根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【お出かけ?】大腸内視鏡検査を受けてみた

 タイトルの通りです。私はレポを書くのが好きなので、その好きなこととして書きます。

検査を受けると決めるまで

 大腸内視鏡検査を受けるまでに何があったかを整理します。ちなみに年齢は30歳になってから一年ほど経過しております。ちょうど誕生日を迎えそうなぐらいに検査の予約をした。私、えらかった。

なんで受けようと思ったの?
  • 身内が大腸がんになった
  • 数ヶ月前から排便時に時々トイレットペーパーに鮮血がつくことがあって、大腸がんの症状に含まれている(そのうち排便時に痛みが出るようになってきたから、いよいよ痔では?とは思う)

 これに尽きる。それ以外では体調不良は無し。

決め手
  • 排便する時に、いちいち「もしや癌なのか」というストレスを感じたくないから

 大腸がんってのはがんの中でもなる人の多いもののようで(私は父のことがあってから知ったけど)家族に大腸がんに罹った人がいるとさらに気をつけた方がいいね、となるみたい。便潜血検査(便に血が混じってないか)で引っかかっても、イコール大腸にがんがあります、とはならないが、がんであることもあるので内視鏡検査を受けて実際に大腸の中を見てみるのがよろしい、ということみたいです。

 

受けないって選択肢はなかったの?

 受けなくていいかも、とは思った。実際2年前にも同じ症状があって、そのときはなんか無理に忘れようとして忘れました。今なら思うけどあれは良くないことだったなと思います。今回については、父のことがあってからは「受けない」って選択肢は消えました。行く。あとは、先にも書いたけれど、日常の細かいストレスに耐えられなかったです。明確に調子の悪いところはなくて、でもうっすら体のどこかが痛かったり痛くなかったりして(メンタル的なものはあると思う)それらもがんのせいか!?もしかして!?とか考えるのが、うざすぎた。もちろん、他に私が思い至らない病のサインかもしれないですよ。でもとりあえず、大腸は関係無いよね、ということを証明したかった。

 ネガティブなところがあるので、常に最悪の想定はしていて「大腸がんかもしれないなあ、どうしよう…でも違うよなあ、でもわからないよなあ」とずっと色々考えてました。年齢的にも症状的にも、考えすぎ、深刻になりすぎ、と思われるかもしれないけれど、私はそういう人間なんですよね。

 

決めるまで

 がんだった場合のことを考えると「早よ、行けや」の一択なのだけど、決めるのに時間を要した。父のがんも最近わかったことなので、私までがんだったら家族に合わせる顔がねえな…泣かれるだろうし、という躊躇いがすごかった。

 この「わかってるけど、調べた方がいいけど、怖くてできない、考えたくない」というモードは、私の中では「防災」と実は一緒で、だから本当に余談なんだけど、内視鏡検査受ける、って決めてから、防災用品をめちゃ買うようになった。もちろんそれには、防災の日が近づいていることや、日向灘地震があり南海トラフのリスクが上がってきていることも、あった。

 あとは「休みが取れない」というのもあった。仕事が忙しくなり、平日に休みを取る余裕が無い、でも病院は平日しか(正確には土曜日にもやってたけど)行けない、病院に行くって言ったらもちろん休めるけど、ただでさえ気が重たいことのために取りにくい休みは取れない、そういう状況。良くないねえ。本当に良くない。書いてて反省した。行け。でも自分の中でなるべく楽で負担の無いようにするのがいいと思って、私は旅行に行く気がなくなった遅めの夏休み?を当てることにした。もっと他のことで楽しめよと、思うが。

 

予約

 行きやすい、WEB予約できる病院にした。ホームページを見たら、ちゃんとした説明があったし女性への配慮もありそうだし、何より一日でできるのが良かった。オーソドックスなのは、事前診察と検査当日で二日かける方法みたいだけど、今だと休み取りにくいから仕方がない。ぱぱぱーと予約。もう私は内視鏡検査を受けるのだ。

 

前日編

 食事制限が入る。ざっくり言うと、消化の悪いものは食べないように、とのこと。そのあたりは予約時に説明があったし、インターネットでもたくさん情報がある。21時以降は何も食べないように。

 当日は、朝は白米と目玉焼き、昼は丸亀うどん、夜はコッペパンに卵を挟んだもの。丸亀うどん様々でした。チェーン店で安定的にうどんを提供してるの助かる。うどんは消化の良い食べ物なんだって。病み上がりでもうどんは確かに食べやすい。ただ残念なことに、ねぎとしょうがと揚げ玉はNG。質素。温玉はOKですけど、私が温玉苦手なのでかけうどん冷の大サイズを頼みました。丸亀製麺のオーダーを受け取る人って、短期記憶を消しては覚え消しては覚えで大変そうだな、と思いました。

 あとは普段通りに生活しました。なんなら前日にプールで少し泳ぎました。泳いで疲れて爆睡。

 

当日編

 病院の受付時間に合わせる形で来院。受付を済ませ、すぐに診察。どうして内視鏡検査を受けようと思ったのかとか、そういう話。年齢的には大丈夫でしょう。でも、なる人もいます。あとは家族に既往歴があるとやはりリスクは上がります、という、ネットで得た知識のおさらい。まだまだ大腸がんというものは分かっていないことも多そうだ。だって、「食生活の欧米化」で、どうしてリスクが上がるのかよくわからないもの。もしかしたらわかっていることもあるのかもしれないけど、原因に至る理由を私はまだ納得?できていない。考えてきたことではあるが、病というのは、誰が、何が悪いというわけではないのだ。それがとても性格の悪いことなのだろうけど。まあ、それはさておき。

 で、そのあと、看護師さんと大体以下のことを会話して決めました。

  1. 鎮静剤を打つか
  2. 検査中ポリープがあったら取り除く方向で問題ないか(同意書)
  3. 腸管洗浄液はどういうものにするか
  4. 検査の説明と同意

 鎮静剤は、最初「打たなくていいのでは?」と思ってたけど「9割ぐらいの人は打ちますね」と言われたので、投与へ変更。ただ、投与すると車や自転車の運転は無理なので注意。

 次にポリープの切除について。検査中見つかったら取っていいっすよね?の確認でした。of course.

 検査の前に大腸の中を綺麗にしないといけないので、下剤を飲みます。色々あるらしいけれど、なんか普通に何でもいいです(わからんし)ということで「サルプレップ」に決定。予習したのだと「モビプレップ」だったので、なるほど色々種類があるとはこういうことか、となる。そして検査への同意。

 そして個室へ案内されます。私は午前から腸管洗浄剤を服用し、大方綺麗になったら検査になります。

 

VS サルプレップ

 持参してほしいと言われていた500mlの水3本が活躍します。ざっくり書くと、

  1. とりあえずサルプレップ480mlを四分割して(ラベルにここまで飲んでください、ってのが書いてある)1分割10分ぐらい使ってゆっくり飲む
  2. その際は倍の水を飲む

だったと思います。つまり、サルプレップ四分の一を飲んだら、500mlペットボトルの半分の水を飲まないといけないイメージ。サルプレップの味が「結構味が濃い、レモンかグレープフルーツのスポドリ風味」なので水で適宜薄めて飲むような感じでしょうか。40分かけてサルプレップを1本飲み干します。500mlペットボトルの水は2本飲みます。

 私の個人的な感想にはなるけれど、普段飲み物を飲むのが得意でない人がいるならば、結構大変そうだなと思いました。得意ではない、というのがどういう感覚かはわからないけれど…。私なら「ほい」と500mlペットボトルを渡されたら、よほど調子が悪くなければ一気飲みできちゃうけど、水を飲むのが苦手な人もいるのかなって。そういう場合はどうなるのだろう、40分というのがどういう理屈に基づいての目安時間なのかはわからないので、事前にお医者さんに聞いてみるのもいいかもしれない。

 で、サルプレップ一本飲むなかで便意がきたら、適宜トイレに駆け込む感じでした。どんどん体の外に排出していきます。ちょっと広い試着室、みたいな個室にはトイレが併設されていて、すぐに駆け込めるのが良かった…。この病院だけなのかはちょっと気になりました。あと、500mlのペットボトル3本じゃなくて、2Lのペットボトルで良くないか?と前日に思った私、多分500mlのペットボトルの方がいいです。サルプレップ1本あたりの飲む水の量が、500mlのペットの方が考えやすいからです。

 私はサルプレップ一本飲んでもなかなか便意が来ず、一方で飲むものは飲んでいるので腹がぱんぱんで、腹が痛くなりました。えええ、説明書きには「腹痛」って書いてないけれど…大丈夫かこれ。ちょうど見回りにきた看護師さんから指示をもらい、追加でサルプレップ半分と、水をちゃんと飲むように、と言われたので追加で飲むことになりました。あと、なんか運動した方が良いかもな…と思って、宅トレの竹脇まりなさんの動画の中で軽めなやつを何本かやりました。個室だし。体動かした方が飲み物飲みやすいし。そのおかげもあって、以降怒涛の便意ラッシュ。あんまり下痢になったことがないから、面白いくらいにボボボボボと水分を排出していくのが面白かったです。ちゃんと出すもの出したら腹痛は無くなりました。人体、面白。

 綺麗になったかは、排出されたものの色でわかるので、何度も何度もトイレに駆け込み、流しを繰り返して、大体大丈夫そうになれば検査になります。

 

検査着

 検査着を着ます。くるぶし近くまで覆う服と、尻の部分に切れ込みの入った使い捨てのパンツ。貴金属類はNGなので外しますが、女性は例えばユニクロのブラトップとか?(多分着て検査に臨めると思う)下着は金属を使ってないものだといいかもなと思いました。私はブラトップは着ないので、反省。

 

検査

 で、あれよあれよという間に部屋に通され、台にのせられ、眼鏡もマスクも外され、指を何かが挟み(多分バイタルチェックのやつ)肘の内側に針を入れられ鎮静剤投与。お医者さんと看護師さんの流れるような作業に圧倒されながら、気づいたら検査が始まりました。めちゃめちゃ緊張してたのだけど、始まってしまえば痛みも何もなく、モニターにひたすら映る大腸の様子を眺めていました。綺麗だった。テンポよく前へ前へ進むので、なんかマリカーマリオカート)のコースみたいだと思いました。あるいは洞窟探索でもいい。大腸のカーブを曲がるときはどうしても痛いとかそういう話を聞いて、戦々恐々としていたけれど、何もなかったです。お医者さんの技術と鎮静剤のおかげだろうか。あなたの大腸内視鏡検査が、痛みの少ないものでありますように。

 そしてあっという間に検査は終了し、しばらく安静に待機。鎮静剤を打っているので休みます。多分「ドルミカム」という鎮静剤だろうけど(診療明細書に書いてある)普通に意識は覚醒して眠くもなく、すぐに起き上がって説明の紙を読んでいました。看護師さんは予想してなかったようで「お酒とか強いですか?」と聞かれ「飲まないですけど強い方だとは思います」みたいなやり取りをしてました。効く人効かない人がいるのかな、よくわからない。

 その後、医師より結果の説明と大腸の中身の写真をコピーした紙をもらい、結果的には「大腸は綺麗で、ポリープもない」ということでした。マジでよかった~。あと10年は来なくて大丈夫だよ、なんて言われましたけど(なぜなら大腸がんは40歳以上からリスクが増えるからです、あと家族の既往歴がある以外はリスクは低めな生活習慣を送っているからでしょう)まあ、どれぐらいの頻度で検査をしていくかは落ち着いてから考えようと思いました。

 お会計を済ませ、10分後には焼肉屋でランチセット頼んでました。頑張った自分にご褒美です。肉食いたい。わかめスープ飲みたい(わかめは消化の観点から前日摂取はNGな食材)。

 

検査に際して考えていたこと

 父ががんになったのですが、それもあり最近の私は、がんを始めとしたさまざまな病というものにとても敏感になっています。病について考えるということは、己の生と死について考えることであり、すなわち「どう生きるか」という問題に突き当たります。日々、考えています。昨日考えていたことが、今日はまったく異なるものになることは、ざらにあります。

 今回、結果的には「問題なし」となりましたが、同じ検査をして、偶然、病が見つかる人もいます。ちなみに父も、別件で色々調べている過程で内視鏡検査をして異常を見つけたらしいです。私は問題がなかった。でも、同じ検査をして問題が見つかった人もいた。この違いは何だろう、とか、そういうことを検査後は考えていました。

 何千人、何万人に何人。%として弾き出すことは可能だけれども、病というのはその人にとっては一分の一で、逃げることのできない数字になる。私もまた、今は見えていない、今はなっていないだけで、見えないところで、あるいは遠くない未来、何万人に一人に当てはまる可能性がある。自分はきっと大丈夫だなんて、思うことはできないのでした。

 病を遠ざけるというのも違うと思います。病はすぐそこにある。死は隣にいる。だからこそ、今を最高に愉快に生きたいのだと、最近の私は思っていたりします。

 

 自分で言うのもなんだけど、かなり健康的な生活を送っています。煙草は吸わない。お酒は飲まない。やや肥満なんですけど最近はゆるやかに減量傾向にあるし、よく食べよく眠り、適度に運動をしている。でもそれって、別に長生きしたいが為にしていることではなくて。今の私が心地よく生きるために、必然的にそうなるだけのことで。結果、それが「健康に良いこと」なのだとしたら、私はとても運がいい人間なのだと思います。まあ、「健康に良いこと」を己の快楽とするように、自分の中でチューニングしているところはあるにはありますけど(その方が「得」だと思うので)でも、それが可能であるということそのものが、運なのだと思います。私はその運を手放さず、なるべく生きていきたいです。

 病について考えています。どう生きるかということも。

【音楽】NewJeansのETAから時間について考える

 一瞬だけちらっと見た音楽番組にNewJeansが出ていて、ETAの冒頭を歌っていた。「無駄にしないで 君の時間は銀行」。なるほど。時は金なり、ってやつだ。そのイメージは知っている。でも「銀行」は知らない。お金が一定の期間溜まる場所、預貯金の引き出しが可能な場所というイメージが、「時間」という言葉と交わる。面白い表現だなと思った。ETAは聴いたことがあるけども、そこで何を歌っているのかを考えようと思ったことがなかった。

 加えて、ミュージックビデオを観たことがないことに気づいた。こういうのは、タイミングに任せた方がいい。今が私にとってそのときでないのなら、何も批評できず何も語ることはなく、何も考えることはない。というのは、あまり適正な考え方ではないかしら?

 ということで、ミュージックビデオを観た。2024年8月。


www.youtube.com

 

 ミュージックビデオのストーリーはなんとなくわかった。ただこれを書きたいが為にこの記事を書いているのだけど、NewJeansの5人が、見方によっては車を運転しているあの子を惑わす、黒い悪魔みたいに見えた。特にラップのところが。あれだよな、人を説得させるときって、相手が冷静に思考する隙を与えない為に、矢継ぎ早に情報を入れまくって麻痺させるようなやつ(私も実は仕事でそれを意識的/無意識的にやっちゃうから良くないなと思っている)だなって。

 一方で、恋を前に友情が散ることも常なりで、友人として極めて冷静に客観的に行った助言が何故か伝わらないということも、多分人生にはある。(「あなたそんなこと言って、私と○○の仲を引き裂きたいだけなんでしょ、嫉妬してるから云々」)ETAはそういう方向には進んでいないようだが、車を走らせる女の負の感情が、時間が経つにつれETAのメロディと歌詞とダンスでどんどんと増幅していく感じ(ダンスシーンは、なんだか呪術の舞のように見えなくもなかった)が良い意味での不穏さに繋がり、短いながらとても満たされるミュージックビデオだと思った。

 

 個人的には、私ができる限りのことをしてそれでも破滅に向かうなら、それが友人の人生であり私の人生でしょう、みたいに思う気がするから、本人たちのやりたいようにやりな~という感じはする。友人が判断し行動する為の情報は適切に提供したい。それを傷口を塗るように何度も何度も何度も言うのはフェアじゃない。というか、その責を私は負いたくない、絶対に。

 

 気になった「時間は銀行」について。先日伯父を亡くしたこともあって、ますます時間に限りがあるということを考えるようになった。それは前々からわかり切っていることなのだけれど。でも、時間には限りがあるから、無駄なことはしたくない、しない方がいい、という考えは賛同しかねる自分がいる。時間には限りがある。そして、人生、無駄なことをたくさんやっていいはずだ。何が無駄で、何が有用かなんて、私が判断できるものなのだろうか。判断していいのだろうか。時間の無駄だからそれをするな、というのは、説得としてとても弱い。時間は銀行。あなたはそれを続けることでひどく傷つき、その痛みはあなたを損なうと思うから、やめた方がいい。こういう説得の仕方もありだろうか?難しいな。

 まあ、時間には限りがありますよ。ある。その制約をどう使うかは、本人が自由に決めちゃっていいものです。

【ノート】MDノート ジャーナル<A5> 1日1ページ ドット方眼A

 2023年8月から続けていた、MDノートジャーナルが終わりました。1日1ページ、書くというものです。今は2冊目に入っています。

 

とにかくみっちりと書きたかった

 2023年8月の初めの私に、具体的に何があったのかは覚えていないですし、すべてを書いているわけではないのでよくわからないですが、MDノートジャーナルを始めた動機は「とにかくみっちりと書きたい」でした。あれですね、暴食と同じです。この場合は「暴書」でしょうか。物理的な紙に、みっちりと書いて書いて書きまくりたかった。大方何か、ストレスが溜まっていたのでしょう。それで、思いつきで千葉のハンズでMDノートジャーナルを買いに行ったのではなかったか。その日は、青春18きっぷを使って、内房線外房線を乗りまくってたはず。

 

日記続かない問題

 私は書いているものを「日記」と捉えたくないところがあります。まあ、日記なのですけど…。その日何をしたのか、時系列順に書くよりは、その日そのとき考えていることをアウトプットしているに過ぎないから、というのが理由です。朝から晩までのエピソードを書くのは私は無理だなあ、書こうとすると苦しくなっちゃう。

 「日記」がこうして続いてしまっている以上、日記が続かない問題について私が語れることがあるのかわからないですけど、

  • 日記を綴りたい動機を都度都度確認する
  • 日記を書くことによるポジティブな変化を確認する
  • 毎日書けなくてもいい、と考える
  • 書くことそのものを楽しむ

ということが大事だと考えます。

 私が「日記」を続ける理由は、人生を面白く考える為。「日記」を書くことによるポジティブな変化は、過度に落ち込むことが減ったことと、やりたいことを見つけられること。白紙のページがあっても、文量が少なくても問題ない。どうせ、日毎で書きたい量が変わるので、たくさん書きたくて1ページを超えてしまう日に書けなかった日のページも使ってもらいます。最近だと付けペンを導入して、色々なインクを使って書いていたりします。楽しい。

 

無地からドット方眼にしてみた

 2冊目を買いに行った店には1日1ページだとドット方眼しかなかったので、今度はそれを買いました。ああ、無地は無くなっちゃったのか、と思ったけど、店に置いてなかっただけでした。

 子どもの頃から、書く文字が大きめの私ですが、なんだかんだ、ドット方眼0.5mmに合わせて書くのが楽しいです。文字を小さく書くことも覚えました。無地には無く、ドット方眼にある魅力としては、書くときのテンポが掴みやすいということだと思います。文字の大きさや文頭が揃えやすいです。1冊目の最初の、細かい文字でみっちりとページを埋めるあの鬼気迫る感じは、今振り返れば面白いけれど、みっちり書きたい欲は、以前に比べれば当然落ち着いたので、2冊目はドット方眼に従ってみようと思います。

 

次の8月へ

 いつか、日記めいたものを書きたくなくなる日が来るかもしれません。8月がやってきても、ノートは買わないかも。それでもまた面白さと考え、どんと構えながらMDノートジャーナルと向かい合いたいです。マンネリ化については、書いていれば自ずと新しいことをやりたくなるはずなので、それを待ちましょう。このノートは表をステッカー等でデコりやすいので、ステッカーとかも集めたいと思います。カフェにいる、MacBookにがちゃがちゃステッカーを貼っている人いるじゃないですか、あれをやりたいのだ。

【お出かけ】「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」を観に行く

 色々事情があって「この日は何かあったら身動きとれるようにしておきたい」と休みを取ったけれど、結局何もなかったので、東京・上野にある東京国立博物館で開催中の「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」を観に行くことにした。

 私は昔から上野という町が好きなのだけど(祖父母の家が割と近くにあった&スポーツのジュエンで水泳用具を買っていた)東京国立博物館にはあまり行った記憶がない。上野には国立博物館だけでなく、科学博物館や美術館、動物園がある。

 きっかけは旧Twitterのおすすめで流れてきた投稿だったと思う。博物館でやるけど、現代アートなのかしら、そもそも内藤礼さんとは、という状況で行くのが一番面白いはず。とりあえず行ってみることにした。

 とりあえず行ってみたので、入口のチケットカウンターでチケットを買って1500円払う。観光客(多分外国の方が多め?)がたくさん並んでて、様々な言語に対応している有人のチケットカウンターの人は本当にすごい人たちなんだろうなと思った。語学力、つけたい。自動券売機で買えたら良かったのだけど、多分時間制なので難しかったみたい。有人カウンターだと買えた。ちなみに入場まで残り10分だった。今から行けば間に合いますので!と言われたので「はいいいい!」と急ぎ足で、平成館に向かう。

 東京国立博物館に行き慣れてないので、企画展のチケットで常設展も見られることを知らなかった(まあ、美術館とかはそういうスタイルが多いけど)。超嬉しい。

 

 平成館1階の企画展示室から。この企画展は、博物館内の複数の場所が会場になる。

※以降ネタバレになりますので留意ください。行こうかなと少しでも思っている人は読んではいけません。

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【食】キッコーマン 豆乳飲料 抹茶

 FPSゲーム「VALORANT」のリーグ戦(VALORANT Challengers Japan 2024 Split 2)のスポンサーにキッコーマンがついていて(他にも様々なスポンサーがいる)試合の合間に「豆乳飲料」を紹介する時間があり、見ないという選択肢はあまりない。リアルタイムの放送であればスキップするなんてことは無理で、テレビを使ったコマーシャルの本質はここにあるのかもしれないと思います。早送りできないこと。広告を見なければならないこと。同じ番組を見るときは、時間を空けて何度も何度も見なければならないということ。そういえば豆乳ってあんまり飲んだことが無いなと思い、様々な種類を制覇するまではいかないにせよ、飲み比べてみたいと思いました。コマーシャルに喚起された購買行動のモデルみたいな振る舞いだな、と我ながら思います。まあ、でもそういう購買者がいることをスポンサーの人に見てもらって、色々なe-sportsの大会にスポンサーが付くのは悪くないというか、e-sportsが盛り上がる一助にはなる、か?

 

 豆乳はそんなに好きじゃない。豆乳と牛乳がグラスに注がれ並んでいたら、迷うことなく牛乳を飲むぐらいには好きじゃないです。湯葉もあんまり好きじゃないな。豆腐は好きです。でも、豆乳スープは好きだな。ドリンクとして飲む豆乳が好きではないという感じがします。私の嗜好の傾向として、うっすら甘めな味付けが苦手、というのがあり、豆乳はそのラインに抵触するかしないかぎりぎりのところなんだと思います。

 長らく避けてきたというか、飲む機会がなかったので、私の「豆乳観」もめちゃめちゃ古いのだと気づかされました。スーパーでキッコーマンの200mlのパックを探そうにも、見つけられなくて暫く店内を歩き回りました。自分が普段手に取らない商品は、透明になってしまうんですね。

 何故か菓子パンのコーナーの隣にありました。野菜生活の隣とかにあったら見つけやすかったなと思いました。乳製品の棚じゃないのだな。まあ、動物性の乳じゃないからかな。よくわからないです。いちごやバナナ、ココア、もちろんプレーンの豆乳に、あとはフルーツミックスもありました。そこで気づいたのが、豆乳云々以前に、バナナ牛乳とかいちご牛乳とか、あんまり好きじゃないなということ。私、結構好き嫌い多いです。公言しないし、出されたら食べるし飲むけれど、苦手なテイストの食べ物は結構多くて、限定された範囲の中の食べものしか食べない。豆乳はその柵の範囲外にある飲み物です。

 いちごやバナナは、いちご牛乳とかが好きじゃないことを加味すると避けた方がいい。ココアは普通だけど気分じゃない。ということで、今回は「抹茶」味にしました。でもこの時点で結構どきどきしていました。飲めなかったらどうしよう(飲めないほど口に合わない食べ物は滅多にないので、これは被害妄想ですけど)どういう味がするのだろう、どきどき。

 買って、家に帰って、ストローを差して(少しこぼした)、あんまり考えすぎず、普通に他のパック飲料を飲むように一口飲みました。

「抹茶ラテだ…」

 めっちゃ美味しいんですけど。某チェーン店のアイス抹茶ティーラテが私は好きなのですが、え、なんか同じ味じゃないか。あ、断っておくと、私は味覚の細かな識別能力がたぶん低くて、美味しければ何でも美味しいし、味比べをして細かな差異を見出すことができないです。そういう私からすると、両者はほぼ同じ味に思える…。スーパーなので100円前後で手に入れた豆乳の抹茶ラテ、かたや一方は400円超…いや、その金額にだって思うところはないけども、てか、最近あんまり行ってないけども…は、さておき。

 豆乳らしさが皆無で、ごく普通の牛乳で割った抹茶ラテの味がしました。美味しかったです。飲みにくさゼロ。美味しい。「抹茶ラテ飲みてー」と衝動的に思う夜があっても、これを飲めば満足できるぐらい、まごうことなき抹茶ラテです。次も買いたい。でも次は違う味を買います。色々な味を飲んでみたいから。

 

 ということで、私は記憶にうっすらと残る「豆乳ぽさ」をしばらく弱く恐れながら、気が向いたときにキッコーマンの豆乳飲料を飲んでみたいと思います。コンプリートは無理だろうけど、それぞれ比べてどれが一番好きかを決められるぐらいには飲みたいね。

キッコーマン 豆乳飲料 抹茶 200ml ×18本

【雑記】光のある方へ/私が考えるときに起こっていること

 常々疑問に思っていることを、整理してみたいと思う。

 これを読む人は脳内で考え事をするとき、言葉が先にあって発言するだろうか。あるいは、発言するときに初めて言葉になるだろうか。私は、おそらく後者だと思う。

 

 後者だからか、私は長年、小説というものが不思議でならなかった。どうして人間は考えていることをあんなにテキスト化しているのか。あんなたくさんの言葉、私の中にはないのだけど、と。幼い頃から不思議だなあと思っていた。

 「言葉で思考し、それを発言する」タイプと「発言する瞬間まで言葉ではない」タイプと二分してしまったが、おそらく他にもタイプはあるだろうと思う。

 とりあえず自分が後者だと仮定して、自分が考えていることをアウトプットするときの流れを、なるべく忠実に言語化してみたい。

 「思考する」と言っても、パターンが二つある。一つは、意識的に言葉を使って考えるとき。自分の中では「わざとっぽい考え事Timeだな…」と思っていたりする。たとえば、自分以外に誰かがいて、ちょっと考えてみましょうか、と言われて、みんなが考えている時間。こういうとき、私は日常的な思考時間とは違うスタイルであると感じる。あえて言葉を使っている、あえて説明できるように考えている時間。小説の地の文みたいに言葉で始まりから終わりまでを説明できるような思考。例えるなら、スーツを着ているモード。普段は私服なのに…。

 もう一つは、言葉を使わない思考。とりあえず言葉はない。たぶんない。何があるかというと、イメージ、か。予感とか、陽の光と言ってもいい。視覚における健常者である私は、目を閉じても明るさというのは何故かうっすらぼんやりわかるのだけど(そういうものですか? あと目の見えない方も明るさは識別できたりする話を聞いたことがあります)それと似ている。考え事をしているときに、「陽の光」のある方向があって、そこがなんか反応しているから、なんか考えているのだろうなというのがわかるというか。そして、言葉にするときは、その光あるところから言葉を引っ張り出す感じ(言語化してみるとマジで意味が分からんな…)。自分がどれぐらい考えているかは、「陽の光」の強度でわかると思う。しんどいときは、嫌な熱し方になる。

 

 思考から言葉を使って外に出す。その時間には違いがある。違いはどう説明するか。これは私の場合だけども、言葉が上手くでてこないとき、理由としては大きく二つあって「そのイメージを適切に表現する言葉が見つからない」か「あんまり考えてこなかったことを一から考えている」のどちらかだと思う。前者は言葉の意味や表現をストックしていけばどうにかなる。後者は、準備していない(素材がない)のだと思う。

 この文章は私がパソコンでぱちぱちタイミングしているわけだが、考える素材はあって、あとはそれをわかりやすい表現にする為にはどうしたらいいか、説明の順番はどうすればいいか、といったことを試行錯誤しながら書いているという感じだ。逆に言うと、この文章の元ネタがなければそもそも私はブログの記事を書こうとは思わないわけで、準備していなくて言葉に詰まるのは、他者とのコミュニケーションをとる場に限定されると思う。もし他人とぽんぽんとリズミカルに会話できているなら、大して考えていないか、元々前からたっぷり考えていたことを出しているに過ぎない。

 要は、元々イメージがあって、適切な表現の様式を持っているならば、ぽんぽんとアウトプットできます、ということである(私の場合)。

 

 旧Twitterは、私にとっては表現を探るためのいいツールである。私は、言葉にするまで自分が何を考えているのか具体的にわからないので、そういうとき旧Twitterは便利だ。投稿するつもりで(でも投稿はしない)誰かに対しての言葉をパズルのピースみたいに探る作業。あるいは他人のポストを見て自分の考えていることに肉付けをすることができる。

 他者の言葉でイメージに肉付けをする作業には注意が必要だ。私のイメージを表現するのに最適な言葉であるかはわからないからだ。慎重になる必要がある。実は間違っているなんてこともある。そのあたりの留保が必要という理解は、何故か昔から身につけていた気がする。思考というのは、所詮誰かの考えていることの借り物、寄せ集めなので、それを表現する言葉もまた同じく、と自然と考えたのかもしれない。「Twitterしながら考え事している」なんて表現があるならば、私の場合はこういう理屈です。本当にTwitterしながら、考え事している。自分の考えていることに、言葉を当てはめていっている。

 

 で、最後に書きたいことだけども、思考をイメージ的に行っているからか「言語化された思考」ということに慣れていない。小説の地の文に恐怖する。え、こういうこと、他の人間はやっているの、考えているの、怖い、となる。とはいえこの気づきも、自分の頭の中ではイメージで格納されているので忘れるというか、無意識下に収納されて、度々「こっわ」と思い出したりする。たとえば今日も。言葉にしないと評価ができないから「怖い」と思うことも、言葉にしてみて初めて可能なことなのです。イメージの状態では、分析も評価もできません(だから、ストレスに感じていることも一度言葉にしないと自分の中でケアできないってのが厄介なんですけどそれはさておき)。

 「自分は人の言葉の真意を考えるのが苦手で想像できない人間かもしれない」と思うことが度々ある一方で、その結果、実生活で具体的なトラブルや違和感があったかというと、それも違う。じゃあ、この「自分は人の言葉の真意を考えるのが苦手で想像できない人間かもしれない」と思うことの根底にあるものは、想像する力の弱さではなく、自分の思考スタイルではないか、というのが仮説です。私は思考をイメージを使って行いがちなので、自分の頭の中には言葉がない。でも、人の考えは言葉となって私に届く(もちろん言葉以外の方法で伝わることもあるけれど)。ここがポイントなのだろうな、と。

 要は、私も普段誰かと同じくらい考えているけども、それはイメージ的に考えているので自分の中で量として評価しにくい。何を考えているかもわからない。けれど、人の考えは言葉となって私に押し寄せてくる。え、他の人ってこんなに色々考えているの?と驚く(いや、たぶん私も言葉にしてないだけで色々考えていると思いますよ…)、という流れ。で、自分の中ではイメージ的に思考しているので、他の人も私が見ることのできない思考の氷山があることを、どうも感覚的に理解しづらい。たぶん自分が自分の思考を言葉という形で把握できたなら、「自分は人の言葉の真意を考えるのが苦手で想像できない人間かもしれない」と思うことはなかったのでは…。あ、他の人も私みたいに(言葉で以て)考えているわよね、おしまい、になりそう。

 思考しているということを、自分は実感しづらいのかなと思う。途中で「言葉にしないと評価できない」という表現はこの文章を書いてて見つけたもので、結構正しいことを言っていると思う。感覚的に理解することが強いからか、自分が直感的に理解していることを言葉に起こし直すことがマジで面倒って思うこともあるけれど、言葉にして初めてそれが何なのかわかり、評価し、磨いていくことができると思うと、言語化する作業が手間のかかることばかりではないと思える。

 書いたことは現時点の私の考えであり、今後も適度に見直していきたいと思います。いやー、人の考えって氷山の一角なんだよな、ほんと。

【ポケモンSV】ニックネームをつけよう

 ポケモンを初代から遊んできて、ポケモンにニックネームがつけることができても、私は長らくニックネームをつけることがなかった。ポケモンの本名が唯一無二のかっこいい名前であり、私がつけるニックネームはそれを「汚す」ことになるのだ、と思ってきました。

 ニックネームをつけたら、かっこよくない。この美意識はどこから来るのかわからないけれど、とにかくそうでした。

 そんな私が、「ポケットモンスター スカーレット・バイオレット」でポケモンにニックネームをつけるようになったのは、どういう心境の変化なのか。自分でもよくわかりません。ただ、ニックネームをつけるということは、今の私にとって「連想ゲーム」のような、遊びの感覚があるということ、それがとても楽しいことであるのは、確かです。

 今回は、そういう私の、私的好きなニックネームをまとめます。ダジャレを嬉々として連発する誰かさんのような、そこには自己満足の気配が横溢しておりますが、私がここで言いたいのはただ一つ。ニックネームをつけるということは、遊びなのであり(そしてもちろんそこには愛情がなくてはならない)、ニックネームを考えるあの瞬間に一瞬に脳内に駆け巡る電流のようなものは、ある種の快感である、ということです。

 

メグロコワルビル、)ワルビアル

 さばくワニポケモン

 ワニ→あの緑のワニのブランド→LACOSTE→「らこすて」に決定。

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 カタカナにするか、ひらがなにするか、というのは重要なポイントです。ひらがなの方が柔らかい感じがするので、メグロコをつかまえたときに、その小ささも鑑みて、ひらがなの「らこすて」にしました。そういや、どうぶつの森に同じような名前のラッコのキャラいなかったか。「ラコスケ」でした。

 

ミガルーサ

 きりはなしポケモン

 きりはなしポケモン? 無駄な肉を削ぎ落し、プレイヤーに突っこんでくる諸刃の剣みたいなぎりぎりのポケモンみたいだ。&名前の「身軽」な感じ→サンリオから「おでかけ」したとかしていないとかの「きりみちゃん」にぴったりかもしれない→「きりみちゃん」に決定。なお、つかまえた個体はオス。

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 他の候補としては、回転ずしで見かける、あぶりサーモン(文字数足らず)とか、キハダマグロとかがありました。

 

コイキング

 さかなポケモン。初代から登場する元祖さかなポケモン

 さかな今食べたい魚料理→アジフライ→「あじふらい」に決定。

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 なお、この名前は進化させてギャラドスにすると似合わないので、進化させないでコイキングのまま「あじふらい」でいてもらう予定。やっぱりカタカナよりひらがなが良い。

 

カゲボウズ、)ジュペッタ

 ぬいぐるみポケモン

 カゲボウズから進化させる。ゴーストタイプで、てるてる坊主がふよふよ浮いているように見えるカゲボウズ白いおばけでふよふよ浮いているマリオシリーズに登場するテレサ→「テレサ」だけだと短くて収まりが悪いから「キングテレサ」に決定。

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 ジュペッタに進化させると思いのほかでかい人形だったので、「キング」をつけて良かったなと思いました。ジュペッタのたかさは1.1mとのこと。存在感はんぱない。ちなみに、野生のジュペッタがうようよ歩いているベイクタウン周辺は、好きなポケモンがたくさんいるので、ポケモンSVのフィールドの中でも好きなエリアのひとつです。

 

(ヤトウモリ、)エンニュート

 どくトカゲポケモン。メスのヤトウモリしかエンニュートに進化せず、メスのヤトウモリの出現率はオスに比べて低いので、オスのヤトウモリをレベル上げして「進化しねーなー」と首をかしげた人は私だけではないはず。

 ヤトウモリ→やと→八戸(青森県)→ハチノヘ→「はちのへ」に決定。

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 単純な言葉遊びの連想ゲームであれば、これが一番好きなルートだと思う。「 」と「イモリ」からのヤトウモリという名前かと思うけど、ヤトウモリのモデル、語源はなんなのか気になる。

 

(タマンチュラ、)ワナイダー

 トラップポケモン

 タマンチュラの、毛糸玉みたいなビジュアル→毛糸玉→手芸用品→ユザワヤ→「ユザワヤ」に決定。

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 毛糸玉要素は、ワナイダーに進化するとなくなってしまったけれど、糸を罠に使うワナイダーのスタイルは依然として「ユザワヤ」適性があるので、このままで違和感はない。

 

ニックネームをつけよう

 ポケモンにボールを投げてつかまえるまでの数十秒で、私はここまで書いたような連想ゲームをしている。楽しい。思えばこういう連想ゲームをして、その結果を残せる機会もあんまりないのかもしれない。結構楽しいので、みなさんやりましょう。

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 なお、大量に同じポケモンをつかまえる際は、察しの通りきつくなります。出会うたびに「もう出会えないのかもしれない」と思うのでつかまえるコレクレーのニックネームのネタが尽きそうです。苦しい。のびた。これこれ。のっぽさん。などなど。

 

余談

 今作でエンニュートというポケモンを知ったのですが、美人過ぎないか? 横顔が美しすぎる。

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