根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【雑談】「人と話すの無理」ということについて

 別に大したことはないのだけれど自分の中で思うところがあった仕事帰り、帰宅してホッと一息ついてポロっと内側からこぼれてしまった言葉。 

「人と話すの無理の10億乗なんだけど」

 これは別に今に始まったことじゃない。多分小学生ぐらいからずっと続いていることで自分の中ではかなりお馴染みの感覚。これに対する自分の回答もばっちり用意してある。しかし準備はできているけれど、しんどさが消えることはなくて、何故なら人は社会の中で生きる限り他者とコミュニケーションを取らなければならないからだ。後で述べるけれど、毎日毎日24時間ずっとしんどいということはなくて、私の場合は、特に不意に慣れない状況で人と関わらないといけない時にだいぶ消耗してしまいます。どれぐらい消耗するかというと、その日やろうと思っていたことをすっ飛ばしてさっさと寝るぐらいには疲れる。

 こんな風に、自分にとって当たり前の感覚を今になって書き出すのは、多分同じように思われている人は多いだろうという予想と、それに対する個人の割り切り方とか対処の仕方ってのはだいぶ違うだろうなという想像と、それって共有した方がいいのでは?という自分の意見と、私自身のケア的な意味があります。書くと考えがまとまるからね。

 ということで、「人と話すの無理の10億乗」って私の中ではどういうこと?ってのを今回は書いていきたいと思います。

 

 

「無理」ってどういうこと

 まず「人と話すの無理の10億乗」って言った時、真っ先に弁解したいことがあって、それは「あなたに臆してほしくない」ってことなんですけど、多分難しいんですよね…。「人と話すの無理なんです」と言われたとき「え、じゃあ話しかけるのやめようかな。やめた方がいいのかな」って10人中9人くらいは思うと思います。ですよね~。でもあまり気にせず話しかけてもらいたくて。別にあなたが嫌いだから、あなたと話がしたくないから「人と話すの無理」じゃなくて、どっちかというと「人と話したいのにそれがとてつもなくしんどくて苦しくて、そう思う自分含め本当に無理」の「無理」なんです。もちろん、この人とは思想的に会話したくないと思う人もいると思うけれど、そんな人と遭遇したら私の方から離れるので大丈夫です!心配なさらず!

 では次に「人と話したいのにそれがとてつもなくしんどくて苦しい」ってのがどういうことかを説明していきます。これは私個人の話ってことを踏まえていただきたいのですが。

〈無理じゃないこと〉

  • 接客
  • 会って話すのは一度きりとわかっている場合
  • 仕事(学業)
  • 家族や特に親しい人

〈無理〉

  • すべての飲み会及び親睦会(パーティー
  • 今後も付き合いが続くと思われる人との世間話
  • ほどほどに仲が良い人

 面白いことに、役割が決まっていると私は話せます。私は接客系のバイトをしてたけど、バイトは毎度楽しかったし、店員とお客という役割がきっちり決まっていれば、そのコードに合わせたことを話せばいいので余計なことを考えなくて済むのか全然ストレスがかからない。あと、例えば満員電車に乗り合わせていて、自分が降りる駅で全然人の出入りが無い時に、私はすんなり「すみませーーーん降りまーーーーす」と言えるタイプ。

 逆に明るく接客ができてて内気なわけでもないから「話すことが苦手」と思われないのが災難なのかもしれない。「話すのが苦手」といっても内実は様々で、そもそも自分の意見を表現するのが苦手という人もいれば、人が怖くて話せないという人もいるし、そもそも何を言ったらいいかわからないという人もいるだろう。で、私の場合は「考えはある。それを臆さず表現できるときもある。でも、できないときもあるし、できたとしても相当の負荷がかかっていることが結構ある」なのであります。ちなみに接客は、負荷のMAXが100だと考えると話すことだけを考えれば30くらいです。

 どうも「関係性」ってのがキーワードにあるようで(私の仮説)一回限りの他者に対しては結構話せたりする。例えば旅行先の土産物のおばさんと談笑したりとか。道を尋ねられたときとか。にこやかに「そうですよねー」とか話せてしまう。(ただし自分からは話せないかも。道を尋ねるとかは私はできないなぁ。観光案内所の人とか役割が決まっていればまだ話しかけられると思うけど)しかし、ここからグッと関係性が近くなってくると、もう駄目。全然話せない。

 多分、関係性の網の中において、何を話せばいいのかめちゃめちゃ考えるのだと思います。適切な話題は何か。ってことを考えます。私が相手に聞きたいことってあるのかな。考えます。答えのない問題の最適解を瞬時に求めて考えて脳みそが溶けそうになります。相手の一挙手一投足気にします。

 一度きりの相手と話すときにあまりストレスを感じないのは、その関係性が続くか続かないか、考慮しなくていいからです。役割が決まっている間柄で話すのも問題がないのは、予め話すことが決められているからです。

 「この人とはこの感じで喋ればいいのだな」実感として自分の体が納得できたとき、私は初めて自分の言葉で楽に楽しく喋ることができます。ここの切り替えは時間をかければクリアすることができるし、短時間で打ち解けられることもあります。それまではコツコツやっていくしかないようです。納得できるまでは、ずっと疲れ続けます。どんなに好印象を抱いている相手であっても。

 飲み会や懇親会というのは、飲みの席が基本的に駄目ってのもあるのですが(お酒を飲むこと自体は面白いから嫌いではない)自分をどこに置くか相当考えるのでしんどいです。何もしたくないので、壁側の席にずっと座ってちびちびお酒飲んでていいですか?という気持ちになります。BBQとかも多分駄目なんだろうな。席が決まっていればいいけど、立食パーティーは無理、というのがわかりやすい例でしょうか。

 

「無理」なので私はこうしてます

 無理だと思うことは極力避けるようにしてます。気が向いたらチャレンジするくらい。

 「それって訓練しないからいつまで経っても無理のままじゃないの?」って意見もあると思います。でもよくよく考えたら、私は別に大勢の人と話せることを目指しているわけではないし、ゆっくりと落ち着いて人とコミュニケーションが取れたらいいな、ぐらいの気持ちなわけで、その「ゆっくりと落ち着いて」というのは慣れの問題ではないようで。人と話すときによくわからないけどめちゃめちゃ考える、は、どうやら私のスタイルだしそれに合わせたやり方を作っていったほうが絶対いい。自分の気質を変えるエネルギー、もう私にはないです。仕事の飲み会の参加率は3割くらいです。

 

が、悩みが尽きないことも事実

 幸いにも、良くも悪くも他人に干渉させない人生を送ってきたので「友だち全然いないじゃん(全然いない)」とか「もっと社交性持ちなよ」とか言われたことがないのですが(本当にそれは幸せなことです)それでも「コミュニケーション能力至上主義」みたいな気配はひしひしと感じています。人と衝突する以前にそもそも人と上手く関われないというコンプレックスは多分今後もずっと続いていくと思いますが、とりあえず「慌てずに!怖がらずに!気が向いたら!」の精神でやっていきたいと思います。不義理を重ねてしまうこと多き人間で本当に悲しくなるんですけど、自分の失敗パターンを分析して同じことはしないように、なり、たい。せめて。

 

不特定多数の関係各所へ

 ということで、これこれの事情で人と話すのが結構無理です。それは色々頑張っての結果なので、温かい目で見ていただければ幸いです。本当にすみませんm(__)mあなたが考えていることを楽しそうに喋ってもらえれば、私はそれを聞くのが楽しいです。