根津と時々、晴天なり

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【アート】ゲルハルト・リヒター展に行く

 表題の通りです。東京国立近代美術館で開催しているゲルハルト・リヒター展(会期:2022年6月7日~10月2日)に行ってきました。

 ゲルハルト・リヒターとは、という話は、公式HPをご参照。

richter.exhibit.jp

 私は事前知識なしで飛び込みましたが、かなり楽しめた展覧会でした。その証拠に図録も買っちゃいました(へへへ)。お値段それなりにしたけど、でも後悔しない。全然後悔してない。

  • 色彩が豊かだったところ(色がはっきりしてわしゃわしゃしているのが好き)
  • 作品の構成(順路が特になく訪れた人は自由に内部をめぐることができる)
  • リヒターというアーティストの掲げるテーマについて彼の様々な作品を通して考えることができた
  • 作品がでかい(小さな作品から大きな作品まで様々。スケールが大きいと圧倒される)

 そういう意味では、図録にも書かれていたリヒターの作家性みたいな話に通じるような「自由」な展覧会だなと思いました。写真も基本的にはOKの展覧会です。

 私のお気に入りはいくつかあるけれど、入口入って右側にある「鏡、血のような赤」という顔料とガラスの作品でした。それこそ血のような赤でした。鏡って(あるいはガラスって)欠片に触れると肌を切って血が出るものなんですよね。

 あとは、めちゃめちゃ素朴に「作品があるっていいなあ」と思いました。芸術家は作品があるのですよ、羨ましい。私も何か作りたい、と思ってしまいました。

 本を薦めるのが難しいように、映画を薦めるのが難しいように、あらゆる作品を薦めるのがとても難しいと感じる私ですが、行ってて楽しかった展覧会でしたので現代アートが好きな人はぜひ(私は忘れないうちに図録に感想を書き込んでいます)。

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絵の写真を撮るということ

 これは愚痴というか恨み言というか、途中からは集中しすぎて音も気にならなかったのでいいですけれど、この展覧会は写真撮影可能な展覧会です。

 スマホのカメラだとシャッター音が鳴るので、しんと冷えた室内にかなりの頻度でシャッター音が鳴り響くのが気になりました。この「音」の問題は、ぶっちゃけていえば「私が」対処すれば済む話で、例えばヘッドフォンをするとかでだいぶ気にならない程度まで軽減できた気がする(当日はつけなかったけど)。シャッター音が気になる人、気にならない人の個人差もあるので文句でもなくて、私がなぜこれを書いているのかというと、絵の写真を撮るってどういうことなのだろう、ということを考えるからでした。

 以前別の展覧会に行ったとき、その展覧会も写真がOKだったので、忘れたくない写真は何枚か撮ったのですが、結局後日その写真を見返しても、それはただの絵を見たという記録にしかならなかった。私が写真を撮るのは記録的な目的もあるからそれでいいけれど、私はあの絵を撮ったとき、記録だけでなくあの場の空気感、自分の中に湧き上がる感情みたいなのも撮りたかったのだと思います。でもそれは撮れてないんですね。私の撮影技術がないだけかもしれない…でもそれ以上に、絵を写真として撮っても、実物より勝ることはないのだと、思い知らされたのでした。ということもあり、今回のゲルハルト・リヒター展では全く写真は撮りませんでした。記録としては図説を買えばいい。そのとき感じたことは図説を見ながら後日別の手段で残せればいい。

 あとは、展覧会という空間で鳴り響くシャッター音は、それ自身が作品であるかのような、何かの象徴でもあるような、そんな気配もしたので面白かったです。写真を撮るということはその人の中で何らかの手ごたえのようなものがあったからですよね。シャッター音が人の心の揺れ、そのタイミングを表象しているような気がして興味深かった。逆に言うと、あの空間で「写真絶対撮らないマン」になっていた私は、シャッター音で以て自分の心の揺れを表現することはなかったと(だけど、めっちゃメモとってたのでそれでバレバレだったろうな、恥ずかしいことだけど)。