根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【写真】気づいたら水辺の写真を撮っている

 2019年1月からここまで、自分の撮ったものの中から10枚、必ず写真を選んできました。

dorian19.hatenadiary.jp

 2019年から2023年2月まで。ええと、10枚×38か月、で合っているかしら、ということは大体380枚の写真は自分の中で「その月に撮った良いもの」としているわけですね。もちろん、それ以外に何倍もの枚数を撮っているから、そう考えるとカメラというのは丈夫で長持ちしてコスパのいいアイテムなんだなあ。ちなみに私は写真を撮るときはスマホはあまり使っておらず、大体一眼レフか(7年前ぐらいに買った)コンデジです。

 フォトブックはもう作っていなくて、大体100枚ぐらい溜まったらネットプリントに出しています。どうして100枚かというと配送料が無料になるからです。フォトブックより写真という現物がある方が私は好きみたいです。ほんと、カードとか紙とかそういうものが好きなんですね。

 そうして写真が溜まっていくと自分の中の傾向が見えてきます。何を被写体として選ぶか、その中から何を好むか。結果、以下のように大別できそうです。

  • 水辺(川、海、湖、池ほか)
  • 食べもの(ラーメンが多い)
  • 植物

 中でも、水辺の写真は本当に多くて、仮に水辺を目的地としていなくても行先でふらふらと吸い寄せられるように水辺に向かってしまいます。そして写真も撮る。毎月水辺の写真が一枚はあると思います。(他で載せているものと重複するかもしれないけど)

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんか、QOLが上がった気がする!テンションが上がる! 多分なにかしらの効用があるのでしょうね、私はよく水辺の写真を撮っています。

 私は自分の撮った写真を具体的な他人に見せたことが一度もなくて、写真が趣味だとも思っていない。大晦日に「この一年何もなかった(しくしく…)」と思わずに済む、その為に撮ってます。

 ただ、写真を撮るというのは、書店で本を選ぶことと似ている気がします。自分の外側にあるものに関心を持つという点で。あまり自分の内面を掘り下げないようにするのはメンタルを安定して保つには悪くないことなので、気持ちよく写真を撮れているとコンディションは良いのかなと思います。写真の稚拙なんて気にしたことがないし、良い写真を撮ろうとも思っていない。そう考えると、今まで結構いい感じに写真を撮れてきた気もして良い気分になります。これからも同じように。

 にしても、一日は一足飛びに過ぎてはくれないから、写真を撮りたくても時の流れがついていかないもんですね。体力も同じく。私は遺書というものは明確に書いたことがないですけど、そして死んだ後のことなんて興味がないですけども、もし燃やされるならプリントした写真も一緒に燃やしてほしい、かなあ…。具体的な情景を想像するとなかなか気味が悪いかもしれない(私自身はその気味悪さを感じることはないでしょうけど)。死ぬ前に自分で写真はある程度始末した方がよさそうだ。

 写真は視点、言うなれば私の限界。これからも気の向くままに撮るけど、もうちょっと色々な被写体を撮れるよう、自分を変えていきたいなと思う次第です。