根津と時々、晴天なり

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【お出かけ】腕が6本ある!!!/「京都・醍醐寺 真言密教の宇宙」

2018年9月19日(水)~11月11日(日)まで六本木・サントリー美術館で開催されていました「京都・醍醐寺 真言密教の宇宙」を見に行ってきました。既に終わっている企画展なので本当は開催中に書ければよかったのですが、そもそも私が行ったのは開催期間の最終週…。

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難しいことがよくわからないけど、

とぶった切ってしまうのは良くないとは思いつつ。また「難しいこと」と括ってしまうのも良くないと思いつつ。それでも思う。私は「難しいこと」がよくわかりません。

今年になって美術館にちらほら行くようになったのですが、自分の知識不足をただただ感じさせられます。印象派って、何…。薬師如来って、誰…。

美術館や博物館。嫌いじゃないけれど今までどことなく敬遠していたのは、もしかしたら頭のどこかで「考えないといけない」「物分かりが良い顔で見ないといけない」と思っていたからかもしれません。でも自分にはその知識がないし、よくわかんないし、何がなんだかわからないし。

でも、思ったのですが、美術館や博物館に行ってよくわからない対象と出会って初めて「知りたいかも」という感情が生まれるじゃないですか。未知との遭遇なしには未知に対して思いを馳せることはできない。そうであるなら「わからない」を見つけにいく、そして「あー少し勉強したいかも」と思うのであれば自分で調べてみるなり行動すればいい、ぐらいの気持ちで観に行くのがいいのでは?と思うのです。

以前の私なら多分「仏教?わからん」「仏像?面白いのそれ」と思っていたと思うのですが、「わからないけれどわかるかもしれないし面白いかもしれないからとりあえず行ってみる!!!」という不安定の渦に時々だけど突撃できるようになった、という点で「資金」の重要性を感じています。一定収入の確保…賃金…私にとっては大切なもの…だから働きます…。

 

腕!!!6本!!!

そもそもこの企画展を知ったのはメトロの駅に貼ってあったどでかい広告でした。パンフレット(写真参照)にきらびやかに映っている「如意輪観音坐像」が綺麗だなぁ、観音像の金色と背景の黒色の対比が素晴らしい、と感じたからです。広告って大事ですね。一度美術館や博物館に立ち寄ると、これから開催される近場の企画展のパンフレットが置いてあることが多くて存在を知りそのあと継続的に美術館通いができるのですが、ジャンルが異なると(西洋画と仏教美術とか)情報の連鎖が途切れちゃうこともあるのかも。あとはネットのポータルサイトとかで情報収集すればいいのかなと思いました。個人的にはパンフレットで「行ってみたい!!!」と思うことが多いです。宣伝大事。

そしてパンフレットで気になっていた「如意輪観音坐像」さん。会場に入ると早速ガラスケースの中に鎮座していらっしゃったのですが、良かったです。腕が、6本!!!6!!!良い!!!となりました。というのも6本ある腕の配置といいますか、バランスが、絶妙。腕!!!6本!!!使ってる!!!いや何故そんなに興奮するのかというと、腕が6本もあると私だったら持て余しちゃうかなと思うのです。腕6本も要らないよと。しかしそこは神様、数珠や宝珠、法輪を持ったり頬杖をついたり、存分に6本の腕を使っていらっしゃる…流石…。ついつい音声ガイド(550円也)を借りてしまったのでそれを聞きながら展示を見て回りましたが、そこでも「バランスが~」と解説されていた気がする。気のせいかもしれませんが。

 

書物

真言密教と聞くと何か世俗から逃れざるを得ない弾圧でもされていた宗教なのかと早とちりをしていましたが、そういうわけでもなさそうです。為政者とのつながりについても解説がありましたし、豊臣秀吉醍醐寺パトロンだったみたいな話も合った気がします。

展示の中には仏像様だけでなく仏画や書物、法具もありました。特に書き物は面白かったです。「修法」を呼ばれる儀式とか修行の作法?のようなものを記した書物が多く展示されていましたが、今もなお当時の資料が残っていることがどれほどすごいことなのかということについて考えさせられます。これを書いた人は、数百年後、自分が書いているものがガラスケースの向こう側で見慣れない着物を着た人たちにじろじろと中身を見られることになるだろうとはちっとも想像していなかったのだろうと思うと不思議な気持ちになります。人生、何が起こるかわかりませんね。

「残される」という点について考えるなら、物質的なものであることはどんなに心強いか。燃やされたり紛失するなど失われる可能性は捨てきれませんが、物質的なものはもう偽ることができないというのが魅力的です。また立体的で情報量が多いというのも。現物を見るとまた違った発見があります。デジタルなものはまだまだ書き変えが自由であり、ボタン1つで簡単にデリートできるというイメージが強いです。情報量も少ないし。

 

水牛

そして、水牛。可愛かったなぁ…もはや「可愛い」という感情をこの展示会で素直に抱けるとは思ってもみなかったです。でもとにかく可愛かった。

言っちゃ悪いけれど、イメージとしては、東南アジアの土産物店にあるキーホルダーの水牛、みたいな可愛さです。これを読んでいる人と実物を見てその可愛さを共有できないのが非常に残念です。音声ガイドの特別解説でも、みうらじゅんさんといとうせいこうさんが「可愛いね」とお話しされていました。

可愛いだけでなく、醍醐寺大威徳明王がまたがる水牛は跪いているのではなく起立しているのが特徴的なのだそうです。ちなみに水牛は神の使いだとか。日本だと沖縄が水牛は有名というイメージで、それ以外だとあまり親しみがない動物のような…。水牛…実はよくわからないな。大威徳明王も腕が6本あるのが良いですね。腕だけでなく足も顔も6つある明王です。水牛が立ち上がることでまたがっている足が6本だらーんと伸びているのも面白いかったです。足が、6本…どうやって歩くの。(水牛にまたがっているから歩かないのかしら)

 

サントリー美術館

中身が大事ですが、中身を収めている「箱」も見逃せません。

今回は六本木にあるサントリー美術館に行きましたが、土地柄(土地柄…?)とても上品で大人っぽい美術館でした。案内員さんの制服もきちっと整えられていてロッカーもプラスチック?っぽい駅にあるようなものではなく木材。リュック姿の私の荷物は入らない(正確には大きいロッカーもあったけれど空いてなかった)お洒落なロッカー。素敵です。

照明は暗め。少し通路が狭いところがあって(あるいは最終週の休日ということもあり人が多い)通りづらいなと感じたところはありますが、それ以外は展示に集中できる環境だったと思います。

 

まとめ

仏教はよくわからん、と思っている私ですが、充分楽しめた展示会でした。信仰の対象と美術の関係は西洋も東洋もそれぞれ近くまた線引きも曖昧なものなのだなと思いました。それを美術的な立場で見るか信仰の空間で見るかによって、感じ方はまた変わるのかもしれませんが、なかなか信仰の空間で仏像様をじっくり近くで見る機会は無いと思うので、こういう企画展でたっぷりと見たいなと思いました。

あとは水牛様ストラップがあれば買ってました。流石に不謹慎でしょうか。しかし惜しいです。