根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【音楽】一緒に逃げるということ/『心中デイト』と『ゼロ』

 その時々で聴くのにふさわしい曲があると私は信じていて、そういう曲は記憶に残りやすい。具体的に言えば、聴いたその時に見た景色と絡めて覚えている。例えば新宿の高層ビル群とか、水平線まで見渡せる曇り空の下の太平洋とか、針葉樹林の中、延々と続く遊歩道とか、先ほどまで頻繁に車が行き交っていたのに、ほんの一瞬車の流れが途切れ、静けさが訪れた夜の交差点とか。

 その時私は女王蜂の『心中デイト』を聴いていた。そして、以前ちらっと考えたままどこかに仕舞ってしまった「アイデア」が浮上してきた。まあ、つまり、逃げるということについてなのだけど。

 「逃げる」ということを軽んじて語るべきではないと感じるのでどうしても口は重たくなるのだが、落書き程度につらつらと書いてみようか。大したことは書けまい。

 

 「ここじゃない場所へ行こう」(女王蜂『心中デイト』より)と歌う。

 「架かる虹の麓にいこう いつかきっと 他に誰も いない場所へ」(BUMP OF CHICKEN『ゼロ』より)と歌う。

 

 逃げることについて考える人は少なくないと思うのだけれど、私が惹かれるのは「誰かと一緒に」逃げることで、どうして気になるのかというと、私は一切考えたことがないからだ。つまり、誰かと逃げることを考えたことがない。一緒に逃げたいと思う対象がいない、という言い方はピンとこないが、まあそういうことかもしれない。

 『心中デイト』も『ゼロ』も好きな曲だ。そして、惹かれるその理由はわかりやすい共感ではないことが嬉しいというか、直接的な共感ではなく、曖昧な、なんとなくの感情で好きになれるのは過激にならずに済みそうで安心する。

 

 一緒に逃げるというのはどういうことなのだろう。相手への信頼は必要そうな気がする。そして逃げたいという気持ちがある程度一致していないと駄目そうだ。

 逃げることは勇気がいることなのに、一人だけでなく二人の人間が逃げたいと思って、逃げたさが(ある程度)同じぐらいで、逃げる方向も(ある程度)一致しているというすごさ!カードゲームは詳しくないが、ポーカーでいうロイヤルストレートフラッシュ以上のすごさ!

 すげえな、すげえなと思いながら、今も私は『心中デイト』も『ゼロ』も聴いている。いつまで経っても同じ場所にいる私からの餞別として恐れ多いながら言葉を贈るなら、無事逃げおおせたなら、逃げた先で、逃げたいという気持ちが溶けた果てにある凪の中で、幸せであってほしいということだった。

 一緒に逃げたいと思うその切実さに胸を衝かれ動揺してしまうと言ったら他人事なのだけど、やっぱり好きな曲だな。そして「一緒に逃げる」ということでまとめてしまったけれど、『心中デイト』も『ゼロ』も違う曲ってことも断っておく。

 

心中デイト

心中デイト

  • 女王蜂
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

ゼロ

ゼロ

  • provided courtesy of iTunes