根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【SVT】ディスカウントストアでSEVENTEEN『舞い落ちる花びら(Fallin' Flower)』を聴いた

 緊急事態宣言が出されて2週間余り。私の生活も少し変化していて、これからどうなるのかはわかりません。行き着くところに行き着くしかないという想いと、ただ易々と無為に過ごすのも勿体ないな…という想いの上澄みで2週間生きてきた感じがします。気がつくとだいぶ何も感じなくなっていて、さてさてやばいぞ、って感じです。手洗い厳戒態勢ということもあるのか、春先は体調を崩しやすいと思うのにまったくもって元気です。しかし、今をどのように捉えればいいのか、考えてもよくわかってないのだから私は混乱しているのでしょう。

 

 カップラーメンのストックを補給しようと思ったのと(もちろん買いすぎない程度に)その他要りようのものを買いに行ったのですが、少し音を聞こうと珍しくイヤフォンをせず外に出ました。そのおかげで店内に聴き慣れた曲が流れていることに気づくことができてですね、

youtu.be

 

 あ、SEVENTEENだ、と。

 そこでパッと色んなことを考えてしまって。

 

 1つめは「遠いところに来たものだ」ということでした。

 例えば今店内で流れているこの曲を歌っているアーティストがSEVENTEENだと知っている人は、私以外にどれくらいいるのだろう?と考えるわけです。せぶちは私の体感、今のK-POPアイドルの中でも日本のファンがかなり多い印象があって、だから多分私以外にも知っている人がいるだろうなぁと思うのですが、それでも認知度から言うと多分J-POPよりは劣るのかなぁ、どうなのかなってところで。つまり、その時感じたのはこの曲(せぶちの曲)を知っているというのは日本では依然としてマイナーなことなんだろうな、ということでした(あ、もちろんせぶちは有名なK-POPアイドルですよ)。

 何が言いたいって、私はその時、この『舞い落ちる花びら』という曲を知りえなかった自分を想像していた、ということです。今流れている曲がSEVENTEENの『舞い落ちる花びら』という曲であることを私は知っているし、なんなら今ちょうど流れている部分を歌っているのは黒髪がばっちり似合う超イケメンなウォヌ氏であることを、私は知っています。ですか、知らなかった未来は十分にあり得た。K-POPを好きにならなかった自分もいたかもしれないし、K-POPが好きでもSEVENTEENを知らない人生もあったはず。そう考えたとき、何かを好きになること、何かを知るということは、その他有象無象のものからその対象を切り出すことができるということなんだな、ということを実感しました。そういう意味で「なんだか気がついたら遠いところに来ちゃったな…」という途方のなさを感じました。ほんと、人生って何が起こるかわからないですね。

 

 2つめは、「あれ普通に聴けているぞ?」ということでした。

 この曲好きです。でもやっぱり最初は聞くのが(というか今回は映像を見るのが)つらくて、意識を適度にそらして聴いていたなーと思ったんですけど、刺激に慣れたんだなと思って。

 つらいも嬉しいも好きも、それは聴覚や視覚を用いて取り入れた情報に対する何らかの反応に過ぎなくて、慣れてしまうからこそ私は何かしら書くことで残せたらいいなと思っているのですが、慣れる前の自分を思い出すのって大変なんすよね。忘れっぽいから。でもたまたま意図していないタイミングでBGMとして聴くことで、なんだか昔の亡霊に不意打ちを喰らったような、そういう衝撃を受けました。

 で、帰宅して久々にミュージックビデオを見たのですが、聴くことには慣れたんですけど、未だにまったく平常心で見ることができない映像です(もちろんそれだけエネルギーがあるってことなんですけど)。マジで、これを、見られる気がしない。意味を理解しようとする心の動きを拒否してしまっています。だって、しんどいですもん。そして、それも多分時間をかければ慣れちゃうのだろうなぁ…ということがなんとも寂しく(苦笑)。

 どうやってこれを撮っているのだろう?とか、韓国でのアルバムではなく日本オリジナル楽曲でこれを打ち出すことの意味は?とか、私がそういう分析をしたがるのはは、まともにこの曲について考えることから逃避したいからなんですよね。私はまだこの曲をきちんと受け止められない…(それは楽曲の否定でも何か非があるわけではなく、それがとてもエネルギーを要することだからです)。

 ああ、ほら。「無理。」(これを書きながら別でMV見ているのですが、ちょうど最後の円になったところで微笑むシュアさんとドギョムさんを見て)(あとこのミュージックビデオのスングァン可愛いな…)

 

 3つめは(←まだあるんですか)この曲が本来ならドームでたくさんの観客が見る中披露されていたんだろうなぁ…ということに対する複雑な思いです。私はそもそもチケットを取ってない人間ですけど、せぶちが大好きでドーム公演を楽しみに毎日を生きている人がいて、ファンに応えようとメンバーは準備を重ねて満を持して披露されるはずだったろうに、この曲はどこに行けばいいのだろう、と思うと、やっぱりとんでもなく切ないなと。そして、この状況はせぶち以外の大勢のアーティストにも言えることで、何も恨むことができないし恨む相手が例えいたとしても、恨んだところで仕方がない問題だし、でも実際問題、色んな生活がぐっしゃぐしゃになっていてもうどうすればいいんだーという、なんか自分の生活に戻ってきてしまいました。いやぁ…もう大変ですよ。

 

 コロナウイルスが存在しなかった未来などありえないわけで、これ以上感染者が増えるスピードが加速しないように、そして支援すべき場所に適切なる支援の手が入るようにと訴えるしかなく、また私もできることをやらなければいけないなと思います。

 

 あと、忘れないこと!忘れるからちゃんと記録残しておくこと。この状況を変に美化しないこと。もちろん「あの時はこうだったよね~~」と笑える未来が来ないとそもそも話にならないけど、美しい話にしないこと。

 

 にしてもディスカウントストアの日用品食料品雑貨でごちゃごちゃしている空間に、SEVENTEENはしっかりと馴染んでいたな、びっくりしてしまいました。これからも色んなこと好きになろうね。知ればそれだけ世界の見え方が変わるし。