根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【雑記】怒りたくない2021

 何かに怒る(おこる、いかる)という行為は疲れる。徒労だとは言わない。むしろ私たちは怒るべきだ。様々な物事に。怒るという行為を通して相手に伝えていかねばならい。しかし、一方で私は考える。怒るという行為はコミュニケーションの一つの方法?スタイルではあると思うけれど、メッセージを伝えるという点で優れているのか。私にはわからないのだ。相手に伝わらなければ、どんなに言葉を吐いたところで意味がないではないか、と。

 

しばらく会うのは やめておくよ

誰かの苦しむ 顔を見たくないよ

チャラン・ポ・ランタン『空が晴れたら』)

 

 私ができることは何か。できないことは何か。できることをやらない自分がいる。為す術もなく立ち尽くす自分がいる。好きな曲があった。憧れる人たちがいた。私はその曲を作り出したわけでも、踊るわけでもなかった。自分ができることは、自分の生活と彼ら彼女らの作品を繋げること。その一瞬にある煌めきを逃さず大切に慈しむことしかない。

 多分他の人にもそんな尊い煌めきがあって、他者に踏み躙られるいわれのないもので、私はその光一つひとつを尊重していかねばならないと思うのだ。理解できないとしても、少なくとも存在は。

 

 そんなことを考える2020年でした。誰にとっても「アイドル」がいて、同じ人間を推していても考え方は様々で、それら一つひとつが大切に扱われるべきだと思っています。自分の考えを蔑ろにしないで。他方で、異なる他者の意見に断罪の斧を振り下ろすこともしないこと。

 もっと肉付けをしたいです。あらゆる創作物と個人的に。好きな曲を聴いていると熱中した頃の場面が思い浮かべば上等。終電より一本前の山手線でこの曲を聴いたね。今もこの曲大好き。そういう繋がり方をしたいって、思ってます。

 あらゆる創作物のその奥に、一人の人間がいることを忘れずに。これからも音楽や映画やドラマやアニメや、あらゆる好きなことを楽しめるか。変換期にいるなぁ…と個人的には思う年の暮れです。

 

 怒りたくないです。優しいからではなく、疲れるからです。

 どうすればよかったか、何が素晴らしいか、正しいか、良いのか、適切なのか。安全圏に居座って他者を批評するくらいなら、がむしゃらに作品と私の間に生まれる光を見ていたいし考えていたい。そういう2021年にしたいです。でも怒ることも大切なんだよな。バランスが取れない。