根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【お出かけ】白でも黒でもない世界で私は笑えない/『アーティゾン美術館』に行ってた

 二部構成です。「好き」と絡めて少し思ったことと、結構前に『アーティゾン美術館』に行ったときのこと(ずっと書こうと思っていて書けていなかったのです)。

 

白でも黒でもない世界で私は笑えない

 新型コロナウイルスをめぐって世界は混乱しているなぁという感じです。そしてウイルスによって今自分が生きる社会のあらゆる問題が一気に可視化されたような(といってもSNSの普及によりだいぶ前からその傾向はあったと思うのだけど)そんな気がしています。多分多くの人が同じだろうと思いますが、このドタバタで自分が思っている以上に疲弊していることにちょっとしたきっかけで気づき、さてどうしたものか、と思っているところです。基本的に、食べるか、寝るか、運動するか、を総動員してやり過ごす、ぐらいしか気を紛らすことができなくて(趣味ではあんまり気が晴れない。むしろ塞ぎこんでいるときに好きなことしたくない)そりゃあ、消耗しない人はいないよね子の状況、というところでそれぞれご自愛ください、という感じです。

 「白でも黒でもない」というのは、最近思っていることでして、なんというか、色々と明かされる世の中になったなぁ、と思うのです。もちろん隠蔽されることもたくさんあるんですけど、それと同じように誰かの暴露によって大っぴらになること、そこに気軽にアクセスできるようになったことも、以前よりはぐっと増している気がします。個人的には。そうなると、自分が信じていたものがガラッと崩れる瞬間ってのもあるわけで、それまで自分が信じていたもの、好きだったものはどこにいっちゃうのだろう?ってふと思ったのでした。

 私の個人的な意見としては、信じてきたもの、好きだったという感情はそれはそれとして純然たるかけがえのないものだと思っていて、それなのに、どうして私は後ろめたくなったりこんなに傷ついているのだろう、と不思議なのでした。

 この不思議について考えていると、まるでオセロのようだと思います。白も黒も簡単にひっくり返る。でも本来、白と黒、ぱっきりと分かれて存在することなどできないのです。オセロはそういうゲームですけど、人間はそういうものではない。だから「好きだけど嫌い」「賛同できないけれど好きだった」といったように、グレーで曖昧で混沌とした結論になってもいい。だけどそのぐじゃぐじゃ感はどうにも収まりが悪い。白か黒か、どちらかにしちゃったほうが楽だしわかりやすい。

 「私の「好き」が何だか裏切られたような気がする!返してよ私のこれまでの愛情を」

 そうやって迫るのは、なんだか疲れるし。

 白でも黒でもないというのはとても気が張ることだけれど、神経つかって色々考えることはおざなりにはしたくない。好きな服も好きなゲームも好きな曲も、これからも好きって言いたい、と同時に「ぬ?」と思うことから都合よく目をそらさずに。まあ、これを両立しようとして、あたし疲れちゃった、ではあるんですけどね(堂々巡り)。

 

白だろうが黒だろうが(アーティゾン美術館に行ったときのことと)

 随分前になったけれど、リニューアルしたアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)に行ったのでした。白か黒かで「むー」と唸っている今の状況をがっつーんとぶっ叩いてくれるのは、1つは間違いなく芸術だろうな、と思ったので合わせて書こうかなと思ったのです。

  楽しかったなー。1つの画家を掘り下げる企画展も、ある美術館や収集家のコレクションを並べたのもそれぞれ面白さがあるのだなーと思いますが、どちらも優れたキュレーションあってのものだなということを感じました。まとめ方って大事です。

 アーティゾン美術館の『開館記念展「見えてくる光景 コレクションの現在地」』はジャンルでまとめた1部とキーワードでまとめた2部で構成されているようなところがあって(確かそんな感じだった)それが空間的な階層で分かれているのも面白かった。

 そうそう、どうしてアーティゾン美術館に行こうと思ったのかというと2020年にリニューアルオープンってことはそれなりに箱も新しく、今の美術館の箱の作り方も見れるかなーと思ったからでした。アーティゾン美術館でいうと、「事前予約制」(当日飛び込みもOKだった気がする。チケットに空きがあれば)「紙チケットじゃない」「写真撮影OK」「スマホアプリ(無料)で音声ガイドがきける」とかがシステム的なところでいうとあります。特に音声ガイドについては、私感激してしまって、自分が普段使っているイヤフォンでそのままガイドを聞くことができるってめちゃ嬉しい!でもこれって、情報機器に関するリテラシーがある程度無いときついかなとも思っていて、当然のように使えてしまう人と、操作にてこずってしまう人で差ができちゃうところだろうな…という心配もあります。それに「写真撮影OK」というのも、例えば静謐な空間にスマホアプリの「カシャ」というシャッター音が入るだけで気が散る、ってのも多分あると思うので、難しいな…と思います。海外の美術館はその辺どうなっているのかな。あとで気が向いたら調べようと思います。

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 原田マハさんの『楽園のカンヴァス』でおなじみのアンリ・ルソーの絵(『夢』じゃないですよ)があって嬉しかった。ルソーの絵って幻想的で「これ欲しいな」という絵。というか絵を見てると気に入ったものは「これ欲しい~~~~~~」と思ってしまって、そりゃあ、コレクターさんも買い集めるわなー、私が石油王であれば!!!と歯噛みしてしまいます。ザオ・ウーキーさんの絵も好きだった。モネもやっぱり好きだし(印象派はやっぱり人気だ)数千年前のハヤブサの彫像は洗練されたつややかな線が綺麗だった。

 ここに画家のバックグラウンドとか時代背景とかそういうものはまだ入ってきていない。作品のみと対峙して得られた瑞々しい感情。それは今後様々なことを知るに伴って、どんどん深堀されて削られるのかもしれない原石のようなものなのかも。それはそれとして、白でも黒でも、ましてやグレーでもない鮮やかな色彩の正しさみたいなものに、ちょっと救われちゃうな、と振り返ると思ったのでした。

 

 他人との境界がぐらんぐらんなのか疲れてしまいますが、なんとか無理せずやっていきたいものです。