根津と時々、晴天なり

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【読書】 毒は連鎖するのか、あるいは。―本多孝好『チェーン・ポイズン』を読んで

チェーン・ポイズン (講談社文庫)

 本多孝好さんの『チェーン・ポイズン』を読みました。

 昔『MOMENT』とか『WILL』とか読んだけど、すっかり忘れてしまったので、もう一度再読したいところ。

 他には、映画化もされた

ストレイヤーズ・クロニクル ACT-1 (集英社文庫)

 『ストレイヤーズ・クロニクル』を読んだことは記憶に新しい。この物語の設定大好きなんよな。超能力モノ、かつ、なかなかにシリアス。

 

 さて。今回読んだこの本。

 めっちゃ面白かったです。特にここが物足りないんだよな~みたいな感覚はなく。会話のテンポが今回はばっちしハマりました。(ま、誰が何をしゃべっているかわからない、ってのはあんまりない。そういう基本設定ではないからだ。)面白いか、と言われれば面白い。その理由はまだ後ほど語るけど、話的には重たい。生と死。私は特に、生きることを望んでいるにもかかわらず死の淵に立たされている人と、まだまだ生きられるのに死に誘われてる人との対峙で泣きそうになりました。重すぎる 。つらすぎる。どっちもわかるのに、どっちも相いれない状況。くぅ~~~~~。

 ということで、今日はこの本について熱く語ります。

 

 最初に言っておくと、この本はオチを知ると感動が半減します。だから未読の人でネタバレを知ってもいいという人はこの先読んでくださいね。私は初見で読んだ時、ほんとに唖然としました。マジか、と。その感激は初見ならではのもの。

 

 それでは。

 あらすじ・登場人物

 この物語は、ある女性が毒を飲んで自殺する事件から動き出します。

 雑誌記者の原田は、ある自殺事件を知ります。独身OL女性、高野章子の自殺。それだけなら悲しいことに大したことない自殺のように思われます。しかし奇妙なのは、一般人にしては珍しい「毒を飲んでの自殺」ということです。そして原田は、自分がかつて取材をした2人の人物とその自殺に関係があるのではないか?と考えました。2人の人物のうち1人は、天才と称されたものの難聴を発症し演奏家としての人生を狂わされたバイオリニスト、もう1人は、妻を轢き殺され誘拐された娘は凌辱された後に同じく轢き殺されてしまった遺族男性。2人とも、すでに自殺していて、奇妙なことにその方法がOLと同じように「毒を飲んで」の自殺なのです。しかも彼らはいつ死んでもおかしくない絶望を突きつけられたにも関わらず、1年ほど経ってから亡くなっています。なぜ絶望がやってきた時を乗り越えられたのに、1年経って亡くなるのか。しかも2人とも・・・。

 

 この話は、2つの目線で交互に語られながら進んでいきます。

 キーワードになってくる登場人物は「高野章子」という女性。

 

 「高野章子」と思われる女性目線の話、と

 高野章子の自殺に疑問を抱く雑誌記者・原田の目線。

 

 1人の人間をめぐって、生きていたとき彼女が見ていた世界の時間軸と、亡くなった後の彼女が何を見ていたのかを探る時間軸、2つの目線と2つの時間軸が交互に展開される、というなかなかにややこしいストーリーです。

 

 ネタバレを言うと、先に挙げた「高野章子」と思われる女性は、高野章子ではありません。本名は槇村悦子。この名前は最後近くになるまで明らかになりません。しかし、読者が、目線の1つである「死にたいと思う女性」=「高野章子」と思いこむように誘導されていたのだと思います。注意深く見れば、違和感はいくらでもあるのですが、それより話を先に読み進んじゃえ、という気持ちが私の中にはありました。先を知りたい。どうして「高野章子」(実は槇村悦子)が死ぬのか(結果的には槇村悦子は死なず、高野章子は死ぬので、それを記者は追っていきます)知りたい、という、文章にするとややこしいですが、そういう理由でどんどん読んじゃうんですね。は~やられました。

 

 つまり整理すると

 解説できる自信がありませんが、高野章子が自殺するタイミングと、槇村悦子が自殺を思いとどまる日は同じ(あるいは数日内の範囲のズレ)である可能性が高く、槇村目線で話が語られるときは、高野章子も生きていました。なのでこれは確かに高野章子が生きている前と死んだ後の話なのです。

 

①(語られないが高野章子が死ぬ前)「高野章子」(槇村悦子)が死ぬと決めてから、結局生きるまで、という時間軸

②(高野章子亡き後)高野章子の自殺を疑問に思い、その自殺を調べ始める雑誌記者・原田が最後真相にたどり着くまでの時間軸。

 

整理して見るとこんな感じでしょうか?

 

真相

 事の発端は、高野章子がホスピスで学者の先生から、その葉を粉末にすれば毒になる植物の種をもらったことに始まります。その植物が育ちきるまでは「1年」。

 死に惹かれていた章子になぜその学者は種を渡したのか?本当のことはわかりません。高野章子は植物を育てて1年後に死ぬことを決めました。毒を飲めば苦しまなくて済むだろうし。生きている実感が湧かない彼女にとって、その1年は「救い」でした。その救いをぜひ誰かにも「おすそわけしたい」(←作中、このように表現されているわけではありませんでしたが、私はこのように感じました)その思いで、メディアを通して知った、絶望に打ちひしがれているであろう人(バイオリニストと遺族男性)に毒入りのカプセルを送ることを決め、実際に植物が育ち毒ができると彼らに送りました。

 槇村悦子との接点は、たまたま公園で彼女と言葉を交わし、自分と近しいものを共有できている彼女にも「おすそわけ」しようと思いました。その場面が、冒頭のシーン。結局槇村悦子は、1年間の間に生きることを決めます。だから彼女だけ死ぬことはありませんでした。

 

槇村悦子=「高野章子」と錯覚したトリック

 丹念に読めば、このすりかえトリックはわかります。勝手に読者が誤認しちゃうのですけども。いくつか違和感はあって、雑誌記者が調べる高野章子と、当事者目線で語る「高野章子」の人物像に若干ずれがあります。私はそれを、「死ぬと覚悟を決めたことで人格も何か解放されたところがあるのだろう」と考えましたが、実は元々違う人物だったのでした。

 私がよくわからなかったところも、トリックを解く違和感だったと思います。ポイントの1つに「形見分け」というものがあります。高野章子も「高野章子」(槇村悦子)も、ある期間ホスピスのようなところでボランティアをします。そこでそれぞれ老人から「形見」をいただきます。1つは先述通り「毒性のある植物の種子」、もう1つは「懐中時計」でした。

 「高野章子」目線で形見は懐中時計と書かれているのですが、同じボランティアをしている大学生の子に特に何かを話した様子はないにもかかわらず、雑誌記者の取材では大学生の子が「高野さんは何か形見をもらってたみたいで「生きる時間をもらった」と言ってましたよ」みたいな発言をしています。あれ?と。そんな場面「高野章子」sideではあったかな?と。よくよく見かえすと、双方が形見をもらった時期も違うんですよね。ほー、と。

 

 あとは、読み終わった後に気づくけど、違和感を感じない程度に、「高野章子」sideの時に彼女が名前で呼ばれることはなかったんですよね。普通「○○さん」なんて他人からは呼ばれることもあるだろうに、そういうことはなかった。「おばちゃん」とか「あなた」とかそういう呼ばれ方だけ。気づかなかった~~~。

 

 ということで、叙述トリックといいますか、小説独自のトリックでした。騙されました。

 

感想 毒の連鎖を絶った者

 色々と思うことはありますが思うのは、死者の背中を押す、ということについてでしょうか?

 特に、高野章子が贈った毒で死んだバイオリニスト・如月と遺族男性・持田の2人。彼らは確かに圧倒的な絶望に襲われていて死に近い人ではあったけれど、自発的に「死のう」と思って明確な意思をもって、そのカプセルを飲んだような感じではないんですよね。「まぁ、死ぬのもいっかな」程度。それって、まだまだ救える可能性があった状態だと思うんですよね。なんとなく。だけどそれを高野章子が背中を押した。その意味で、彼女の罪は重たいと思います。が、彼女は完全に死ぬまでの1年を「救い」と信じていました。何かを信じる者は強いが、同時に恐ろしい。そういうことを感じました。

 その一方で、そのような毒の連鎖を断ち切ったのが槇村悦子。絶望の質が自殺した2名の男性と違うと言われればそれまでですが、しかし彼女は死にませんでした。多分「残り1年」を真剣に捉えていたからだと思います。残り1年だから、もう何があってもいいや。そういう気持ちで日々生きてきて、偶然にも出会いがあり、彼女は本音で生きるようになります。その結果、死なずに済んだ。その真剣さが違いなのではないかと思います。なんとなく。偶然の出会、それならあまりにも死んだ人が悲しすぎる。

 

 最後に。

 高野章子を追う雑誌記者が、病院の院長と話す場面が印象的でした。

 「いささか、彼女(高野章子)の死に悩みすぎでは?」と聞かれた時に、記者はこう答えます。

死ぬ前は生きていました。

だから、生きていた高野章子を理解したいんです。

(中略)

最近、ふと思うんです。たとえば、街中で誰かと肩が軽く当たる。ぶつかるというほど強くなくとも、そのとき、私が一言、すみません、と声を発していれば高野章子は死ななかったんじゃないかと。

 高野章子と自分はどこかでつながっていた。お互いに気づかなくてもきっとどこかでつながっていた。

 

 多分これも、毒の鎖なんだと思います。

 

 すみませんと言わなかった。挨拶をしなかった。席を譲らなかった。コンビニでおにぎりを買った。落とし物を届けた。

 

 バタフライエフェクトではないですが、自分のささやかな行動が、きっと何かとつながっている。そういうのを荒唐無稽だと思うかどうか。

 

  高野章子を救うタイミングはいくつもあった。だけど色々つながった毒をその器に取りこみ続けた。もしかしたら終わらない残業かもしれないし、同期の軽蔑の念かもしれないし。その1滴さえなかったら、あるいは。なんとも悲しいお話であるのと同時に、自分のささやかな行動を見つめ返す契機になりました。

 

 興味があれば、ぜひ。