういうことが可能な人材が(そして同世代が)SMエンタにはいるんだなー、すげーなー、みたいなことを考えました。

 あと、どうでもいいんですけど、MV1番のサビの後半、ショウタロウくんがセンターで踊るカットで彼が着ている服が、三島食品のゆかりの色にしか見えない(ゆかり好きなんです)。

三島 ゆかり 500g

 

 あと、MVでめちゃめちゃ好きなのは2番のサビですね。アントンくんとウォンビンくんが二人で舞台で踊るところ。もはやこれが好きでMVを何度も観てしまうと言っても過言ではない(もちろんそれ以外のカットも良いのは間違いない)。

 これはオタクの勝手な絡みなんですけど、Get A Guitarのアントンくん、SHINeeデビュー期のイ・テミン先輩意識してません?そんなのSMエンタのファンが放っておくわけないだろ。

 

THE FIRST TAKE

 ということで、休みの日の午前中ずーっとGet A Guitarを聴いていいかげん混乱してきたところで、

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 これの存在を知る!公開されたのは4週間前!!(Get A Guitar自体は、2023年の9月リリースなので、この文章を書いている2024年4月からはだいぶ経過している)

 私の為の公開だ!(違います)。

 視聴。

 私「は~~~~~~~~~~~~~~」(歌うめえ~~~~)

 全員声がいい~~~~。天才~~~~。

 You play me like dun dun dunのところのハモリが好き~。ソンチャンとあと誰だろう、低音が効いてて気持ちいい~~~。そういや、NCTではラップ任されていたと思っていたソンチャン、今のところRIIZEではごりごりラップするわけではない、わけじゃないな?(Sirenという曲を思い出す)。あと、ばっきばきのダンスを踊るウォンビンが良い歌声で歌うのに感動した…この人逆に何ができないの。少し緊張した面持ちで音を追いかけるウンソクくんもいいし、柔らかく穏やかな雰囲気のショウタロウくんも、あと、二番サビのbaby~stillのところのアントンくん、めちゃめちゃ良い声だなーって思いました。飴細工を伸ばすやつを思い出した。力を等間隔に保ちながら声を引っ張り続けるやつ。ウォンビンが一番でそこを歌っているけれど、ちょっとざらっとしたウォンビンの質感に対してアントンくんの太い音が一定に保たれたまま伸びる感じの対比が好きです。何よりソヒくんの声がRIIZEの中でぱきっと目立ち、かつ、うまいのが嬉しいな。途中から緊張が解けている表情もいい。グルービーという表現がいいのか、リズムが音に包み込まれていて、すっきり気持ちよさがある。

 

 ある程度この曲の好きなところを言語化しました。これで、ダンスが全員そろってばっきばきなのが輪をかけてすごいな。

 

誰かの笑顔

 私は自分がいわゆる「オタク」ではないと思っていて、特定の何かに、ある程度の期間どっぷりつかることを意図的に避けようとしているところがある。ここ1年ぐらいは、イベントも行かなくなってしまった。チケットの当落に一喜一憂することもなくなった。元々チケットが外れればそういうものかと思って納得できてしまうぐらいの、深追いすることに伴う傷をなるべく浅くしようと努めたなれの果て。

 でも、もう7か月前とかそこらへんの、デビューの初々しさと緊張と嬉しさとを滲ませた彼らの表情は今見てもとても眩しく、活力をもらえるものだ。人間、どんな場所にいてもその瞬間から始められるわけだし。

 何が言いたいって、ここしばらく味わってなかった「誰かを見ることで(誰かの音楽を聴くことで)元気が出る」やつをやったな、ということだった。昔、そういうこともあった。それがまた今起こったというだけ。

 RIIZEの未来が明るいものでありますように。また、私自身はそういう外の美しいものを取り入れる余裕が持てますように。そういう願いを込めて、この文章を終わりにする。

 

【雑記】dietにまつわるエトセトラ

green dietという言葉を知ったのはXGのSHOOTING STARからだ。一般的な言葉ではない、スラング的な言葉だと思っているのだけど、察するに、グリーンを取り入れた(つまり野菜とか?)食事をしているのよ、と言うニュアンスか。dietの本来の意味的に、必ずしも野菜を中心とした減量生活、と考えなくてもいいきがする。

SHOOTING STARを初めて聴いたとき、まず引っかかったのがgreen dietで、なるほど、ダイエットというのはより健康的な(つまり自分の身体を過度に追い込むことがない)ものと、短期的に効果が見込まれる「激しい」ものがあるよな、と思って、以来「なるべく穏やかに減量する」という視点を得ることになった。

もう一つ視点の話をしよう。いつだったか、結構前になるけども、メイクアップの動画をたくさん出してるマリリンさんの動画の中で「自分のコンディションがいい体重というのがある」というような話をしていて、なるほど、と思った記憶がある。適正体重というと数値で決まってしまうものだけど、あくまでそれは身長を元に決まってくるもので、体格も異なれば食べる量も生活スタイルも異なる人間同士の「ちょうど良い体重」が同じであるわけはない。「ちょうど良い体重」がある、他人と比べられるものではないということをそのとき理解した気がする。

ここで書きたいのは、しばしば外から新しい視点を得るということだ。今回はSHOOTING STARという音楽だったりしたけども、読書から得ることもあるし美術展も漫画もアニメもドラマも映画も、ゲームも、本当に様々な場所から新たな視点を得る。視点は価値観と言い換えることもできる。

健康といえば、私が好きなロックバンドASIAN KUNG-FU NEGERATIONのボーカル・ギターのGotchさんのポッドキャストAPPLE VINEGAR - Music + Talkのこと)を聴いていると、「ヘルシー」という言葉をときどき聞く。Gotchさんの関心ごと(そして大切にしたいこと)と推察するが、「ヘルシー」という言葉も、私に新たにインプットされた視点だろう。もちろん、アンチヘルシー、のような気持ちもあって、健康を強く意識するがあまり、本来先行して存在している「生きる」ということが転倒することになっては元も子もないなとか、そういうことを考えているがそれはそれとして。

さて、こういうことを考えていたのは、ME:Iの新譜とそのパフォーマンスを聴いて観て思うところがあったからだ。とりあえず言いたい、Sugar Bomb最高。音楽のジャンルは忘れたけど、ボンボン跳ねるベースの音や浮遊感あるメロディが気持ち良すぎる。ボーカルもふわっとした場所もあれば、違うところではザクっとこちらを刺すような鋭さをはらんでいたりと、初めから終わりまで楽しい。

私は、ME:Iが生まれるきっかけになったProduce 101 Japanを観ていないのでメンバーのパーソリティはそこまで知らないのだが、&MEという曲のパフォーマンスが好きで、

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特に桃奈ちゃんのスタイリングがいい、めっちゃかっこいい、気骨あるイメージ(それは私の勝手な印象なんですけど)とスタイリングがめっちゃ合ってていいじゃん、と思っていた。堂々とした佇まいと&MEの勇ましいイントロも合うよね。

番組当時からデビューした人たちの最新の様子を見るに、当時よりだいぶ痩せてしまったなあと思う人が何人かいて、それに対して心配するファンの声も多少はあるようだ。私も心配だし、何より「痩せればいい」「痩せているのがかわいい、綺麗」という考え方には反発したいので、「おい運営どうなってんじゃごらぁ、ちゃんとしたスケジュールでやってんのか、過度な食事制限させてないか、追い込んでないかあ??????」と言いたいわけだ。

さて、その時のアンサーとして「いやいや、本人たちの意思に任せていますので」というものがあるかもしれないが、個々人の内面に規範されている「痩せればよかろう」「痩せていればかわいい」思考に対して文句があるのだ。本人たちに何も非はない。

何を美しいとするかは難しい問題だ。美とされる容姿は時代によって文化によって異なるものだ。だから、「痩せててかわいい」その等式が成り立たないことは往々にしてあって、その上で私が考えているのは、あなたにそれを要請させるものは何なのか、ということだった。

ちなみに私が少し体重を落とそうと思ったのは単純で、服が着られなくなるからだ。あとは座って作業するときに贅肉が邪魔でうざいと思ったから。それに加えて、もう少し長期的な観点で考えれば、自分の生き方的になるべく疾病リスクは減らしたい、いつまでも自分の足で歩きたい、その為の体を作る習慣作りとして現時点で運動する癖を取り入れたいな、と思ったから。この動機からわかる通り、他人からの評価が動機に占める割合はかなり低い(ないとは言ってないが)。

それでも、私の外にあるものが私に痩せろと突きつけるものはある。例えば、健康で過ごすことが美徳という考え。いきいきとした生活というのはポジティブに捉えられるが、それもそれで一つの考え方に過ぎない。絶対の正しさではない。あとは洋服だって、どんな体型であっても心地よく着られる服があればいいだけ(そして多分見つからないだけで存在する)で、でもそうやって色々なものと衝突し考えた結果、私は少しずつ体重を落とす方向に舵を切ろうか、となった。

多くの人が減量したいなと思うとき、そこには何があるのかを考えることで見えてくるものはあると思う。あなたにそれを要請させるものは何なのだろう。痩せてないとかわいいと言ってもらえない、痩せているとかわいいって言ってくれる、そういう声なのだろうか。その声が意味するものについて、一考する余地はないだろうか。

また減量のジェンダーについても考えなければならない。過度な減量をすることが多いのは女性なのか、だとしたら何故なのか。男性の過度な減量もまた注意しなければならないのではないか。男性の場合は、減量とマッチョイズムが繋がりやすいか。減量してマッチョになることで、ストイックというイメージだったり勇ましいというイメージを呼び起こせる?

結局は人間、自分のやりたいこと(それが他人から要請されたものでそこに気づけなくても)をやるものだ。痩せようが、そうでなかろうが、何も責められる謂れはない。やりたいようにやってみればいい。

私のこの文章も、結局ひとつのノイズにしかなれないのかもしれない。でも、番組当時の時点でそこに出演している人たちは十分魅力的で、そのまま魅力を伸ばすこともできるはずだと私は思う。画一的にウエストを細くするより、それぞれの身体の個性が出たスタイルの方が見てて元気になるし、見てる側も参考になるからありがたい。痩せるなとは言わない。が、自分が自分らしく輝けるための手段は色々あるということを、伝えたいというよりは置いておきたかった、という文章。

【物】ヨガマット買ったら体重が落ちた気がする

題名の通りです。いつだろう、いつだったかヨガマットを買いました。ヨガはやりません。やるのは簡単な筋トレです。

今まで自宅で筋トレするときはフローリングの上で直だったのですが、タオルを敷くとか毛布を敷くとかでは得られない快適さがヨガマットにはあって、しかも私のこだわりポイントで、ヨガマットを敷いたまま一日を終えることができないので、眠るためにはヨガマットを巻いて片付けなければなりません。朝、ヨガマットをささっと敷けば、その日は必ず何か筋トレやストレッチをやらなければなりません(絶対ではないけど緩やかなルール)。自ずと毎日何かしらの筋トレや何かしら体をストレッチすることになり、それが体重の減少に繋がってると思われます。ただそれだけではなく、有酸素運動を毎週取り入れてるのも大きいでしょう。結局、食事制限をしなあのであれば、運動でカロリーを稼がなければなりません。良き。

今年買ってよかったアイテム、ヨガマットはその筆頭でしょう。最初はかなり抵抗がありましたけど。過剰?な健康志向、健康であるために〜でなければならない、という「ねばならない論」こそ、大きく見れば健康を阻害しているのではないか、と思うことがあるからです。ヨガマットは私にとって、THE健康的な生活、の象徴だった。でもそれもまた私の個人的な見方でしかなく、そういう思い込みは意識的に解除することもあっていいだろうと、買いました。ヨガはあんまりしません。興味があったらやってみます。

ここ数年、緩やかに体重を落としており、ヨガマットはその流れの一端でしかない。短期的に体重を落とす必要がないなら、食事を変えなくても

  • 毎日ある程度の歩数を稼ぐ(目安8000以上)
  • 8000は無理でも毎日歩くことをやめない
  • 何かしら筋トレする
  • 何かしらストレッチする

で少しずつ落とせるようです。少しずつの目安は3か月に1キロペースで、世の中に流布しているダイエットから考えればスローなペースでしょう。食事を制限すればもっとペースは上がると思うけど、私には無理。食べることを制限するなら運動した方がましです。

体重を落とすことを目標にするとこの期限感に耐えられないこともあるので、体重を落とすことを目標にはせず、自分が決めた生活習慣を維持すること、それを楽しめるように時々新しいことを取り入れることがおすすめです。そうすればいつかは(自分が望む期限内ではないかもしれないけど)体重は減ります。

この文章を書いたら、また体重のことを考えるのをやめます。久しぶりに「わー落ちたな」と数字で実感できたので嬉しくて書きました。秋ぐらいになったらまた蓋を開けて様子を確認してみます。

【音楽】散歩プレイリスト Spring 2024

 定点記録です。前回からストリーミングサービスを変更したことに伴い、散歩リストも一新。今後も期が変わるたびにリセットしてもいいのかもしれないと思っているところ。

dorian19.hatenadiary.jp

 

  1. 牛尾憲輔 sunlight(映画 聲の形 オリジナル・サウンドトラック a shape of light)
  2. 米津玄師 LADY
  3. 蒼山幸子 PANORAMA
  4. 羊文学 more than words
  5. 春野 cash out feat. brb.
  6. ASIAN KUNG-FU GENERATION ソラニン
  7. 星野源 ステップ
  8. yonige 健全な朝
  9. Justin Bieber Yummy

 

 冬の高く澄んだ青空に似合う曲が多かった印象。ソラニンとかは冬の寒い日に聴きたくなるもの。

【音楽】とどめを刺して

 人間関係リセット症候群、なるものがあると聞いたとき、「私だって常々LINEを消したくなるし、人間関係じゃないけど突然思い立って日記を捨てたことある、そういう衝動があるのはわかるけど、まあうまい具合に軟着陸できたらいいよな」みたいなことを思って、だけど軟着陸できなかった、書き溜めていたEvernoteのノートを全消ししてしまいました。嗚呼。

 これは正直日記よりは後悔度は低いと思っていて、というのもまた色々できたらいいなと思っているからなんだけど、消したくなるときは消したくなるし、消したら気持ちがいいんだよな、と思います。ごみを一気に捨てるように、清々しさを覚えます。でも、それがとても健康的な心理状況で行われたことであればいいのだけど、そうでないとき、やっぱりそれは健康的じゃなくて、良くないことだと思います。そして、ある場合を除き、良くないと思っていることを赦す必要があると、思ってます。

 

 Evernote全消しをして、ふと思い出した曲があるので、そのことについて書きます。

 amazarashiの『とどめを刺して』という曲でして、曲を聴けば文意は各々解釈するだろうと思うので割愛して、


www.youtube.com

 このMVがとても好きで、あまりに具体的なリセット具合がお気に入りです。私はここまでやったことないけど、これぐらいはやりたいよな、と。

 リセットして生きのびられるならいくらでもリセットしていい。そもそもリセットしたくなる状況がおかしいですし、しかし、そのおかしさはなかなか消えてくれないから、死なない程度にリセットするなら、私は良いと思います。