根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【K-POP】青天の霹靂だった価値転換/私がK-POPの門を叩いたとき

 治野です。最近胃もたれするようになりました。あと漢字間違いをするようになりました。ひえ~。

好きなものって何ですか?

 時間は遡ること、約10年前。泳ぐことと本を読むことと漫画を読むことしかしていなかった子ども時代。あの頃「好きな音楽は?」と聞かれてめっぽう困った。当時の私にはそんなものはなかったからです。

 それだけじゃない。

「好きなスポーツは?」

「好きな俳優さんは?」

「好きな映画は?」

「好きな本は?」

「好きな人は?」

 どれも上手く答えられなかったな。スポーツは好きだったから「器械体操以外なら何でも!」と答えてた。今でもそういう質問は、社交辞令的に、初対面の人同士親睦を深める段階で定番のものです。

 でも。

 どうしたら「好きなもの」ができるのだろう?

 当時の私はかなり考えてました。私は「好きなもの」がよくわからなかった。「嵐大好き!」とか「ロックにハマってて~」とか「このドラマに夢中で」とか周りが表明できること、その意味が分からなかった。

 今ならわかるけど、私たちはいつの間にか好きになっているのであり、意図的に「好き」になることはあまりないものです。気がついたら好きになっていた。「○○をすることは私は好きなんだな」と言葉にできるようになるのです。

 私の場合、K-POPは自分史上稀にみるパターンだったと思います。それは好きになる過程として、ということですが。例えるなら「恋」だったと思うし、今も「恋」の最中なのでしょう。(といっても、恋というものがどういうものかよくわからないけれど)

注)ここではそのハマり方を「恋」と表現しましたが、私の場合アイドルを恋愛対象として見たりすることはほぼないです。「アイドルとは何か?」という一点において、私はある種の葛藤を抱いております。(それはまた語るときがあれば追々)

K-POPの出会い

 先日のエントリーでちらっと出ましたが、最初は私ではなく姉妹がハマっていたんですね。

youtu.be

 はっきり言って、その当時、私はかなり馬鹿にしていました。語弊を恐れず言うのなら「何か具体的な対象に熱狂的になる」ことの滑稽さを感じていたんです。

 あんなにお金を使って、とか。実際付き合えるわけないじゃん、とか。実際に自分の周りには生身の人間がいるのに、とか。ましてや別の国の人ですし、その国とのあいだには色々とややこしい問題を抱えているし。

 でも。理屈抜きで打ち抜かれちゃいました。私はあんまりそういうことがないのに。

 私の当時の親友がかなり興味関心が広い人で、その関心の広さはカラオケで歌う曲にも表れていました。J-POPはもちろん、洋楽やK-POPも好きで、私はその友人のおかげで音楽の嗜好は広がったと思っています。と、いうのは余談ですが。

 で、その友人がカラオケで歌ったんですよ。この曲を。しかも完璧に。そういや、妹がとち狂ったように聞いていたな~と思いだしまして。その夜MVを見たのがきっかけでした。

 それ以前は偏見にまみれていて、

・人数多い、意味わかんない

・同じことばっかり言っているじゃん(そこはK-POPの特徴ですね、多分)

・なんか太った人がいる

・どうせ整形してんでしょ?

・顔覚えられない

・結局何なの?

みたいな。今思えば最低なんですけど、自分が最低なことを言っていたこともちゃんと忘れないでおくと教訓になります。

 それが、一日で、私の価値観が180°変わりました。あ、なんかかっこいいな、と。ずっと飽きずに聞いていられる。いや、なんで太った人がいるんだろう、しかも機敏だ、とか。それまで抵抗感があったものが、一夜で一気になくなった。不思議でした。新鮮でした。

人生にはそういうことがある

 この経験から、しばらくは妹に相当なじられました。「あんなにバカにしていたのに、手のひらを返したように「かっこいい~」とか言いやがって!」なんて。その度に謝るんですけど。

 この経験を元に「考えが180°変わることはあるんだ」ってことに気が付きました。徐々に、ではなく、一気にコロッと変わることもあるのだと。

 だから「昨日と言っていること違うじゃん!」ということもある。私(たち)は思考が連続していると思っているし、立場や考えは劇的には変わらないと無意識に思っている節がある。でもそんなことないんだ。変わらないものなんてないんだ。そういう柔軟さを常に持っていよう、と思ったものです。

 こういう経験をしてK-POPが嫌いだったり苦手に思う人の立場もわかっているつもりです。わかる、というよりは「そういう考えの人もいる」ということを知っている。私はK-POPの魅力を知っているので、それ以前の嫌悪感とかは鮮明には思いだせないにしても、それでも覚えていることがある。

 そういう経験もあり、「好き」だとか「嫌い」だとかいう感情自体は認められる人間になりたいものです。私は鉄道に関してはまったく「ピン」とこない人で、「鉄道オタク」と呼ばれる人たちを見て不思議だな~と毎度思うのですが、「好きになるなよ」とは思ってはいけないような気がして。でも、こういうのは難しい。修行が足りない。これからも鍛錬が必要です。

余談

 Super juniorの『Sorry sorry』でハマった当時から私はソンミン推しでした。今でもなんだかんだで、すじゅ(=Super junior)の推しメンはソンミンですね。今も。

 ソリソリという曲が何故かっこいいと思ったのかというと、繰り返し聴けるというのが大きいと感じます。J-POPだと繰り返し聴くと段々飽きてしまうのですが(だからこそ、一回でガッツリ聴くスタイル。色々物語を膨らませながらJ-POPを聞くのが大好きです)K-POPはインストみたいな感じで、永遠に聴ける気がします。言語の違いもあるのかもしれない。