根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【特撮】今鑑賞している戦隊&ライダーを整理する(2022年11月)

タイトルの通りです。

暴太郎戦隊ドンブラザーズ(毎週日曜日)

 現在進行形で進んでいる戦隊。延々に面白くて飽きることがない。最新35話まで来た。大体50話行くか行かないかで終わるので、あと15話もないの?噓でしょ泣いてしまう。

ドンブラの良さ

  1. 濃密な群像劇
  2. 仕上げとしてのロボ戦(ある種の形式美)
  3. 依然として明かされない謎
  4. 言動が積み重なることで立体的かつ鮮やかになる人物像
  5. 乱戦(私は殺陣が好きなのでとても好き)

ドンブラの物足りなさ(ここは致し方ない)

  1. 中盤になるにつれ、ヒトツ鬼のギャク成分が多め、かつ、物語の脇役になりつつある
  2. ヒーローがあんまり成長しない(重ね塗りという感じで深堀り感はあまりない)
  3. 桃谷ジロウの活躍を待望したい展開(私は桃谷ジロウの複雑さややこしさが好きなので…)
  4. 過去戦士のアバターチェンジがなかなか登場しない

 ドンブラの良さでもある群像劇の練度が高まり続けている一方、それぞれの軸にエネルギーが分散してしまうというのは致し方ない。後述する龍騎も同様の手法だと思うけれど、異なる点と言えば、情報量の多さだろう。龍騎の群像劇はかなりすっきりしている印象。

 あとは、登場人物の弱さの掘り下げがあんまりないので、感情を移入する⇒憧れ、という流れよりは、圧倒的にかっこいい⇒憧れという感じ。私は脳人のソノニとソノザの武器がとってもとっても好きで、あんな風にして戦いたいです(成人女性)。

 

動物戦隊ジュウオウジャー(毎週二話ずつ)

 現在視聴済みは20話まで。

 めちゃめちゃまとまりがいい戦隊だと感じます。後述するゲキレンジャーもなかなか挑戦的なスタイルなので、ジュウオウジャーで「あ、戦隊だ」という成分を摂取できるのが助かる。戦隊の変身はどれも好きなんだけど、キューブをガシャンガシャンと回転させるあの感じ、横一列に並んでの変身が好きです。

 風切大和(レッド)のレッド性を吸うことでしか得られないものがある。実際大和さんも厄介な人なんだけども、この人のすごいところはとにかく柔らかいところだと思われる。頑固な癖に柔軟。気が強いセラ姉御や広くて良くも悪くも大雑把なレオ、几帳面で慎重なタスク、ちゃっかりしつつ優しいアム、そして内気で心に自分の世界を持っている操がなんで一緒に戦えているかって、前に進めるかって、それは風切大和の多様さを尊重し包み込める懐の広さなんだよな。安心して見られる戦隊です。

 

獣拳戦隊ゲキレンジャー(毎週二話ずつ)

 現在視聴済みは16話まで。

 まずオープニングが最高にかっこいい。入りから高まる。ヒーロー側の激獣拳ビーストアーツに対して、臨獣拳アクガタが敵なんだけど敵も日夜修行に励み強くなっているよ!というところが持ち味。理央さまが高みを目指すストイックな姿勢を崩さないのでどうも憎めないのが厄介。かっこいい。メレちゃんの声色の違いが毎回楽しみ。「暮らしの中に修行あり」というマスター・シャーフーの大らかさが癒し。あとその教え、とても勉強になります。ビーストアーツが所属するスポーツ関連会社スクラッチ社の真咲さんの、できる人だけどできる人オーラ全開じゃない、だからめっちゃこの人できる人!な感じも好き。ジャンのパワー、レツのテクニック、ランのハートというトライアングルにしみじみとします。私はどうもランちゃんを応援してしまうが、彼女の気高さは歴代戦隊の中でも特筆すべき点かと。

 

仮面ライダーオーズ(毎週二話ずつ)

 現在視聴済みは10話まで。

 オーズは人物の心情描写が丁寧だなあと思う。「どうしてそう思ったのか」というところをきちんと掬っている印象。何か尖っているというよりは、軽妙なんだけどどっしりとしている作品かと思われる。炬燵。

 欲望の話。それはドンブラザーズにも通じるものなので、この二作品を同時に視聴できているの楽しいです。たまらんね。二話構成で無理に話を終わらせないところも重厚感を増しているのかもしれない。今のところ、実はそんなにどうしようもなく悪いやつが出てきてなくて、おそらく今後やばいやつが出てくると思う。グリードもそういう生き物でしょ?と思ってしまうところがあるし、人間の欲望で生まれたヤミーも、まあ、人間の行き過ぎた欲望だからねえ…とあんまり強く否定できないが、そういう人間のありふれた欲望が行き過ぎた、というスケールを越えたぶっ壊れキャラがどうせ出てくるのでしょう。楽しみにしています。

 

仮面ライダー龍騎(毎週二話ずつ)

 現在視聴済みは22話まで。

 マジで毎回面白いしか言ってない。なんでこんなに面白いのだろう。わかりやすい面白さじゃないんですけど、シリアスなんですけど、でも、ずっと面白いの。出てくるライダーがどうしようもないやつらばかりで、そのどうしようもなさひっくるめて愛おしい。なお私が一番好きなのは北岡秀一/仮面ライダーゾルダです。ごちゃごちゃ言ってないでかっこいいものはかっこいいんだよ!で殴ってくるのが龍騎龍騎というのは仮面ライダーかつバトロワという皮を被った濃密な人間ドラマ、というのが多分最高に好きなポイントなんでしょう。無駄なところが一切ない、余分なものが削ぎ落された素晴らしいドラマだと思います(戦隊もライダーも途中でどうも間延びした感じ、まったりとしたものを感じるところが出てくるものですが、龍騎は今のところずっとピシッとしたスーツみたいなドラマです)。

 

 こうして整理していくと、生温くなければ大概好きだな~と言っている気がします。生温くてもそこに合理性が見いだせれば許容できるだろうし。飽き性なので毎週これだけの量を消化するのは続かないと思ってたけど、案外続いているのはひとえにコンテンツの面白さ故です。「見なくてもいいかな」と思えること、でも「見たらきっと面白いよ」と思えること。これが大事ですね。毎週楽しいことがあって幸せです。

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【お出かけ】陵を歩く

ひょんなことから、天皇陵に行きました(私はただ多摩森林科学園に行きたかっただけなのだが)。

天皇陵の前に多摩森林科学園JR中央線 高尾駅から徒歩10~15分ほど。

安い(なお、交通費はかかる)。

 

 

平日なので人はいない。道中見かけた人は両手で数えられるほど。

森林科学園の名にふさわしく、ただひたすらに森林でありました。樹木だけでなく花も見たいな、芝生で寝ころびたいなと思う場合は向いてない。ストイックにハイキングです。とはいえ、ハイキングとしては初心者レベルと言えましょう。2時間くらい散策していたけれど楽しかったです。

 

 いいねえ。

 

今回私的お気に入りのモミジバフウ。おそらく。植物の名前ってぜんぜん覚えられないなと思うけど、少しずつ覚えていきたい所存です。とりあえずモミジバフウ(仮)は覚える。

園内のベンチで牛丼ひとりで食べてリフレッシュして終了。

 

そう、そして陵。みささぎと読む。

これは森林科学園に行く道中。

武蔵陵墓地」だって!行きます。

 

行った。とにかく人がいないねえ。10人ぐらいしかすれ違わなかったですな。

 

写真禁止的な注意書きは見かけなかったので、記録用として控えめに写真を撮る。

大正天皇及び皇后、昭和天皇及び皇后のお墓とのこと。

 

森林科学園とは打って変わって、とにかく整えられて掃き清められた空間。そのギャップが一番印象的でした。そういうものなんだけど、まあ、異様ではある。

こういう道の先にそれぞれの陵がある、と。ひらけた空間にぽつりと建てられた鳥居。その先には低い柵、奥に陵。それだけ。なんというか、御陵の周囲は普通に住宅街とかがあるので、空間の使い方にびびる。こんなゆったりと土地を使いますか、みたいな、そういう感じ。なにはともあれ、それなりに面白く、へーとかほーとか言いながらぐるっと散策してその場を後にしました。

陵というのはそんなに親しいものでもなく、それもそのはず、歴代の陵はほとんどが西にあるからなのでした。西の方に住んでいたら陵巡り(←!?)とかしたのにな、ちょっと残念。

天皇制のこととかをぼんやりと考えたり、あとはとにかく墓ってのは生きることについて考えてしまう場所ですから、神妙な気持ちになったり。歩き疲れたので、途中の駅で喫茶店に寄ってアイスコーヒー飲んでノートにがちゃがちゃ書いた帰宅。美味しかったです。

 

【文房具】ルーズリーフミニで世界を作る

 ここ1か月ぐらい前から、ルーズリーフミニに好きなことをただひたすら書く、というのをやっています。

マルマン ルーズリーフ ミニ B7 横罫 6mm 100枚 L1431

 ルールは以下の通り。

  1. 一個につき両面で一枚(それ以上も以下もない)
  2. 書けない時は無理に書かない
  3. 書き方のルールは決めておく(私の場合は右隅に赤文字で日付を書く&一行目にタイトル)
  4. バインダーがいっぱいになったら、100均で買ったリング(×2)で簡易的に拵えた保管用に退避
  5. カテゴリーで分類

 要はやっていることって、このブログでやっていることとそんなに変わらない。ああ、書きたいなあと思ったら書くというスタイルで早1か月。これは続きそうだなと思ったので振り返りがてら記事にしておきます。

 私の現状のカテゴリーは

  • 音楽
  • 読んだ本
  • 特撮(戦隊と仮面ライダー
  • 買ったもの
  • 行った美術展
  • その他

という感じ。今後もカテゴリーは増えていくと思われます。

 あくまで本編が大事であり書くことはおまけなので、書くことに一生懸命になりすぎて「本読みたくねえな…」みたいに考えるようになったら本末転倒。なので、書けなくてもいい、というゆとりを自分に与えることが大切かなと思います。

 同じことを例えばEvernoteなどデジタルの場でやることは可能だし、実際そうしていた時期もあったけれど、一覧性みたいなもの?がデジタルはちょっと不向きかなあ…カードだとめくっているうちに思わぬ連鎖反応もあったりして、そこはアナログならではの強みかと思います。あとは私が手で文字を書くのが好きな人間だからってのもあるでしょう。

 私は好きな音楽をすぐに忘れてしまうのが特に嫌なのでルーズリーフミニに書くってのを始めましたが、音楽についてはTwitterがいちばんログとして適していると思う。今はTwitterの後追いでルーズリーフミニに書き残している節がある。

 自分の好きなことしか書いていないので精神的にストレスが少ない(それ故のデメリットももちろんあって、溺れるのは駄目だと思っているけれど)というのも良さではあると思います。

 あとは今後一番期待しているのは「買ったもの」でして、というのも愛着のあるアイテムをいつ買ったか忘れてしまうという問題を解決したい。私は長く使えば使うほど長持ちできるというタイプで(他の人も同じ?)要は「このヘッドフォンは2020年に買ったから、あともう少しで3年になるから、それまで頑張って使おう」的なやつでして、もう私はものを買いたくないんだ(本当?)だからなるべく物持ちよくできるような仕組みを整えたい、というところに、このミニルーズリーフが一役買ってくれるといいなと思います。これを書いていることでうまくいかなくなる気がしないでもないけど。

 自分にやさしい世界を作れるので、趣味があってログを残すのが好きな人とかはおすすめかと思います。

#600

 この記事がおそらく本ブログ600記事目となります。

dorian19.hatenadiary.jp

 500記事が2020年11月なので、おおよそ2年か。更新頻度が落ちているのでそれぐらいになりましょう。

 慣例となっている読み返し作業(タイトルだけ)をしてみると「は?」という感想がまず浮かびます。これを書いているのは、誰(私です)。もちろん書いた内容に伴う責任というのは今の私にも帰属されるものですけど、そして書いたことも覚えているけれど、あまりに今の自分と違いすぎる。今の私は「その先」を歩きすぎている(「その先」というのは決して進歩しているという意味ではない)。

 ブログの特徴として挙げられるのはそこにあるのでしょう。つまり、Twitterほど乱発しないから書いたものは手が届く範疇で収まり、ある程度の分量なのでその時々の思想がどうしても染みこんでしまう。結果、今の自分との比較対象になりえる。

 比較して何が得られるのかというと、月並みですが、今は過去になるということと、人生は思わぬ出来事で分岐するということでしょう。そして思わぬ出来事というのは能動的に遭遇しようと思って遭遇できるものではない。

 

 話変わって、卓球のスーパープレー動画を見ていました。歯切れよく編集された動画はスーパープレーのつぎはぎ。ワンカットワンカット鮮やかでスリリングなスーパープレーが披露されていて、その「お約束」に私は安心感を覚えるけれど(なぜならそこにはスーパープレーしか映らないから)でも一方で、実際の卓球の試合は違うわけです。鮮やかなスーパープレーばかりじゃない。サーブミスもあれば、思いっきりフォアを打ってネットするときもある。試合のテンポは一定でなく、見ていてハラハラどきどきするもの。

 

 思わぬ出来事というのはスーパープレーと似ているなあと思いました。それだけ抜き出せば華々しく刺激的であるけれど、人生の中で思わぬ出来事というのは早々あるものではない。そして同時に探せばいくらでも見つけられるものです。

 思わぬ出来事に出会う為には、生き続けなければならないんですね、悲しいことに。

 

 思わぬ出来事に出会う為に、心身ともにほどほどの健康と、日常を生き抜く体力を私にください、いいや、自分でその辺はゲットしなければなりませんね(あるいは維持する)。

 さて、700記事目はいつになるのやら。このブログのコンセプトではないけれど、読み返してみれば多くは私にとって思わぬ出来事でした。それまでこのブログが続けられるといいのですが。だって、続けられているということは多少の思わぬ出来事に遭遇できたということなのだから。

【読書】ホワイトボードで管理する読書

 ホワイトボードを持て余していました。

 ホワイトボードというのは、フリップ芸ができるあのサイズのホワイトボードです。

 

 

 そもそも何故ホワイトボードを買ったのかというと、やりたいと思ったこと、やらなければいけないことを容易に忘れるからでして、ノートに書いたところでノートに書いたという事実を忘れるので結局漏れてしまうことが悲しく、一体どうしたら、と思っていたところに「ホワイトボードに書き出して机の上にでも置いておけば嫌でも目に入るから大丈夫だろう!」と考えたのでした。

 結果的には、書き出したところで、今度は書き出したものが嫌な切迫感をもたらし、気分が落ち込むという事態になりましたので(「私はこれだけやらないといけないことがあるのに何一つやってないわ、さめざめ…)」やめました。

 で、しばらくの間、埃をかぶっていたこのホワイトボードですが、ついに有効活用できる使い道を見出したので書いておきます。すなわち、読書管理です。

見えないと存在を忘れる脳味噌なので(ほんとこれ良くない)とりあえず読んでいる本は積まない(表紙が見えないと本を認識できないので)背表紙を晒す、という方向でまとめたい

https://twitter.com/harunote2016110/status/1436842154383470593?s=20&t=8JydpejsMgSK0Uwq7IUEpQ

 私は図書館を利用していて、定期的に5冊前後の新しい本を「仕入れ」てきます。そして自分で購入した本もあり、優先度の違いとその時々の自分の気分に応じて読む本を捌いていかなければなりません。

 優先度の違いとは、図書館の返却期限のこと。延滞するわけにはいきませんので、返却期限が迫っているものから手をつけなければなりません(それでも延滞してしまうことはあるのですが)。

 時々の気分というのはそのままで、「今は読みたくないなあ」と思うこともたくさんあるのです。そういう時はその時の私が比較的読みやすいと思う本を読むことにします。2週間前の私が嬉々として買った本も、今は読む気分じゃないの、というのはざらです。

 数冊を並行して読むので、食べ合わせならぬ「読み合わせ」も大事になってきます。小説と小説ではなく、小説とエッセイにしたいなとか、そういうことです。

 これらの情報は、手持ちの本をすべて並べて初めて適切に判断できるのだ、ということを私はホワイトボードを活用してから、驚くことに、初めて気づきました。初めてです。

 

 では具体的な話に移ります。

 現状ホワイトボードに書いているのは、

  • 読書中
  • 積読(図書館本ではなく、家の本で読めていないもの、次に読みたいと思っている本)
  • 図書館
  • 感想

この4つです。これらを線で区切り、それぞれのエリアに本のタイトルを書いていきます。本を特定できればいいのでフルネームでなくて構いません。

 「読書中」のところには、大体3冊から4冊程度書くに留めます。それ以上は厳しい。「積読」のところは全部書ききれなくても構いません。でも確実に読めていない本、読みたいと思っている本を書いていきます。なるべく多く。何故なら選択肢が多い方が良いからです。「図書館」のところは当然図書館で借りた本を書きます。本を返却すること自体は忘れないので、あえて書きません。最後に「感想」ですが、これは感想をまだ書いていない本を書きます。基本的には「読書中」の本を読み終わったら、消して、「感想」のエリアに書きます。そして感想を書いたら、「感想」のところからタイトルを消して終わりになります。

 この運用をするようになってから良かったことを書きます。

  1. 自分がどの本を読んでいて、どの本を読んでいないのかが明確になった
  2. 自分の気分に応じて読む本をチョイスできるので読書ペースが上がった
  3. 借りたのに読まずに返却する、ということを減らせた

 やはり可視化というのは大事で、見えないと存在を忘れる人間としては「見える」というのが大事みたいです。困ったことに、本を読まないでいると自分が何の本を読んでいるのかわからなくなるのです。それをホワイトボードが一気に解決してくれます。選択肢をなるべく作った上で、そこからできることを選ぶ。これは昔からやってきたことなのでおそらく私に合っているのでしょう。

 書いたものを消す、というのも大事です。そこには達成感が生まれます。本を読むという行為は誰に強制されたわけでもない私の楽しみのひとつではありますが、そこに「この本読んだぞ!」という達成感が付与されると嬉しくなるようです。時には「読めない」ということも発生しますが、その際も消すことで未練を断つことができます。諦めですね。

 また、積読することに負担は元々感じない人間ですが、まだ読めていない本、読みたい本を羅列することで、これから先のお楽しみを可視化することができます。テンションが上がりますね。

 

 ということで、ホワイトボード術はいまのところいい感じだと思っています。挫折するかもしれないですが、その時はその時。一番避けたいのは、読書が停滞してホワイトボードをメンテナンスできなくなるということです。そうならない為にも、花壇の雑草を定期的に抜くように、細かなメンテナンスが必要そうな気配がします。このあたりはどうしましょうかね…。ホワイトボードのマーカーの色を替えてみる、とか?

 まだまだ発展の余地あるホワイトボード管理術。これからもやっていきます。

【雑談】Juiceとドンブラ、総じて欲の在り処

 Juice=Juiceの「好きって言ってよ」のミュージックビデオを見ている。


www.youtube.com

 ハロプロのことはぜんぜん知らないのだが(知っていると言えば、モーニング娘。'14の「What is LOVE?」か)たまたま耳にして聴いたら、全員歌がうまい。すごいグループでは、Juice=Juice。歌がうまいだけじゃなくて、全員がそれぞれの声であるということが重要で、歌い方や声に個性が乗ってて、聴いてて大変楽しいのである。

 

 話は変わって、最近の私は戦隊や仮面ライダーを楽しんでいる。楽しんでいるといっても、ただただコンテンツを消費しているに留まり、そこから先がなかなか難しいのだが。

 絶賛放映中の暴太郎戦隊ドンブラザーズでは「欲」というのが一つの軸になっている。ヒトツ鬼というモンスターは人間の欲望から生まれる異形の存在。脳人は脳人の世界の波動を乱す人間の欲望を消し去りたいので、ヒトツ鬼ごと消そうとする。そしてドンブラザーズは人間のことを襲うヒトツ鬼を日々退治し、ヒトツ鬼を粛清する脳人とも争う。というのも、脳人がヒトツ鬼を倒してしまうと、人間も消されてしまうからだ。人間をヒトツ鬼から救う為に戦うのと同時に、ヒトツ鬼となった人間も救わなければならない。

 

 過剰な欲を持つとヒトツ鬼になるらしい。それは子ども向けヒーロー番組としてはなかなか教訓がある設定だと思う。自分が子どもの頃にドンブラを見たとしたら、多分魂に刻まれる教えだよなあ。多分。

 

 最近の私は欲のことを考えるモードらしい(無料公開中の仮面ライダー龍騎の影響もある)。

 

 「好きって言ってよ」は哀愁のような、ほろ苦さのような、そういう雰囲気を絶妙な加減でメロディに乗せている楽曲で、歌っていてきっと楽しいと思う(まだカラオケでは歌ってない)。

 歌っていて楽しい、というのも大事。意味が入る前に形式が先行する。設けられた枠があって、その後に意味が入ってくる。実感が遅れてやってくる。

 食器を洗いながら「好きって言ったら~ありがとじゃなく~、好きって言ってよ~同じ温度で~」と一人歌う女は、傍目から見るとなかなかホラーめいている気もするが、これがとても楽しいのだ。

 

 「好きって言ってよ」で今朝ふと考えていたのは、欲の在り処というのは当の本人ですらなかなか言語化できないものなのかもしれない、ということ。自分がどういう欲を持っているのか、その質は何か、対象は何か、ということを人はいちいち考えるのだろうか。

 欲というのは需要と供給で考えることができるのか。いいや、需要と供給というのはもっと後になってきた概念なのか、だとすると、求めているところに与えらればよいという考えはナンセンス、近代的発想なのか、とか。自分でも何を考えているかわからないことをとりあえず考えてみるってのが面白い。

 

 「好きって言ってよ」は自分の欲の描き方が細かい、のかなあ。なんというか、妙に鮮明である、という印象を受ける。欲の在り処に気づいたところで、それが容易に満たされるとは限らない。その悲しさ、つらさ、みたいなのでひりひりするところが好きな理由かもしれない。このレベルまで言葉にできることってあんまりないよねえ、と私は思う。それを歌がうまい人たちがこっくりと歌うのだ、名曲に違いないだろ!

 

 ヒトツ鬼になる人間は総じて混乱している、と思う。そこに言葉の包丁で以て分解ができたなら、彼ら彼女らはヒトツ鬼になることはないのではないかと思う。となると、ドンモモタロウの一閃で彼ら彼女らの欲が切り分けられ暴走が止まる感じは妙に納得感がある。昔からピコピコハンマーで叩かれた我に返る、みたいな構図もあったことだし。

 私は割と脳人の言っていることよくわかるんだが~、でもそれを公言するのってなんか恥ずかしいかも~と思っていて、人を駆動する欲を認めつつ、それが悪いようにしか働かないなら欲なんてないほうがいいのでは、とか思ってしまう。悩み。でも生きるための欲なわけで、欲、抹殺!はそもそも人間ではありえない。

 私が「許さない、欲!」みたいになっているのは、多分傷つくのが嫌なのだろう。傷つける人間、許さん、というモードになっている。

 

 よくわからない文章になってしまった。とりあえず「好きって言ってよ」を歌う人たち(それはJuice=Juiceを指すのではなく、この曲を歌う人だ)が満たされますように。自分にとって大切なものを見つけられますように、と書いて終わりにする。