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根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

恩田陸『きのうの世界』を読みました

 恩田陸さんの『きのうの世界』を読みました。

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 読みながら、ハラハラドキドキ。じっとりと手に汗を握る描写の数々を存分に楽しみました。やっぱり私は、恩田さんが書く物語が好きだ。 

 

 小説の内容に踏み込まず、この物語の感想を語るとすれば。

 やはり様々な登場人物たちの価値観を知るのがとても楽しい、ということでしょうか。これはストーリーの内容とは全く関係がありません。強いて言えば、私が恩田陸さんの小説を好きな理由の1つです。

 『きのうの世界』ではとにかく色々な登場人物が出てきます。そして章ごとに視点であり語り手でもある人物も変わります。高校生の視点もあれば、おばあさんの視点もあります。駅員さんも視点もあります。会社員の人の視点もあったかな。ストーリーとして見事かそうでないかは全く別に、私はこれら「登場人物たちの内的世界」を知るのが好きなのです。その人の癖だとか、価値観だとか、記憶だとか、とにかくその人が思っていることをたくさん知りたい。恩田さんはその描き方がとても豊富であり詳しい。作家さんは皆そうだと思いますが、恩田さんは特に想像力豊かな方なのかなと勝手に思ってしまいます。

 さらに、この小説ではたくさんの登場人物たちが「交差する瞬間」があります。一人の人間の内面に迫ったうえで、次の章ではその人物を遠くから眺める人の視点になったり。

 私は自分が他人からどう見られているのか、過度に考えすぎないよう、かといって客観的視点は常に手放さないよう心がけていますが、自分が他人からどう見られるのか真剣に考えると、ちょっと狂ってしまいたくなるくらい恐ろしいことのように思えます。読者はある意味で「物語世界の神」のような視点を持てますから、色んな人の頭の中を見れることはある種の快感と共に背徳感も生みますね。

 

 ということで、本題に入ります。

 『きのうの世界』を読んで、こんなことを私は感じました。

 あらすじ

 文庫の上巻背表紙にある文章を引用します。

上司の送別会から忽然と姿を消した一人の男。一年後の寒い朝、彼は遠く離れた町で死体となって発見された。そこは塔と水路のある、小さな町。疾走後にここへやってきた彼は、町の外れの「水無月橋」で死んでいた。この町の人間に犯人はいるのか。不安は広がっていく。

 

①失踪した男は、遠く離れた町で死体となって発見された

②その男は突然失踪した

③男はどうやらその小さな町のことを調べていたらしい

 

 はっきりと提示されている事実は3つぐらい。

 それ以外の、なぜその男は突然いなくなったのか。なぜ町のことを調べていたのか。なぜ死んだのか。なぜ町外れで死んでいたのか。それは全くわかっていません。読者は関係する色んな人の視点に立ち少しずつ隠された真相を知っていく。そういう物語です。

 読者が真相を解き明かしたい!と思っているのなら、それは難しいと思います。それなら他のミステリ小説を読んだ方がいいでしょう。この小説の醍醐味は、至る所にちりばめられた「行為」や「現象」の裏にあるものを知ることそのものです。

 

面白かったところ

 説明できないものは怖い

 最後の最後、人が亡くなった事件の真相を含め色々な謎が明らかになる直前まで、この物語はとにかく不安になります。とっても怖い。気味が悪い。「3つの謎めいた塔」「丘」「水路」「殺人犯がいる?」「お互いがお互いを監視しているような閉鎖的な地方の町」「もう1人の自分」「たき火の神様」などなどなど。人智を超えた何かの存在を強く感じるのです。特にたき火の神様。人は説明ができない物事については不安になるし恐怖を感じるのだなぁ、と思いました。説明されてしまえば、全然なんてことないのですけれど。ということで、未読の人は未読の人なりの怖さを味わってほしいし、真相を知った身としては、もう一度読みなおして「ああ~これはこういうことなのね」という楽しみ方ができます。

 

 あなたの間違い

 この小説は、こういう文章から始まります。

もしもあなたが水無月橋を見に行きたいと思うならば、M駅を出てすぐ、いったんそこで立ち止まることをお薦めする。

 第1章は、水無月橋で起こった事件を調べに小さな町にやってきた「あなた」が視点です。その町に来たことがない人が、いざ足を踏みいれたとき町に対してどんな感覚を抱くのか、丁寧に追っていきます。「あなた」の目線になる章はいくつかありますが、文庫本の下巻にあたるパートでは上巻で貫いてきた「あなた」という表記がなくなり、「あなた」の名前が明らかになります。

 読み手である私は、下巻になりそこで自分がある勘違いをしていたことを知ります。私は最初から「あなた」=男性だと思って読み進めていくのですが、実は「あなた」は女性です。それがまず衝撃。実際その人が女性であるのか、男性であるのか、あまり意味はない気がします。しかし、重要か重要でないかはさておき、この「勘違い」、私はとても大切だなと思ったのです。

 私が勘違いした理由は、「あなた」の語り口がとても「男性的である」と感じたからでした。見知らぬ土地ながら「あなた」はとても落ち着いていて、自分が次に何をしなければならないのかきちんと考えながら歩いているような印象を受けたのです。これが勘違いを生み出そうとした作者の意図なのかどうかはわかりませんが、この勘違い、物語を読み終え咀嚼していくと、あながち無視ができない。

 

 この物語では色々なことが提示されていると思うけれど、その1つに「世界の変容」というテーマがあると思うのです。

 

 わかりやすい例えで言えば、「あなた」の性別の問題。

 私はてっきり男の人だと思って読んでいたけれど、「あなた」が女性であると知った今、作中の「あなた」の描写は、てきぱきと町の中を歩くしっかりした女性の姿で脳内変換される。これを知る前に戻すことはできません。まさしく知った後の世界は知る前の世界とは変化したものなのです。

 他にも物語終盤になるにつれて、自分が認識してた「小さくて」「ちょっと不気味な町」の様相は変化していきます。その過程が謎解きっぽいと言われればそうなのかな。あとは変死した男性の真相についても。男性の視点で語られる視点は、今まで不可解に思えた出来事(例えば突然蒸発してしまったこととか、人が寄り付かない「丘」に住んでいることとか、町の人が不審がっていることにも臆さない姿勢とか)の真実が見えてきます。あーそういうことね、と、ある1つの「世界」の認識が変わる瞬間。これって快感なのかもしれません。

 

 またもや「おしゃべり」

 色んな登場人物がそれぞれ思いのままに「私はこう思うの」と語ってくれるのが楽しいです。個人的には、町に住む高校生・田代青年の「たき火論」面白かったです。たき火とは渋い趣味だと思いますが(作中でも指摘されている)そういう「心を空っぽにする時間」ってが大切に思える感覚は私もわかります。あとはキャラメル中毒である「あなた」も、何か良い。こういう個人の病的な傾向って気になるものです。ガムでもなく、飴でもなく、キャラメルってのが良い。

 

 

感想まとめ

 とても読みごたえのある物語でした。ちりばめられた謎のすべてに完璧に答えられた、とは言えないけれど、それ以上の不気味さ(およびその不気味さがある瞬間霧が晴れるがごとくすっきりするところ)とそれぞれ個性をもった人々の視点で語られる情報量の多さで、私は十分満足しています。文庫本上下巻で2日ずつ、計4日ほどで読めた、疾走感ある読書体験でした。

 おすすめはしないけれど、「この本好きなんです」という人とトコトン内容について語り合いたい。そういう小説でした。