根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【雑記】時間のイメージとスマホゲーム

あんさんぶるスターズ!!Musicというスマホアプリゲームがある。ジャンルは音楽ゲームで、2022年から2023年にかけて結構叩いていて、それはそれはとても楽しかった日々なのだけど、iPadの冬眠と酷使(当社比)による動体視力低下の懸念から潔く引退した。でも辞めたいちばんの理由は、実はそこじゃなくて、あんスタ好きなんだけど、今も嫌いじゃないけど(そして嫌いになることもなさそうだけど)イベントのスケジュールにあると思うのだ。

話は変わるけども、私は決まった期間に区切られたスケジュール帳というものを使うことができない。

どういうこと?というと、例えば世の中にはたくさんのスケジュール帳があって、12月始まりとか1月始まりとか4月始まりとか10月始まりとか、開始月は様々だ。そして私は、開始月が決まっていて、かつ、終わりの月も決まっているのが、どうも我慢ならないらしい。じゃあどうしているかというと、無印良品のフリースケジュールノートを使っている。助かる。24ヶ月以上書き込むことができ、私のスケジュール帳は一年では終わらない。でも大概のスケジュール帳は一年と+αで終わる。そのことに私はいらいらする。

そのいらいらの根源は、年末年始が苦手ということとも関係するだろう。できることなら一年という単位で区切らないで欲しいのよな。生きるということは直線的に伸びていくものでもあるし、螺旋のようにぐるぐるするものでもある。大切なのは、生きるということの時間イメージを複数持ち続けるということ、異なるイメージを気ままに行き来することで、決まった期間のスケジュール帳というのは、螺旋的イメージを強固する効果があると思うのだ。

さて、ここまで書いて察しの良い方は気づくだろう。あんスタのイベントだ。

あんスタ内の時間というのは、イベントがあるときとないときを繰り返して進んでいく。イベントが始まるタイミングもおおよそ決まっていて、ああ、新しいイベント来たぞう、と胸高鳴る、飽きない工夫がされている。イベントの間隔が悪いわけではない。リズムが一定なのが私の中では駄目なのだ。

イベントは好きだ。音楽に合わせてタップするのが好きだ。でも、同じリズムでイベントがやってきて過ぎ去っていくことには耐えられない。一年の始まりが訪れ、終わりがやってくる以上に周期は短く、私の中の、時間に対するイメージはイベントがやってくる度に固定化されていく。きつい。

じゃあイベントをやらなければいい、意識の外に置けばいい。それもそうだろう。でも、私はやるからにはきちんとやるタイプなのだ。イベントのないあんスタは、ソフトクリームの乗っていないシロノワールと一緒だ。あのパン生地を溶けたソフトクリームに絡ませて食べるのが美味しいというのに。なので、シロノワールを食べること自体を、つまり、あんスタを遊ばなくなったということでした。

 

この話は、私がもう少し混乱せずに、折り合いをつけ、考え込まなければ、何ら不都合が生じない話である。そしてあんスタが悪いわけでもない。その証拠に、私は自身のスマホから、あんスタだけでなくあらゆるスマホアプリを撤去してしまった。イベントが無いものもあるものも、すべて。

 

あんスタのどのユニットも好きだけど、中でもお気に入りのSwitchのイベントが始まった。新曲は魔法をかけるSwitchらしいファンタジーな曲調で(特に序盤の逆先夏目の声は、吟遊詩人的な物語に人々を誘い込む歌声で最高だなと思った)私はそれを遊ぶことはできないけれど、良いものであるということに変わりはないのだ。あんスタに、スマホゲームに幸あれと思う。