根津と時々、晴天なり

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【映画】人は見たいものを見ている話/「三度目の殺人」観てきました

映画「三度目の殺人」を観てきました。

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一カ月前の話になりますが、9月の三連休初日。別に遅い時間でも早い時間でもないのに映画館は全体的に人がいなくて、なんだかな~と思ったのを最初に書いておきます。普段レンタルを利用するわけでもなく、映画はあまり見ない人間なのだけれど、それにしても人がいなくて寂しく感じられました。まあ私が行った立地にもよるのでしょうか。

映画館は、観る映画の時間と内容と客層を考えて選べば、ストレスなく鑑賞できる空間であるのだ、とこの1年くらいで気がつきました。むしろ自宅で観るより音響や映像面での感動が大きいと思っているので、今後も興味がある映画は率先して映画館で観に行きたいな。

 

三度目の殺人」を観ようと思ったのは、単純にそういう映画が好きだからです。

人間の闇みたいなものを描いている邦画が、私は好きなようです。

gaga.ne.jp

 

以下、私は映画を観て感じたことをつらつらと書いていきます。

 

ピーナッツバターっておいしい

この映画では「ピーナッツバター」というアイテムが登場します。なお事件と関わる重要度が高いアイテムではない(多分)。確かに大切なアイテムなのだけれど、それが意味するものは映画を観ていけば自然にわかるものです。

ピーナッツバター、おいしいですよね。食パンとかコッペパンとかにたっぷりつけて口に入れると、広がるはべったりした甘さ。たまりません。と言いつつ、滅多に食べないけれど。だからこそ、おいしいのかな。作品のなかでピーナッツバターたっぷりつけて食べるシーンがあって、うわ~絶対あれおいしい、でもちょっとつけすぎじゃない?と思いました。ピーナッツバターが妙に引っかかってしまった。

 

飴ちゃんも良かった

殺人事件を追う弁護士・重盛の弁護士事務所の事務の女性が良かったです。この事務所には重盛さんだけでなく、重盛さんの司法修習生時代の同期や、弁護士ほやほやなのか司法修習生なのか、司法家の卵みたいな若者がいて、彼らのサポートを一人でこなしているっぽい事務の女性がいい味を出しておりました。

彼らが焼き肉つつきながら「この事件どういう落としどころに持っていきましょうかね~~~へへへ」みたいな話をしているところに彼女は混じって「そもそも殺したことは同じなのに怨恨か金銭目的かで量刑が変わるってどうなんです?」みたいな、「そもそも論」を投げかけていたりして。序盤に彼女がたずねたこの問いは、後から振り返ると非常に意味のある問いである、ということもこの際言っておきましょう。人を裁くのは、人なんですよね…。人だということは、絶対もない。真理もない。

 

この事務の女性(名前を覚えていない)で印象的だったシーンが1つあります。

法律事務所なんて、普段生きていてなかなか立ち入ることもなさそうな場所に、あるとき1人の女子高生が訪ねてきます。彼女にとってこの事務所に足を踏みいれることは極めて重要なものであり、勇気がいることなのだと思うのですが、帰り際、一人事務所から返る彼女に、事務の女性が「はい、飴ちゃん」って1つ飴を差し上げる。

グッジョブ、飴ちゃん。

この「はい、飴ちゃん」で私は「うわ~~~~~~」っと勝手に盛り上がっていました。いい響きだ。凄く素敵だ。飴ちゃんってところが最高。

 

 

見たいものを見ている

この映画で一番強く感じたのは「人は自分が見たいものを見ている」ということでした。

殺人犯の三隅をどう捉えるのか、関係者たちは自分が見たいものしか見ない。真相なんてどうでもよくて、「戦略的」に裁判で自分が望む(犯人が望む、じゃないんです。弁護をする自分が望む)判決を勝ち取るための作戦を練っていく。次第に三隅そのものに興味を抱く重盛弁護士は、彼の周辺を調べていくけれど、それも結局「自分が見たい」「自分の頭で考えられる」三隅像でしかない。最後の最後でこちらに提示される問いは、そういうことを言いたいのではないかと私は勝手に思っています。これもまた「私が見たい「三度目の殺人」という映画」像なのです。

三隅という人物は最後まで掴めませんでした。多分一番三隅と近かったのは、広瀬すずさん演じる女子高校生だったのだと思います。

 

難しかったです。面白かった。

物語上の主導権が、最初と最後で逆転しているのも面白かった。「弁護をする側/される側」という関係の重盛→三隅から、重盛←三隅という「問うもの/問われるもの」の関係へ。力やテンションの差が逆転するのが面白かったです。

 

 

映画「三度目の殺人」を観てきました。