根津と時々、晴天なり

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【ヒプマイ】散歩に似合う曲をいつでも探している/夢野幻太郎『蕚』

 忘れてしまうのでいつも私は「やりたいことリスト」みたいなのを書いていて、5割くらいは「~を食べたい」のそのリストの中に「散歩を習慣にする」というのがある。

 どこかの私がかつて願った「散歩を習慣にする」を叶えようと、この冬は結構意識的に歩いている。いくら歩けども体が熱くならない冬が散歩をするには適した季節なのでは(雪国を除く)と思ったりする。休みの日も意識的に私は外に出る。

 で、私は夢野幻太郎の『蕚』をよく聴く。この曲は私的散歩に似合う曲、だから。

 以上。

 

 とはいえ、もう少し書けるだろうと思って、私はこの曲について考えてみる。

 一つは、完全にARBスマホ向けゲーム『ヒプノシスマイク -Alternative Rap Battle-』のこと)のゲーム画面に引っ張られているが、宙を舞う黄色の花弁は青空にさぞかし似合うだろう、ということ。私はこの曲を曇り空の散歩ではあまり聴かない。でも、黄色の花弁が散るような、そういう花があるのか私にはわからなくて、これなら!というイメージが銀杏並木なのだがどうなのだろう。Fling Posseの色は黄色だしなあ…。

 あとは歌詞がいい。

心の外まで 飛び散った花びら達の破片が
この風景を埋め尽くして消えてしまっても

心の外まで 剝き出しで歩いていった模様と
この感情が伝わってしまったらいいのに

(夢野幻太郎(斉藤壮馬)『蕚』)

 なんというか、散歩はたのしいので、このたのしさが誰かに伝わればいいのになあ、と思いながら歩く自分の気持ちにぴったりとはまるから、いいなと思うのかもしれない。『蕚』は私的散歩の曲だ。

 そして、これはちょっとした発見。この曲ラップパートとサビ(心の外まで~)でキーが低と高にはっきり分かれていて、建前と本音、剛と柔、決意と願望がぐるぐると入り混じる雰囲気がある。低めで綴るラップは頑なさや気負い、闘志を感じる一方で、そうだな、森を歩いていたら少し向こうで木々が途切れているのがわかって、さらに歩くと森抜けて一面平坦な原っぱに出た、みたいな感じで登場するサビは、それこそ剥き出しの、夢野の柔らかな感情が歌われているように思えて、聴く側として虚をつかれる。いいのか、聴いてしまって、という申し訳なさみたいなものまで沸いてくる。好きだから聴くが。

 『蕚』に関してはこんな感じだろうか。歌詞の端々にFling Posseの気配が感じるのもいいな。星座は星と星をつなげたものだからな。言葉が点となりつながっていく感覚。

 と、ここまで書いて、他にも散歩に似合うな~という曲がたくさんあるのにプレイリストにまとめてなかったなと気づき、早速プレイリスト(散歩に似合う曲)を作って『蕚』を入れた。まだまだこの曲を聴きながら歩けると思うと嬉しい。

 (Fling Posse、ね)