平成が終わる、らしい。
よくわからない。
最近めっきりニュースを見なくなってしまい(それは良くない傾向であると思っている)新元号が発表される4月1日11時前後の私はふわっと浮ついた空気がどことなく気恥ずかしくぼんやり不快であったものだから、作業室で作業してた。自分はつくづく面倒くさい人間だと思った。
平成が、終わる。
よくわからない。
よくわからないということ、それが私の平成の最後であります。
ふわわわわんとした感覚で迎える平成の終わりに、じゃあ私は何を思うのか。去りゆく平成に何を残すか。何があったと言いたいか。歩きながら考えてました。しばし考えたのち、私の出した答えはこれです。平成は「波風サテライト」でした。
「波風サテライト」というのは、多分私が好きな曲ベスト10に入るだろう曲で、アーティストはシュノーケル、アニメ『NARUTO』のオープニング曲に起用された曲でありました。
世代がバレますが、私はアニメ『NARUTO』を見ていたドンピシャ世代でありまして、当時通っていたスクールが終わると水曜(だったかな、木曜だったかな)のテレビの中で毎週NARUTOは放送されてました。
思い出深いクリスマスプレゼントはNARUTOのコミック20巻(当時の最新巻が多分それくらいだった)で、結局途中で読まなくなり完結しないNARUTOのコミックが私の家にはまだあります。でもいまだにそれだけは手放すことができないんだなぁ、愛着湧いちゃって。
話が逸れた。
アニメのNARUTOは、OP/EDの曲が良くて(それはNARUTOに限らないけど)特に「波風サテライト」の良さは当時から尋常ではないものを感じていた。
あまりに好きすぎる。OPの映像も大好きだった。疾走感。音の弾けかた。ちょっぴりの切なさ。水。海岸線を全力疾走している自分。サイダーみたいな発砲感(私炭酸飲まないけど)。この曲を聴けば私はいつでも無敵だった。この曲を聴くと、自分は大丈夫だと思えた。
それまで特別好きな音楽ってのがわからなくて、周りがやれ、○○がかっこいいとか、××の音楽が好きとか、全然わからなくて「何かが好き」ってどういう感情なのだろう。好きって、何だろうか。私にも好きなものって見つかるのだろうか。そう思って多少不安になっていた私に、すっと飛び込んできた大好きな音楽。それが「波風サテライト」だったのかもしれない。
あの頃から多少なりとも私は「大人」になった。やばいな、まともに20歳を迎えられるとは思えない。そう思った時もあったけど、死ななかったらいつのまにか生きている。それに20歳をとうに超えて、いつのまにか30歳が近づいている。時間の流れとはまったくもって早いものだ。
好きなものが好きであったということ。好きであることの感動とか喜び。私は飽きっぽいし忘れやすいから、きっとどこか奥深いところにしまわれてしまう。それはそれでいいのかもしれないけれど、時々思い出して飴を口の中で転がしてじんわり甘さを味わうみたいに、懐かしみたいのだ。だからその時の感動をできるだけ残しておきたい。
というような文章をちまちま書いていたら、いつのまにか平成が終わって令和が始まっていました。日常としては例えば「令和元年5月14日に工事します」とかそんな張り紙を街中で見かけたぐらいの、ちっぽけな実感である。日常はさほど変わらない。
じゃあ。
考える。
令和で、私にとっての「平成の波風サテライト」以上の何かが起こるのかなぁ…と。出会えるのかなー。「起こらなさそうだし、出会えないんじゃない?」と瞬時に返す自分がいる。でも、何年前だろう、10年以上前か。あの時「この先自分がどんな風に生きているか知れたもんじゃない」と思っていたあの頃とは全く予想だにしていなかった世界を私は生きているのであり、生きている限り何が起こるかはわからないのだろう。
もしかしたら、令和の波風サテライト、出会えるかもしれないな。