根津と時々、晴天なり

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【戦隊】射水為朝になりたい人生

 射水為朝になりたい人生である(現在進行形)。

 『キラメイジャー』の登場人物は、それが例え敵対するヨドン軍だったとしても憎めずに好きになってしまう。だから特別為朝推し(LOVE!)なわけでもなく、キラメイ戦士6人の中だったら一番為朝が好きだなぁ…という感じ。そしてこの「好き」という感情。掘り下げてみれば、恋愛感情ではなく憧れや羨望なのだろうなということを考えていた。

 思えば、昔っから戦隊ヒーローのことは好きだったけれど、そこにあるのは恋慕の情ではなく憧れだった。かっこいいなと思っていた。まあ、私の初恋は仮面ライダー555の乾巧ではあるが。

 

 「射水為朝」というのは、毎週日曜日(私の住む地域では、ということだけど)絶賛放映中のヒーロー番組『魔進戦隊キラメイジャー』に登場するキラメイイエローである。詳しくはこちら。キラメイジャーというのはキラメイストーンと共鳴した輝きを持つ戦士であり、自身のフィールドにおいても第一線で活躍している人たち多し!な、超すごい人たちなのであるが、為朝もご多分にもれず、eスポーツ界のNo.1プレイヤーでその名を轟かせているわけである(が、eスポーツはまだまだ知名度が低く、コアなファンの中では、という注釈つき)。

 

 「どうして私は為朝になりたいのだろう」と考える。そこには何があるのだろう。そのことについて考えるには、押さえていなければならないことがある。はたして私の「なりたい」は、「射水為朝になりたい」のか「射水為朝みたいになりたい」のかということだ。

 前者は、射水為朝=私(ええ、ええ、気味が悪いことを言っているのは重々承知です)だということだ。「私」という人間が背負ってきたものを全部消し去って、射水為朝という人間が背負うものを背負うということだ。歴史とか、性格とか、価値観とか。そこまで徹底しなくても、射水為朝として生きていかねばならないということで、同一視という言葉が思い浮かぶ。時々「ポケモンになりてえな~~~」と思うけど、それ。対して後者は、射水為朝が持つ特長であったり性質の一部を、「私」に組み込む感じ。あるいは、「私」が「私」のままで射水為朝のようになるということだと思う。為朝の戦略的思考の一部でもいいから、私の脳に組み込みたい(ええ、ええ、だいぶヤバいことを言っている気は自分でもしている)。

 じゃあ、私は、というと多分後者なのだ。「射水為朝のようになりたい」なのである。もっと言うと「射水為朝的立ち回りっていいよな、かっこいいし」と思っているのだと思う。それは千明くんこと、シンケングリーンの谷千明に対する「好き」とも通じるのだけれど。

 

 「戦隊ヒーローは、関係の話でもある」というのが持論だ。K-POPアイドルを好きになったのも結局は「関係性オタク」な部分があるし(もちろんそれ以外の要素でも惹かれたけど)利害も価値観も異なる他者とどのように共存していかねばならないか、その試行錯誤の結果が戦隊ヒーローの1シーズンなのである(その点戦隊に比べるとライダーに惹かれないのは、ライダーは「個」の物語だからかもしれない)。

 そう、だから、その人によって「好き」の中身というのは様々、で二文字では言い表せない世界が広がっているのだろうなと思う。恋愛対象として見る場合もあるだろうし、私のように憧れが出発点もあるだろう。自分とは全く異なる他者として惹かれる場合も。その中身を言語化できるとも思わないし、言語化したところできっとまだまだわかってないものもあるのだろう。

 

 為朝さんの好きなところは、一言で言えば、自分をコントロールできるところ。自分がどういう人間なのかということに対しての眼差しを持っているし、それをきちんと頭の中で作ることができている。自己分析能力が高い。それはeスポーツという職業柄ということもあるし、逆に為朝自身がそういう能力に長けていなければeスポーツの第一線で活躍することは難しい。戦況と戦力を冷静に分析できる能力、相手の能力を把握し対抗手段を考える能力、コツコツとした地味なトレーニングも厭わない粘り強さ。自分をある程度客観視することができないと難しいのでは?というものばかりだ。

 自身の野心を自覚しつつも、状況を弁えたうえで己を律し最適な立ち回りを選択できる献身さ(それを「献身」と呼ぶのは微妙か。なんだろ、全体を見れるってこと)が歴代ヒーローの中でもユニークな為朝くん。エピソード5「ショベローまかりとおる!」が決定打だったね。

 

 でも、私は射水為朝みたいになれないことも知っている。今からでもなれるっちゃなれるかもしれないが、まあ難しい。自分の持ち物も御し方もなんとなくわかってくるし、己の立ち回りを試すにはフレッシュな人間関係を築くには若干遅い。学生時代でもあるまいし。だからここで「為朝のようになりたいけれど、なれなさそうな自分」という新たな問題が浮上してくる。憧れ、羨望、愛情が嫉妬に変わり、やがて憎悪の感情になるってのは、『キラメイジャー』が現在進行形で描いているテーマであり(ガルザ様…)為朝くんの活躍を毎週楽しみにしていながらも、私は心の中にガルザ様を飼っているのだ。この複雑な状況が楽しくもあり負担でもあるなー、毎週面白いよ、もちろんのこと。

 

 射水為朝みたいになりたいなーと思う。自分の持ち物はなんとなく把握した上で、それでも思う。この気持ちは、そもそも「自分と他者とは」という問題が芽吹いた頃、小学生の私の「なりたいなー」とは別物で。なりたいけれどなれなさそうなことがわかった上での「なりたい」は、それはそれで、ちょっとだけしんどい。

 畢竟、私は私以外の誰にもなれないということで、やっぱり人生を1周(書き手の私の人生)+ 追加であと6周くらいしてキラメイジャーの6人分の人生を生きたかったな。ま、無理ですけど。

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