根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【女王蜂】祝祭の空間「単独公演 「十」-Introduction-」感想

 女王蜂のライブに行ってきました。

 超初心者。数曲しか知らないという体たらくでしたが楽しかったので感想文です。

 

それは祭り、祝祭、宴、そして祈り

 端的にどんな感じだったかというと「祭り」。

 祝祭とか宴という言葉が似合う。あとは祈り。女王蜂の曲って聞けば聞くほど振り幅がデカくてカテゴライズするのが難しいしそこに拘らない印象を感じるのだけど、特に私が知った曲たちについては普段聞いてると「うわー祭りっぽい」というコード?を感じる。introductionとか火炎とかHALFとか催眠術とか。それらをセットリストに入れてるからそりゃあそうじゃん。でも今回のライブで恥ずかしながら知った曲たちも祭り感が強い、むしろもっとぱーりーぴーぽーな曲なのである(観客も超盛り上がる)。

 ライブなどのイベントは非日常な空間でありそれだけで祭りなのかもしれない。が、女王蜂についてはさらに祭りなのでとても楽しかった。

 私は行ったことがないジュリアナ東京でとにかくひらひら舞ってたであろうジュリ扇がペンライトのポジションでぶんぶん舞ってたのもはじめての女王蜂の現場では驚きの驚き。中野サンプラザ、後方の席だったし私の前の人はジュリ扇ではなかったけれど、あれぶんぶんされたら席や身長によってはステージ見えない人もいるのではないか…と思ったけれど、まあどこの現場もそういうことはある。眼下でジュリ扇がふわふわ舞ってるのが面白くて結構見入ってしまいました。赤青黄色。

 

《再会》の場所

 再会も何も、初めてのライブなわけだけれど、コンサートやライブってある意味《再会》の場所でもあって、そのアーティストが好きな人たちが集まる同窓会みたいなところもある。そして私にとって《再会》ってのは、私が好きなアーティストを同じように愛する人たち、同志(勝手にそう思っているけど)を見ることができる、というところでもある。知人で音楽の嗜好が合う人がいない私の交友関係も大いに関係しているが。特に女王蜂ってのはどんな人がその音楽を好きになっているのだろう、客層が掴めない…という興味もあった。結果的には老若男女だった。みんな女王蜂好きなんだね…。

 

ストイックな公演

 とにかくストイックだった。とにかく歌いとにかく踊る。ボーカルのアヴちゃんが飛んで跳ねて最高にかっこよかった。MC無し、アンコール無し、一気に1時間20分を駆け抜けた。びっくりした。女王蜂、多くを語らないバンドだとは思っていたけれど結局ライブに行ってもよくわからなかった。その音楽で、パフォーマンスで感じろってことだろう。問題ない。

 これは言わねばならん、というところはアヴちゃんの音域の広さね。音源は編集され加工され整えられた状態の音楽だから、と思っていて、さてどうなるのか?あのパート、と臨んだ公演でそれらを悉く歌ってのけるアヴちゃん。正直女王蜂の曲はカラオケで歌える気がしません。アヴちゃんしか歌えないってのは弱みでもあり強みでもある。圧倒的な個性と存在感。

 

失楽園

  スピード感あふれるギターがたまらない楽曲。Where is paradise?のコールで、ああ女王蜂のライブに来たのだと思った。

 

 Introduction

 飲み会帰りの山手線でぐるぐるしながら出会った楽曲。早くも3曲目で登場とは…。

 

dorian19.hatenadiary.jp

 

 本当に踊らないと損だな、って思う。

 

 これを書きながら楽曲をもう一度聴いているけれど、女王蜂、ギターがかっこいいな。めちゃめちゃライブが盛り上がるやつ。ヴィーナスも最高だった。繋ぎも本公演すごく良かったし、照明も良かったのです。もうちょっと大きな箱でめちゃめちゃ凝ったライブに行きたい(幕張行っちゃう…?行ければだけど)。

 

HALF

 感無量~~~。聴き入る。

 

火炎

 「先生」から「火炎」に入る流れがかっていて私鳥肌立ってしまったよ。

 

 ここからすごかった。

 火炎で祭りのクライマックスを迎えたと思ったら、第二部。祈りのゾーン。天に聞かせるようにしっかりと美声を轟かせるアヴちゃん。Qは実はライブで初めて存在を知る曲だったのだけれど、すごく良かった。ガンガンきた。

 女王蜂、負けないって気持ちと踊ろうという心意気を感じる。それは日々に忙殺され消耗した誰かの支えになる一方でそこに拘泥しちゃいけない、忘れるくらい踊り明かそうというもう一つの道を提示してくれるような気がする。と、これは実際に嫌いな飲み会に参加して酔ってぼろぼろになった私の実体験なわけですが。そういうやさしさと強さが素敵なバンドだなーと思いました。まだまだわからんけれども。

 

 

「いつか笑える日がくるさ」という言葉は救いだと思います。

 

そして「金星」でもう一度踊る世界へ戻ってくること含めてセットリストが素晴らしかったです!

 

セットリスト

  1. Serenade
  2. 失楽園
  3. Introduction
  4. ギラギラ
  5. スリラ
  6. ヴィーナス
  7. 催眠術
  8. デスコ
  9. HALF
  10. くちづけ 1コーラス
  11. 先生
  12. 火炎に続く繋ぎが神
  13. 火炎
  14. Q
  15. 聖戦
  16. 金星

 

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そういえば初・中野サンプラザ

 

【雑記】4周年のアニバーサリー

お知らせが来たので何事かと思ったら、

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どうやら4周年だそうです。4年前のポッキーの日に初めて記事を投稿したようです。まったく覚えていないことから、この日を選んだのは偶々なのでしょう、私はポッキーの極細が大好きではありますが。

「こんなに続いたぜ!」と感動したいわけではありません。ただひとつの機会ではあるのでこうして何かを書こうと思いました。というか書きたいことがありました。

時々無性に、ブログの記事を消したくなることがあります。何故消したくなるのか、言語化できる時もあればできない時もあります。消してすべてをリセットしたい。全部無かったことにしたい。それはなにもブログに限ったことではなく、私は一度だけ、ノートの山を解体しすべてを古紙回収に出したことがあります。

中学生の頃から少しずつ、書きたい時に開いて人に見せられない色んなことを綴ったノートを全部捨ててしまいました。ものすごく後悔しているわけではありませんが、勿体なかったなと思います。今それらをめくって何かが変わるわけではないでしょうけれど、今読んで感じることは何かしらあったはずだから。その機会を自分から手放してしまったことは、勿体なかったな、と思います。

そんなことがあったからか、ブログを抹消することなく、今まで続けることができました。続けていて良かったなと確かに思うことが一つあります。他にも良かったなと思うことはたくさんありますが、今日はこのただ一つだけのことが書ければいいなと思っています。

「もう1年が終わるよ」そんなやりとりを多分この文章を読む方も少なからずしていることと思います。もうすぐ2019年が終わります。そして「あっという間に年の瀬だね」そんな言葉が私は結構嫌いです。あっという間であってたまるか、と思いながら、実際あっという間に月日が過ぎていく。それが私は腹立たしくて仕方ありません。自分に苛立ちます。ムカムカするのはもう少し頑張ったほうがいいところがある、まだまだ余地はあるのだ、と理解した上で、楽に抗う方法のひとつは多分写真を見返すことです。もうひとつは、自分が書いた文章を読むことです。

このブログば私が書きたい時に書いているものなので、少なからず私にとって何か引っかかることを、感情が揺らいだことを書いています。毎日書く日記とは違う性質。毎日書くと少し刺激が薄れてしまうし、なんてことないことを書くこともあるので。それはそれで良いものではありますが、毎日投稿スタイルを選ばなくて良かったなと思いました。まあ、このテンションで毎日書くのは到底無理な話なのです。

ということで、このブログを消したいと思いつつ自分にはありがたい存在でもあるようです。年末にシクシクと涙を流す前にこのブログを読めば、少しは涙がおさまるのかもしれません。

4年。ドラスティックな変化など起こらなかったけれど、しかしずっと同じだったのかと聞かれたらそれは違う。今、私はかつての自分が想像していなかった未来に立ち、ではあと4年後果たしてどうなっているのか、白い荒野を目の前にして立っている気分です。そんな風に思えるのもブログをやって4年の歳月で起こったことを振り返ることができるからです。それは良いことだなーと思います。

いつまで消さないで済むか油断はできませんが、とりあえず明日消すということは無さそうです。また一年続けられればいいなーと思います。

 

ポッキーを帰りに買うのを忘れて悲しいです。せめて23:11に投稿します。

 

 

【映画】『蜜蜂と遠雷』を観に行く

 映画『蜜蜂と遠雷』を観に行ってきました。

 恩田陸小説のファンであります。原作も読んでます、多分3回は読んでいる。本を雑に扱いすぎてボロボロになってきた感があって、『蜜蜂と遠雷』は保存用にもう一冊欲しいなと思っているほど(そういう本はごくまれにあります)。

  

 ただ同時に、漫画や小説が原作となった映画の実写化にやや懐疑的なところもあります。表現媒体が異なる時点でそれは別個の作品として見るべきだとは思っているのですが、それでも完全に切り離してみることができないのが人情。そして実写化で難しいのは、既に原作を知っている人間には彼ら彼女の中で登場人物のイメージが出来上がってしまい、それが人それぞれ微妙に異なっていて、それらを完璧にカバーする実写化は無理だろうというのが私の中の理由の1つ。あとは実写化する際に核になるテーマが原作から変質してしまっていることが時々あるということ。実写化は難しいなと思います。だから『蜜蜂を遠雷』も観るつもりはあまりありませんでした。

  迷っていた。

 ただ映画に行く時間が取れたこと、流れ流れてきた評判が良さそうだったこと、やっぱり『愚行録』の監督さんだし…。面白くなくても、まあいいや、エイヤッと意を決して行きましょう!ということで一人映画館に乗り込みましたとさ。2時間後。

 

 完全に『蜜蜂と遠雷』にK.Oされていた。

 

 すごかった。

 じゃあ、めちゃめちゃすごかったのか、と聞かれたらよくわからないけれど、少なくとも自分はガンガン頭に響いてしまう映画でした。楽しかったなぁ。

 ということで、どの辺にクラクラときたのか感想文を書きたいなぁと思うのですが、ネタバレ有りかもしれないですし、原作既読の人間が言う戯言なのでその点踏まえて読んでいただけると幸いです。あんまり物語のストーリーに迫ったところは書かないと思うけれど。

 

秀逸なキャスト

 まずはこれに触れなければいけないと思います。キャストがすごかった。今このタイミングでやらないと集められない!そんなキャスティングとなったのでは。主役4人は文句なしの配役なのですが、特にマサルと塵については「マサルが、塵が動いて喋っている!!!!!!」と驚き。マサルについては多分演じられた森崎ウィンさんがネイティブ並みに英語を喋られる方のようで、もう合間合間の流暢な英語が見事…。マサルらしい大らかで天才ゆえの無敵っぷり、余裕ある佇まいが表現できているのがとにかくすごかった。マサル、本で読んで知っているあのマサルだったよ。塵は塵で、演じられた鈴鹿さんは本当の新人。クラシック界に突如爆弾を投げ入れた(というか自分自身がある種の爆弾)塵じゃん、それ…。また目がくりっくりで恐れを知らない、世界に祝福されただ呼吸することも愛されてるような風間塵そのものでした。めっちゃ可愛かった。無垢を体現していた。その他にも、課題曲『春と修羅』を書き上げた作曲家の菱沼さんは光石さん。べらんめえ口調は強くなかったけどガラの悪そうな風貌で、スピンオフ『祝祭と予感』を読んだ後でその姿を見てしまった日には涙(とは言い過ぎですが)。生活者の音楽がどこまで行けるのか、勝負する明石を支える妻・満智子の臼田さんも、「ああああああわかるううううううう」になる。『春と修羅』を作り上げる過程での夫婦のやり取りの空気が良かったねー。そして映画オリジナルとして、明石の知り合いでピアノ修理職人に眞島さん、クローク係に片桐さん。嬉しい!臼田さんと眞島さんは『愚行録』に続いての出演かー。クローク係ってなんやねん、と思った原作既読組もいると思うのですが、時々挟み込まれるクロークの風景がコンクール会場!って感じがするのと、片桐さんが登場するとそれだけで空気が入れ替わるような、そういう刺激になるなぁと思います。それにこの「クローク係」って結構大事なポジションだったと思うなぁ私(後述)。そしてこの人はすごい!というステージマネージャーの田久保には平田さん。ううううわかるううううう。田久保さんの優しさとプロとして仕事をバリバリとこなす様、どちらもきちんと演じられていて、この映画キャストすごい。

 

服が、音が、物が

 小道具フェチというか、細かいところを見るのが好きです。「音楽」がテーマの映画なので「音」が印象的だったのは言わずもがなかもしれませんが、小道具も「好き…」になりました。

 栄伝亜夜の真っ青のコートと白い肩掛け鞄。あの白い肩掛け鞄、私も欲しい。亜夜についてはメイクとヘアスタイルも印象的で、肩の上でスパッと切りそろえられたつやつやの黒髪と化粧っ気のない容貌。なんというか、天真爛漫とはちょっと違う、影もありつつ自然体な亜夜そのものだなーと思いました。着飾らない感じ。

 マサルについては電子楽譜?みたいなやつとiPad。常に最新のものを取り入れ己の価値観をアップデートさせるようなたくましさを感じます。iPadを使いこなすマサル、めちゃめちゃわかる。原作にそんな描写はなかったはずだけど、絶対マサルiPadを使う子だ。クレバーで戦略家、使えるものはちゃんと使える人間。

 風間塵の木製の無音ピアノも「むむむ」と唸った小道具。塵のエピソードは例えば自分のピアノを持っていない、父親が立ち寄る場所に付いて行ってそこで見つけたピアノを演奏するだけ。コンクールの会場である芳ヶ江に滞在するようになってもピアノを使って練習した、みたいな描写はあまりなくて(風間塵に「練習」という言葉はまったく似合わない)生け花の先生のところで泊まらせてもらったエピソードが風間塵らしいところだけどそれは映画ではカットされていたので、その代替としての無音ピアノは良かったです。世界に溢れている音を鳴らす塵にとって、ピアノは音が鳴らなくたっていい。彼の中ではなっているのだもの、ということでしょうか。

 この映画は印象的なシーンもたくさんあって、小道具関連で言えば明石の住居、満智子と息子が台所に立つセットと亜夜が母親と部屋で連弾するシーン。好きです(小道具フェチからの愛の言葉)。この作品における、人物やエピソードと物の繋げ方が、多分私の好みに合っているのだと思います。

  • 明石が子どもを自転車で送迎するシーン→明石の子煩悩っぷり、生活者であることを示す
  • きちっとした服に身を包む満智子と息子、そして会場に入る時は上着は脱いで手元にも無い事→舞台がコンクール会場であるということ、クロークがいるということ
  • 亜夜の水筒→幼いころから使ってきたもの、母の思い出、マー君とのつながり

 えーん、好き。

 音でいうと、ピアノの音もそうなのですけれど、靴音が好きでした。

 

好きなシーン

  • 亜夜が幼いころ母とピアノで連弾したときを思い出す回想の場面
  • マサルが朝のジョグをしている場面
  • 蔵で明石が『春と修羅』を満智子に聞かせている場面
  • 本選直前舞台袖に亜夜が登場する場面
  • 海辺の場面
  • 夜空に月が浮かんでいる海沿いの道を亜夜がまっすぐ歩く画面

 

 『蜜蜂と遠雷』は天才たちがバチバチ化学反応を起こしとんでもないものを見せてくれる物語。私は天才ではないけれど、天才の彼ら彼女の姿から得られるものはたくさんある。片桐はいりさん演じるクローク係は、荷物を預かる合間に多分あれはコンクールを見ているのだと思っているのだけれど、耳にイヤフォンをしながら何やら聴いているんですね(コンクールじゃなかったらどうしよう)。そんな感じで天才だろうがなかろうが、音楽を楽しむことはできる、と思う。音楽だけではなく世界にあるあらゆるものを享受することは、できる。刺激を受けてまた自分が少し更新される。それも十分すごいことではないか、と思うわけです。それに『蜜蜂と遠雷』で一番大切だなーと思ったことは、自然体でいること。そりゃあマサルも塵も亜夜も驚くほど「天然」。世界に対する恐れはあることはあるけれど(塵はない)無邪気。どこか子どものようにワクワクしながら生きているところは、それは天才だからできることなのかもしれないけれど、私だってそうありたい。良かったなー『蜜蜂と遠雷』。どうなるかなと思っていたけれど、話の筋は知っていながらも細かいところは微妙に異なっているので読めない驚きもあって楽しむことができました。

 しばらくは映画の余韻に浸りながら(もう一度観に行ってもいいかもと思っている)原作を読むのは当分先でしょう。この感覚を原作を読んでまた上書きするには惜しいです。おすすめーとは言いませんが、楽しかったです。(プロコフィエフのピアノ協奏曲第三番、超スペクタクルな冒険活劇のBGMっぽくて聴いていて超楽しい。原作では「スターウォーズとか言われてた。確かに。今でも映画の背景音になっていてもおかしくない新しさ)

 

 

 

 

【嵐】『Dear Snow』についてつらつら考えたので

 祝☆全シングル各種配信サービス解禁。待ってました(待っててレンタル屋さんに駆け込みそうになるくらいまで待ってた)。

 なぜなら

 

 私は、嵐の『Love Rainbow』が好きだからです!!!

 歓喜の舞、喜びの涙。

 この曲、もう何回でも何十回でも何百回でも聴けるなんて最高だ(いや、CD買えよ。でもLove Rainbowは好きすぎるから買ってもいいと思う)。最高な点、たくさんおしゃべりしたいけど、思わぬ伏兵がおった。

 

 

 

 

 その曲の名前は『Dear Snow』。

 私は音盤を買ってないのでミュージックビデオも見てないし当時のリリースも「映画『大奥』の主題歌なんだ、へー」ぐらいの認識でしたが、当時から曲は好きでした。ニノを全面的に押した内容は二宮さん好きとして刺さるものがあります。が、それだけが理由ではない。何故「好き」なのか、その点を考えていきたいところです。二部構成を予定していたけれど、

 あんまり思いつかないので、お蔵入りになると思う。

 

嵐の声の良さを別の角度から聴ける曲

 ここ数年の曲はあまり聴いてなくて、2010年前後の曲が今一番印象に残っているのだけど、嵐って「全員野球」だなと思っている。といっても他のジャニーズの曲をちゃんと聴いてきたわけではないのだけど…。2人ないし3人の声を混ぜるのが「嵐」印で、そのパターンによってだいぶ聞いたときの印象は違うし、嵐はそれぞれの声や歌い方が特徴的すぎるから2,3人で歌うとすんごく良い。聞き分けしやすい。嵐の必勝パターンって感じだ。そんな嵐の声の良さを違う角度から楽しめるってのがDear Snowという曲ではないか。サビの手前、松潤が主旋律で他がハモる感じとか、おおお?ってなりません。バラードだからゆっくりと声の味を楽しめてしまうDear Snowが、私は好きなのです。Cメロの大野さんの「しろーーーく燃えるこーーいはーーー」のsiの音の通りの良さは大野さんならでは。大野さんって高めのパートもあまり声が細くならない、ある程度の太さを保ってるあたりがいいですよね…。違う角度ってのは、つまりバラードならではのゆったりとしたメロディと共に、嵐のメンバーの声のハモリ具合を楽しめること、それぞれの声が合わさったときの化学反応を味わえること、だと思われます。アップテンポで勢いがすごくて最後まで一気に流れてしまう曲も好きですけどね。

 

諦念と雪

 先のツイートでも呟いたけれど、実ははっきりとした情景描写はないのに想像力を喚起させるメロディと歌詞(と服と背景が噛み合ってないCDジャケット)で、雪の世界がパッと頭に広がるところが見事です。雪に絞って「雪」のさまざまな面と絡ませながら綴られる物語。なかでも雪が降った時のまちの静けさ、雪がたくさん降ると割と面倒くさいあの感じ、それでも雪が降り止むのはこちらではどうしようもないという、無力さが、人を愛するものそれが叶わない諦念と混ざり合って、かー、好きだなー。イントロからもう町には雪が降っていて、Cメロぐらいまでは比較的穏やかに進み、例の大野さんパートで感情が昂り、感情がストンと落ちたところで、二宮さんのソロ。本音がこぼれるあのパート、涙なしには聞けません(それは、多少盛ってるけど)。やはり雪に絞った内容が良いのではないかと思います。

 最後のサビの前の二宮さんソロよりは、最後の「それでも愛しい人よ」がたまらなく好きなパートなのですが、何故ここまで好きなのか。ニノの歌い方も好きだし「ひーとよー」の3つの音から様々な感情を考えるのが楽しいっぽいです。先に言った諦念もそうだし、一途に誰かを想う愛情もそうだし、「それでも愛しいのかよ嘘だろ」と疑う気持ちを感じたり。人間そんな綺麗な心でいられないじゃないですか(闇)。でもDear Snowという曲には一切の邪気がなくて、それはどうしてなのか、そんなことがありえるのか、仏なのか、と考えるときりがありません。

(雪に関する曲でもう一つパッと思い出せるのがコブクロの『雪の降らない街』なのだけど、同じモチーフでこんなに解釈が、切り取り方が違うのが本当に楽しいですね)

 

エンドロールで聴きたい

  私的エンドロールで聴きたいソングを収集中で、パッと挙げると、ゲスの極み乙女。『ロマンスがありあまる』(映画『ストレイヤーズ・クロニクル』より)と米津玄師『海の幽霊』(映画『海獣の子供』より)ですが、この『Dear Snow』も間違いなく映画館のエンドロールで流してほしい曲です。絶対黒の背景に白の文字のエンドロール、です。エンドロールで聴きたいってのは、自分の頭の中の映画本編のイメージと曲が合っているということであります。最近になって自分はエンドロールが好きになっていて、「エンドロールが好きって何事?」って自分でも思うのですが、あの本編が終わった後のぐぁーーーーーんとした余韻にゆっくりと浸かりながら聴く主題歌ってすんごく良いのですよ。多分風呂上がりのビールみたいな感じです。Dear Snowに関して言えばやっぱり最後の「それでも愛しい人よ~♪」が終わって、スンッと音が静まるあの落ち具合を劇場で味わってもよかった。ただ内容に興味をそそられないと、いくらエンドロールでこの曲が聴きたいと思っても映画館には行けないです…。残念。

 

 こんな風に嵐の曲を改めて聴く日が来て嬉しいです。生きていて良かったな、と思います。K-POPのいちファンとしては「それでも愛しい人よ」選手権(Dear Snowの「それでも人よ」のパートを歌ってほしいアイドルを私の贔屓で選ぶ)は一つの記事にできるだけの熱量がないので、パッと発表すると(順不同)

  1. VIXX ケン(選考理由:単純にケンちゃんの切ない歌声が聴きたい)
  2. NCT127 ドヨン(選考理由:どんなふうに歌い上げるか聴いてみたい)
  3. PENTAGON ジノ(選考理由:ジノさんの解釈が知りたい)
  4. VERIVERY カンミン(選考理由:良い恋をしてほしい(母目線))
  5. SHINee テミンとオニュ(選考理由:未知なテミンと想像はできるけど多分裏切られるオニュさんの解釈が知りたい)

 となりました。アイドルみんなDear Snow歌って。

 

Dear Snow

Dear Snow

  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

【漫画】一人の楽しみ方/『ワカコ酒』を読む

 新久千映さんの『ワカコ酒』12巻を買いました。

ワカコ酒 12巻

 一巻も買っていないのに、本屋さんにあったのが12巻と13巻で、13巻はどうやら季節は夏っぽかったので冬の12巻にしました。そういう半端な巻を一巻だけ買うの、結構好き。それまでの巻も買わないし、その先の巻も買わない不思議な買い方…。

 『ワカコ酒』ってのは、26歳の村崎ワカコさんが夜な夜な一人飲みする話。ただひたすら食べて飲むだけ。一回の話は短く軽快に美味しそうな食べ物と酒が登場する話。こういう漫画好きなのだー。永遠に終わらないやつ。

 

 ワカコさんのスタンスが好ましいってのが心地よさの理由なのかもしれない。お酒を飲みながらワカコさんの価値観みたいなものも端々に出てくるわけだけど、周囲に飲まれない(お酒の話だけに)強さや優しさ、自分の主張を押し付けない控えめな感じはすんごい大人な人だなーと思います。かっこいいいいいい。

 最近「一人○○」というのが当たり前になって、一人で何かを楽しむことについての世間の視線もだいぶマイルドになった気がします。

 この「一人○○」って「一緒にそれらを楽しむ人がいない」という事情もあるんですけど(私なんかそれです(苦笑))根本的なところにあるのって「一人で楽しめちゃう」「むしろ一人で楽しみたい」なのだと思うのです。誰かと一緒に経験を共有することの楽しさと、一人でじっくり堪能する楽しさって別物。私はそれを「飴玉を口の中で転がすことのよう」と考えていて、じっくりじんわり、その時感じたことはどういうことなのか、自分にとって何なのか、味わう楽しみって、どうしても誰かと一緒にいることだと難しい。相手がいる以上コミュニケーションは必要で自分のペースで動けない部分もあるから。

 「一人○○」ってのは楽しみ方の幅が広がったってことなのではないか、と思います。人類がお互いに人嫌いになったってこともあるのかもしれませんが(苦笑)。

 

 そういう意味で『ワカコ酒』ってのは一人呑みの楽しさがぎゅーーーーっと凝縮された漫画なんだろうなーと思います。私は飲まない人なのですが、こんな風にお酒を楽しめたらいいのになーって憧れてしまう呑みっぷり。酒だけでなく、こうして楽しめる何かがあると人生きっと豊かだな。そう思いました。

 

 多分どの巻から読んでも面白いしおいしそう。12巻を大切に読んでいきたいと思います。

【VIXX】「VIXX LIVE FANTASIA [PARALLEL] IN JAPAN」感想

 今回は「言葉を尽くす」とは反対で行こうと思う。(どうしたとは聞かないでくれ)簡潔にいきたい。

 

 最高だった。

 

 不安だったけど(ライブ直前の恒例)

 

 なんなら1時間前に会場近くのコンビニでチケットを発券したのだが。

 不安は、心配は、私の杞憂だった。だってVIXXの曲が好きなんだもん、好きな曲を爆音で流してくれるあの空間が楽しくないわけないじゃん。

 

 セットリストが素晴らしかったです。VIXXの曲を理解し分析しているからこその構成。個々のソロが前の曲と次の曲の繋ぎであり、境界であり、場面転換に貢献している。コンセプトが明確な分、アルバムを引っ提げてのライブならともかくそうでなかったらそれぞれの曲が違いすぎるVIXX。私はChained Up→Hot Enough→CircleとラビソロからのSilence→Trigger→Love Me Doの流れに眩暈がしました。またレオとホンビンとヒョギとケンちゃんとラビが本当にまったく異なる音楽をしていたのがVIXXというグループの大好きなところです。この幅広さ、懐の広さよ。

 

 エンさんの不在、気にならなかった。エンさんについて強く思ったのはLove Letterを聞いているときで、エンさんだけでなくVIXX全員勤めが終わった暁にはお互いめちゃめちゃ泣きながらLove Letterを聞きたい、私は聞きたいんだ!と思ったぐらい。でもライブが終わって余韻に浸りながら電車に揺られていると、あーエンさんを見たいと思うから不思議。

 不在が気にならなかったのは、動線を考えなおしたりエンさんのパートを完璧に自分色でこなしたメンバーの努力あってこそだろう。特にホンビンとヒョギ、彼らが着実にレベルアップしてなかったらありえなかった公演だろう。動線だってだいぶ変えたのだろう。すごいことだ。

 

 細かいことを考えられない。VIXX、すごかった。最高だった。それ以外がするすると手のひらから零れ落ちる砂みたいにどこかに消え去ってしまうのを私は止められない。だから簡潔に書く!と書き出したのかもしれない。でも砂粒を拾ってちょっと書いてみる。

 2曲目Eternity、この曲は私の中で不思議な位置づけでコンセプトと大衆性について考えだしたっぽい2014年の曲で、2013年のガツンと来る揚げたての唐揚げみたいな曲とは打って変わって聞きやすいけれど深堀するにはちょっと頑張らなければならない(私の中では、です)という曲で、でもライブで聞くと恐ろしいくらいライブ映えする曲なのです。私は今回2階席だったわけだけれど、永遠の眠りにつく(語弊がある)ケンちゃんのラストパートなんて「これはミュージカルですか、そうですか?」という素晴らしい終わり方で、Eternityで終わるライブってのもオツなものだよね、まだ2曲目だけどなんてひとりごつ。私は奇跡が大好きです。Chained Up、イントロ大好き!ハッとする。爆音でヒュンヒュン鞭が鳴る。Hot Enough、中にラズベリーのジャムが入っているチョコを思い浮かべる。それまでは薪暖炉の前においてあるリクライニングチェアのイメージだったのに、どうした。チョコの甘やかさを堪能しつつ、その甘さをがりっと歯で破るとジュワっとベリーの酸味が舌に広がる感じです。ほんびんソロ水仙、泣いた。ヒョギソロ、メモ帳には「ヒョギ!!!!!!!!!!!!!!」と書いてある(本公演ちょくちょくメモを取りながら見てました)。ほんびんソロ→桃源境の流れなんて一言「天才かよ!!!!!」って書いてある、ウケる。PARALLEL、衣装が好きの好き。今回衣装たくさんでしたね、ソロやアンコールのTシャツルックは換算しないでおくと4着、かな。B.O.D.Y、おま、そんな「ノれる」曲なんて私聞いてない。B-O-D-Yのコールに合わせて高らかにこぶしを突き上げた。迷惑が掛からない程度に。Trigger、VIXXのファンじゃない人知らないなんて勿体ないって思った。ダンスパフォーマンスが良い。最後はFantasy→Scentistだったけれど、ああ好き、超好き。最後のMC後にFantasyってもう終末感満載ですごいよ。ライブ終わってほしくない悲しいでも体力は底の、あのピアノの旋律は終わっている世界の風景。

 

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 夜風にあたりながら。観覧車もVIXXのコンサートを祝福してくれているかのように「PARALLEL」色。

 

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 VIXXの公演とみなとみらいの夜はセットになっている。東京の真ん中とは違って夜は人がいないのがいいところだと思います、みなとみらい。

 

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 みなとみらいの駅、結構好きなんです。ゾンビゲームのシェルターみたい。

 

 実を言うと、VIXXの日本公式ファンクラブは継続しなかったんです。いつ失効したのだろう、少なくともこのコンサートの開催を知る前だったと思う。といっても同じことを以前もやっていて、だからVIXXの熱が冷めたとかそういうのではなく、どちらかというと私のアイドル観?であった。特別、良い席を望むタイプでもないし。

 変わっていくこともあるけれど、変わらないものもある。そうして移ろいでいくというのが人の心なのに、VIXXは変わっていくけれど変わってほしくないところは全然変わっていない。なんでそこまでしてくれちゃうかなぁ、と私の好きな映画に出てくる女の子の言葉を借りるとそういうことだ。なんでそこまでしてくれちゃうかなぁ。わからない、わからないよ。わからないけれど、VIXXの曲が好き、VIXXというグループが好きってのは変わらない気がする。ライブに行っても行かなくても。CD買っても買わなくても。

 「最後じゃないだからぁ」レオさんが言っていた言葉を思い浮かべながらこれを書いています。幸せになってねVIXX。この先私はどうなるかわからないけれど、また会えたら嬉しい。今確かに言えるのはそれぐらいです。

https://youtu.be/456A6GsBRGk

【KAT-TUN】Love myselfについて考えてたこと/『Love yourself ~君が嫌いな君が好き~』

 ジャニーズ懐古モードなのだろうか。またもやジャニーズの曲についてつらつらと書く。今回はKAT-TUNの『Love yourself ~君が嫌いな君が好き~』である。

 ただ、数少ない思い出の中でもとびっきり好きなのは2枚目のシングル『SIGNAL』だったりする。何故強く印象に残っているのかというと、この曲を当時使っていた携帯電話の着うたにしていたからだ(着メロだったかもしれない)。その携帯電話は初めて買ってもらったもので、すごく嬉しかった記憶が(といいつつ友だちが少ないので使用する機会があんまりなかったけど)。ああ懐かしい。着メロ1つダウンロードするにも親の許可が必要だったあの頃、あったねーそういえば。

 そんな古き良き思い出に浸ることはほどほどにして、本題?に入る。

 最近、なんだかLove myselfの時代だな、と思うのであった。

youtu.be

 

 Love myselfは「自己肯定感」とイコールなのかどうか。

 私に関して言えばイコールではないと思う。私はlove myselfしなくたっていいと思っている。自分を愛せるか愛せないかに関わらず人間は生きていていいし、好きなことしていいと思う(もちろん他人の尊厳も認めたうえで)。自己肯定感については、最近ようやく落ち着いてきていて、冷蔵庫の中身でとにかく料理を作るしかないんだ!という考えになってしまった。つまり、自分は変えられるけれど変えられないところもあるわけで、手持ちのカードで戦っていくしかないん。そりゃあカードの種類を増やすためにめちゃめちゃ努力することも大切だし、ある程度は必要なのだけど、と。「自分は自分で良い」という感覚と「自分のことを愛せる」は別だ。愛は、なんというか他者との関係の中にあるものなんじゃないか。わからんけれど。自分も他者ではあるけれど、例えば恋人という本当によく知らない他者とまるっきり同じか。同じではない。Love myselfをことさらに歌わねばならないということが、なんとも息苦しい世の中であることの証左になっている気がして、憂鬱になる。でも、それがうまくいかないのはよくわかる。私自身うだうだ悩むこともある。そうしたら私は何に悩んでいるのだろう、と考え込んでしまった。自己肯定感は無いわけではないと思うのだけど・・・。自己肯定感とは別で、ただひたすらにやりづらいのかもしれないな、と思う。まあそんなことはどうでもいい。KAT-TUNの曲の話をしよう。

 

 この曲、好きなのだけどそれだけで済む曲でもなく、一体何だというと「めちゃめちゃイライラしながら一方で大好き♡」という曲なのです。どんなところにイライラするのかというとこの曲のキーワードでもある「君が嫌いな君が好き」って部分。それはこの曲の全否定なのかというとそうでもなくて、難しい話なのだ。書きながら私も考えているわけだけど。

 ある種ラブレターみたいな曲で、「君」は自分のことが嫌いである。だけどこれを歌う「僕」は「そんな君も好きだよ」と「君」に一生懸命伝える曲。「「君」が自分に対して好きになれない部分も別に欠点なんかじゃなくて君らしさなんだよ」みたいなことを暗に示している。「僕以外の人間が君のことわかってくれなくても、僕は君のことが魅力的に思えて好きだよ。」

 ・・・。

 かーーーーーーーーーーーーーー。(←!?)

 ええ、ええ、認めますとも認めます。「こんなこと言われたーーーーーい」って思った自分がいたことを認めますよ私は。でも。なんか、そこに甘えちゃいけない、って思っちゃったんだよな。拗らせているのかもしれないけれど。

 自己肯定感ってのはどんなに他人から甘い言葉をかけてもらっても、褒められても、肯定してもらっても、自分が自分のことを肯定しなければ何の意味もないのだ。多分その部分に私はもやもやしたし「甘えちゃいけない」と思ったのだと思う。KAT-TUNからの言葉はありがたく頂戴するとして、しかし、私が私の存在を認めなければ、不器用だろうが他人から見向きされなかろうが関係ないわ!という境地にはなれない。あと、自分以外の誰かに自分の存在を委ねるってのは危険なことだと、私は常日頃から思っている。人間は日々変化するからだ。他人を信用している/いない、の問題ではない。

 「君が嫌いな君が好き」大いに結構。「だけど」。そうなのだ、どうしても「だけど」がついてきてしまう。僕は君に君を好きになってほしいのか、僕は君が好きだよってことを伝えたいのか。その両方なのか。両方なのだろう。それは成立するのだろうか。するのだろう。が、私はモヤモヤする。「「僕」が私のことを好きになってくれるから私という人間には価値があるし、私は存在していいんだ」と思ってほしくないのだ!。これか!!!わかった!!!解決!!!

 ということで歌詞中の「僕」みたいな人がいてくれたらいいなぁーと思いつつ、それは沼だ、ハマっちゃいけない沼だ、と頭をぶんぶんと振り、私はこの曲が今の今までずっと好きだ。メロディは切ないし6人態勢のKAT-TUNって、もうどうしてあの頃注目してなかったのだろう、全員のスタイルが違いすぎて超面白い!!!なグループだし、田中さんのラップは頑張って歌えても赤西さんの英語パートは歌えません、も大好きだ。KAT-TUN、すごく面白い曲出してる(SIGNAL然り)。

 めためたに言っているが別にこの曲に非は無いと思う。難しい話なのだ、これは。ただ確かなのは、この曲がリリースされた当時、私は思春期真っただ中で「自分とは何か」なんてことをひっきりなしに考えていて、自己肯定感についても考えていて、この曲を聴いて救われたようななんか違うようなと思って、今の私があるということだ。だからこの曲は私にとって特別なのだと思う。

 

dorian19.hatenadiary.jp

 

 昨日の嵐も然り、思わぬところで影響を受けているものはたくさんあるのだなと思う。2019年のリリースされたITZYの『DALLA DALLA』から色々考える人もたくさんいるだろう。こうして毎日毎日誰かにとっての特別な曲が生まれ、特別な瞬間がそこかしこにあるのだろう。

 

 ちなみに、私には「僕」みたいな人はいなかったので、こんな境地に至りました。

 

 どんな自分であれ生きていていいと思うし、自分を責める必要もないと、私は思っています。KAT-TUNストリーミング解禁しないかな・・・なんてね。

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