根津と時々、晴天なり

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【舞台】ミュージカル「INTERVIEW~誰か僕を助けて~」感想

行ってきたミュージカル:INTERVIEW~誰か僕を助けて~

日時:2018年10月7日(日)17時の回(シンクレア演じるNさんが属するVIXXのファンなもので)

※当日券組。席は舞台から遠いけれど、オペラグラス使用せず鑑賞。もっと近くで見たかったなと思いつつ、舞台全体を俯瞰して見れたので良かったです。

 

以後はネタバレも含まれるかと思うので、閲覧にはご注意願います。

感想

人間って面白いな、と思ったミュージカルでした。この場合は「興味深い」というニュアンスが入る「面白いな」なのだけれど、本当に面白かったです。人間って多面的だし色々な顔を持っていると思うのですが、普段その多面性って奥の方にしまわれていて表に出てこない。出てきたとしてもそれは非常にはにかみ屋さんというか、シャイで、こっそり出てくるものだから慎重に探らないと見つけられない。

そういう意味でミュージカルって個人の欲望や感情を発散するようなところがあるなぁ~感情がバンバン客席に流れてくる~色んな感情が、その人の色んな側面が見られて超好き~と思いながら楽しく見ました。

 

今にして思えば、一番切ないなと思ったのは、《シンクレア》君がユジン先生との面接で「ちょっと小説書いてみ?」とお題?を出されてペンで書いた物語のパート。ここから《シンクレア》の物語が動き出していく、その最初のハラハラする場面。

ここで《シンクレア》君は「でも、この物語は退屈で平凡でしょう?」みたいなことを言ったと思うんです。これ、あとから考えると「切ない…」ってなる場面で、今これを書きながら悶えています私は。

そうなんだよね。もう悲劇も喜劇もずいぶん昔から人間は考えだしたものであって、2000年以上人類は人間をやってきたから、色々なことは既に語られている。《シンクレア》君に起こったことは何も彼だけが経験したことじゃない(もちろん時代設定から考えると、《シンクレア》君に起こったことは当時としても、現代でもとても珍しい事例なんだと思うけれど)。でも、《シンクレア》君にとっては耐えがたくつらい出来事であり、それを「退屈だ」「平凡だ」とはとてもじゃないけれど言い捨てられない。本人にとっては唯一無二の出来事だから。

というわけで、《シンクレア》君が自分の経験を無意識?でも「平凡だ」「退屈だ」って表現しちゃったあたりが、めちゃめちゃ切ないなと思いました。

実はINTERVIEWと似ている設定の話を知っている人間です。本編の内容は詳しく知らないまま当日観に行ったけれど、途中から「あ。」って思いました。だから「そういうこと」があるのも驚かないし表面的に見れば全然新しい事じゃなくなっている。でも、そう思ったら駄目なわけで、《シンクレア》君の挙動から《シンクレア》君の感情を1つひとつ丁寧に追っていかないと…と思いながら見ました。これを「よくある話ではないけれど、まあ聞いたことはある話」でカテゴライズしてしまうのは非常に危険だし、というか世の中のすべての物語も枠だけ決めてわかったようになるのではなく、肉付けの作業を自分の中で丁寧にやらないとなと思いました。楽しー。

 

音楽が良かった

サントラ欲しい!!!って思っているんですけれど、本当に制作会社さんサントラ出すつもりないですか?めちゃめちゃ好きなのですが…。

冒頭の《コマドリの歌》で泣く。これ誰が歌っているんだと思ったら、《シンクレア》の姉さんであるジョアンの歌声なんですね。「誰がコマドリを殺したの?」というフレーズが印象的。ちなみに調べてみるとコマドリは物語の舞台であるイギリスの国鳥らしい。というか、劇中で歌われているのは「クックロビン」というマザーグースの中の1篇らしい。はわぁ…。己の無知さを痛感する。その水樽のような脳みそに一体何をため込んでいるの私。こういうこともっと知らないと。

他にも色々と民話や童謡を用いた部分があったのかしら。わからないな。

日本でも和歌の分野などは「本歌取り」とかいう技法があって、有名な古歌の一節を使用する技があるけれど、知っている知識をちょっと表現に加えて「わかる人にはわかるよね?ふふふ」みたいなやり取り、知らない人間からすると超悔しいので私もわかるようになりたいです!!!(←何の宣言(笑))勉強します!!!

 

話を戻そう。

音楽が良かったです。とにかく。どの歌もどの音も、私好みなもので効果的に使用されていました。《シンクレア》のスイッチが変わるところの「ぎぃーーーーーー」という音楽にすごく驚きました。

事前知識ほぼ無しで挑んだために、ユジン先生が普通に歌いだしたときはびびった…あ…ミュージカルだった。台詞と歌を織り交ぜたパートだったり、ヒリヒリする掛け合いシーンとかも良かったし。

私は、シンクレア演じるエンさんがどのように歌うのか、まったく知らない人よりは知っている人間だったのでその目線になってしまうけれど、結構歌い分けていた気がして面白かったです。ミュージカルと歌手の発声って違うのかな。

 

椅子、たばこ、酒

今回の舞台はINTERVIEWということで、ところどころ詰問する場面があるけれど、そういう「告白」シーンにふさわしく椅子が良かったです。椅子が良かったってなんなんだって思うけれど。あのエンさんがどの《人間》のターンだったかな、椅子をガツンと蹴ったところとか痺れましたね…「あのエンさんが…」って考えるのは見るうえでは野暮なことかなって思ったりもするけれど、それでもVIXXのエンさんを知っている身としては「くうううううう…」と胸が締め付けられる所作の数々があったのも事実。

酒を豪快に煽って「のど越しが…」とか言っていたり、暴力的な言葉で言い捨てたり、たばこを吸っていたり。所作を見るのは本当に面白いです。

個人的には、歩き方と立ち方で《人間》の切り替えの変化を楽しんでいたんですけれど、マット君の歩き方はエンさんの素っぽいなって思ったけれど、鞄の紐をぎゅっと持つ感じはマットさんなのかなそれともマットさんが演じてるものなのかなって考えたし、ノーネームさんの優雅で品がある立ち方も素敵でした。アンちゃんにはドキドキしたし(これは良いものを見た)ウッディも良かったよなぁ。ああもう1回観たい。

 

印象的だったシーン

マット君がジョアンの言葉についにキレて(本当にプッツンだった)逃げるジョアンを追い詰めるシーンでのこと。舞台セットの正面右手のドアに駆け込もうとするジョアンの行く先を、バンッと伸ばしたマット君の腕が遮るところ。

めっちゃ、良かった。とってもドキドキした。ここで伸ばした腕をそのままジョアン姉さんの首にくるっと絡みつけるのね。あー、終わった…って思いました。

僕は姉さんの人形だったんだね。そう思い知らされた時のマット君の絶望。元々は望まない関係だったのを最愛の姉の望みを叶えるために自分を押し殺して生きてきたマット君。そもそも姉を「最愛の人」とすることさえ、マット君の本心だったのか怪しい。それくらいマット君の置かれた状況は過酷なもので、彼が取れる選択肢が本当に限られていて、ああ、悲しい話だ。

 

他人物考

マット君以外の《人間》たちも魅力的でどのように誕生した人間なのだろう、と気になるところです。ジミー君は暴力的で短気そうな人間だけれど嫌いじゃない。ノーネームと仲が悪そうだなって思った。マット君を田舎者、自分を都会の人間、みたいな言い方をしていた気がするけれどその点もう少し考えたいからやっぱりもう一度見たい。ジミー君はマット君についてどんなことを思っているのだろう。

ウッディ君はアンちゃんとの二卵性双生児。ジョアンと遊ぶときは《アン》でなければならない、と思っているため《ウッディ》と呼ばれるのを嫌がる。ちなみにマット君が最初の面接で作った物語の主人公はウッディ、ウッディをそそのかして母親を殺させる怪物はノーネームであった。私、混乱。ウッディはジミーを兄さんと呼ぶ(確か)。アンちゃんはジョアンの友達としての人間なのか。ウッディに対する姉っぽさが良かった。しかしジョアンの影に対してめちゃめちゃ怯えていた気がする。

そしてノーネームさん。人間のまとめ役。すべてを知るもの。ユジン先生はこの人物と出会わなければならなかった。ノーネームさんって健気だなぁ…と鑑賞中にふと思った。どんなところに対してかうまく言葉にできないけれど、すごくつらい立場だ。

 

思うに誰もがジョアンを殺すことが可能だったしこの結末を予見していたのだと思うけれど、誰もジョアンを殺さなかったのはマット以外の人間が殺してしまうと当のマット君が混乱するし表面上は「マット君の生の拠り所」となるジョアンさんだから、マット君の手でその時になったら殺さねばならないと思っていたのか知らないけれど、結局ジョアンさんを殺めてもマット君はそれを許容することができなくて脳の回路をノーネームさん達が断ってしまったわけで、ではどうすればよかったのでしょうか。(教えてくれ)

また、マット君がジョアンを殺したあと自殺しようとしたので、ノーネームさんが昏倒させ死体処理をした話も良いなぁ…と思いました。これ、ノーネームさんだけでなく、ジミーもウッディもアンちゃんもそれぞれ処理の一部を担うんですけれど、これはジョアンへの弔いなのか、もう一度「自分で」ジョアンを殺すことなのか、どちらを意味するのでしょう?アンちゃんなんかは確か遺体を川に浮かべて花を散らして…と言っていたので弔いに近いと思いますが、ジミー君はもう一度ジョアンを殺したのかな、とか。ここをノーネームさんだけでなく「みんなで」行うのが印象的でした。

 

納得がいかなかったところ

10年後になってマット君がまた殺人を犯すようになったこと。ここ完全なる私の理解不足です。マット君が交際するようになった女性と月日を送るうちに、段々女性の方の気持ちが冷めていって(あるいはマット君を気味悪く思うようになり)それにジョアンさんの面影が重なってプッツンって感じでしょうかわからない。

徐々に他の人格たちとの支配下から脱するようになった、とも言っていたし、マットとして自立できるようになってきたということでしょうか。他の人の考察も見てみようと思います。

 

人は誰しも怪物を飼っている

と思います。それは物語中も何度も強調されていた言葉でした。

私自身その怪物を見てみたいという好奇心は常にありますが、実際他者が飼うその怪物を生身の自分が引き受ける立場になると、想像以上にしんどいなと思います。普段、人間は理性でもってその怪物をどうにか手なずけ支配下におこうとしていますが、ふいにその箍が外れて怪物のしっぽぐらいまでは垣間見ることができます。例えばお酒の席とか。それだけでドキッとするのだから、怪物本人が登場したら一体どうなるのでしょう。

今回演じる上でも様々な引き出しが必要な難しい役だったと思います。《シンクレア》は。そういう素敵な役をVIXXのNが演じている貴重なところを見ることができて良かったと共に、私が大好きな人たちが全員この役をやってほしい、と思いました。もっとこのミュージカル、やってくれないかな。

 

私は、途中から私が好きなVIXXのNと、彼が演じる《シンクレア》という役を切り分けて見てしまったので、あまり演技については言及できませんが、この役はエンさんにとってもはまり役というかよく似合っている役だなと思いました。エンさん、ハイタッチしてくれてありがとう。すごくエネルギーの必要な試みだと思うし、正直あのエンさん見たら「こんなこと(ハイタッチ)しなければならないならVIXXという荷は降ろしていいよ、アイドルやめていいよ…」という気持ちになるくらい、優しさの中に演じることの疲れが見えてしまって複雑だけれど、とにかくエンさんありがとう。

 

 

直後のこの呟きが、このミュージカルを見た感想のすべてです。良い作品を見ると、生きたくなる。それがとことん世界の残酷さを描いていたとしても。

 

またこのミュージカルは本当に当日の朝まで行く気が無くて、でもお声がけいただいて行けたものでした。自分の時々ネジの外れたようなフットワークの軽さと、暇人体質を褒めたたえたのと同時に、声をかけていただいた方に感謝です。

私もそうやって、誰かの背中を押せるよう好きなものに対する愛を語っていければいいなぁ…と思いました。

行動力大事!!!公式でチケット取らなかった私の馬鹿!!!えねねんお疲れ様!!!

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