根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【関ジャニ】『純情恋花火』の存在を思い出したら瘡蓋が剥がれた話

家には諸般の事情で関ジャニ∞のライブDVDが色々な回あるのだけれど、その中でも『純情恋花火』が入っているDVDをひっつかみ再生する。(KANJANI'S EIGHTERTAINMENT JAM)

多分選んだDVDのライブに参戦したと思うのだけど(会場は別ですね私は東京公演でした)この曲はそれはそれは印象に残っていて(ライブで初めて聴いたのだ)アンコール一発目、それぞれ浴衣に身を包み中央のステージから登場したメンバーはとてもかっこよかった。横一列になって歌うのもよかった。演出もよかった。

この曲は好きか嫌いかと言えば「好き」だけど、私の中で微妙な引っかかりを残す不思議な曲でもあり、それについては多くは語らない。こう無条件に「好き」と言ってはいけないような、そういう引っかかりが、ある。まあ、好きなんだけど。好きなんだけどね。

安田さんはまだサングラスはかけず代わりにメガネをかけているし、すばるさんも錦戸さんもいますよー、二人の掛け合いたまらんよー、関ジャニは7人いるよーーーーーー、と思いながら見る。何度も何度も、こればかり。2時14分くらいに戻せばエンディングで一旦ステージから下りるメンバーが見られる。

花火というキーワードも相まって、なんだか感傷的な気分になる。私は別にエイターではないのに。関ジャニ∞だけでなく、すべての「アイドル」に思いを馳せる。

 

基本的に「覆水盆に返らず」には抗うだけ無駄だろうと思っている。抗っても疲れるし疲れる割には水は元に戻らないし。もちろん悲劇を起こさないために今できることに尽くすことは必要なのだけど、手を尽くしても尽くさなくても、結果的にそうなってしまったことは事実として受け止めよう。そしてそこにある種の「可笑しさ」を見出さないと人生やってられるか、とある時思った。「fun」じゃないですよ「interesting」です。

だから、まあ、私はエイターじゃないし、だから、関ジャニが今は5人で活動しているってことも別にいいじゃないかと。それはそれで前向きに捉えて生きていこうよと。そんな詳しく知らないのだしさと。

なのに。

何故こんなにもセンチメンタルな気分にさせられるのか。

 

アイドルとは刹那的で、花火のよう。一瞬の光はとてつもなく眩しくて美しいけれど、それは永遠ではない。でも火花が散ったその瞬間は永遠だった。だからかくも美しいのだろうか。そんなことをとりとめもなく考える。

そして私は今何回もこの一瞬を再生できる。その後ろめたさたるや。一瞬なら一瞬なりに散ってくれればいいのに。思い出して、それを容易に近い形で再現できるなんて、そんなの悪趣味だ!(と言いつつライブDVDを何度も見る)

楽しかったら良かったな~~~笑顔がせめて無理していないものであったならいいな~~~と、寄ったカメラが切り取るアイドルの顔を見ながら思う。金髪のたっちょんは控えめに言っても惚れるしかないですよねまったく。

アイドルは、永遠じゃない。私も変わるしアイドルも変わっていく。進む方向も価値観も異なるたくさんの人たちが交差した一瞬を消費しているのだと思う。

変わることには抗えない。だからその時を大事にしなければいけない。わかっているのに、永遠の夢を見てしまうのは人間の性なのでしょうかね…。

『純情恋花火』ってのは私の瘡蓋であって、忘れたころになんだかムズムズして掻き毟って剥がして鮮血がじわっと肌に滲んでしまうことの繰り返しなのでした。そしていつまでも瘡蓋のままであって欲しい。

きっとそのうちなんとも思わなくなる日が来る。それもまた「私が変わる」ということなのだけど、その日が来るのはまだ早い。