根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【VERIVERY】ぐっと沈み込む感じ/『FACE ME』感想

 VERIVERYのアルバム『Face Me』を買ったので感想をつらつら書いていきます。

 書き出しはカムバックした週だったはずなのに、気がつけば数週間経ってもあげられない。書きにくいというよりは、「よし、OK。書いた!」と思えない。まだまだ掴めていない、そういう作品なのかなぁ、と自分の中では思っています。

 

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 何度も聴いたり音楽番組のパフォーマンスを見たりと、聴いた当初とはだいぶ違った印象を抱いているので(これが俗にいう「慣れる」ということ)今改めて書くのも意味があることかなぁ…と思って書くことにします。何も考えずに書き出しているのでどこに着地するのかわからないのですが、とりあえず行ってみましょう。

 

1. PHOTO

VERIVERYの3rdミニアルバムのタイトル曲「Lay Back」は、R&Bとディープハウスが結合されたダンス曲で「僕の中の本当の僕に直面して、より率直になることに恐れるのはやめよう」というメッセージを込めた。

このほか、VERIVERYが描いていく新しいストーリー「FACE it」のスローガンの序幕を知らせる曲である「PHOTO」、メンバーが作詞・作曲に参加し「ファンクラブ『VERRER』と共にするすべての場所はパラダイス」という意味を込めたファンソング「Paradise」、ステージの上で一緒にいるすべての姿を特別なシーンに比喩した歌詞が印象的な曲「Curtain Call」、VERIVERYならではの特別な慰めソング「MOMENT」なども収録されている。

引用元→ http://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2133715

 

 『Tag Tag Tag』という曲は、「天才か?」と思ってしまいたくなるある種の転換をもたらした楽曲だと思っていて、VERIVERYをめぐるキーワード、「DIYドル(楽曲や動画などを自分たちで作り上げてしまうアイドル)」「アイドル」「セルカ(セルフカメラの略。いわゆる自分で自分を撮る「自撮り」のこと)」「見られる」「撮られる」に言及した面白い曲だなー、すごーい、というもの。そこから2年目の「FACE it」の幕開けに「PHOTO」というタイトルの楽曲を持ってくるのは、流石の流石、と感激の私です。

 終始メロディは禍々しく、なんというか先輩グループであるVIXXが好きな私としてはニコニコしてしまうのですが、激烈であるあまり、「他のアルバム収録曲から浮いてね…?」というのが先日書いた感想の趣旨でありました。

 

 正直VERIVERYこういう曲もできちゃうんだ~~あ~~~そういえばEXOのMonsterとかカバーしてたね、という感じで、実は綺麗に伏線めいたものを張り巡らせてはいたことに気づかされました。元々ダンス動画などもRing Ring Ring等の明るいニュージャックスウィングテイストの楽曲というよりは、低音ばきばき鳴らしているかっこいい曲を踊っていることの方が多くて「こちらのVERIVERYもかっこいいのに…」と思っていた過去の私よ、2020年のVERIVERYはさらにかっこいいぞ。

 この楽曲(Lay Backもそうですけど)では特にヨンスンの表現が光に光ってて、「チャハギョンの再来…???」と私はワクワクしております。何故そう思うのかというと、頭をがばっと振るところや、少しずつうなだれるところに見られる細部の表現が見事だからです。振付を消化するのは正直VERIVERYはみんな及第点を取れているというか、だからあんなにきちっと揃ったダンスができていると思うのですが、そこをクリアした上で「自分の解釈を載せることができる」のはなかなかいないのかなぁ、なんて。もちろんケヒョン様のダンスとかホニさんのちょっとしたところとか、各メンバーそれぞれ色出してきてるなとは思います。そして表現しているけれど上手く伝わらないとか色々あると思います。曲を解釈したうえでそこを観客にもビシッと伝えられるのがVIXXのNさんでした。Nさんの解釈が好みだから、なんというか自分のそういうセンサーに引っかかっちゃうってはあると思いますけどね。「解釈」というとなんだか仰々しいので、「自分の解釈が載っている」ってのはつまり表現する側の「ここを魅せたい!!!」というポイントをアピールできるかどうか、ってことなんだと思います。そういう意味で、ヨンスンはNさんのアプローチと似ているのかもしれないなと思いました。ヨンスンのブログとか読んでいると、一人洞察(とそれをてらいなく表現できること)がすごいので、そういうのが得意ということもあるかもしれない。

 ボーカル面で言うと、あれです、Cメロのヨノの低音がヨノだとわからなくて泣きました。今回思ったのですが、ヨノの高音はケヒョンに、低音はミンチャンに、それぞれつなげやすい響きをしているのかもしれない。私は音源で聞いたとき、Cメロはミンチャンの独壇場だと思ってたのに、半分はヨノだったなんて…わからなかった。メインボーカルというのは「これが、メインボーカルだ!」という確固とした形を持っている歌うまな人が多いなと思っていて、パッとわかりやすいのに、ヨノはもう少し馴染みやすい声なのにめちゃめちゃ声量あるし安定感抜群な歌うまさんなんですね。

 VERIVERYのアルバムについては最初から最後まで通してぐるぐる聴くのが好きなんですけど、困ったことに『PHOTO』で「あ、ここどうなっているのかな、もう一度聴きたい!」ということばかりでその先に進めず困っています。

 

2. Lay Back

 最初のベースの音で「うおっ!?」と引っ掻かり終始狂わされっぱなしの楽曲。当初はそんなに好きじゃなかったんですけど(←え?)何回も聞くとそれはそれで聴きどころを見いだせて楽しいです。この曲は音楽以上にダンスが好きになりました。

 すごいな~。アイドルって「ダンスが好きな人」「踊っちゃう人」「踊らされるのが上手い人」色々いると思いますが、VERIVERYは「踊れるようになるまでの忍耐力」がすごそうでどんだけ練習しているのか知りたいようで知りたくない。だって踊るよりは歌う人がここまでピシッと揃っているのは意味がわからないじゃないですか。余談ですが「踊っちゃう人」はなかなかいないので、誰かK-POPアイドルで「踊っちゃう人」がいればこっそり教えてください。ケンちゃんとか実は「踊っちゃう人」だと思っているのですが…。腕や足をぎゅっと伸ばすときの気持ちよさ、リズムに合わせてトントンと足を運ぶおさまりの良さ等、見どころがたくさんあるダンスパフォーマンスです。

 ボーカルで言えば、ホヨンとドンホンのラップが今までのVERIVERY楽曲とは一線を画した雰囲気でそこも聴きどころであります。ラップの良し悪しってのは全然わからんのですが、リズムが難しそうってのはわかる。あとホヨンはダンサーでもあるのでそりゃあ踊れるのですが、気合入れてピシッとかっこよくきめるドンホンや解釈ノリノリ動きが綺麗なヨンスンとはまた違って体の軽さを活かしつつ、大変そうに見えない踊り方をするのではピカイチなんですね~。ついていくので大変って感じじゃないので見ていて安心できるし、どころどころふわっとしている。

 ミンチャンのイケメンボイスで歌われるShow me your faceからのPlay back, play back~Pay back, pay back~の音と動きのハマり方が好きです。あと蹴りだすところ。これは象徴的な振付ですよね。

 

3. Paradise

 あとは心穏やかに聴ける楽曲が続くのでほのぼの聴きます。にしても、ミンチャン声がいい。何度でも言いたい。声がいい。ミンチャンの声の良さはバラード楽曲で映えに映えまくるので攻守隙が無いVERIVERY。VERIVERYをVERIVERYたらしめている声、ミンチャン。攻撃の布陣ではケヒョン氏が前線に立ち、防衛ではミンチャンがどしっと低音で待ち構えるというね…そういうところが好きなの私。頭負傷により離脱中(2019.01.13時点)ということで否応なしにその存在のでかさを感じているわけですが、Lay Backにしても、ここぞというパートのミンチャンの中低音の歌声は他の誰にも代替することができないものですね。あとこの曲はBメロかな、コーラスの部分がすんごく綺麗で毎回「この部分誰のを録っているのだろう…?」になります。コーラスがめちゃめちゃ綺麗。コーラス目当てで聴いているといっても過言ではない。

 

4. Curtain Call

 メドレーを聞いてた時点では一番引っ掛からなかったのですが、実は総合力の賜物、Curtain Call。というのも、ボーカルではどうしてもあまり推されないヨンスンカンミンが頑張っているように思えるので。ラストサビで声張り上げてる子、カンミンじゃない…?と思っています。頑張っとる…。

 

5. MOMENT

 これが〜VERIVERYなんだ!!という楽曲。アコギ一本携えて浜辺で歌ったね(この曲じゃないけど)。そこから1年で着実にスキルアップし鬼スケで活動してきたね本当にえらいね、としみじみしてしまうのですが、それらの出来事が良い記憶としてこれから何かあったとしても残ればいいなぁ…と思います。それはその瞬間がとても記憶に残る意味深いものであることも必要ですが、その瞬間を思い出すその時の自分の気持ちによっても変わるもので、だから幸せな思いをたくさんしてもらいたいなぁ…と思ったりします。それは推してるグループだけでなく、あらゆる人たちに当てはまることですけどね。ちなみに、私はアルバム全体をリピートする聴き方が好きなのですが、MOMENTのあとは、トラック1のPHOTOになるわけで、毎回「面白///」となります。

 

 

 そんな感じですかねぇ…。ほんと先に挙げたやつでも言っている通り、このアルバムはうまく全体をまとめることができていなくて、どうしても前半2曲と後半3曲でカテゴリー分けをしてしまうのが惜しいところであります。

 しかし 私は「あ!ここが変わった!こんなところ見たことがない!」というアイドルが好きなので、Tag Tag TagからのLay Back活のかっこよさは本当に素晴らしいですし、見ごたえがあります。みんなかっこよくなった。さらに痩せちゃったけど…。Lay BackのMVが1000万回という大台に乗ったこともあり、コンセプトの切り替えはそれなりに評価されているのかと思うと嬉しいです。Tag Tag Tagの方が見ごたえはあるのだがな…あのMV怖いのかな…『呪いの人形』を通ってきた身としてはまだまだ甘くしていると思うのに。程よい不気味さと甘さ加減のバランスが本当に素晴らしいMVなのでもっと視聴されてほしいなぁと思います(アルバム『FACE ME』の感想ですよ私)。

 

 Lay Backで打った布石が、2020年、どうなるのか。とても楽しみに思える『FACE ME』となりました。君が好きと無邪気に叫んだ彼らが(ほんと劇薬を味わったかのようなある種の躁状態で。君に出会ってパッと世界が明るくなったのだろうなぁ)ちょっと落ち着いてぐっと沈み込み少しドロッとした粘りを伴って君を見るようになってきているのでオラわくわくすっぞ状態です。なんというか内向き加減が強くなった気がしますねぇ…。カラッと笑っていた1年目の曲も痛み知らずな感じがひやひやする、と読むこともできてそれはそれで怖いですが、Lay Backの歌詞もなかなか怖いなぁ…私(もちろん好きです)。「目が見えなくなってもいい」のかぁ…。

 

 ということで、健康第一!Lay Back活動をゆるっと見ながら次の作品を心待ちにしています。

 

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ネクタイとか小道具をインスタにあげることは今からでも遅くないですよ、何卒

 

【舞台】「人間」を観に行く/「罪のない嘘」感想

 舞台『罪のない嘘』を観に行ってきました。

  何の因果か、ジャニーズのグループ「ふぉ~ゆ~」を知り、ゆるーく彼らの情報を追いかけることとなった2020。その最初を飾ったのはメンバーの一人である辰巳さんが出演する舞台でありました。といっても、いくら好きだからといって無条件で行くわけでもなく、興味があるやつは行くという緩いオタクです。三谷幸喜作品だったということもある(古畑任三郎は好きなのです!)

 内容はあんまり話すつもりがなくて、家族に感想を聞かれたとき「私が楽しめない感じの話だった」と話したら「あー(察し」と返されました。もちろん私は私なりに楽しんだのでこれから観に行く人も楽しまれたらいいと思うのだけれど、物語の前提がまず苦手なのだから仕方ないのです。

 じゃあ、何故こんな文章を書き始めているのかと言うと、やっぱり面白かったから。

 

 舞台ってのは自分の中ではまだまだ新しくて慣れていないコンテンツ。もちろん舞台に行くのは初めてではないのだけれど、どう楽しめばいいのかよくわかっていないところがある。

 なのだけれど、今回の「罪のない嘘」を観に行って「あ、舞台とは「人間」を観るものなのかもしれない」というところに着地したわけです。

 

 音楽のライブに行き始めたとき、不満に感じることが1つあって。自分が日ごろ関心を持ち好きで音楽を聴きテレビや雑誌、映像で見ている好きな人たちと、目の前のステージで踊ったり歌ったりしている人たちが全然掴めないということ。実際に生で見たら「やっぱり彼ら彼女らは人間だ、そして生きているんだ」ということが実感できる、それがリアリティでしょう、と思っていたのに。全然そんなことはなくて。どうしてなんだろう、おかしいなぁ、と燻る思いでライブに何度も行って。でも結局確かな感覚は得られなくて(アイドルとハイタッチしてもよくわからなかったから私は「リアリティ」とやらを求めるのは諦めた。無理だ)楽しみ方を変えることにした。

 話は変わるけれど、私の家族はサスペンスドラマが好きで、その流れで私はサスペンスドラマを見て育ってきた。教育上好ましいかどうかと聞かれたら好ましくはないね。おかげで出演者を見て犯人の検討がつくぐらいはできるようになってしまった。サスペンスドラマ好きとしては「森村誠一の終着駅シリーズ」も例に漏れず、片岡鶴太郎さん演じる牛尾刑事(通称「モーさん」)の渋い人物像がまあ好きなのである。だから「罪のない嘘」で鶴太郎さんが舞台にパっと現れたときも「あ!!!鶴太郎さん!!!」となったわけだ(私は一応「ふぉ~ゆ~」推しとしてこの舞台を見ていたはずなのであるが)。なのだけれど、結局はテレビで見ている鶴太郎さんでしかなく、なんというか「実感」なんてものは最後までなかったわけであった。そもそも実感ってなんなんだ。だって、自分の身近な人たちのことだってきちんと理解できているかといえば「No」なのだ。私が求めている「実感」とやらは、多分ありえないのではなかろうか、と最近は思うようになってきた…まあ、それはそれとして。

 「実感」とやらの夢に破れた私は、シンプルにこの舞台を楽しむこととした。といっても、前述通り流れとしてはなかなか苦手な作品だ。さてどうしたものか。

 でもやっぱり人間が人間を演じているってことなわけで、舞台の良さというのは、「後戻りできないこと」「編集できないこと」「その場で立ち現れるということ」なのではないか、ということを考えていた。人間が人間を演じるということ。誰か別の人間になるということ。人が人を演じるその瞬間「人間が立ち現れてくる」のではないか。うだうだ。

 なんというか、日々生きてきて「鬱陶しいな」と思うことはあれど(あるんだなーこれが。基本的には多分人嫌いなのだ私)こんな風に(舞台を見て思うように)「人間面白いなー」と思うことはないのではないか。そう、舞台とはつまりは「人間面白い!」と思う空間なのです。

  じゃあ、どうして日ごろ生きていて「人間って面白い」と思えないのか、ってのはまた別の問題提起になるわけでここでは掘り下げないけれど、多分どんなにシリアスな話でもきっと私は舞台で観ると「人間面白い」と思う気がする。演じることで何かズレみたいなものが生じるからなのかな。そこらへんは演劇論とかを読めばわかるようになるのかしら。わかりません。

 

 ということで、結構楽しかったです「罪のない嘘」。ふぉ~ゆ~推しとして辰巳さんに言及するならば「リア恋」という言葉に尽きるのではないでしょうか。辰巳さんに恋したい人生だった。以上です。

 

 さて、2020年、舞台の方にも関心を広げようかしら…と思えたのであれば、今年最初の現場はこれで良かったなと思います。(次の現場は未定です。好きなアイドルなんかイベントやって!!!)

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【映画】『パラサイト 半地下の家族』感想

 私はネタバレってのが好きで、自分から率先して踏むようなところがあるのですが、それはつまり「何も知らない状態で映画を観たときに味わう何もかも」を得る権利というか、そういうものを自分から放棄していると思っていて、それでも踏むときがあります。

 だけど私以外の人が持つそれらの権利を私が奪うわけにはいかないので、以降の記事は基本的には『パラサイト』を観た人だけが読んでください。

 

 え~でも、今後も観るつもりないし…。

 

 と思っている先に進もうとしているそこのあなた、でも気が変わって観ることもあるかもしれない。誰かと一緒に図らずも観に行くことだってあるかも。だから読まないでね。この映画は特に《ネタバレ厳禁》みたいな風に言われているのかもしれないけど、この映画だけじゃなくてあらゆる作品はこれらの考えが当てはまると思う。「何も知らない状態」って貴重なのだからもっと大切にした方がいい。と、思う2020。よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話は変わるけれど、私はいわゆる「逃亡者もの」の話が昔からあまり好きではなかった。話の流れとしては「やってもいないことで濡れ衣を着せられる→正義をふりかざした権力に追われる→捕まっても誰も信じてくれないから逃げる→逃げても仕方ないので逃げながら真相を究明していく」みたいなやつだ。多分私は、基本的に人が誤解されるってのがあんまり好きではないっぽい。

 ただ、人間ってのは誤解だらけの生き物だ。人の解釈に絶対的な正解なんてない。正しく相手を理解することなんて到底不可能。誤解なんていつだって生じている。なのだけど…。「誤解を利用した作品」って人間の勘違いを上手く活用してそこに生じるちょっとしたユーモアやシリアスを美味しく食べよう、みたいなところがあって、それは肯定ではないと思うのだけれど、ちょっといただきますよ、みたいなふてぶてしさを感じる。ふてぶてしさ?こういう表現を使ってしまうことからわかるように、私は「誤解を利用した作品」がいまいち楽しめない。それらの作品は「誤解が解けたときどうするか」という終着点を意識せざるをえない。その終着点でいよいよ何かが爆発する。ここまで積まれてきた嘘が崩れ落ちる。その瞬間のことを考えたら、いてもたってもいられない。気が気でない。だから楽しめない。人間が人間を誤解したままで生じる何もかもに、私はユーモアよりは心配や不安や悔しさを感じてしまう。(逃亡者ものは基本的に「悔しい」だと思う。「あんたらもっと自分のこと他人のこと疑いなさいよ!!!」ってテレビの前でキレてる。疲れるから見ない。)

 

 ということで、私は『パラサイト』という映画が一体どういう映画なのか、よくわからないまま観に行った。なんか行く人行く人「すごいすごいすごい」と言っていたから。

 私は『パラサイト』という物語が基本的にどう流れていくのかすらよくわかっていなかった。だから開始20分くらいでこの映画がいとも容易く軽やかに、私の地雷を踏んでいったことに気づいたとき、帰ろうかと思った。このまま私はこの映画を観ることができる自信がない。20分の時点でしんどい。無理。でも結局は2時間強、観ることになってしまった。

 

 観ることができた理由は色々あって、それがそのまま『パラサイト』という映画の私の好きなところでもあると思うのでそれを書いていきたい。

 

 まずは途中で焦点が変わったこと。キム一家の嘘は一体どうなるのだろう。バレるの?バレないの?というハラハラドキドキ(ああ、本当に嫌い!)が、雨の夜の宴を切り裂いた「ピンポーン」というチャイムの音で一気に吹っ飛んだ。モニターに映っていたあの家政婦の顔!!!超ド級のホラーだった。「あ、やっべ…」キム一家も思ったと思うけれど、私もそう思った(「この映画、なんだかヤバいぞ…???」)。あれは狂気だった。最初家政婦の人が腹いせに殺しにきたのかと思った。そういう狂気があった。すごかった。もう家政婦さんはあの時点で壊れていた気がした。今思えば。ということでキム一家の嘘の行方以上に、本当の地下に住んでいた夫婦をどうしてくれるんだ!!!に関心が移り、もう結末が全く読めなくなってしまってあとは物語が動くのに身を任せるしかありませんでした。ストーリーがまったく読めない。映画が《ネタバレ厳禁》と言われている所以。

 

 あとは最初からそうだけれど、絵が綺麗だった。日の当たり方、街や建物の撮り方、カメラの動き。キム一家の長男で最初にパク一家に潜り込むギウが坂を上りその重たい扉を潜り抜けるところで「うわぁ…なんかすごい」と思った。キム一家が住む街や家、パク家なんかはセットらしいと知りまたもや「うわぁ…」となる。確かに、あの大雨のシーン。半地下の家が水浸しになり妹のギジョンが水が逆流するトイレの蓋の上に座って煙草を美味しそうに吸っていたところ。なんか、面白いのだけど、K-POPのミュージックビデオぽかった。水が噴き出す感じとか。

 一番好きなシーンは、またもや大雨のシーン。パク家から父息子娘一緒に撤退するシーン。坂道を下り、トンネルを走り、長い長い階段を下りていくあの一連のシーンがすごく良かった。

 

 パク家が善人であったこともポイントだった。彼ら彼女らは度が過ぎた善人でもなかったし、悪人でもなく、適度に善人であり悪人であった。圧倒的な才覚があったわけでもなく(そういう描写はなかったと思う)お金持ちの普通の人たちだった。このバランスを維持するのは多分考えている以上に難しくて、ぎりぎりを狙っているのだろうという気がしている。物語になると大抵はどちらかに傾くのだけれど(性格が最悪、とか、過剰の人が良すぎて歪んで見えるとか)この映画は自然に撮った。すごい。で、普通の人たちだからこそ最後の最後は結構しんどかった。スプラッタな絵は別に大丈夫だと思っていたはずなのだけれど、芝生の上の惨劇は手のひらを目に当てててちらちら見る。直視できなかった。あの人たちは意識を失う瞬間まで、何故自分たちがこんなことになっているのか理解できないのだろうなとつらかった。あのようになって当然、とは思えないし、到底笑うことができない。

 

 匂いもポイントだった。「干した切り干し大根の匂い」ってのがあの映画を観る韓国の一般市民の中でどれくらいの共通理解なのか興味がある。他にも私が日本で生きる人間だからこそ感じられないことがあると思っていて、それはちょっと歯がゆかった。一応前準備としてネタバレではないけれど知っておくと面白いよ!みたいな情報は読んで観に行ったけれど、インスタント麺とかよくわからんしな…。日本人にとってのチキンラーメンを外国の人に伝えようと思うとなかなか難しい。私にとっては「美味しいけれど味が濃いからたまに食べたくなる実は滅多に安くならないインスタント麺」。

 そう、一番印象的だったのは、服かもしれない。半地下で生活しているときの味気のないだぼっとした衣服から、一応こざっぱりとしたジャケットや髪型にすればIT企業社長の家にいても外見上は馴染めてしまうんだぜ!!!なところ。最後の最後にギウが教え子である社長令嬢に「自分はここに馴染めているか」と聞いていて、女の子が彼に惚れているという設定抜きにしても多分他の人から見たら馴染めてはいるのだ。でも体に染みついた匂いだけは駄目。終盤に近づけば近づくほど匂いがキム一家を下へ下へ呼び戻していた。その力も強くなっていた。でも私は割と「へー」と肯定的に捉えていて、そう、外見を整えてしまえば私たちは街に溶け込んだ風に見せることができるのだ。外見大事!!!という結論は、私の勝手な解釈だなとは思ってます。染みついた匂いはどうしてくれるのかね?ってのが問題なのですが。あとは言動もおいそれとは変えることができないってのもポイント。

 

 考えられることがありすぎる。楽しいけれど疲れた。

 自分たちのことを書くのは実は難しい。自分以外のことを書くのはそこまで難しくはない。自分たちのことを書くのが難しいのはそれが「見えない当たり前」だからで、当たり前が存在することを自覚し、それがどういうものであるのか的確に捉え、描写しなければならない。『パラサイト』という映画がどれだけリアリティを持っているのか、私にはわからない。けれど現実に迫ろうとしていてそれがある程度は達成できているものなのではないか、というのが私の直感。だとすれば私が日々楽しんでいるK-POPなんかもこの映画と地続きで存在しているもので、ともなるとますます考えることが増えるね。

 

 映画観終わった後は結構しんどかったけれど、それぐらい衝撃的な映画でした。生きるって疲れる。音楽聴くのもインターネットするのも書くのも食べるのも、疲れる。短期間的なその場しのぎの計画ではなく、夢ができたギウの人生はそれから先どうなるのだろうか。ちょっと、気になる。

【VERIVERY】『Face Me』を聴いてがーっと考えたことつらつら。

VERIVERYのカムバックにワクワクする私。

 

VERIVERYのカムバック当日、アルバムを一通り聴いて体調が悪くなる私。

 

こういうことが、多々あります。あれですね、完全にキャパオーバー。脳みそが情報を処理するのを拒否している証拠。動悸がして吐き気がして頭がぐるぐるしてくる。こうなったら横になったほうがいいと思います。すぐに寝ました。

そりゃあ、誤解を生む表現だなと思っているので補足すると、良くも悪くもドカーーーーーーーーンと感情が動くと体調が悪くなります。例えば本を読み終わってその結末にひどく打ちのめされた日には、一日上の空で過ごすこと間違いなし。

ということはですよ、VERIVERYのアルバムを聴いて「良くも悪くもドカーーーーーーーーンと感情が動いてしまった」ということだ。そういうことになります。何故でしょう。

 

落ち着いて改めてアルバムを聴きながら考えていたのは、「Photo」「Lay Back」と「Paradise」「Curtain Call」「Moment」が自分の中でうまくつながらないということ。1つのアルバムで全ての楽曲がうまくまとまることなんて難しいと思うのですが(私自身そんな風に聴けたアルバムは無い)それでも想像力ならぬ妄想力で無意識に繋げて聴いてしまうわけです。2集までは自分の中でうまくまとめられていたのですが、今作についてはあまりに断絶が大きい。

「1年間こうしてやっていくよ」というコンセプト、外面的なところと、ここまで打ち出してきたVERIVERYのカラーが詰まった土台との乖離が多分激しいのかなと。今までのVERIVERYらしさと、これからやっていきたい新しいVERIVERYが混在した作品。『Face Me』は私にとってそのような意味あるものになりましたけど、このまとめ方だって初日はできませんでした(寝込んだ)。

リアリティ番組アコースティックギターを一本携えて砂浜で歌った彼らは確かにありのままで等身大な雰囲気を纏っていて、それとは別で砂糖菓子でまぶしたようにキラキラと輝き一瞬の儚さと尊さを示していたVERIVERY(Ring Ring Ringはそんな風に聴いてました)。最初から乖離があったんだな、そういうグループだったのは多分わかっていたけど、今作で痛みを伴う感情を私にもたらしました。

 

なんか、すごく、つらいのだけど。何故!?!?

『Lay Back』はなかなか難しそうな曲だなぁ…と思うので、せっかくつけてくれた日本語訳を表示してMVを見ながら考えたいと思います。

 

いや〜VERIVERY、面白くなりました。元々面白かったけどさらに。一見そんな風に思われないかもしれないけど、噛みごたえ抜群なグループだなと思いました。

 

個々の曲もそれぞれ気に入っているので感想を書きたいのですが、それはまた後日。何故『Paradise』が3曲目なのだろう…?って思ってたのですが、良い曲だなぁ。これを使っちゃうのだものな…すごいな。コーラスとかめちゃめちゃ綺麗ですよね。あとこの頑張らなくていい感じが本当に救い。

 

【動物】ダチョウ可愛い

 ダチョウ可愛い。

 飽き性であることを自覚しているのですが、飽き性、まあ色々なことに関心があって(多分)関心があることに関してはフットワーク軽め(多分)ってのは多分良いことなのでしょうが(多分)、自分への信頼をぼろぼろと失いやすいです。あんた、あんなに好きって言ってたじゃない…、という自己ツッコみを毎日毎日しているとそりゃあ信じられなくなります、私は私を。そういうもんなのでしょう。自分の自分に対する信頼は置いておいて、本当に損ねちゃいけない部分(主に仕事のところ)で気を付けていれば、まあ良しとしよう…ということで日々生きていますこんにちは。

 

 そういえばダチョウが可愛いです。

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 とっても。

 なんというか。まず鳥だからか知らないけれど、でかめの図体に対して顔があまりに小さすぎる。超小顔。そしてこれは写真を撮って家に帰ってから見なおして気がついたのですが、頭がちょっとふわふわしてません?なでなでしたい。ふわふわ。なでなで。そして目。動物で言えばキリンの目もとても可愛い麗しき目をしていると思っているのですが、

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 本当に、こう、可愛い目してますよね。私人間でこういう色っぽい目をしている人がいたら心奪われるのではないかというぐらい、ドキッとする目。あとはシマウマの目とかも好きです。でも、

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ダチョウも負けてないと思うのね。

 

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なんでそんなに首が長いのだろう、って思うわけですが

 

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可愛い。

 

 この可愛さをぎゅっと表現できているぬいぐるみがあったら、即購入なのですが、ネットの海を漂流すること10分、いまだに見つけることはできていません。茨城県にはダチョウ王国という名の謎のテーマパークがありますが、そこに行く頃にはこのダチョウ熱が収まっているような気もしたので、この場を借りてダチョウ可愛いということを書かせていただきました。

 

 そういえば動物園でダチョウの卵を持たせてもらいました(貴重な体験)。ずっしりと重く、人が乗っても壊れないそうです。丈夫ですね。これを書く時点で私は来年の干支を知らないのですが、来年は酉年でしょうか?え?子年?カピバラさんの写真でも撮っておくのだったな…残念。

 

 

【IU】私もパレット持ってるわ/IU『Palette』

I like it. I'm twenty five 

 別に初めて聴くわけではないのに、この歌詞に衝撃を受けたのは今年最後の出勤日、仕事納めのきりりと寒い朝のことでした。

 いつのまにか25歳どころではなくなってしまって、まあそのこと自体は「そういうもの」だし別に構わないのだけれど、なんだろう、この衝撃。私は何に衝撃を受けたのだろう。そう、そこに焦慮とか自虐とかが一切ない、ごく自然にぽつりと出てきてしまった「私はそれが好き」で「私は25歳」だから、私は多分衝撃を受けたのではないか。だって、私が自分の年齢について言及する時は余計なものがどうしても絡みついてしまうもの。

 同い年の旧友たちと集まるとき、どうしても人生の話題になってしまう。仕事の悩み、結婚・出産、そのうち子育ての話題になるかもしれないけれど、私は自分が明確な人生設計を描いていない分それらの会話についていけなくて複雑な気持ちになる。私は、年齢よりずっと幼く未熟なのではないか(だとしてそれがどうなる?という自己ツッコみもあるのだが)私は他の人よりずいぶんと「遅れている」のではないか。そういうことを考えながら、IUの『Palette』を聴く。「Hot Pinkより濃い紫の方がもっと好き」と私も言いたいよ。あなたたちとそういう話がしたいよ。それが幼いということなら大人になんてなりたくないよ私、って思ってしまう私はやっぱり幼いのだろうか。

 幸いにも、私は学生時代より社会人になったほうがずっと息がしやすい。私の人生、まだ始まったばかり。と、まあ甘いことを言っているが、本当に、年々ちょっとの新しいことができているような気がして楽しかったりする(落ち込むことも当然ある)。

 色んな人の人生があって、それらと自分を比較して、モヤっとしたとして。そういうときはこの曲を聴きたい。「私、こんなことあったよ」「こんなことしているよ」という土産話ができなくても(あんまりそういうことが上手く伝えられないし他の人の話を聞いている方が圧倒的に楽だ)私には好きなものがあって感動したことがあって嬉しいことがあって(それと同じくらい悲しいことやわからないことがあって)何もないわけではないことを、思い出したい。

 

 

【写真】また一年生きるためにフォトブックを作る

 覚えていますでしょうか。私は覚えていたんですよね…奇跡的に。飽き性の極みである私がこの一年続けられたことが1つあって、それがつい先日届きました。フォトブックであります。

 

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 いや~~~~うれし~~~~。2019年と2018年と、実際大した状況の変化ってのはないのですが、それでもなんだか重みがあるというか、写真でぱっと可視化できると本当に違うのですね…。とても忘れやすい人間なので年末は「今年何もなかった…」とメソメソしがちなのですが、多分今年はそんな落ち込みも多少は軽減されるのではないでしょうか。

 最初からフォトブックを作ろうとは思ってなくて、写真だけ現像してそれを自分でアルバムにしようと思っていたのですが、120枚とか一気に入るアルバムはそれなりに嵩張るしフォトブックなら薄く収まるかもしれない?と途中から考え直しました。

 今年私が続けたこと。それは「毎月必ず10枚の写真を選ぶこと」でした。

 

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 こんな感じでパソコンに各月のフォルダを作って写真をぶっこむだけ。大体は自分が撮影した写真です。仮に1月は引きこもっていて、8月はめちゃめちゃ外に出かけて写真を撮ったとしても、絶対毎月10枚というのは決めていました。そうすれば嫌でも写真を撮るだろうと。実際10枚も選べるほど写真を撮れなかった月などもありましたけど、強引に10枚選びました。

 今回は様子を見るということもあり、業界でも安いと評判の「しまうまプリント」を選びました。頼んで1週間しないうちに届きましたけど地域によっては到着まで1週間ほどかかるところもあるということです。

 ほんと誰のためだよ…自己満足だろうが…。ええ!!私の自己満足ですよ!!だってこうでもしないと12月30日とか変にメソメソしちゃうのだもの私。また一年生きないといけないのか…って泣いてしまうから…。「この一年何にもなかったと思ってたけど色々なものを食べたし色々なところいったし色んなことできたよね自分にしては。えらいえらい(頭をなでなで)」したいじゃないですか。

 確かにこのブログもそうだしツイートとかも読み返すことで代替はきく。代わりになるものはあるけど文章って読まないといけないじゃないですか。少し脳みそのエネルギーを使う。書かれたときを一瞬でも頭に思い浮かべないとそのときの感情を思い起こせないような、そういう気がするのですが、写真はマジでパッと頭に入ってくるので楽。

 ということで、届いたフォトブックを開きながら今年を色々と振り返っていました。

 付箋にコメントを書き込んでぺたりとそのページに貼って、また数日後、一週間後、半月後、一年後、読み返すときに「撮られたときのこと」「それをある地点から振り返ったときのこと」「その二つを改めて振り返るときのこと」と幾層にも分けて楽しめたらいいな、という気持ちです。本当に横向きにぺりりと剥がしたら付箋って「てろん」ってならないのですね。

 

 私の場合は「写真を撮ること」=「外に出ること」でもあって、今年は自分にしては様々な場所に出ることができたと思います。来年は出るだけでなく、なるべくいろんなものを持ち帰られるように出来たらいいなと思います。あわあわしちゃって結局そこで自分が何を考えたとかそういうこと忘れちゃうので。

 充実感もあることながら、逆に充実感があることで「2020年またこんな風に楽しめるのだろうかメソメソ」というもうネガティブ気質な人間です。とてもめんどうくさい。生きていりゃ何かはあるさ!!!という気持ちでまた写真を撮っていけたらいいなぁと思います。あまり深く考えずまずは楽しく撮ることが大切ですね。最終的に現像する/しないは関係なく。

 

 ただ、これを書いていてあれですが、文章を書くなり写真を撮るなり、どこか妄想というか思い込みというか編集というか、そういうものから切っても切り離せない感じがしていて、自分の中の自己編集能力が暴走しなければいいな、とかも思っています。何かについて語ることは、何かを確定させることではない。それは(仮)でしかなく絶対的なものではないということ。この文章だって(仮)でしかなく、忘れないようにフォトブックの方にも付箋でコメントしておこう!と思いました。選ぶということは、そこから零れ落ちてしまったものもあるということで、それを含めて私の2019年だったというのに。