根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【雑記】私主体で

「私はアイドルをゆるく追っかけているのが好きです」

そうやって言葉にできるようになるまでどれくらいかかっただろう。このブログを開くことができるようになるまで、だ。2015年11月にこのブログを作ったみたいなので、大体1年ぐらいはドアの隙間からこっそり見るような感じで細々とアイドルの曲を聴いていたような気がする。今もライブやイベントにはほとんど行かないし、本当にがっつり追っている人の足元にも及ばないけれど、少なくとも「アイドル」という言葉は遠い遠いどこかのお話ではなくなった。

 

私が「好きだ」と宣言している対象は、生身の人間だ。「アイドル」という生身の人間の物語だが私は好きだ。それを消費している。だから、本当は、本当は、こういうブログ自体続けるべきではないよな。そう思うこともある。時々もやっとしながら、それでも私はたまにこの場に来て自分の好きなものに対する思いを書く。業だなと思う。それならば、せめて誰かを傷つけないようにやっていかないといけないのだろう。愛を持って書こう。独りよがりだけれど、独りよがりにはならないようにしよう。なんてことを想っている。難しい。だって、この文章を書いている時点で出来てないから。

 

K-POPアイドルをゆるく追ってきて、今日、2018年4月15日(日)に思ったことがある。それは「与えてくれることを望んではダメなんだ」「私が好きでないといけないんだ」ということだ。

生きている人間は変わり続ける。その変化が自分の望んでいる方向性で無いとしても、恨んではいけないし、呪ってもいけないし、罵倒してもいけないんだ。誰にそんなことができよう。そんな権利があるのだろう。その変化に対して私がどう思おうが私の勝手だけれど、その変化自体を否定できないし阻止できないし無かったことにはできないし。

「Aがこういう人だから、こういうところが素晴らしいから私はAのことが好きなんです」は「Aがこういう人でなければならない」とイコールにしてはダメなのです。「好きであること」をAの問題にしてはいけない。あくまで私の問題でなければならない。私がAのことが好きじゃなくなったら、それでいいのだ。好きでなくなったら、私が立ち去ればいいだけのこと。

 

というのが「私主体」というタイトルの意味なのかな、と書きながら思いましたとさ。

 

こんなことを書いていると「お前関ジャニ∞のファン」なのかという話になるかと思いますが、そうでもないです。2回ほどライブに行かせていただいて、彼らの曲をどれほど知っているかと言われれば多分一般人レベルです。気になるのは丸山さんですが、他のメンバーも等しく好きです。人間のタイプで憧れるのは丸山さんかなって感じの「気になる」です。

 

 

ファンの方は色々と思うところがあると思いますが、希望や喜びが反転した結果、失望や怒りが呪詛と化して誰かの心を侵食し食い散らかすことがないことを願います(←ちょっとカッコよく言ってみた)。年末からアイドル関係のニュースがあるたびに、非常に強い言葉が拡散され、その強さに惹かれる一方でエネルギーを持っていかれたものですので。

 

私は関ジャニ∞の曲でパッと浮かぶ好きな曲は「象」なので、今日は休みですし、どこかにしまってあるであろうDVDを引っぱり出して観てみようと思います。

 

呪っちゃだめですよ。