突然ですが。
幼い頃に親に言いつけられたことで、今も役になっている教えが1つあります。
「図書館で本を借りて、どうしても、もう一回読みたくなったら本を買いなさい」
本当にありがたい。
おかげで破産せずにちゃんと生きていけます。
私は、小学生ぐらいから本を読み始めました。動機は不純なものでした。物語に魅了されて、とかそんな綺麗なきっかけではなく、その当時の学級では先生お手製の「読書カード」なるM画用紙の読書を記録するカードがありまして、読めば読むほど本のようにつなげていくのが嬉しかったから、というモチベーションでした。まあ、何かを始める時ってそういうものでしょうけど。その読書カード、その人がどれくらい読んだのか厚さを見れば一目瞭然な作りでした。その当時「本を読む子は頭がいい」という先入観があって、私は誰よりもカードを厚くすることに躍起になっていました。その時から「本は質より量」という意識が頭に残り、しばらく残り続けました。
そんな状況ですので、娘の求めに応じればいくら書籍代がかかるかわかりません。裕福ではない一般家庭ですので、親は一応考えたと思います。で、生まれたのが「本を買うのはもう一度読みたいと思ったときだけ」という言葉でした。結果的に、私は地元の図書館によく通い、学校の図書室の常連になりました。
前置きは長くなりましたが、つまりここで言いたいのは、今でこそ「読んだことのない本」も少しは本を買うようになりましたが、私が本を買うというのは稀なことなのです。本屋さんに行っても、買おうと思っているのに買わないで帰ることもしばしば。本を買うということは勇気がいることなのです。
だけど。
この本は、読み終えて早速買おうと思いました。できればハードカバーで。でも、ページ数多くて、本だけで人を殺せそうな(失礼)ボリュームなので(しかも上下2冊)持ち運びのことも考えて文庫本に妥協。
高田大介さんの『図書館の魔女』です。
単行本では上下2冊。文庫本はさらに分かれ、4冊に。これだけでものすごい文章量であることがわかります。文庫本1,2巻が上巻、3,4巻が下巻に相当します。
一言で言うと、架空の世界を舞台にしたファンタジー。しかし、ファンタジー特有の「世界のお約束事」はさほど覚えなくても大丈夫。そこには濃密な「言葉の物語」が描かれています。
ちなみに、「図書館の」と付いていますが図書館の仕事ぶりを描いている作品ではありません。(私はタイトルで騙されました。)そもそも舞台となる「高い塔」と呼ばれるこの図書館の役割は、図書の収集もありますが別のところにあるのです。
惚れました。それに尽きます。言葉がこんなに深いものだなんて。
『図書館の魔女』あらすじ
『図書館の魔女』の主要人物は大きく4人。
図書館の魔女と呼ばれるマツリカ。
マツリカの新しい手話通訳士キリヒト。
間諜に長け、様々な言葉の知識も明るい司書のハルカゼ。
まっすぐな性格で軍事の面で秀でている参謀的なキリン。
(ちなみにキリヒト以外全員女性です。図書館の魔女は、女性が活躍する物語でもあります。)
物語は、いつもと同じようで違うキリヒトの朝から始まります。
「一の谷」と呼ばれる国の王宮の近くにそびえたつ「高い塔」。慣用句にも使われるくらい世の人々に知られている「高い塔」は、人智の集積地とも言える。最終的に真理にたどり着きたい人々が求めてやまない知識が収められているのが、「高い塔」と呼ばれる図書館です。その図書館の主こそが、マツリカと呼ばれる少女であり、幾多の言語の知識を持ちながら彼女は「しゃべることができない」というのが、この作品の重要な部分です。
キリヒトは新しく図書館に仕えることになりますが、話すことができないマツリカと決して言語に明るいわけではないキリヒトが出会うことで、物語は加速度的に展開されていきます。
惚れたところその1:事物の緻密な描写
人物やモノの描写がうまい作家さんは多くいると思いますが、私はこの小説の最初の数ページでがっつり心を掴まれました。
キリヒトと師匠である「先生」との静かな里での暮らし。図書館に赴くためにその里から去ることになるのですが、里での別れの様子など。きっちりと描いていきます。私もこんな風に静かにひっそりと暮らしたい、みたいな隠居願望が芽生えました(趣旨とは違うだろうけど)。キリヒトの生活はある種の秩序があるように思えて、そういう生活における知恵とか哲学が関心事の私としては、思わずうっとりしてしまう淡々とした緻密な描写。
あとは、街の中の屋台をめぐるシーンがあるのですが、そこでの描写も大好きです。とっても美味しそうなんですもん。上橋菜穂子さんの『精霊の守り人』を思わず思いだしてしまいました。
惚れたところその2:登場人物が有能すぎる
基本的に私は、登場人物がその才能を如何なく発揮している物語がとても好きです。別にダメダメな人物でも何か一つ秀でているものがあって、才能の花が開花され、そのうち誰にも負けない存在感を発揮する物語。
『図書館の魔女』の主要人物は、実はみんな何かに秀でている人物です。マツリカは当然ですが、キリンやハルカゼはその才を見込まれて登用されているし、それはキリヒトも然りです。才能を開花する過程を追う作品ではありませんが、「適材適所」という言葉は大切だな~と思いました。自分が力を発揮できる領域で力をふるうことが、結局組織全体の力も底上げしているような。
マツリカは、洞察力の深さや、1つの言葉から広がる想像力の広さかつ正確さがすごい。
ハルカゼは、外には出ることができない体質で、しかし色々な言語に詳しく意味づけが深い。頭がいい。事務処理能力も高いのだと思う。情報収集に長けている。
キリンは軍略の面で秀でていて将棋も強い。正攻法で人と向き合えるし。高潔、ってイメージ。
キリヒトは、身体感覚に優れていて聴覚・視覚ともに鋭敏。素直で吸収力もある。
ん~~~。みんな、できるやつらばっかだ(笑)それが、いい。
その3:何より「言葉をめぐるお話」がすごい
『図書館の魔女』では、マツリカ様による言葉をめぐる講釈がたくさん展開されます。著者の方は言語学を専門に学ばれている人のようで、ファンタジーでありながらその講釈は非常にアカデミックな香りがします。教養に満ちています!ということで、ところどころ情報量が多く難解に感じてしまったのですが(それほど学があるわけではないので)ところどころで「あ~これはわかる!」という感覚があるのも面白い。頭がキレッキレなマツリカ様に対して、キリヒトは読者目線で問いを投げかけてくれるので、工夫がされているなぁと感じます。
言葉を手がかりに謎ときもあって、それが物語上重要なポイントになりますが、本筋とはあまり関係がない言葉をめぐる話も好きです。
私が印象に残っているのは
「言葉は不可逆」という話。
言葉は時間の流れに逆行しない。口にしても、文字にしても、書いても、手話で話しても、言葉は出てしまったら回収することはできない。時間の流れにただ沿うのみ。これは当たり前なのかもしれないけど、大変なことだとも思います。言葉は不可逆。ひどいことを言っても、相手が感じた痛みをそのものをなかったことにすることはできないように。
その4:伝える、伝わること
マツリカはしゃべることができません。聴覚は正常なので音は聞こえています。しかし自分が思っていることを他者に伝えるときに、その手段は「書く」ことか「手話」に限定されます(その障害に新しい解決策をもたらすのが実はキリヒトなのですが)。様々な知識に通じそれを体系づけることができていても、伝えることがままならない。手話という「言語」で表現できることにも限界があるようです。手話じゃなく発話においても、自分が伝えたいことが相手に100%伝えることは難しいように、コミュニケーションとは本当に面白いものです。うまくまとまりませんけど、ただ「うわ~」と読みながら思うのです。言葉って、伝えることって、大変なんだな、じゃあ明日は人と接するときはもっと気を配ろう、とか。
人の些細な所作で、言葉のトーンで、言葉選びで、何を選ばなかったかで(将棋の読みの話)色んなことがわかる、ってことをこの本を読みながら思うのです。そこに気づくか気づかないかは人それぞれ。うん、難しい。
まとめ
まとめることはまだできません。まだまだこの本を読んで感じたことがあるし、言葉にできていないこともある。壮大なファンタジーの世界。空想です。だけど、私の生きる世界に通じるものがたくさんある作品です。
言葉を大切にしよう。それが、とりあえずのまとめということで。
それでは。