根津と時々、晴天なり

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みをつくし料理帖シリーズ 高田郁『夏天の虹』を読んで

 みをつくし料理帖シリーズは、もっぱら図書館で借りて読みます。

 (多分)人気シリーズなのか、お目当ての巻があるのは奇跡に近い。まだ読んでいない巻があったら手にとる。図書館に行くときは「この本を絶対読む!」というのは決めずに行くことが多いので(大概お目当ての本は無いからだ。その失望は大きい)そもそもみをつくし料理帖シリーズの存在すら忘れて半年、なんてこともよくある。だから、本当にたまに、このシリーズは読む。だけど、これまでなんだかんだでずっと読んできています。

 

夏天の虹―みをつくし料理帖 (角川春樹事務所 (時代小説文庫))

 

 『夏天の虹』を読みました。

  

 料理をおいしそうに描く小説が、私は好きだ。このみをつくし料理帖シリーズも、おいしそうな料理がたくさん出てくる。シリーズ名の通り、主人公の澪が料理屋で働きながら生きている料理人であるので。

 この澪ちゃん、そういう境遇なのか、不幸の連続である。そもそも水害に巻き込まれて両親と死別(だった気がする)して、天涯孤独の身になって、助けられたと思ったら助けてくれた料理屋さんがつぶれ(たのだっけ?長く読んでいるので、事実を正確に捉えられていない)上方(大阪)から江戸(東京)に出てきたと思ったら、お世話になっている料理屋が焼失し、というか女の料理人なんて認めねーよ、という強者・江戸っ子の人々ばかりだし、さらには土地によって好む味・風習や文化も違うし、云々。それでも、良い人親切な人はいたり、導いてくれる人たちがいたり、野望が生まれてきたり、ああ、こうして語るだけでボリュームたっぷりな小説だなぁ、と思いました。澪ちゃん大変すぎ。

 『夏天の虹』でも、色々大変なことがあって、ラストには読者としても、また登場人物たちにとっても、非常にショッキングな出来事が起こり、涙なしには読むことができない、実際、私は満員電車の中で時々じーんとなりながら読破しました。

 

 そんな澪ちゃんの人生があまりに波乱万丈すぎて、「自分も澪ちゃんのように強く生きよう」と思ったほうがいいだろうに、あまり自己投影というか、自分の身に置いて読むことは正直できません。まあ、よくよく考えてみると、そもそも小説を読みながら「もし自分だったらどうしよう?」ということはほとんど考えないかもしれませんね私は。

 みをつくし料理帖シリーズの好きなところは、最初も申し上げた通り「料理がおいしそう」という単純明快な理由です。料理の作り手目線の思いも大事ですけれど、お店に来て料理を食べてくれるお客さんの言葉が好き。名前もつけられていない「常連の人」のような表記で時々やってくる江戸で生きる人々が、澪ちゃんの料理を「おいしい」とか時には「これはいまいち」ってはっきり言っているあの感じが、なんともいいものなのです。料理をちゃんと食べる人、良い。

 さらに、今作で強く感じたのは「メンター」の存在です。「メンター」というのは仕事上あるいは人生上、その人に助言し導いてくれる存在、らしいですが、例えばスターウォーズヨーダみたいな人ですね。私スターウォーズ観たことないので適当に言いましたけど、そういう例えをした人がいたのでその表現を借ります。みをつくし料理帖シリーズでもたくさんのメンターたちが登場します。で、大体は男の人です。職業は澪と同業の料理人だけではありません。医者の源斉先生なんかはいい例ですね。あとは版元の坂村堂さんとか、戯作者の清右衛門さんとかも。そう思うと、その道やその人生を極めた人には通じる何かってのがあるのでしょうかね...なんて思ったりして。イメージは『エースを狙え!』って感じです。あれのもう少し柔らかめというか、目的というか雰囲気がきっぱり定まっていないようなぼやーっと感じが、もしかしたらみをつくし料理帖シリーズかもしれないです。

 

 そういうことを読み終わった後に考えておりました。シリーズは完結しているということですが、いつになったら終わるのか。気長にゆっくり消化していこうと思います。