根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【あんスタ】どう呼ばれたいか、どう呼びたいか

 あんさんぶるスターズ!!を楽しく遊ぶ日々だ。そのうち嫌になってしまう日が来るかもしれないが、とりあえずは今日も明日も楽しく音ゲーをするだろう。

 ふと思うことがあった。

 金曜日だし疲れていたよね。私はよく眠気覚ましにあんスタを叩くってのをやっているのだけど(フルコンボはできない)それに関連してかな、椎名ニキのボイスが流れて、グッときてしまったのだ。姐さん、か…。

 やばくない?

 もう「疲れている」としか言えないんだけど、なんか泣きそうになってしまった自分に動揺して、動揺しつつも頭の片隅にある冷静な部分が思考をめぐらせているのがわかった。なんで自分ぐらっときてしまっているのだろう。どうして。

 で、これ。

 

 あんスタというアプリゲームは、プレイヤーがアイドルをプロデュースする「プロデューサー」という名目でストーリーが進行していく。私はノベルゲームに明るくないから間違っているかもしれないけれど、ときメモとかもそうなのかな? 例えば同じくスマホアプリゲームの『魔法使いの約束』はプレイヤーの性別を選べた気がした。わー-お!と驚いたものであるが、そう、まずはひとつの視点として、あんスタ上ではプレイヤーは女性が想定されている。それが悪いとは言っていない。ゲームとしての設定でそうなっている。

 で「プロデューサー」の年齢も多分設定されている。私は、あんさんぶるスターズ!を遊んでいないので、そのあたりのストーリーをまだ知らない。「プロデューサー」が夢ノ咲学院にやってきたところを知らないけれど、アイドルたちの中で、「プロデューサー」より年上か年下かというのは設定としてあるようだ。○○さんと呼んでくるアイドルもいれば、○○とフランクに呼んでくるアイドルもいる。

 私はゲームで操作するキャラクターに割と自分を投影してしまう人間だ。

 だから「プロデューサー」に言われた言葉はそのまま私に伝わるし、「プロデューサー」がされたことについては自分がされたことのように感じる。同一視とまではいかないが、とはいえ、まるっきり切り離して考えることもできない。設定の時点でもう少し客観的にというか、赤の他人として仕立て上げることも可能なんだけど、名前とか誕生日とか入力させるじゃないですか、名前はまだしも、自分の誕生日とか入れちゃうでしょ???

 そこを分離できる人にとってこの文章は「なんのこっちゃ」というものだろうけれど、私はあんスタのアイドルたちにどう呼ばれたいのか、どう呼ばれるのが一番落ち着くのかということを考えてしまうのだった。

 

 結論から言うと、今のところ一番しっくりくるのは姉さん扱いかなあと思っていて、じゃあ、それってなんでだろうねと考えたときに、一番はやっぱりリアルの私は彼らより年上だからってことに尽きるのだろう。例えば高校3年生の私で、という設定を織り交ぜてあんスタを遊んでもいいだろうけれど、そういう調整、ゲームにおいていちいちしないのだった。

 その上で、もう少しだけ考える。残念なことに「年齢」というのは権威性と何故か相性がいい。これは文化的なものなのだろうか? そのあたりの知識が皆無なのでわからんけど「年上は敬え」的な考えは染み付いている。それが悪いとも言ってない。言葉として尊敬語、謙譲語、丁寧語が存在している時点で決まっていることかもしれない。

 で、じゃあ自分が「ねえさん」と呼ばれるとき、その力関係はどうなんだ? ってのを慎重に考えたいよなあ、ということ。年次で自然と生まれてしまう力関係、すごく居心地が悪い。だから「ねえさん」って呼ばないで、と思う。でも、実際リアルの私と君たちで考えるなら私の方が年上だから「ねえさん」がしっくりくると言えばそうなのだ、ということ。

 この「力関係」ってのはあんスタだけでなく日々考え込んでしまう。フェアであるということはどういうことなのか。フェアを目指すべきなのか。目指すとしたらどのように?

 

 そう、だからノベルゲームの構造上、リアルの私ではなく、操作キャラ(あんスタなら「プロデューサー」)がインターフェースであることは仕方のないことで、他ならぬ私がどう呼ばれたいのかまで介入することはできない。でも、呼び方の制約はない。藍良ちゃんって勝手に呼んでるし、鬼龍さんって勝手に呼べる。本来なら、リアルな応答の中で、相手が私をどう呼ぶのかも、私が相手をどう呼ぶかも、私が相手にどう呼ばれたいかも、相手が私にどう呼ばれるのかも調整することが可能なのに、それができないということ。微々たる違和感はゲームを続ける限り拭えないのでしょう。ちょっと、ゲーム操作キャラと自分を一体化しすぎじゃないですか? という自己ツッコミはありますよ。そこは常に考えている。果たしてどういうスタンスで臨めばいいかずっと考えている。同一視することの危険性も考えているし、流石に「夢」が現実だとも思っていない。

 ああ、天満光に「○○ね~ちゃん」と呼ばれることに違和感はないけど、光くんから「○○!」って普通に呼ばれたい人生だった。鉄虎くんも同様だった。呼ばれたい呼称と若干違う、そういう違和感を抱きながら、今日もたとたと音ゲーをする(椎名ニキは多分年齢がどうであっても○○姐さんって呼ぶ気がしてきた)。

 

 あと、私は女であるし女であることに違和感はない。だから抱かなくて済む違和感があるのかもしれないとも思っている。あんスタを遊ぶ男性は「プロデューサー」としてどういう感じで遊んでいるのですかね。気になるなあ。プレイヤーのジェンダーによってゲームを遊ぶ際の見え方はどのように変わるのだろう。まあ、最終的にはジェンダーに限らず三者三様ってことになるのかな。

Honeycomb Summer