根津と時々、晴天なり

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【NEWS】Happy Birthdayと存在の祝福

 NEWSの楽曲が、各サブスクリプションサービスで聴けるようになり、私がまず聴いたのは「太陽のナミダ」で、次に聴いたのは「Happy Birthday」でした。

open.spotify.com

 

 そのときの感想を引用してみます。

 

 NEWSのHappy Birthdayは、今言語化するなら「化粧水のように染み渡る自己存在肯定感」なのだと思う。表現が難しいけれど、自分が存在するということが、誰かからすれば尊いらしい、という状況もあり得る、という視点の獲得でした。

 

 これらは普通に考えれば私にとってまともに受け止められないことなのだけど、この穏やかかつ軽やかな曲調が喉を通りやすくしている感じがして、屈託なく飲み込めるところが昔からとても好きです。

 

 これに尽きるから、これ以上のことは書けない気もします。

 

 大切なのは、「自分が存在するということが、誰かからすれば尊いらしい、という状況もあり得る」というところです。

 自分の中ですごく屈折しているところなのですが、昔から「親に扶養される」ということについてずっと考えていて、そこには愛情だけでは片付けられない、それこそ義務感みたいなものもあるのだろうなあ、と思いながら、あまりに受け取りすぎている状況に耐えがたいと思うときがあって、そういうときに一つの見方として、私が理解できない考え方で以て他人と関わろうとすることが人間には往々にしてあり、それを理解できてもいいし、理解できなくてもいいけれど、存在は知ろうとすること、というのを考えたことがありました。

 私は自分の生を肯定できないが、私以外の誰かは肯定しうる。そういうのをこの「Happy Birthday」という曲から考えて(中学三年生とかその辺か)何より、ポップで軽やかなメロディがすごく好きでした。

 この曲の好きポイントは結構ありますけど、強いて一つ挙げるなら、最後のサビ前に「神様のプレゼント 君のHappy Birthday 君の未来に幸あれ」というところでしょうか。ここ、「僕が君を幸せにするよ」って言わないところが最高に好きです。言い方もおしゃれだし。当時すごく安心したなあ。だってそれは、私が私を幸せにする余地が残されているから。私があなたに幸せにしてもらわなくてもいい余地があるから。なんというか、そこ限定しないでほしい(笑)と思ってしまう子どもだったかもしれない。

 私が私の存在を祝福できなくても、するつもりがなくても、私の存在を祝福する可能性はある。それが生きる上ですごくいいアイデアになったと思います(祝福できないといいつつ、否定するつもりもないのですけどね)。今でも好きな曲のひとつです。とはいえ、誕生日ってもうちょい軽やかでもいいですけどね。