根津と時々、晴天なり

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【あんスタ】人生は舞台なのです/fine「The Tempest Night」

 あんスタ好き曲シリーズ、これで6曲目となります。

 今回はfineの「The Tempest Night」です。

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 The Tempest Nightの何が好きって、まずはサビの歌詞ですね。

嵐よ!吹き荒れてしまえ

自由という衣装になった

風を纏えば

天使や悪魔や何にだって

望んだ姿になれるんだ

花が咲くように

 なんだろう、独善的で、なりふり構わない荒々しさをバラの花束でそっと隠しながら誰かにプレゼントする、そんなイメージ。あくまで華麗に優雅に舞うという、fineの胆力に慄きます。この曲fineほど歌いこなせるグループがあるのだろうか。ないだろうな。

 人生はShowなのだと。「本当の自分」なんてものはなくて、どれも虚構虚構虚構。だからこそ私たちは望む姿になれるんだという、好きですねえ。元気になります。

 ちょっとアプローチは違いますけれど、「思うまま遊戯のように生きていくんだ」という歌詞から「遊びをせんとやうまれけむ」という言葉が浮かびました。

 「遊びをせんとやうまれけむ」は、後白河法皇が編纂した『梁塵秘抄』に入っている歌「遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんとや 生まれけむ 遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さへこそ ゆるがるれ」の一節であり、大河ドラマ平清盛』のOPソングにも出てくる言葉(肝心のドラマは見てないのに、このOPが好きで好きで…)。

 この歌の意味は「遊びをしようとして生まれてきたのであろうか。あるいは、戯(たわむ)れをしようとして生まれてきたのであろうか。無邪気に遊んでいる子供のはしゃぐ声を聞くと、大人である私の身体までもが、それにつられて自然と動き出してしまいそうだ。」とのこと。だから、The Tempest Nightの趣旨とは異なります。

 けれど、まあ、軽やかに生きていきましょうよと。子どもの頃はみんな取り繕わず生きてきたじゃないですかと。社会性みたいなものにがんじがらめになって、絡まった糸を振りほどくことはできないけれど、本音を隠し虚構の仮面をつければ色んな私になれますよーと。そういう誘いのようなものにわくわくします。

 人間のことを気軽に「わかる」とは言えないのは承知で、それでもあんスタに登場するアイドルたちは「ちょっとこの人の感覚わかるな~」という人もいれば「まじでこの人のことわかんない」という人もいて、まだまだストーリーを読みこめていないせいもありましょうが、私は日々樹渉のことがわかりません。正確には、日々樹渉の価値観のようなものはうっすらぼんやりわかるけれど、私にはその欠片がない。日々樹渉を構成する要素が自分にはあんまりないような気がして、そういう意味で彼のことがわかりませんが、でも日々樹渉らしさが自分にはないからこそ惹かれるという。だから日々樹渉が生き生きと歌い踊るThe Tempest Nightが好きというのもあります。管楽器がぶいぶい鳴っててジャズっぽい?とこも好きです。楽しい曲だよなあ…。

 

 あんスタは歌詞も読みごたえがあって、素敵なフレーズをたくさん見つけられるのも楽しい。 

 

あそびをせむとやの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典

 

The Tempest Night