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根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

#124 ただ、その時を待つ ―映画『キツツキと雨』を観ました―

その他色々

 現在、「映画10本道場」ならぬ、映画を見まくるキャンペーンを個人的にしています。本やアニメやドラマと違って、映画だけは全然見ない私なのですが、ここ最近映画に関心を寄せていることもあり、気になった映画をレンタル屋さんで借りまくっています。その中で、今回見たのは沖田修一監督『キツツキと雨』。終始、ほっこりする映画でして。血しぶきもないし人間のだましだまされ合いもないし、○○でないとダメだよ!みたいな押しつけがましさもない、自然体で見ることができる映画で、大変良い時間を過ごさせていただきました。

 

 表題の「ただ、その時を待つ」ってのは、映画の終盤でふと思い浮かんだ言葉そのままです。この映画、別に「ただ待っている」映画などではなく、登場人物たちはお互いの出会いから少しずつ考え方や行動が微妙に変化していき、物語終盤では確実に何かが変わるところまで行き着くわけで、だから「何もしないわけじゃない」。

 「ただ待つ」という言葉で私が言いたいのは、人生とは「こうしたい、こうありたい」という意志によってコントロールできるものばかりではなく、なんとなく「そうなってしまった」ということも多いのだろうなぁ、ということでした。何かが起こることを待ちながら生きていく。生きて動きながら待つ。そして何かが起こっている渦中で、自分のこととか人生のこととかを客観視することもできないのだろう、と。

 つまりは、なるようになるしかないか、ってことなのかな(苦笑)難しいや。

 

 映画の感想に移ります。

 木の将棋とあんみつ

 小道具大好き人間なので、とっても気になったのが、主人公である林業従事者の岸ささん(役所さんが演じている)の家にあった、木で作られた将棋。いや、将棋の駒って木でできているでしょ、って感じだけど、盤はきこりらしく、切り株。駒もお手製のものっぽい。それが良い味を出していてとっても素敵でした。

 この映画では、人間と人間を結びつける「モノ」がいくつか登場していて、将棋も然り、あんみつも然り。あとは風呂場での会話も重要な存在だったと思います。人間と人間が直接対峙するのはちょっとぎこちない。そこに「モノ」が介在することでコミュニケーションがスムーズになるというか、新しいやりとりが生まれるような。そういうことを考えました。

 あんみつは、岸さんともう1人の主人公、若手映画監督の田辺青年(小栗旬演じる)が2人で食べるものですけど、そこでもっと2人が仲良くなるというか打ち解けるのであって。2人が「あまっ!!!」とか言いながらあんみつをほおばる場面は、なんとも微笑ましい場面でありました。

 

語りすぎないということ

 この映画、面白いことに解説らしい解説がないあまりない映画です。登場人物がどういう名前なのか、ってことも注意深く観ないとわからない。言葉として語りすぎず、さきほども触れた「モノ」とか「表情」とか「仕草」とかで、説明している。そういう意味ではとても難しい映画です。注意深さが必要。

 私が1番グッと来たのは、無職の息子が親父と同じ作業着を着て父子2人で朝食を食べている場面。このシーンは、終盤も終盤に出てきますが、何にもセリフがないんですね。2人で朝食を食べているだけ。でも映画をここまで見てきた人なら一発でわかる。「ああ、あの息子はお父さんの仕事を継ぐことにしたんだな」って。

 岸親子は母親が3年前に死去して不在、息子は無職で仕事が長続きせず、父子の関係はぎこちない、そんな状況。中盤で息子は突如「東京へ行く」と家を出ていってしまうなど、ドタバタしています。そして母親の三回忌。ところが父親は映画の撮影に忙殺され三回忌のことなどすっかり頭になかったご様子。だけど、そこに東京から帰ってきた息子が家の中などを整理している様子が、壁に掛かっている2着の喪服(つまり、父と息子の分)でわかる仕組み。泣ける。

 この「語りすぎない」感じが『キツツキと雨』は絶妙でして。普段私たちが生きているとき、そこには当然「視聴者」なんているはずもなく。だけ映画は「日常」を撮るけれど、そこには絶対「視聴者」が意識される。意識される「視聴者」のために言葉を紡いだり仕草をすると、それは自然ではないと思うのです。登場人物たちに余計な言葉を語らせないあり方は、とても好感を覚えました。

 

止まない雨は、ない

 というようなキャッチコピーを掲げていながら、その「雨」は結構ぼんやりしているなぁという印象を受けました。つまり、登場人物たちが陥る「雨」がさほど劇的ではない。復讐に燃えているとか、生きている意味が分からないとか、そんな深刻なものじゃないけれど、こういう「雨」生きていればあるよね~と親近感を覚えちゃうような、「雨」。でも、物語終盤にむかうにつれて、雨は段々と小雨になっていって、何かが変わっていくことがわかる。

 「止まない雨は、ない」ってのは、とてもわかる。雨はずっと降っているものじゃない。だけど、雨に打たれている渦中は、この雨が止むなんて信じられないものだと思います。この映画を観ていて、一番思ったのは「夢中になることでいつかは雨が止んでいるものなのだろうなぁ」ということでした。岸さんが映画に関わることに夢中になるように。田辺青年が映画に向き合っていくように。

 

 

 ということで、感想はここまでにします。

 とっても素敵な映画でした。沖田監督の『南極料理人』も興味があるので、観ようと思います。