根津と時々、晴天なり

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【読書】十二国記シリーズが好きという話

 十二国記を読んでいる。

 

繰り返し読んでしまうということ

 現在最新刊『白銀の墟 玄の月』再読中。まとめながら読んでいるのであまり進まない。加えて家の床に乱雑に十二国記シリーズの文庫をばらまいていて、気が向いたときにそれらを手に取って断片的に読むものだからますます進まない。この前もいつの間にか『図南の翼』の最後の方を読んでいた。

 時々そういう読み方をしてしまう作品があって、例えば漫画『3月のライオン』も永遠と第1巻を読んでいたりして、そういう私的「何度も読むことに耐えられる作品」ってのはあるみたいだ。このモードになると、面白いとか面白くないとか関係なくただコマを追い、文字を追うことが快楽になっていてそれもそれでどうなのかなーと思うところはある。「十二国記シリーズ」も『3月のライオン』にも共通しているのは描写の細かさに伴う情報量の多さなのかもしれない。何回も読み直すことで発見があったりするのだ。

 

十二国記との出会いと熱

 十二国記との出会いは大学生の時で、先輩に薦められて読み始めたことがきっかけだったと思う。以来少しずつ読み進めていき、少しずつ好きになっていった。多分今が一番好きなのだけど、はて、それはどうしてなのだろう?

 昨年2019年に「18年ぶりの新作!!!」として刊行された文庫本全四巻に及ぶ超大作『白銀の墟 玄の月』の興奮がやっぱり「好き」を加速させたに違いない。昔の私はこれほどまでに十二国記を好きだったわけではないのだから(もちろん当時から夢中になって読んだ本はあるけれど)。

 ここまで好きになったのは、十二国記はひたすらに「人と人との関わり合い」を描いているからであり、わかりやすく言えば「私は「仲が良い人たち同士の気安いコミュニケーション」を眺めるのが大好きだから」である。戦隊ヒーロー、アイドル、そして十二国記。一見バラバラに思えるコンテンツに魅かれる理由。仲が良い人たちを見ていたい。一体ここには何があるのだろう?ここでは考えないけど、まあ、何か出てきそうな予感はある。

 

解釈違い

 世の中には「解釈違い」という言葉がある。意味としては「アニメや漫画のキャラクターに対して、見解や行動に対する解釈が違っていること」という感じだろうか。

 私はこの「解釈違い」というのは、二次創作の場においては発生しうるかもしれないが、原作に対しては発生しえないことだと思っているところがある。あらゆる創作物において、受け手は一旦それを認めなければならない。提示されたものを引き受けそこから始めなければそれは物語を読むことにはならないだろう、と思っているのだ。

 18年ぶりに出た新作。私は十二国記という物語を作り上げることはできないし、その物語の結末を変えることもできない。この物語の中で生きる人物たちが行き着く先を制御することはできないという「どうしようもなさ」。すべての物語に敬服せざるを得ないという感覚が、最近は無性に良いなと思っている。どうしてなのだろう。凧のように風に翻弄されながらどうにか落ちないように維持するのが楽しいからだろうか。

 

好きな登場人物

 きっと読む人それぞれで十二国記のどんなところが好きかは異なるし、その幅も広そうなのがこの物語のすごいところなのだけど、私が好きなのは(今『白銀の墟~』を読み直しているということもあって)

  1. 浩瀚
  2. 英章
  3. 琅燦

 という、並べてみて「あ…」と思う組み合わせである。明らかに願望が入っている。

 この際語れる機会が無いと思うので語るとすると、浩瀚さんは

 これに尽きる。「三十前後で怜悧な顔つき」と形容された容貌。一体どんな人なんでしょう。勝手にめっちゃかっこいいと思っている。「浩瀚」という言葉は「その本を構成する総ページ数が多いこと」という意味の熟語でもあるのだけど、今のところ浩瀚さんがめちゃめちゃ読書家とかそういう話は聞かない。だけど頭が良い人なので確実にたくさん本を読んでいる。好き。このツイートでも触れた通り、お説教シーンでは「王様に反逆した臣下に対して同情の余地はありません」ということに対する理由付けが半端ない。6つくらい理由を用意していて長々と講釈してくださっている。好き。仕事量が凄まじいのにへとへとになってなさそうなタフさもすごいし臣下からの信頼も厚いし浩瀚さんはすごいぞ。

 英章さんは気難しい皮肉屋で素直じゃないし人の褒め方も下手すぎるけれどそこが人間ぽさが滲んでいて好感を抱くし、そのくせ主上と仰ぐ驍宗強火ペンなのは本当に可愛い(驍宗麾下はみんな驍宗にメロメロすぎて心配になるほど)。『白銀の墟~』で散開する直前の台詞は痺れる。めちゃめちゃ悔しくて心底怒っている気がするのに物言いは飄々としている風が。あと英章麾下がちゃんと英章さんのこと好きなのが好き。

 琅燦も飄々としているところがいいな。それにいまだに謎めいているところが。「琅燦てめえ…」とは不思議と思えず(←まあ好きだからなのだけど)琅燦の理があったとしてそこに共感することができるとも思えないのに憎めないのが面白い。博識で他人の言動で簡単には揺るがないのに、道理は重んじるから自説に固執するわけでもなさそうなところがいい。

 

 十二国記は一巻で完結しているといえばしているような気がしていて、この先またどこかで新しい話に出会えたら嬉しい。なんにせよこの物語に終わりはないわけで、それならばどのように向き合うかは私次第であるような気がする。慶国の行く末はどうなるのか。雁国が終わるときはどうなるのか?超長寿国・奏国の終わりはちょっと見てみたい。芳国の麒麟が生まれないとは一体どういうことなのか。柳や舜はどういう国なのか。そこに十二国がある限り、探求は尽きない。そういう物語に出会えて幸せだと思う。

 

 何度も言う。「初めて」が羨ましい。初めてこのシリーズを読んだときの自分に一時的に戻れるのなら戻ってもいいかもしれない。そうしてこの物語の世界のあらゆることに驚嘆し感動したい。でも私はもう十二国記を知ってしまっている。それが寂しいなと思う。

 

 みっちりと構築された壮大な世界観に没入できることの快楽。見知らぬことばかりで、読んでいけば読んでいくほど十二国の世界で新たな発見がある、冒険のような体験。まだしばらくは楽しめそうな気がしている(何せシリーズ全作読み直そうと思っているので)。

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)