11月も終わりですが、人生でいちばん「年末」という気分にならない2021年です。基本的に暇人であるはずなのに、なぜこうもやりたいことがある気がするのか。
公園
「ただしい」有給休暇の使い方 pic.twitter.com/DODzcQGW9R
— 治野 (@harunote2016110) 2021年10月18日
意識的に大きめの公園や遊歩道に赴いては歩くようにしていてそれはある種のデトックス的な効用を持つのだけど、緑豊かな場所を歩いていると、聴きたくなる曲がある。沸々と湧いてくる感覚を頼りに自分で「あ、この曲?ちがうか」「じゃあこの曲か?」と自己探索するのが楽しい。
ちょうどコスモスかな、コスモスが綺麗な場所を歩いてきたときに聴きたいと思ったのはKOCHOの『君の行方』。アニメ『魔法使いの嫁』第5話の挿入歌だったかな、話自体はとても悲しいのだけれど、同時にとてもきれいなシーンで流れる曲。あれはアニメ史の中でもかなり美しいシーンだと思うのだけれど…。
木々の中を歩く散策路も整備されていて、そんなときは宇多田ヒカルの『道』を。森林浴とはこのこと、結構元気になる気がするのでおすすめ。
強気に
aespaの『savege』は私を奮い立たせる。
特に斜め上を強気にふてぶてしく見つめるウィンターの
" Oh my gosh Don't you know I'm a Savage? "のパートは個人的に呪文のようにぶつぶつと諳んじてしまう。この儀式に必要なのは、強気であることと(本当は良くないけど)自分以外を見下すような、舐めたような姿勢の2つ。
相変わらずヒプノシスマイク
相変わらずヒプノシスマイク。通称「ヒプステ」(ヒプノシスマイクプロジェクトの舞台らしい)にも興味が出てきたが、この冬のやつは行かないだろう。懐疑的だけど二次元のキャラクターをよくここまでうまく落とし込んだなと驚いている(Teaserだけで判断しているけど)。
あくまで声質歌い方雰囲気の再現度でいうなら、全員特徴をよく捉えていて拍手もの。特に山田三郎、神宮寺寂雷、観音坂独歩、雨谷奴零、あとナゴヤ一同、はちょっとびっくりするレベルだった。いや、全員うまいと思う。お気に入り曲は(というかそれしか聴いてない)は『Crush Your Mic -Rule the Stage track.3-』。
10月11月のアイナナ
こちらも相変わらず。相変わらず私はアイナナを遊んでいる。確か『THE POLiCY』を叩けるようになって欣喜雀躍の騒ぎようだった。復刻イベント『ダンスマカブル』も無事完走。そのうち後編の感想も書きたい。好きな『バラツユ』の感想も先日アップできてよかった。
そんな中、10月11月で注目したのは、四葉環のソロ曲『Four Leaf Ring』。タイトルは環くんの名前そのままなんだけどそれだけで良さげに見えてしまうの、とても素敵な名前だ。それに見た目だけではなく意味もいい。
彼の境遇を慮ると結構がつんとやられる内容ではあるが、それを補う(多分意識的にしているのだろう)明るく爽やかでテンポ良いメロディがいいな~と思う。
そういやヒプマイの左馬刻様(碧棺左馬刻)と環って境遇だけでなく直感的感覚派で情に厚いところが似ているなあと思っていて、しかしキャラソンは似ていない。二人はパラレルワールド、ありえなかったもう一つの世界をそれぞれ生きているのかなあと勝手に思ってしまうのだが、それぞれが自分のスタイルで懸命に生きておられるのに違いはないか…。
ケー様がかっこいいんです
11月ももう終わるぜというタイミングでぶち込まれた例の動画。
いいものに出会うと「私〇〇になりたい!」と思う心のロジックは、基本的には仮面ライダーやプリキュアに憧れる幼心と大差ない。わ、私、ケー様になりたい!なれない!なんてこった!
ケー様のカバーから原曲を知り、原曲にはまる始末。
チャーリー・プースの『The Way I Am』これがいい曲なんですわ…。ケー様がこの曲を歌うというのがまたいいのです。
関ジャニ∞『YES』
関ジャニ∞の新しいアルバムに収録されている直球すぎてこちらが気恥ずかしくなる"プロポーズ"ソング。関ジャニがこんな曲歌うのかという驚きというか、一周二周十周回って良い。何はともあれ音がいい。そしてこんなに軽やかに歌ってくれるのありがたい。プロポーズにシリアスは要らない気分なのだ、今の私(プロポーズは受けたことがないし受ける予定もない)。あと、歌い方が嵐にちょっと似ているところが随所にあって、1番のBメロとか、誰が歌っているかわからんのだけど「ニノ!?!?!?!」となるほど二宮和也パートだった。
終わりに
しばらくこのブログからは遠ざかっていたのだが(とはいえ、はてなブログユーザー全体から見れば1か月に数本書いているのは頻度が高いと言えるのかもしれない)まとまった量の文章を書くことはそれなりに意味がある。というかTwitter的な世界との付き合い方を考えあぐねている。
一言でいえば「他人のコメント」(概念)を読むのがつらい。ちょっと前だとニコニコ動画のコメント的なもの、動画だとリアルタイムで展開されるチャット、流れ流れていくコメントは一つひとつは些細なものであるけれど、しかし無視することのできない重さを帯びる。傍観者として眺めているだけでもこんなに消耗するのに、当事者は一体どれほどのエネルギーを食らっているのだろう。「流れの言葉」ではなく「留まる言葉」は文脈を削がれることが前者よりも少ないと思うし。
あとは広義の意味でのネタバレを食らいたくないという気持ちもある。一つ一つの物事についてまず私が考えたい、そんな欲求がある。簡単に答え合わせをしたくない。コメントはたくさんの答えがフィルターを用意する間もなく流れこんでくる。ブログはまず自分で調べないとたどり着けない空間だから、答え合わせもゆっくり自分のペースでできる気がする、とか。
こういうことはそのまま書いてもうまく伝わらない気がするのでブログに書くときは幾分整理して書くようにしているのだけれど、今回は割とそのまま加工しないで書いてみた。要はブログにたどり着くにはTwitterとかよりも幾分能動的であらざるをえないので、書く側もちょっとだけ安心するし、即時的ではないので多少は慎重になるということ。そして言葉を尽くせること(140字以上書くことができる!)。