治野です。あんまり体調を崩さない、ハイスペックな身体を持っていると自負しているのですが、今日は謎の腹痛。でも普通にご飯もりもり食べれるし、じみ~に痛い感じが嫌なところ。早いとこ寝てしまおうと思う。
私、「ドキュメンタリー」と呼ばれるものが好きです。といってもマニアックなわけではなくて
情熱大陸、とか
プロフェッショナル、とか
ちょっと違うけど
先輩ROCK YOU、とか。
とりあえず誰かが何かを語って生活している感じがわかるものがとても好きです。
先日NHKの「漫勉」を見ました。(浦沢直樹の漫勉 | NHK)
漫画かの浦沢直樹さんと一緒に、漫画家さんの作品作りを追っていこう!という番組です。今回『ソラニン』の浅野いにをさんの回だったので、録画しちゃいました。
その縁で知った、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』をこの度買ってしまいましたとさ(笑)だってすごい気になったんだもん。
(門出ちゃんかわゆす。)
今日はデがやたらと入っている長い題名の漫画について熱く語りたいと思います!面白かったんだもん。
あらすじ
3年前の8月31日。突如、『侵略者』の巨大な『母艦』が東京へ舞い降り、この世界は終わりを迎えるかにみえた―― その後、絶望は日常へと溶け込んでゆき、大きな円盤が空に浮かぶ世界は変わらず廻り続ける。小山門出、中川凰蘭。ふたりの少女は、終わらなかった世界で、 今日も思春期を過ごす!
8.31.
大体の人は、3.11を思いだすでしょう。あの未曽有の大災害を、です。3.11がなかったらこの作品は生まれなかっただろうし、多分これから生まれてくる人類よりは、「あの日」と「あの日から数年後」を生きた人だからわかる世界観が、この作品にはあります。
この物語上では、『侵略者』の『母艦』が日本にやってきたことで、たくさんの人々が亡くなったり行方不明になったりしたようです。それが、軍と『母艦』との抗争に巻き込まれてなのか、あるいはそれ以外なのか、はっきりとしません。そもそも『母艦』がなんなのか。『侵略者』は「侵略者」なのだろうか。一体何が何だかわかりません。ただ軍が兵器をぶっ放して、アメリカも新型爆弾を落としたことから、すさまじい軍事作戦が展開されたのだと推測できます。
『母艦』は東京の空に浮かび(?)特に何もしてこないまま、世界は回り続ける。人々の頭上にはよくわかんない巨大メカが浮かんでいるけれど、それは「日常」になっていく。
そういう奇妙な世界が違和感なく構築されています。
そして主人公は、そんな「日常」をなんとなく生きている2人の少女。さてこれからどうなっていくんでしょう?といったところで、1巻は終わります。
デデデデ、私が好きなところはこんなところ
漫画って、絵が描かれているじゃないですか、当然ながら。
今や世界に誇る日本の文化、それが漫画。
当たり前のことだけど、それまで私は気にしたことなかった、絵のことなんて。
今まで漫画を手に取ってきたけど、「なんか読みにくい」「絵がキレ~」以外に漫画の絵のことなんて気にしたことなかった。気になるのは専らストーリー展開とセリフ回し。小説が漫画より先だったし、漫画より読むのは本の方が多い故でしょうか?
そんな私ですが、絵について注目するようになったのは、冒頭で触れた「漫勉」という番組を見てからでした。
『デデデデ~』の作者である浅野さんは、とにっかく細かい絵を描いていたんですよ。マジかこれ手書きなんですか?って。で、背景は、実は現実世界の風景を撮った写真が用いられているんですけど、今作ではそこにかなり手が加えられていて、アナログのキャラ描写と背景のズレが少ないんです。すごい!違和感ない。
こればかりは実際に手に取って読んで確認してほしいな~なんて思います。
主人公のダウンジャケットのファーまできちんと描かれているんだから!
絵が好き。
言葉がそぎ落とされている
作品には随所に、読み手の胸をえぐってくるセリフや描写がちりばめられています。
学校の同級生帰宅中、彼女らと道で分かれ、道を歩く2人の少女たち。横ではなく縦に並んで自転車を押しながら2人は歩く。
前を歩く少女が、後ろの少女に声をかける。
「・・・・家、寄って行こうか?」
「・・・大丈夫。お母さんは今朝は機嫌が良かったから。」
「そっか。・・・何かあったら連絡してね。」
「うん。」
あああ。このtweetの文字数で足りそうな会話に、主人公の状況がなんとなく見え隠れする。この会話の雰囲気をさらに補足するような場面もこの後あって、またまた「あああ・・・。」と嘆きました、私は。
こういう、発話的には限りなくそぎ落とされた会話が、私にはすごいかっこよく思えました。と、同時に胸をストレートに突いてくる。痛い。
丁寧に読みたい漫画であります。絵を細かく眺めて、キャラの表情を追って、言葉からほとばしるメタな情報に耳を澄ませて。
私は、実生活でできていないことだから。
考えたことをそのまま口にしちゃうような人間だから。
終わりのその後の世界
どんなことがあっても、人間って生きていけちゃうんだよ~ってことが、丹念に描かれていきます。異常が日常になるのは、もしかしたら紛争で国民いなくなっちゃうんじゃないかってくらい被害がすさまじいあの国だとか、色んなところで見られることなんだろうな。
わかんない。もしかしたら気が付かない方が楽なのかもしれない。でも。「違和感」を大切にしよう、と漫画を読みながら思った。異常が日常になることに違和感を持て。自分で違和感を抱けないなら、せめて違和感を発信している人の声を無下にしないで。
この漫画では、違和感を感じていない人々は意識的に「滑稽に映るよう」描かれている気がする。
そこに自分が描かれていないと、胸をはって言えるのか?
っていうことです。