根津と時々、晴天なり

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【読書】『子どもたちは夜と遊ぶ』を3回読みました

気がついたら、本を4冊くらい同時期に並行して読んでいる状態です。内容を十分にまとめられず、常にバッグが重い。何しろ、ハードカバーの小説を2冊は入れて持ち歩いているから。重い・・・。なので、昔から自分のバッグを絶対に人に持ってほしくないんですよね。「何入れてんの?重くない!?」って言われるのがオチだから。

 

さて。最近になり意識的に本を読もうとしています。そして量をこなすだけでなく、内容を一回一回咀嚼しようと思っています。今まではそれが足りなかった。ので、今はできるだけ考えながらそれをまとめながら読んでおります。

 

で、先日『子どもたちは夜と遊ぶ』を読み終えましたので、それを踏まえて思ったことをまとめようと思います。ちなみに、「3回読んだ」というのは今までの再読数でありまして、3回以上は確実に読んでます。(もっと回数を重ねて読んでいる作品もあるし、再読数の多さが「好き」の度合いに比例するわけでもないのですけど。)大好きな作品です、間違いなく。

 

あ、ネタバレはしない方向で書いていくつもりです。未読の方にも興味を持ってもらえたら嬉しいです。この場合のネタバレは、真相を明かさない、って意味です。大まかな流れとか登場人物の思想のようなものには触れますが、誰が殺した殺された、とか、こういう事件・出来事があったの、っていうのは控えます。

 

『子どもたちは夜と遊ぶ』辻村深月

子どもたちは夜と遊ぶ (上) (講談社文庫)

子どもたちは夜と遊ぶ (下) (講談社文庫)

背表紙のあらすじ紹介より

大学受験間近の高校三年生が行方不明になった。家出か事件か。世間が騒ぐ中、木村浅葱だけはその真相を知っていた。「『 i 』はとてもうまくやった。さあ、次は俺の番―。」姿の見えない『 i 』に会うために、ゲームを始める浅葱。孤独の闇に支配された子どもたちが招く事件は、さらなる悲劇を呼んでいく。

これは上巻の紹介文。次は下巻。

「浅葱、もう少しで会える」『 i 』は冷酷に二人のゲームを進めていく。浅葱は狐塚や月子の傷つけることに苦しみながら、兄との再会のためにまた、人を殺さなければなさない―。一方通行の片思いが目覚めさせた殺人鬼『 i 』の正体が明らかになる。大人になり切れない彼らを待つ、あまりに残酷な結末とは。

 

ということで。キーワードを抽出してみましょうか。

浅葱、というのは登場人物の1人。大学院生で理系。頭脳明晰。クールな感じの美少年。浅葱っていうのは色の名前みたいですね。私は、緑っぽい色を字からは勝手に想定していたけど(作中では薄い藍色、とか表現されています)

 

 

こんな色。水色に緑がかった色、って感じか。

 

作中では、残酷なことに「殺人ゲーム」が行われています。ゲームといっても社会を巻き込むというよりは、2人の人間同士で行われているもう少し狭いゲーム。殺人をツールに使った往復書簡、みたいな感じです。そのゲームに、浅葱をはじめとして、同じ研究室の狐塚や友人の月子など浅葱の周囲の人間が巻き込まれていきます。主人公を挙げるとすれば、浅葱と狐塚と月子、の3人になるのでしょう。語り手(というか視点)が3人に何度か分かれて作品は展開していきます。

 

あらすじで言っていますが、殺人ゲームの犯人のうち「1人」は浅葱、です。物語中でも早い段階でわかります。問題は「もう1人の犯人は誰か」という話です。ゲームですから、ゴールが設けられています。ゴールにたどり着けば浅葱はもう1人の犯人と出会えるわけでして、作品でもそこに向かって物語は進んでいきます。

 

この本は一応謎解き要素が含まれている作品なので、できるだけネタバレは読まない方がいいと思います。楽しみが少し減りますから。しかし、真相を知ってもう一度読みなおすと改めてわかることもあるので(それがこの本が好きな理由の1つ)面白いですよ。

 

舞台は大学。物語の本筋の時間では、浅葱と狐塚は院生で2年目?月子は大学4年生、という設定です。私は勝手に東京学芸大学に変換して読んでいます。教育学部があり、国立なイメージ。キャンパスの場所は、これまた勝手に上野公園の近く、ああこれじゃあ東京大学のイメージでいいか。勝手に本郷キャンパスをイメージしておきます。(これは私個人の勝手な妄想ですよ!)大学の授業の感じとかキャンパスの雰囲気とか、リアル大学生の立場で違和感はありません。大学ってあんな感じです。もちろん学校によって違うだろうけど。

 

子どもたち、ってのは浅葱やもう1人の犯人だけでなくて、登場人物である人たち全員を指すことができるよなぁ~と思っています。大学生と院生の登場人物全員。ここに出て来る登場人物は皆それぞれ「孤独」を抱えていて(というか、人間誰しも孤独な部分ってあるとおもうけど)そこに折り合いをつけたり、全くつけられなくてとんでもないことしちゃたり、他人の誤解を生んじゃったり、色々こじらせているのです。それは大学、っていう空間も作用しているのかもしれないし、子どもでもない、でも働いているわけでもないから大人でもない、そういうグレーな年頃故なのかもしれない。「大人になりきれない」と表現しているし。

 

ネタバレせずに、どう感想をまとめるか

まあ、いくつか私の好きなポイントを書いてみたいと思います。

「子どもたち」の内面の描写が鋭い(鋭すぎてえぐられる)

辻村さんの作品は割と読んできたので心得ていますが、登場人物の内面がこれでもかと表現されているんですよね。具体的に言うと、心の闇、といいますか。率直な感情が。だから「ああ~わかるわかる」って思うことが多くて。むしろ、本を読んで、自分が抱いている感情って言葉にするとこう表現できるのか、と気づくことも多い。

いくつか好きな言葉を出しましょう。

楽になりてえよ。そう投げやりに言う恭司は、自分を持て余しているように見えた。彼が解釈するところの「暇潰し」であるに過ぎない人生に、それでも意味を求めていることの矛盾。

くぁ~~~~!しびれる!頭がいいなこの文、てか語り手は狐塚くんなので、狐塚くん。

次は家出?事件?な高校三年生の子のセリフ。

俺、本当に終わりにしたい。俺とても冷めている。色んなことに。

 これだけ見ると「家出じゃね?」って思われるでしょうが、実はこの事件も大きな意味がありますので、家出と決めつけるのは早計です。この感覚もすごいいいなぁ~って思います。冷めている、色んなことに。倒置法だ!かっこいい(何を言っているだ私は)でもほんとかっこいい。

 

登場人物の闇を書くのがうまい、ってことに付随して、「学校の中」と「女子同士の微妙の心の動き」が素晴らしいのです、辻村さん。

 

月子とその親友片岡紫乃ちゃんとの、まーややこしい関係を示す一文。

月子が自分の知らない世界を持っているのを見て、柴乃は不安になる。だから彼女は月子に示す。月子の知らない紫乃の顔を目の前にちらつかせる。ほら、あなたも不安になるでしょう?

「私の友達は、みんなかわいいか美人かそのどちらかなのに。どうして月子だけそうじゃないのかしら?」

 柴乃ちゃんに言われまくりじゃん月子ちゃん、ってなるのですが。元々月子は元来気が強くて簡単に女友達にこんなことを言わせない子です。自分の哲学をきちんと持ち、自分にとって何が大切か何が必要ないかわかっている人間です。なのだけど、親友に対しては求めているハードルがグンと低くなる。それは、月子にも理由があるからで、柴乃がやっているように、月子も自分の持っている世界を柴乃に見せず優越感に浸ろうとしているから。柴乃と違うのは、柴乃は狂言も混じっているだろうと思わせるけど(つまり見栄で嘘の話もするということ)月子は等身大で自分の手で他者との関係を築けているということ。

 

えげつない。女子の無意識下でのやりとりを言葉にするのがうまい辻村さんです。

そして登場人物もそれをわかっている子が多いんですよね。つまり頭がいいんです。

 

普段なら理性でもって、良心でもって、包んでしまう人間の欲望を、きっちり書いてしまう。それが私の好きなところです。

 

 

自分の哲学がある

登場人物の心情が豊かなことに付随して、各登場人物の「哲学」のようなもの、軸、がきちんと描かれていることも好きです。私自身の価値観とは全く違うけれど、そうして言葉に示されると、ああなるほど・・・という説得感が生まれます。

月子の

「私は、彼氏や家族が持っている価値に自分が依存することにまず抵抗があります。」

とか。

かっこいい~。他人の価値に自分が依存しない、っていうのはつまり彼氏が医大生だったとして、その彼女である自分もそこそこ優秀である(少なくとも医大生の彼と話ができる教養を持っているであろうことは推測できる)ということなどは許さない、ってことです。その医大生に見合う自分でないのなら、恥ずかしくて付き合っていることなど口にできない、と。

かっこいい~(2回目)。

ちなみに『スロウハイツの神様』という小説に出て来る登場人物、赤羽環は、加えて「他人が自分の価値に依存することも大嫌い」という性格です。多分、辻村さんのキーワードなんだろうな。価値と依存、ってのは。

 

もちろん、辻村作品に共通する「価値観」のようなものが、私に合っている(もしくは私の価値観はここから形成されている)ので、「かっこいい~」とか言っているわけですが。正直というか、きちんと闇のまま扱っているって感じがすごい好きなんですよ。

 

私の課題:愛の問題

で、好きなポイント3つめは、この作品が「愛」を扱っている、しかもすごい大きいパワーを持った「愛」、ってところなのです。そして、これは私の課題です。

登場人物それぞれに対して、相手への思いやり、みたいなものが表れている作品で。

狐塚と月子。狐塚と浅葱。浅葱と月子、のみならず

恭司の人間観や萩野さんの想い、秋先生って一体どんな人物?柴乃ちゃんは結局どうすれば救われるのだろう?とか。本当に考えられることがたくさんあります。

 

なのだけど、私はまだわからない。心震えるけど、まだわかっていないのではないか?という感覚が拭えないんです。この物語にあるのは間違いなく「愛」だけど、理解しきれていないから気になって仕方がない。

私にとって、この作品はそういう作品です。

 

結論:色々考えるのが楽しい!

正直言うと、そんなに明るい話ではありませんが(といって暗いわけでもないのだけど)色々考えることが好きな私にとっては、考えたい材料の宝庫です。こうして思考作業に耐えうる作品が、きっと私の好きな作品の1つの尺度なのだと思います。

 

興味がある人はぜひ。私はいいかげん図書館から借りるのではなく、本を買いたいと思います。この作品はこれからも事ある度に読みなおしていく気がするから。