根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【アジカン】『電波塔』の1:48の音を楽しみに生きる体

  久しぶりにアジカンことASIAN KUNG-FU GENERATIONの『君繋ファイブエム』(2003)を聴いている。『夏の日、残像』からの『無限グライダー』をループする2020年夏、を体験せねば!と思ったからなのだけれど、お目当ての曲に行き着く前に『電波塔』が私の前に立ちふさがって一向に前に進めない!素敵!仕方ないね。『電波塔』がその気なら私だって考えがある。徹底的に聴いてやるぞ!ということでこの文章を書き始めた次第です。『夏の日、残像』も聴きたいので私。

 

電波塔

電波塔

電波塔

  • provided courtesy of iTunes

 

 アジカンはリズムと音がいい。韻の踏み方が心地よく思わず口ずさみたいし、何より歌詞がよくわからない(!)「よくわからない」というのは全然悪くない感覚ということを強調したいのだけれど、なんというか、わかりやすくはない。説明的ではないと思う。言葉と言葉の化学反応がどうなるかは、聞き手の体験や価値観によって変わりそうだな、面白いな、という歌詞だなと思っていて、それが昔からすごく好きだし、簡単に「好き」って言わない、わかりやすくしないところが私にとっては安心感をもたらすものだった。

 ということで、言葉を口に含んだ飴玉のように転がしながら楽しく聴く『電波塔』なのだけれど、ドコドコドコドコとピクニックをしていたら急に子熊が現れて「うぐっ」とボディーブローを私の腹に叩き込むパートが1:48から始まる。

 

 1:48からすべてが狂う。「すべて失ったあの日~♪」!?ちゃっちゃら~としたギター、ぼーんぼーんというベース、がちゃがちゃとよくわからん手数でなだれ込むドラム。なにごと。先ほどの子熊がゆらゆらと横揺れしながら「そうだ 言葉で確かめてもっと君の声~♪」と歌う。んんん?ここはどこ、私は誰。ピクニックに私は来ていたのではなかったか、どうしてこんなに胸がぎゅうっとなるのだ、腹が痛くなるのだ(それは一発お見舞いされたから)なんなんだこれは

 

 混乱していたらいつの間にかサビに戻った。・・・。なんだこれは。

 ぽち。再生ボタン。

 

 これを、数十回は繰り返す。聴いても聴いても1:48の魔力は衰えない。森の中を歩いていたら相変わらず子熊がひょこっと現れるし、一発殴ってくるし、楽しいし、いつのまにか間奏が挟み込まれ元通りのサビになっている。明らかに1:48の数十秒のパートが異質すぎて、何年聴いてもすごいなと思う。ある種の麻薬的な、そういう中毒性があって「ううううう」と頭をかかえてしまう(やばい)。体が反応してしまう。『電波塔』もちろん前後のピクニックモーメントがあっての麻薬であり(ピクニックというのはメロディを聴いて私が勝手に感じているイメージです)結局曲がサイコーなんだなと思いながらまた聴いている。

 

 すごいよ1:48。結局それだけが言いたいです。さて、先に進んで『夏の日、残像』を聴くぞ。