『ふたりの距離の概算』で折木は大日向との出会いをこう回想する。
「いいんですか? まだ何も説明してないんですが」
「いいんです」
そして俺と千反田を順番に見て、また笑う。
「なんか仲良しオーラを感じるんで。あたし、仲のいいひと見てるのが一番幸せなんです」
それについて俺が何を言ったかは記憶にない。
大日向のように「一番幸せなんです」とは言うまいが、私も仲のいい人たちを見ているのが好きだなあ、と思う。そう思った「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」ドン12話であった。正確には、ニチアサスーパーヒーロータイムの終わり、喫茶店「どんぶら」にて、仮面ライダーリバイスとドンブラザーズの五人がわちゃわちゃ揃ってるシーンを見て思った。私、誰かが仲良くしている図を見ているのが本当に好きだ。
どうして好きなのか。好きに理由はあるか? ない。
それでも言葉をひねり出すなら「みんないい顔しているじゃん」となる。比較的安心でき、かつ信頼できるコミュニティに居場所があるとき、人はいい顔をするし、己の能力を存分に発揮できる。その人らしい立ち振る舞いはどう考えても綺麗だ。人間こうあるべきだと強く思わされる、それだけの説得力がある。
私は昔から戦隊ものが好きでよく見ていた。ライダーも好きだけど、ライダーとは違う良さがあるとすればそれはやっぱりわちゃわちゃした感じがあるか、ないか、だろう。ライダーは基本的に孤高の生き物だと思うのだ。
ドンブラ。戦隊ものにしては珍しく、いまだに5人が揃っていないヒーロー。リュウソウジャーも、コウたち幼なじみ三人と、バンバ&トワの兄弟が最初はバチバチ火花を散らしていたから、序盤で5人が揃わないヒーローというのは初めてはないけれど、お互いの素面を認知しないというスタイルのは珍しいし、視聴者としても「いつになったら素顔の君たちが集うのか?」というはらはらポイントが付いて回ってくる(たのしい)。
それが前回(5/15)タロウ、教授、鬼頭、雉野がお互いを認知したので、今回思いがけず4人並んでの変身シーンを見ることができた。尊い。合掌。早く犬塚も加わってくれ。てか、指名手配が解除される日は来るのか。どうするの?
うわああああ、4人並んで変身だ!尊い!!!
— 治野 (@harunote2016110) 2022年5月22日
#ドンブラザーズ
それだけでなく、喫茶店「どんぶら」に4人が揃ってる!お話してる!わちゃわちゃしてる!桃井タロウは嘘がつけない!という、有難い絵。尊い(二回目)。21歳宅配業者と、21歳無職と、17歳高校生と、33歳サラリーマンが、桃井タロウが「嘘がつけない」という問題について喧々諤々やり合っている絵、ありえます? あり得るんだな、それが戦隊ヒーローなら。だから私は戦隊ヒーローが好きなんだ。
そう、現実問題、人間は様々な属性に縛られているものなのだ。属性を解除せよ。解体せよ。しかし、そう簡単にいくものでもない。人間は自身にとって心安い空間を志向する。価値観の異なる相手と目的もなくきっかけもなく交流する機会は少ない。仲がいいのは、きっかけや目的が運よく合致したからだ。現実世界で、屈託なく仲の良い人の集団にはなかなか出会えない。ドンブラザーズは、タロウの言葉を借りれば「縁ができた」関係であり、同じ使命のようなものを与えられた仲間だからこその関係だ。彼ら彼女らが荒野に放り出されてヨーイドン、さあ仲良くなってくださいとなっても、仲良くなるわけではない。
だから私は物語が好きなのだろうな~と思う。人が仲良くなるきっかけ、目的、空間がセットされている。「仲良し」の状態になるまでの葛藤や配慮に思い馳せながら、私は、今日も明日も仲のいい人たちを見ていたい。
あ、ちなみに私の中の「仲がいい」の定義は
- 相手に配慮しつつ言いたいことを言える
- 自分らしくリラックスしている
- その関係において笑顔になることがある
です(定義途中)。
同じ文脈で、アイドルを見るのも好きなのだと思う。仲が良くなくてもいいのだけど、いや、一緒にアイドルをやっているということがものすごい努力と工夫の賜物であり、ステージの上で踊って歌うアイドルはその結晶なんだよな、合掌(二回目)。だから仲良くなくても共にアイドルであるということだけでそれは素晴らしいものなのだ、と思う。
私は、仲のいいひとを見ているのが好きで、それは幸せな光景なのです。来週のドンブラも楽しみ。犬塚は早く指名手配が解除されてほしい。