2021年6月が終わる。どうだった?6月。
VERIVERYのミンチャンさんが戻ってきた
は!!!!!!!!!
— 治野 (@harunote2016110) 2021年6月1日
やったーーーーーー!!!
— 治野 (@harunote2016110) 2021年6月1日
泣いてる
— 治野 (@harunote2016110) 2021年6月1日
あのときの喜びを忘れないようにしたい。人は忘れる悲しい生き物だけれど、好きな人たちが踊って歌っている喜びを当たり前だと思わないようにいられたらいいな。
ハスルさんも帰ってきた
LOONA12人は胸熱だ〜
— 治野 (@harunote2016110) 2021年6月1日
(ただこのteaserずっと見てると不穏な気持ちにさせられる)
私がLOONAというグループに興味を持ったときはハスルさんはお休みされてて、おお、私がLOONAに興味を持ってから初めてのハスルさんinステージだ!(前置詞の使い方は適切だろうか。on ステージの方がいい気がする)
LOONAには各メンバーに象徴動物というのがあるので、なるほど、こういうこともできる。ハスルさんの針に糸を通すような柔らかく繊細な歌声が活きていて嬉しい!と思った。
宇多田ヒカルの『PINK BLOOD』もよく聴いた。『不滅のあなたへ』にも興味があるけれど、まだ手を伸ばせていない。いつか。
この曲を聴きながら、LOONA然りアイドルグループという存在は本当の意味で「自分たちらしい音楽」をリリースすることは不可能なのかどうなのか、ということを考えていた。本当の意味で?つまり?つまり、もはや自分らしさというのが議論にのぼらない音楽。
「私は私のままで」というメッセージは、裏を返せばそうして鼓舞しなければならないことを意味している。本当に私のままでいられるなら、きっと誰も「私らしくいよう」なんて思わないし、いちいち言わない。
音楽に救われたと堂々と告白しながら、「あなたたちはこの方が似合う」とアーティストに要求することは矛盾した行為と言えるのか。音楽は、未知や驚異をもたらす「芸術」と、自分の趣味嗜好が現れやすい「消費」の挟間に立つような気がしていて、そこが難しい。「○○であってほしい」と願うことは、どちらかと言えば消費的な視座に立ち、鑑賞者でいたいと思うのにどうも消費者に寄って行ってしまうのは何故だろうな。国民プロデューサーという考え方もどこか消費的。それが悪いのではなく、至る所に入り込む「消費」とは一体何だ?という問題。私たちは誰をも所有しないはず。
私はこの曲が好き。
Don't fight the feelingの「毎晩死んでも 朝になると息をしている」の歌詞 本当にそれだなーうわー言語化してくれてありがたーいってなる。
— 治野 (@harunote2016110) 2021年6月19日
うむ。マジで「それな」と思う歌詞。
レイさんも参加してますけど、なんだろう、レイさんのパートでパッと雰囲気が明るくなって、あ、この人エンターテイナーなんだなって思った(レイさんパートの前のセフンさんパートでギアを少し落とすことによる効果ももちろんあるのでしょうが)。すごくないですか?
アイナナにハマる
イエス。
毎日ログインして、デイリーミッションみたいなものもやっている。こうなったらしばらく続けますね…我に返らない限りは。何故この二人なのか(他のメンバーのユニット名は無いんですね?)環くんと壮五くんのユニットMEZZO"の『雨』と、IDOLiSH7の『MONSTER GENERATiON』とZOOLの『4-Roar』がお気に入りで、大概この三曲でひたすらリズムゲームを遊んでいる。色々情報収集していると、なんだか割と鬱展開っぽくて(というか皆さん色々ありすぎます)すごく「人間」って感じが。濃いよ、アイナナ。
愛する準備
みんなかっこよくなってな~~~という気持ち。ディノちゃんがすっかり垢ぬけてしまったのは数年前からなのかしら。
なんだろう、すごく眩しいと思った。恋っていいものなんだろうか、楽しいことかしら、と真面目に考え込んでしまった。Can we stay together~と口ずさみながら、Can we stay togetherか~と反芻する自分。
この曲に限らず、歌われていることに感動することはもちろんあるのだけれど、じゃあ共感するかと問われると微妙で、難しいし時と場合に寄る気がするし断定もしない。数々の愛を細分化することに意味があるのかないのか、まあ、意味はあるか。それで解像度が高くなって楽になることはある。何はともあれ、好きだなと思う人と一緒にいられたり一緒にいなくても程よい距離感でいられたら最高じゃんねー、と思いながら日々考えている。ていうか、愛ってなんだ。
春風のようにさっぱりとしたこの曲が、私にはとても眩しい。眩しくて、少し痛いけれど、コンロの前に立ちながら時々口ずさんでいる。
ノエアごっこ
個人的な思い出としてNo Airは冬の曲だと思っているのだけれど、派手な音楽聴けないな~と思う夜にNo Airは結構いい。本当に無理だとまた別の音楽を聴くよ。人気のない場所は要注意だけれど、ノエアを聴きながら荒んだ気持ちでパーカーに両手ツッコんで猫背で歩くのを私は「ノエアごっこ」と呼んでいて、楽しい。おすすめ。
毎晩死んでも 朝になると息をしている。今月も色々あったね。明日からまたやっていこう。