根津と時々、晴天なり

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【物】ポータブルCDプレイヤーを買った

 何を思ったか、ポータブルCDプレイヤーを買いました。

治野 on Twitter: "何を思ったか、この時代にポータブルCDプレイヤーを買ったんですけど、想像以上に面白くてそのうち文章書くと思います" / Twitter

 何を思ったんだろう、自分でもわからないですけど。買って最初は「デジタル音源となんか音色が違う!」でテンションがバリ上がってたんですけども、現在はむしろポータブルCDプレイヤーとしての有限性みたいなものに助かっている、という感じです。前者の感想を書こう書こうと思って文章を書くこと自体をずるずる伸ばしていたので、後者メインで書いていこうと思います。

 

 といっても、音色の違いは明確にあると思う。CDの方が前と後ろがわかる感じがするのです。私はそれを立体的と表現しましたが、なんだろう、人形劇の背景で後景に城、前景に森があるとして、城と森はそれぞれ違う厚紙で作られているんだろうな~というのがわかるのに近しい立体感。聴き込んだ好きなアイドルの楽曲が、また違う質感で聴けるってのは単純に楽しかったです。わいわい。

 さて、後者のポータブルCDプレイヤーとしての有限性みたいなものについて。最近の私は専ら机にポータブルCDプレイヤーを置いて、有線のヘッドフォンを繋げて、アニメ「チェンソーマン」(未視聴)のサウンドトラックを聴いています。本当はもっと他にもサントラのCDがあるはずなんですけど、見つからないので手近にあったチェンソーマンのを聴いています。それを聴きながら作業、ってのがスタイル。これがいい。

 私は結構、気に入る、気に入らないにこだわるときりがなくて、今の自分の気分に合う音楽というのを探そうと思えばいくらでも探せてしまいます。Apple Musicを普段利用しているので、際限なく音楽を探し、聴き、やっぱり違うなとスキップする。気分に合う音楽を見つけることが目的になり、結局何をやりたかったんだ自分?となる始末。不毛だな~と思っていました。楽しいですけども。

 でもポータブルCDプレイヤーは、そのCDで音楽が完結しています。他のアルバムを聴くならCDを入れ替えなければなりません。そして、アルバムなら次の曲に送る、ということもできるけれど、物理的に早送りボタンを押すのがなんか面倒なんですよね、スマホなら延々とスキップするのにね。そのようなCDプレイヤーとしての限界が、無限に沸く欲をストップしてくれる。これこそデジタル機器にはないCDプレイヤーの良さだと思っております。音楽に良い意味でこだわらず流しながら聴くことができる。

あれやこれやを好きなときに聴くことができるのは素晴らしいと思います。どんどん新しいサービスが生まれて消えて、私は昔なら実現できなかったことを体験できている。一方で、人間の身体というのは、もうちょいスローな発展の仕方をすると思うのです。例えば、たくさん音楽を聴けるようになった、それをデジタルで聴けるようになった、じゃあ音楽を聴くという行為、その質は向上したのかな、時々わからなくなります。気に入ったサントラを(それこそApple Musicで聴けるのに)ポータブルCDプレイヤーで聴くことは、体験として結構重みがあって良い感じです。ポータブルCDプレイヤー、今のところ、買って良かったなと思ってます。