阿部共実『月曜日の友達』とamazarashi『月曜日』、私が知ったのはどちらが先だろうと思ったら後者だったらしい。
amazarashi「月曜日」
— 治野 (@harunote2016110) March 21, 2018
イントロのピアノの旋律で心打たれてしまった。感傷、あの頃の切なさ 閉塞感で10杯は茶碗が満たされると思った。おかわりはしたくない。美味しくはないがそれが生きることの彩りの1つになるかもしれないなとは思うようになってきた。阿部先生の『月曜日の友達』買うかなぁ…
漫画『月曜日の友達』は感想を書いているので、amazarashiの『月曜日』について今回は。曲もたいそう好きなのだが、ミュージックビデオが好きなのだということを改めて自覚したのでした。
amazarashiは圧倒的に言葉が重い。ガラス細工のように繊細に扱いつつ、迸る歌詞はまるで振り下ろす鈍器のよう。7分近くのミュージックビデオは可愛らしい独特のイラストと言葉が見事に融合していて、正直ひらがなって面白いなぁと思ってしまう。漢字よりひらがなの方が数倍恐怖で、それは多分漢字は男性的でひらがなは女性的という思い込みが作用している。
10秒ぐらいでピアノの音色に弦楽器の音が重なって、ここで世界がもう構築されているのがすごいなぁと思う。漫画『月曜日の友達』の世界が、音で表現されている。海辺の町。都会から離れたほどほどの否か。空間が開けていて、しかし世界は狭い。緑の匂いと塩気の混じった風が鼻孔をくすぐる。それが、水谷と月野が生きる町の匂いだ。
この曲のハイライト、あなたは特別という秘めた言葉の告白。一番一番大切な思いを告げて、一気に駆け抜ける言葉たち。映像も併せて今まで抑えていた感情が爆発する感じが、とても好きだなと思う。そして、余韻。ここの水谷と月野のやりとりは漫画には無かったと思うので、いいなぁいいなぁと思いながら最後まで映像を見ることにする。
わかるなぁ、と思って最初はこの曲も聴いていたし漫画も読んだけれど、音楽も芸術も、あらゆる楽しみは人によって色々な楽しみ方、解釈ができると思っていて、この曲を聴きたいときにこの曲を聴くとちょっと頑張れるというか、そういう曲なのでした。要は、意味に引きずられなくてもいいのかなということ。共感は必ずしも必要ない、のか。
文字、怖い。文字、好き。そういうミュージックビデオです。
amazarashiは他にはひたすら肉喰っているMVとか、ただスピーカーを眺めるMVとか、確かに言葉なんだな。
浅学は承知で、好きだと、良いのだと言いたい人生だけれど、そういう姿勢はどうなのだろうかとうだうだ考え、それを書かざるを得ないこの業を一体どうしてくれる。お喋りなのです私は。