根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【音楽】「あなたが欲しい」と言える率直さ / TWICE「SIGNAL」

 最近、TWICEのSIGNALを聞き返すことがありまして。

 ところどころツッコミを入れてしまうところはあるけども(女性アイドルの描かれ方の変遷に思いを馳せたり云々)

  • 色々な超能力が出てきて
  • それがコミカルに描かれていて
  • 時々目が青くなったり
  • レトロ風?な衣装が何周か回って好きだったり

楽曲と併せて好きだな、可愛いなと思えるMVなのです。

youtu.be

 で、公式のMVには和訳もついているものですから「ふーん」を見ていたら、そうかサビの歌詞は「あなたが欲しい」になるのか、と思って、以来この言葉の意味について考えてました。

 

 というか、この曲って「SIGNALを聴く自分」と「SIGNALを受ける自分」を重ねる聴き方の他に、「SIGNALを送る側」としての聴き方もあると思ってて、私は断然こちらなんだよな、と思う。その人のスタンス、在り方、性格的な問題、まあ、色々あるでしょう。似たような聴き方は、AKB48秋元康の歌詞問題にも通じる…。

 なので、私は「あなたが欲しい」と他者に対して言えるかどうかということを考えてしまいます(「あなたが欲しい」と言われたいか、言われたとしてどうするか、ではなく、ね)。そもそも「あなたが欲しい」って何なんだよ、ってところから思考はスタートしてしまいますけども…。

 結論としては「「あなたが欲しい」と言える、屈託のなさに、あたしぁ圧倒されちまうよ」がSIGNALに対して思うところ!になります。強い、あまりに強すぎる。

 どうしてそこまでこの言葉に圧倒されるのかというと、内気だとかそういうことではなく(まあ、内気でもあるかもしれない)私は「あなたが欲しい」という言葉をおそらく信じることができないからです。人間の心は日々変わるものでしょう?というところが1点と、そもそも「あなたが欲しい」という感覚が薄いという、2つの要素がある気がします。

 恋愛のみならず「あなたが欲しい」という感情?はありうる。というか、「あなたが欲しい」という感情が恋愛に接続していたり友愛に接続していたり様々な愛情につながるものと考えますが(それを愛情と言っていいかは保留)自分の中にその感覚がないのは、「「あなたが欲しい」とか言ったって、そんなの可変的で不確かなものじゃん」という冷めた視点が昔からあったのか、「そもそも「欲しい」という感情が薄いからでは」なのか、まあ、色々考えるところではあります、ううう。

 「あなたが欲しい」に対して屈折とした感情を抱き、そんなこと言えたものじゃないぞといまだにうだうだ生きている私にとって、SIGNALという曲はあまりにストレート、自分よ欲しいものをちゃんとわかっている人の歌で、だから私はこの曲が好きだし聴くたびに心震えます。強い。無邪気って、強い、と思えるぐらいには多分私も自分のことが昔よりわかったのではないかしら?と思うことにします。

 

 ちなみに私が最初に出会った「あなたが欲しい」は、多分重松清の『きみの友だち』なんですね。中学一年の最初の頃です。

きみの友だち (新潮文庫)

SIGNAL