根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【買い物】さながら一枚のチョコレートのよう

 XGが2枚目のMini Albumをリリースするようで、どういう曲が収録されるのか、何もわかったものではないけれど、「えー買う」と思う今日この頃である。

 「じゃあ、買うかあ、またCDショップ行こー」と思って楽しみな私。あれ、ネットで注文すればいいじゃん、どうしてしないの?と、思った。思った瞬間に「だって、あれですよ、チョコレートのワクワクですよ」と答えている私がいた。

 映像作品を観ていると、とある何気ないシーンが身体に強烈に刻まれることは往々にしてあるわけで、私はそれが溜まっていくのを見守ることがとても好きだ。刻まれるかどうかは完全にランダムで、私が自発的に「このシーンは覚えていよう!」と努力してできるものではない。ゲームのガチャを引くような、運を天に委ねる感覚。私たちは様々なガチャを引き続けていると思うことがあるが、映像もまたガチャのひとつだ(そしてそれは引けなかったから悪いことが起こるといった、利得とはなんら関係のない、気楽なガチャなわけだが)。

 で、私がストックしている映像を引っ張り出してみよう。

 映画『チャーリーとチョコレート工場』の、冒頭、チャーリー君が彼にとっては本当に重たいお金で、店までチョコレートを買いに行くシーンだ。個人的には1回目の買い物を推したい。私はあのシーンを見て、

  • 同じ金額であっても、人によって重さがまったく違うということ
  • 自分の気持ちがこもった買い物はかけがえのないもので素敵であるということ

を知る。 

 以来、私はあのシーンのチャーリーのように、切実で、実存がかかっているといってもいいぐらいの真剣さで買い物をすることは滅多に無いにせよ、気持ちのこもった買い物ってのはいいもんだなー、と思いながら生きるようになる。なので、マジの買い物をネットで済ますのは、いまだに抵抗がある。

 そうやって一つ拘れるのは、私がそういう環境に生きているから、というのは重々承知している。住む場所が異なれば、たぶん信条も変わっていくだろう。

 が、今のところ、私の信条に沿って買い物ができるのならば、続けられる限りは続けたいと思う。マジの買い物は、自分の足で店に行ってやりたい

 さて、XGがアルバムをリリースするらしい。先にも書いた通り、私はその内容をまるで知らない。しかし、私がエキサイトする曲であるのは、揺るがない(XGへのちょっとした信頼と、ささやかな応援)。なので私はXGのアルバムを買うだろう。サブスクで新譜をいの一番に聴けたとしても、買うだろう。それはXGの音楽が、チャーリーにとってのチョコレートみたいなものだからだ。

 チャーリーのチョコレートのようなものを日々増やしていくことは、生きる上で楽しいことであると、私は思っている。