根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【アイナナ】ダンスマカブル 後編感想(散漫に)

 まとめようと思ったら多分一生書きあがらない為、「散漫に」という言葉を添えてようやく書き始めます。アイドリッシュセブンの復刻イベント『ダンスマカブル』後編の感想です。前編はこちらから。

【書き手ステータス】

  • アイナナ歴:6か月
  • アニメ:見てない
  • ゲーム内ストーリー:2章まで消化
  • ダンスマカブル内で特に好きなキャラ:フーガ、カバネ
  • 叩いて楽しい曲:THE POLiCY

 

 ※ネタバレを含みますのでご注意ください

 

さっそく答え合わせ

 前編のときに私はこう書きました。

「後編が始まる前に備忘録」と書いたのは、ストーリーすべて知った後のご褒美みたいなものです。「ああ、あの時の私、呑気だな~~~」とか「全然予想と違うでやんよ(ケラケラ)」など、自分の予想がどれくらい合っているのか合っていないのか、答え合わせの為に私はこれを書きます。

【アイナナ】ダンスマカブル 前編感想 - 根津と時々、晴天なり

 いざ、当選確認!ではなかった、答え合わせ!

 

1. ダンスマカブルの世界の成り立ち

何故、天(浮遊都市『アーク』)と地(荒廃する地上)で世界は二分されなければならなかったのか

  • 『アーク』を統治している『ナーヴ教会』は、もともとはナーヴ国という地上の国だった
  • 『ナーヴ』は、呪術兵器『天子』を用いて、敵対する国々を滅ぼしていった
  • 『ナーヴ』は、他の国々が追随できないほど文明を発展させ(というか他の国の発展を押さえつけ)
  • 『天子』の『呪い』によって荒れた地上を離れ、天に都市(『アーク』)を作った

 でOK?

 

『アーク』の動力源は何か(浮かぶにはエネルギーが必要)

『アーク』の食糧はどうなっているか

地上の荒廃事情(エネルギー事情、食糧事情両方気になる)

⇒ 『アーク』の動力源や食糧問題は不明だったが、地上との明確な格差の理由は明らかになりました。

 地上の荒廃は、呪術兵器『天子』の『呪い』によるもの。『天子』の『呪い』が、果たして人間だけではなく、植物や他の動物に影響を与えるかは不明。単純に、そこで生きる人々が死に絶えてしまったことによる環境悪化なのか?

 ただ、その土地で生きる人々が壊滅する = 文明の発展が停滞する = 環境に適応するのが遅くなる、この流れによっていつまで経っても安寧が訪れない(食糧供給も安定しないなど)ことで紛争ばかり⇒荒廃、ってことでしょうか。なんとなく、わかる。

 

地上における「地区」とは何か(越境できるものなのか?自治は?)

⇒ 不明

 

『アーク』と「地上」の行き来はどうなっているのか

(その気になれば「地上」の人たちは『アーク』に侵攻できそうなものだけど)

⇒ そこは素直にエレベーター(というか、行き来用のエレベーター、一応用意しているのね)。完全に地上との行き来をシャットダウンしたいならエレベーター不要では? と思ったけれど、まあ、いろいろな事情があるのだろうか。『ユニティオーダー』の警備はさぞかし強固なのでしょう。

 

2. 天子とは何者か

『ナーブ教会』の象徴の証、『天子』とは何者か

『天子』であるアルムの生い立ち

⇒ 先に述べた通り、呪術兵器。作中の情報をまとめると、

  • 『天子』はその時代に一人だけ
  • 『天子』が死ねば、その次の『天子』が生まれる
  • 『天子』を引き継ぐ条件は、自我の持たない赤子であること(byクオン)
  • 『天子』は常に『呪い』を発動し、その周囲にいる人間に影響を及ぼす
  • 『天子』が受けるストレスが強くなればなるほど、『呪い』が濃くなる

 『呪い』が具体的にどういう効果をもたらすかはふわふわしていたけれど、内臓にダメージを与え、その結果、『呪い』が進行すると吐血したり全身が引き裂かれるように痛む、ということでした。『天子』に命の危機が生じる、それぐらいのレベルのストレスになると、致死性が高くなり、人を死に至らしめる(プラセルやシャオの例)。

 ちなみに、『呪い』について2点ほど気になることがあって。

 1つ目は、リーベル率いるリベリオンたちに『天子』であるアルムが拉致されたとき。このときはプラセルやシャオのように急速に『呪い』が進行していないことから、そうか、あの『天子』強奪事件は、アルムにとってそこまでのストレスではなかったんだな(もちろん、平常時よりは負荷が強いだろうけど)ということ。

 2つ目は、『天子』本人のストレス耐性度によっては、『呪い』の効果も割と変わりそうだなということ。極端な話、死ぬのも怖くない、みたいなバグレベルのストレス耐性お化けな『天子』だったら、呪術兵器としての働き、いまいちなのでは?とか。

 あとは、お化けつながりで、お化け屋敷が苦手な『天子』が仮にお化け屋敷に行ったら、それだけでヤバい事態になるのかな、虫が苦手な『天子』だったら…?とか、しょうもないことを考えてしまいました。

 

『天子』は何故4年に1回しか人々の前に姿を現さないのか

リスク管理と信仰心を厚く維持するため、ですかね…。

 『ナーブ教会』で聖印みたいなのをいただけると、『天子』の呪いの影響を受けないらしいですが、クヴァルはもらっててシャオはもらってないので、聖印をもらえる人は『アーク』の人口でも少数派? だとすると、もし天子お披露目会に有事があれば、もしかして『アーク』滅亡の危機なのでは。

 それと関連して、一番ひっかかるのは、次の『天子』になりえるのは『赤子』ということ。これ、何も対応しなければ、かつての『ゴウト』のように国が即座に滅びるわけだけど、さて、今までの『ナーヴ教会』はどのようにしてきたのか。『呪い』の効果が及ぶ範囲がわからぬので何とも言えないですが、気になるところです。

 

穢れてしまった『天子』とは、『移行』とは

⇒ 『移行』というのは、おそらく『天子』アルムから、別の赤子に『天子』システムを移行すること。『天子』は世代に一人だけ、のルールが本当なら、おそらく『ナーブ教会』は戻ってきたアルムを手にかけ、赤子を『天子』に仕立てるつもりだったのでしょう。あるいは、地上のどこかでアルムが死んでも、その瞬間自動的に『アーク』にいる赤子が『天子』になるのかなと。

 「穢れてしまった」というのは、『ナーヴ教会』の傀儡ではなくなった、無知な『天子』ではなくなった、という意ですかねえ。物語中で言及があったら申し訳ないです。

 

3. その他

リベリオン』とはどういう組織か(そもそも何故『天子』を強奪するという発想に至った?)

⇒ 思った以上にリーベルが精神的支柱の組織。彼の求心力がすごかった、そして、物語の最後、それを引き継いだクウラさん、マジすごい。

 

『黒縄夜行』のプラセルは何故死んだのか

リーベル、クウラ、フーガの吐血の原因は?

⇒ 『天子』の呪いによる影響

 

黒縄夜行の宗教観と一族の生い立ち

⇒ 他の地域とは混じらない、一族で死した者の遺骸を大穴に放り込み、そこから呪力を得る一族、とのこと。

 彼らに注目する人がどれほどいるかわからないけれど、多くは「天子って何?リーベルやアルムはどうなっちゃうの?」という大いなる謎に引っ張られるなか、この『黒縄夜行』の宗教観というのはなかなかおざなりにできないポイントではないか? と考えています。「因習に囚われ話を聞かない野蛮な人たち」という評価で終わるのは勿体ないというか、現実問題、我々が生きるこの世界にも多種多様な文化を持った人々が生きているわけで、なんというか私たちは良くも悪くも、文化に囚われているし、文化に生かされているという感じがする…。

 ヴィダやプラセル、オルカが至った結論は、それはそれとして大切だしその通りだとも思う。そして同時に、彼らの文化を維持しながら三人一緒に生きていくこともできたのではなかろうか、ああ、そうか、飢えだよなあ…食べない、寝ないは、人心を荒廃させるよなあ…。

 

 事前予想ではこんな感じに推理していましたが

 この「死者の魂」とか「呪力」をヴィダは攻撃力に全振りしているけれど、アルムは防御に全振りしているとか…。あー、『NARUTO』の我愛羅みたいなやつじゃないですか、てか、天子様制度って『NARUTO』の人柱力みたいなもので、『天子』ってのは人柱なんじゃないのー、ぐらいは考えました。違うかー。まあ、『ダンスマカブル』の世界には呪力とやらがあるらしい、毒もそれなのか?

 こうして答え合わせしてみると、なかなかいい線行っていたのでは? 特に、あの世界には呪力がある、という点を混ぜ込めれたのは良かったと思います。ただ『天子』は、災厄を回避するための人柱ではなく、人間が率先して作った呪術兵器でしたが。

 

「世界は二分されている」の意味

 私はこんな風に書きました。

 「世界は二分されている」というキャッチコピーは『アーク』と「地上」の二分というよりは、「天子様制度の真実を知っている人と知らない人」の二分じゃないですかね。

 「世界は二分されている」は、人それぞれの解釈があると思いますが、私の解釈で考えると、物語が進むにつれ「知らない」ということの愚かさみたいなものを感じてしまいます。

 プラセルやシャオ、フーガは自分たちがどんな渦の中にいたのかわからないまま死んでいったということ。それは幸せなことだったのだろうか。いいや、幸せか不幸かではない、愚かかそうではないかの違い。つまり、踊らされている人たちは高みに立つ者から(すべてを知る者から)見れば、多分相当バカバカしく見える。私はそのことに腹が立ちます。

 ただ、タイトル『ダンスマカブル』の意味である「死の舞踏」という点においては、ナーヴ教会のナンバー1,2の二人でさえ、逃れることはできていない。『天子』システムがある限りあの世界にいる人たちは死の舞踏を続けざるを得ないから、結局人々は二分されてないのかもしれない、なんてことを考えていました。

 

フーガ君

 お気に入りキャラ、その1、リベリオンのフーガ君。

特にフーガは好きだな。一番人間味のあるキャラクターのように思えるので。一方は抵抗組織のカリスマリーダーであるリーベルを、一方は信仰の象徴である天子様を尊敬するけど、落ち着く方向性は異なるフーガとクヴァルの対比よ…良かったですねえ。

【アイナナ】ダンスマカブル 前編感想 - 根津と時々、晴天なり

 ・・・。泣いていい?

 やられたーーー。フーガ vs クヴァル、前編の時点では、クヴァル完全闇落ち終了のお知らせ、みたいな感じだったのに、そんなことなかった、逆だった、フーガ君が堕ちてしまった。

 やっぱりここでも大事なのは、体の不調は心の乱れ。ユニティオーダーにぼこぼこにやられ、『呪い』の影響で内臓にもダメージ、決め手は尊敬するリーベル背信(フーガ視点)行為。堕ちてしまったフーガ君のターンに、私もかなりドキドキしながら読みました。とても悲しかった…。いや、これはむしろリーベルにあんな感じで付いていっているクウラが化け物なのであり、フーガは悪くない、悪くないというか、わかる、ああなるのはわかるよ…。

 所詮人間は自分の見たいものしか見ていないということを知ること。それだけでもわかっていたら、きっとフーガはあんな風に無邪気にリーベルを慕わなかっただろうし、あんな風に苦しまなかっただろうなと思います。まあ、やっぱり、心身消耗しているときは休むべきだし、できることなら休む人のそばに誰か大切な人がいてほしいな…いるべきなんだろうな。でも、リベリオンは闘う組織だから、リーベルは先に進まねばならないから、ケアされるべき人が満足にケアされないのは、あの世界が徹底的に荒廃していて、余裕など微塵もないからです。でも、考えてみれば、人ひとり大事にしない世界が何か大いなることを成し遂げることもなさそうで、荒んでいても優しさ、労りの精神を持つことは、長い目で見れば大事そうだなと思いました。聞いているか、リーベルよ。

 

リーベルさん

 最近考えているのは、案外、無敵主人公キャラほどやさしくないよな、ということで。

 つまり、何か大きな失敗をすれば、失敗した他者の気持ちを想像しやすいし、病に罹った経験があれば、病に苦しむ人の気持ちに、より寄り添うことができそうだ、ということ。もちろん、人には「想像力」という素晴らしい能力があり、実体験こそすべて、とは言わないが、強い人は弱い人の気持ちがわからないものなのかもしれない、ということ(それを、ちょうどヒプノシスマイクの波羅夷空却と四十物十四の関係性で考えている。念のために書くが、別にあの二人の関係が歪だとかそういうことを言いたいのではない)。

 リーベルは英雄だった。

 私は『ダンスマカブル』という物語が、リーベル抜きではありえないとした上で、最終的な舵取りをしたのはアルムだったと思う(最後の選択もアルムがしたことだし)。アルムだからこそのリーベルだった。アルムじゃなかったら、リーベルはもっと危ないことをしたかもしれなかった、カバネのように。

 そう、だから、面白いのは、リーベルに賛同する人はいたけれど、リーベルに影響を与える人はアルムだけだったということ。リーベルはみんなの心を動かしたが、リーベルの心を動かしたのはアルムだったというところが、多分『ダンスマカブル』のポイントだ。フーガ君、どんまいだ。自分がどれだけ希っても、他者が自分に振り向くとは限らないしな…。

 

語りが止まる

 結構、こだわっています。何に?死んでいったものたちに。具体的には、プラセルとシャオとヴィダに。

 できれば彼らには生きていてほしかった。誰かの犠牲抜きに変革などありえないなんて、そんなの人間の本質かもしれないけど認めたくないじゃないですか、だから生きていてほしかった。

 物語の都合上、彼らは、死ねば語りがそこで止まる。追憶という形で登場することはあれど、彼らの新しい言葉は永遠に生成されることはない。それが死ぬということ。

 もっと三人には喋ってほしかった。変わりうるタイミングが三人とも確かにあって(死ぬ間際、彼らの口からは本音が溢れた)彼らはその区切りを乗り越えずに死んでいってしまって、仮に彼らが生きながらえたらどんな言葉を放つのか、私は知りたかったなと思います。

 

カバネ様

 カバネ様がかっこよすぎてメロメロなのに自引きではゲットできなかったので、SPポイントで無理やりカードを手に入れました、カバネ様、よくぞいらっしゃいました。冷静に考えて、カバネ演じる17歳の男子高校生和泉一織 is 何者…?只者ではない。

 

 カバネの深くて静かな訥々とした語りが好きでした。カバネパートは余分に見たくらい、好きでした。

 このダンスマカブル、見どころは人それぞれだと思いますが、私は、カバネ、クオン、コノエの『忘れられた者たち』の関係性が、こう、性癖にぐっときました(好みだ…)。

 私がぐっとくるのは「言葉にすることに対する圧倒的な隔たり、壁」その重さでして、カバネがクオンを避ける理由をじっくりと解きほぐせば、想像だにすることのできない感情があって。

 カバネとしてみれば、一国の長でありながら自分の正義感で突っ走った行動で国民の多くを死に追いやったというとんでもない罪悪感と、とはいえクオンを救おうとした自分の気持ちも無視できないし、でも「クオンさえ救わなければ」という気持ちに、かつての自分の希望が侵食されていく感覚(ちょっとどうしていいかわからんすよね、自分で自分を赦す他ないのでは?)

 そしてクオンは「自分が救われない方が良かったとは思わない」というわけで。深海のように深い心。そしてその深い海に沈む絶望。クオンは「自分は救ってもらえてよかった」と思える以上、永遠の生を得ることに対する苦しみを受け止められないから、それもとってもしんどい。そしてありえないくらいストレス耐性がつよいコノエの明るさ。『忘れられた者たち』 is 沼…。

 正直『忘れられた者たち』の半生は壮絶なもので、これだけで飯が三杯食えるくらい(食うな)「感情」があって、私は悲しくもあり楽しいのです。『ダンスマカブル』やべえ…。

 何はともあれ、希望は(そして絶望は)彼らは「生きている」ということで、『もののけ姫』でおときさんが言ったように「生きてりゃなんとかなる」わけで(まあ、生きているからこそつらいことも同じくらいある)。やっぱり、ああ、プラセルたちに生きていてほしかったなあ…と無限ループになります。でもほんと、生きているから、先はある。解呪する方法も見つけられるかもしれない。永遠を終わらせることができるかもしれない。私はそう思います。

 

最後の選択

 最後の選択。これは面白かったです。結局選ばなかった方の結末もみられるわけですが、それでもあの瞬間、プレイヤーは選ばなければならなかった。

 面白いのは、この「選ぶ」というのも様々で

  • 物語中のアルムとして選ぶのか(国語の問題的に)
  • プレイヤーがそうあってほしいアルムとして選ぶのか
  • プレイヤーの倫理観・価値観などに則って選ぶのか
  • プレイヤーが見たい未来によって選ぶのか

 と本当に視点が様々なんですよね。ちなみに私はたかがゲームとはいえ、自分の価値観に悖る選択はできなくて、色々考えて選んでしまいました。

 たかがゲーム。でも、正直選ぶ瞬間は本当にドキドキしてしまった。実際にアルムの立場であの場にいたら、冷静な選択ができたとは思えないです。国語の問題的にはどの選択肢が正解だったのかな。直前で上の選択肢に誘導している感じはあった気がする。結末だけ切り取ればそもそも時間軸が異なるので比較はできないですが、上の選択肢の方が好みだったかもしれないです。

 

結局TRIGGERの話

 なんというか、『ダンスマカブル』という劇中劇だけで、そのままアイドリッシュセブン内の勢力図がわかって面白いなと思いました。なんだかんだ、リーベル、クヴァル、ヴィダが美味しいところもっていってんだよ、TRIGGERの勝ちじゃろ。ただ私は天邪鬼なので、メインではなく傍流にひたすら好奇心が向く。例えば物憂い気味のエーテルネーア様の回想録だけでスピンオフ作れるよね?とか…

 TRIGGERってもしや八乙女事務所から抜けた?かはわからんけれども(私はストーリーを2部までしか消化していない)もし八乙女事務所がこの『ダンスマカブル』を受けたなら、それはよくわかります、だってTRIGGERの三人がいいところもっていっているもの。

 

『ダンスマカブル』放送時間帯問題

 私は言いました。

個人的には正月休み1月2日の夜9時くらいからやる新春特別ドラマかな、と思いました。『相棒』とかあの枠ね(『相棒』は年末にやるけど)。

【アイナナ】ダンスマカブル 前編感想 - 根津と時々、晴天なり

 無理です。なぜなら和泉一織がみじん切りにされるからです。

 いや、まじでこの『ダンスマカブル』は一体どの時間帯にどの媒体でどのように放送されたかは大事で、だって、これ、ボイスドラマではないんですよ? 衣装着ているしアクションしているし演技しているんですよ!?そしてみじん切り???和泉一織のみじん切りをOKした小鳥遊事務所、まじやべえな、になっています。壮五の「死んでよ(銃どかんどかん)」とか、環ががっつり蹴り上げてるのも、事務所的にOKなんだ、とか(私はダンスマカブルの幕間(1)の環君*1。を見て胸が痛みました)。

 もちろんみじん切りはそのまま表現しませんが、どうだろうなあ、深夜枠なのかなあ…。23時くらいで二夜連続とかそういう感じ?というか連ドラ?

 

 長くなりました。散漫に思いついたこと、考えていたことを書けたと思います。他にも思いついたら追記しようと思いますが、いったんここまで。

 謎への好奇心はガソリンみたいなもので、後編もあっという間に読んでしまいました。これを無料で楽しめるなんてありがたいなあ。

 そしてほどほどにRPGが好きな人間としては、かつて遊んでいたRPGっぽい音楽(『忘れられた者たち』のBGM)のことがとっても好きになりました。

 面白かったです。そして最後に言いたいのは、後日談としてダンスマカブルの幕間(1)~(4)があるの、なかなかファインプレーだということ。物語はそこから抜けるまで大切です。

*1:家庭内暴力の被害者へのケアは本当に大事だと思います。環君が過去とどのように向き合い、どれくらい回復しているのか私にはわかりませんが、このキャスティングは慎重であるべきだと感じます。別に絶対やるなとは言わないけど、十分に配慮されなければならない、と。

【音楽】2021年10月と11月の音楽

 11月も終わりですが、人生でいちばん「年末」という気分にならない2021年です。基本的に暇人であるはずなのに、なぜこうもやりたいことがある気がするのか。

 

公園

 意識的に大きめの公園や遊歩道に赴いては歩くようにしていてそれはある種のデトックス的な効用を持つのだけど、緑豊かな場所を歩いていると、聴きたくなる曲がある。沸々と湧いてくる感覚を頼りに自分で「あ、この曲?ちがうか」「じゃあこの曲か?」と自己探索するのが楽しい。

 ちょうどコスモスかな、コスモスが綺麗な場所を歩いてきたときに聴きたいと思ったのはKOCHOの『君の行方』。アニメ『魔法使いの嫁』第5話の挿入歌だったかな、話自体はとても悲しいのだけれど、同時にとてもきれいなシーンで流れる曲。あれはアニメ史の中でもかなり美しいシーンだと思うのだけれど…。

君の行方

君の行方

  • KOCHO
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 木々の中を歩く散策路も整備されていて、そんなときは宇多田ヒカルの『道』を。森林浴とはこのこと、結構元気になる気がするのでおすすめ。

 

強気に

 aespaの『savege』は私を奮い立たせる。

youtu.be

 特に斜め上を強気にふてぶてしく見つめるウィンターの

 " Oh my gosh Don't you know I'm a Savage? "のパートは個人的に呪文のようにぶつぶつと諳んじてしまう。この儀式に必要なのは、強気であることと(本当は良くないけど)自分以外を見下すような、舐めたような姿勢の2つ。

 

相変わらずヒプノシスマイク

 相変わらずヒプノシスマイク。通称「ヒプステ」(ヒプノシスマイクプロジェクトの舞台らしい)にも興味が出てきたが、この冬のやつは行かないだろう。懐疑的だけど二次元のキャラクターをよくここまでうまく落とし込んだなと驚いている(Teaserだけで判断しているけど)。

youtu.be

 あくまで声質歌い方雰囲気の再現度でいうなら、全員特徴をよく捉えていて拍手もの。特に山田三郎、神宮寺寂雷、観音坂独歩、雨谷奴零、あとナゴヤ一同、はちょっとびっくりするレベルだった。いや、全員うまいと思う。お気に入り曲は(というかそれしか聴いてない)は『Crush Your Mic -Rule the Stage track.3-』

 

10月11月のアイナナ

 こちらも相変わらず。相変わらず私はアイナナを遊んでいる。確か『THE POLiCY』を叩けるようになって欣喜雀躍の騒ぎようだった。復刻イベント『ダンスマカブル』も無事完走。そのうち後編の感想も書きたい。好きな『バラツユ』の感想も先日アップできてよかった。

 そんな中、10月11月で注目したのは、四葉環のソロ曲『Four Leaf Ring』。タイトルは環くんの名前そのままなんだけどそれだけで良さげに見えてしまうの、とても素敵な名前だ。それに見た目だけではなく意味もいい。

 彼の境遇を慮ると結構がつんとやられる内容ではあるが、それを補う(多分意識的にしているのだろう)明るく爽やかでテンポ良いメロディがいいな~と思う。

 そういやヒプマイの左馬刻様(碧棺左馬刻)と環って境遇だけでなく直感的感覚派で情に厚いところが似ているなあと思っていて、しかしキャラソンは似ていない。二人はパラレルワールド、ありえなかったもう一つの世界をそれぞれ生きているのかなあと勝手に思ってしまうのだが、それぞれが自分のスタイルで懸命に生きておられるのに違いはないか…。

 

ケー様がかっこいいんです

 11月ももう終わるぜというタイミングでぶち込まれた例の動画。

youtu.be

 いいものに出会うと「私〇〇になりたい!」と思う心のロジックは、基本的には仮面ライダープリキュアに憧れる幼心と大差ない。わ、私、ケー様になりたい!なれない!なんてこった!

 

 ケー様のカバーから原曲を知り、原曲にはまる始末。

youtu.be

 チャーリー・プースの『The Way I Am』これがいい曲なんですわ…。ケー様がこの曲を歌うというのがまたいいのです。

 

関ジャニ∞『YES』

www.youtube.com

 

 関ジャニ∞の新しいアルバムに収録されている直球すぎてこちらが気恥ずかしくなる"プロポーズ"ソング。関ジャニがこんな曲歌うのかという驚きというか、一周二周十周回って良い。何はともあれ音がいい。そしてこんなに軽やかに歌ってくれるのありがたい。プロポーズにシリアスは要らない気分なのだ、今の私(プロポーズは受けたことがないし受ける予定もない)。あと、歌い方が嵐にちょっと似ているところが随所にあって、1番のBメロとか、誰が歌っているかわからんのだけど「ニノ!?!?!?!」となるほど二宮和也パートだった。

 

終わりに

 しばらくこのブログからは遠ざかっていたのだが(とはいえ、はてなブログユーザー全体から見れば1か月に数本書いているのは頻度が高いと言えるのかもしれない)まとまった量の文章を書くことはそれなりに意味がある。というかTwitter的な世界との付き合い方を考えあぐねている。

 一言でいえば「他人のコメント」(概念)を読むのがつらい。ちょっと前だとニコニコ動画のコメント的なもの、動画だとリアルタイムで展開されるチャット、流れ流れていくコメントは一つひとつは些細なものであるけれど、しかし無視することのできない重さを帯びる。傍観者として眺めているだけでもこんなに消耗するのに、当事者は一体どれほどのエネルギーを食らっているのだろう。「流れの言葉」ではなく「留まる言葉」は文脈を削がれることが前者よりも少ないと思うし。

 あとは広義の意味でのネタバレを食らいたくないという気持ちもある。一つ一つの物事についてまず私が考えたい、そんな欲求がある。簡単に答え合わせをしたくない。コメントはたくさんの答えがフィルターを用意する間もなく流れこんでくる。ブログはまず自分で調べないとたどり着けない空間だから、答え合わせもゆっくり自分のペースでできる気がする、とか。

 こういうことはそのまま書いてもうまく伝わらない気がするのでブログに書くときは幾分整理して書くようにしているのだけれど、今回は割とそのまま加工しないで書いてみた。要はブログにたどり着くにはTwitterとかよりも幾分能動的であらざるをえないので、書く側もちょっとだけ安心するし、即時的ではないので多少は慎重になるということ。そして言葉を尽くせること(140字以上書くことができる!)。

 

その他

dorian19.hatenadiary.jp

dorian19.hatenadiary.jp

dorian19.hatenadiary.jp

dorian19.hatenadiary.jp

【TRIGGER】『バラツユ』に溺れてくれ

 11月も終わりに近づき寒くなってきました。『バラツユ』が似合う季節となりましたね。

 ・・・。

 え? 

 

 今日は好きな曲TRIGGERの『バラツユ』について書きたくなったので存分に書いてみようと思います。ちなみにアイナナ関係の記事を書くときは、書き手である私の情報を前置きとして書こうと思っていまして、というのも、「書き手、どういうスタンス?」ってのは情報として必要だと思うのですよね、ストーリーの消化具合で各アイドルの皆様に対する考え方も変わっていくと思うので。

  • アイナナ歴:6か月未満
  • アニメ:見てない
  • ゲーム内ストーリー:2部まで消化済み
  • 好きなキャラ:日替わりで替わる
  • 好きな曲:THE POLiCY(アニメ見てないけど)
  • アイナナをはまるきっかけになった曲:4-ROARとMONSTER GENERATiON
  • ウエハースで引いたキャラ:九条天(3枚中3枚)←NEW!

 

TRIGGER『バラツユ』

 スマホアプリゲーム『アイドリッシュセブン』から生まれたTRIGGERは、八乙女楽、九条天、十龍之介(「十」は「つなし」と読みます)で構成されたグループ。その2021年6月に発売された2ndアルバム『VARIANT』内に収録されているバラード曲が『バラツユ』です。

 そういえば、私がアイナナで最初に引いたSSR(ゲーム上のカードのレア度は高いほうからUR、SSR、SR、R、Nなので二番目に高いカード。始めたころににURカードを引くことはほぼないので、実質「なんか貴重そうなカード引いたで!」と驚くのはSSRか)は十龍之介[LOVE&GAME]なので、この十さん、個人的にとても印象深い人です。

(ストーリー序盤に引けば「誰だ」ってなりますわな)

 

 「THE POLiCYが好き」と言っているぐらいなので、明るく賑やかな、心洗われるような曲が好みではあるのですが、同じくらいしっとりと歌い上げるバラードも好きなのです。ということで『バラツユ』はめちゃ好きな曲リストにランクイン。

 なんか少し調べたところ「TRIGGER的にはバラード曲なんて挑戦的!」みたいな感想を見かけたのですが、そういうものなのでしょうか?わたくしTRIGGERを十全に知らぬまま『バラツユ』と出会ってしまったもので…。ただ聴いていると別にTRIGGERには似合わない、なんてことない。むしろTRIGGERというグループだからこそこの『バラツユ』を歌えるし、似合っているじゃろがい!と叫んでしまうのだが…。その辺を熱く語りたいところ。

 

トライアングル

 TRIGGERは八乙女、九条、十の3人なのでそれぞれ1番、2番、ラストのサビの終わりを分担して歌い上げているのですがそこがめっちゃ好き。

あぁ朝が来て どうして薔薇は泣いてる

今日も朝が来て どうして君は泣いてる

 この部分ですね。ここがとても聞かせどころでエモーショナルなパートでして、パートに差し掛かる前から「来るで…来るで…」とさながらジェットコースターのてっぺんに向かってガタガタ昇るときの心模様。

 3人という構成上、くるくるとパートが回ってくるのはまるでトライアングルのよう。最近、ああそうだ、二階堂・和泉三月・六弥のトリオ(俗にいう「ピタゴラトリオ」)にはグーチョキパーのじゃんけんのような(良い意味での)緊張関係があってだからこそ均衡を得られているのではないか云々、と考えていたのですが、TRIGGERにもその三角形の法則は成り立つのでしょうか。わからぬな。どっちかというと「2対1」がTRIGGERの基本スタイルではないのかと思うのですが、これはまた引き続き考えていきます。何が言いたいって、『バラツユ』のサビ(1番2番ラスト)においては見事な三角形、三者三様のスタイルが確立されていて私はそれが好きです。

 八乙女楽については、私は「スモーキーな声だな」という評価でして、端的に申し上げると「八乙女楽の声めっちゃ好き」。

 そうそう、過去の私良いこと言うではないか。八乙女さんの声は基本的に芯がありつつ周辺がもわっとぼやけている感じで(そこが「グレー」とか「スモーキー」という表現になる)力強いのだけれど、時々語尾が優しくなるように思えて、そのウルウル感に胸つかまれる。というか前提として声がかっこいい。いい声だー。

あぁ朝が来て どうして薔薇は泣いてる

 この「どうして」の部分がふるんふるんのゼリーを掬うように繊細に歌っている、と言えばわかりますでしょうか。『バラツユ』聴いてください。

 十さんは「THEストレート」という印象。まっすぐ射貫くような歌声でとても聞き取りやすく、スッと耳に入ってくる感じ。最初TRIGGERの曲を聴いたとき「八乙女さんと十さん、結構似たような感じだから九条くんが目立つなー」とか思っていたんですけど、よくよく聴いてみると、似ているといいつつタイプは異なる。

今日も朝が来て どうして君は泣いてる

 この「今日も」の「もーーーー」のところがとても十さん。高くまっすぐ伸びていく音が綺麗だなと思いました。目が覚めるとはこのこと。戸惑いつつぐっと両足で踏み込んで立ち続ける十さんのイメージ通りの歌声だ。

 九条さんは「麗しい」という言葉が似合う。うーむ、やっぱりこの『バラツユ』という曲において、真っ赤な薔薇を彷彿させるのは九条天、八乙女さんと十さんはその薔薇を守る騎士という感じなのですがそれは妄想ですね、さておき。九条さんの声はTRIGGERにおいてとても目立つのでトリッキーな立ち回りをしたりセンターに来たり、この声をどうするか?という点でTRIGGERというグループはいくらでも変わっていく、そんな気がします。『バラツユ』では「なんだか酸味ある果実のベリー系」って感じ。

あぁ朝が来て どうして薔薇は泣いてる

 奇しくも「どうして」の部分、八乙女楽と方向性が同じ歌い方ではないか。ちょっと弾む感じに歌っているのよな。そして「あぁ」の「あ」と「どうして」の「ど」が非常に九条天…。甘やかなんですねー。好きだなー。

 

 こんな感じで、サビの最後の歌い上げで3人を比較することができる面白さが『バラツユ』にはあります。これは3人だからこそ面白いのだと思っていて、それより少ない場合はまた違う比較が、それより多くなるとこういうすっきりとした比較ができないので、TRIGGERはめちゃ丁度いい人数でちゃんと比較しやすいパート割をしてくれる、その見せ場みたいなものを作ってくれるところがありがたいなと思います。

 

繊細なメロディ

 好きポイントその2。とにかく繊細なメロディ。

 綺麗なこの曲をしっとりと歌い上げるにはそれなりにイメージが伴っていないといけないわけで、TRIGGERだからこそできる曲だなと思うのです。「TRIGGERの何を知ってんねん」と言われれば「知りません…すみません…」なんですけども、知らないなりにTRIGGERの印象を答えるなら、それはやっぱり「優雅」なんですよね。「上品で力強い」ともいえる。これは「アイドリッシュセブン」のカラーではないわけで(「アイドリッシュセブン」は「全力」というイメージ、「Re:vale」先輩は「抱擁」で、「ZOOL」は「ワルでチャラチャラで実はホーリー」)『バラツユ』は完璧でプロフェッショナルなTRIGGERのものだよなーと思うわけです。もちろん、バラツユ アイドリッシュ.verとかも聴きたいですけれど。

 TRIGGERの「優雅」というのは私の勝手なイメージですが、人々の求める偶像をそのまま体現できる強さが彼らにはあるわけで。「優雅」であり続けるだけの体力気力志がなければ到底なしえないもの。彼らのプロ意識はストーリーの1部2部を消化した段階で既にひしひしと伝わってくるわけでして、『VARIANT』というアルバムはすごくいいアルバムだなーと思います。TRIGGERの強さがぎっちり現れている気がしました。

 そんなプロのプロのTRIGGERが『バラツユ』と言う曲を歌えば「え、珍しい…」と言われてしまうなら(ほんと?)それは彼らが挑戦した、そして結果的にも申し分ない素晴らしいものだったってことですよね。うーむ。TRIGGER、独自のスタイルを確立していらっしゃる。

 

声がいい、という快楽

 これは『バラツユ』とは直接関係ないことですけど。

 アイナナを始めて、「声がいい」ということのヤバさをひしひしと感じる日々です

 なんだろうな、普段生活を送る中で「声がいい」ということに対して私は無自覚すぎる。本当は「声がいい人」ってのは案外いるのだと思うのですが、声の良さ以上に会話の内容が生活では大事で、声の良さは正直どうでもいいのかもしれない。声が良くても要点を掴めない報告だったら「む」としてしまう気がする…(そもそも私自身が説明能力に欠けた人間ってのもある…)。要は、「声の良さ」をそのまま「声の良さ」として享受できるアニメとかゲームとか様々なコンテンツ、ありがてえな…ということ。

 八乙女楽の声はスモーキーでかっこいいし、九条天の艶やかで品のある声はぎゅーっとなるし、十龍之介のまっすぐな声に射貫かれるし…。『バラツユ』を聴いて「良い声で歌われた曲を聴く」ということの快楽? みたいなものに溺れかけるのが楽しいなと、そう思います。声優さんはそれを「演じている」わけですからね。まったくすごい職業だ…。

 

 ということで私の好きなTRIGGERの『バラツユ』について、ひとしきり書きたいことは書けたと思います。早う3部消化せよ、という感じなんですけど、気が向いたときにストーリーの方も消化していきたいと思います。ダンスマカブルはなんとか完走したので、後編についてもそのうち感想書く!

 

 最後に。

 冒頭に書いたけれど『バラツユ』ってのは個人的には冬の曲で(バラ自体は冬の花ではないけれど)凛としたイメージが冬の寒さと結びつくからか、真冬の幻のローズガーデン、しか月夜の下、誰もいない庭園で聴きたいなー(聴けないけど)なんて思ってます。もう季節は冬だ!『バラツユ』をこれからもたくさん聴きます。

 

参考

バラツユ

バラツユ

  • TRIGGER
  • アニメ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

【雑記】10の質問

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

 こういう企画はやらないつもりだったけど、万年筆とインクが欲しいので当たったら嬉しいなと思ってやります。

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

 私が持つぬいぐるみは3体あるのだけど、そのうちの1つがハリネズミの小さなぬいぐるみで「ねずみ」→「ねづみ」→「根津」になりました。名前や地名としての「根津」とは縁もゆかりもありません。晴天は「晴」という漢字が好きなので。そこには曇りや雨の日々だとして、青空が見えたら嬉しいなという思いも込めたり込めなかったりする。

はてなブログを始めたきっかけは?

 ブログを始める前にいくつか読んでいた好きなブログがあって、こんな風に書けたらいいなと思ったのがきっかけ。また文章を書きながら考えるところがあるので、自分の思考を整理する為にも。あとは私の好きなことについて書いているブログがもっと増えたらいいのに⇒自分で書けばええやんけ、という理由。

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

 実はないかもしれない。それに書いたものも覚えていない。インターネットで好きなことについて検索かけて「あ、このブログ記事よさそう」と思ってクリックしたら自分のブログだったということがあって色々な意味で辛い(自分、書いたもの覚えていないんか?etc)

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

 心が動いたとき。

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

 下書きに保存している記事は基本的にないです。なぜなら書きたいことを早く書いてしまいたいので、書き溜めることがないんです。

自分の記事を読み返すことはある?

 過去自分が何を書いていたのか確認するor引用に使うときは読み返すけど、基本的には読まない。「お気に入りの記事、ないかもしれない」と答えたのは本当にその通りで、自分の気の向くままに書いている分、ブレブレで制御が効いてないところがあって、書いていること自体は私の書きたいことだけれど、書き方に納得いってない、けど、どうすることもできないというジレンマがある感じ。粗が目立つので読みたくないというのが本音です(けど書きたいことは正直に書いている)。

好きなはてなブロガーは?

 色々いらっしゃるけれど直接言及は憚られるので、好きな(そして、そうありたいと思う)ブログの傾向としては「その人にしか書けないことを書いているブログ」です。

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

 できるだけ長くサービスを続けてもらいたいです。

10年前は何してた?

 今以上に混乱していました。

この10年を一言でまとめると?

 迷走

【アイナナ】ダンスマカブル 前編感想

 スマホアプリゲーム「アイドリッシュセブン」内のフルボイスイベント『ダンスマカブル 』前編を完走しましたので、後編が始まる前に備忘録。ちなみに『ダンスマカブル』は復刻版(以前やってたのかしら?)で、前編を遊んでいない人も後編配信時に前編から楽しめるみたいなので、よかったよかった、万が一これを読んで「あらやってみようかしら」と思った人がいたら申し訳ないですもんね。

 「後編が始まる前に備忘録」と書いたのは、ストーリーすべて知った後のご褒美みたいなものです。「ああ、あの時の私、呑気だな~~~」とか「全然予想と違うでやんよ(ケラケラ)」など、自分の予想がどれくらい合っているのか合っていないのか、答え合わせの為に私はこれを書きます。最初から前編のネタバレありきで書きますので、ストーリー未読の方は要注意です。

 まず書き手である私の情報から。

  • アイナナ歴:6か月未満
  • アニメ:見てない
  • ゲーム内ストーリー:2章まで消化済み(つまりZOOLの皆さんをあまり知らない)
  • 好きなキャラ:日替わりで替わる
  • 好きな曲:THE POLiCY(アニメ見てないけど)
  • アイナナをはまるきっかけになった曲:4-ROARとMONSTER GENERATiON
  • ウエハースで引いたキャラ:九条天(2枚中2枚)

 

全体的な感想

 パッと消化した感想では、(私の好きなゲーム)FF13とか(読んだことある)『テガミバチ』の世界に似ているな~~~、というものでした。つまり「上と下」という二分された世界があり、お互い没干渉ゆえに恐怖と憎悪をたぎらせ(恐怖と憎悪は言い過ぎですが)、格差と分断が生まれている、と。この「上と下、二分された世界」の構造の源流って一体何なんだろうなと気になるところではありますが、それはさておき、似たような世界観の物語が既にたくさんある以上、物語の結末も自ずと予想がつくものです。今回は果たしてその予想が当たるのか、裏切られるのか、これがまず1つのポイントでしょう。

 ストーリーはめちゃめちゃ面白かったです。空に浮かぶ街『アーク』の宗教的組織『ナーヴ教会』と治安維持組織の『ユニティオーダー』、そして荒廃する地上で生きる『リベリオン』と『黒縄夜行』この4つの視点が時系列に沿って切り替わりながら物語が進んでいきます。中には「めっちゃいいところで終わるやんけ!」といいタイミングでストーリーが終わったかと思えば、また別の視点で何食わぬ顔で始まっていく、苦行のような進行。ゲーム上、音楽ゲームをクリアしてポイントを稼がないとストーリーが解禁されない為、オートプレイで回したり、息抜きに自分でも叩いたり、久々に夢中に遊んだ気がします。それも「ストーリーが面白いから」その一言に尽きます。

 

たくさんの謎

 ストーリーが面白いのは、『ダンスマカブル』の世界が謎に満ち溢れていて、ストーリーを読んでも読んでも謎が明かされない、むしろ、謎が深まっていくばかりだからでしょう。結局前編を読む限りは謎は明らかにならず、すべては後編で決着がつきそう。楽しみなようで知るのが怖い、いや、しかしここまで来たら突き進むのみ、後編配信を待つばかりです。

 と、ここで後編完走の際のお楽しみとして、現時点で私が疑問に思う事柄をリストアップしておきましょう。

1. ダンスマカブルの世界の成り立ち

  • 何故、天(浮遊都市『アーク』)と地(荒廃する地上)で世界は二分されなければならなかったのか
  • 『アーク』の動力源は何か(浮かぶにはエネルギーが必要)
  • 『アーク』の食糧はどうなっているか
  • 地上の荒廃事情(エネルギー事情、食糧事情両方気になる)
  • 地上における「地区」とは何か(越境できるものなのか?自治は?)
  • 『アーク』と「地上」の行き来はどうなっているのか(その気になれば「地上」の人たちは『アーク』に侵攻できそうなものだけど)

2. 天子とは何者か

  • 『ナーブ教会』の象徴の証、『天子』とは何者か
  • 『天子』は何故4年に1回しか人々の前に姿を現さないのか
  • 『天子』であるアルムの生い立ち
  • 穢れてしまった『天子』とは、『移行』とは

3. その他

  • リベリオン』とはどういう組織か(そもそも何故『天子』を強奪するという発想に至った?)
  • 『黒縄夜行』のプラセルは何故死んだのか
  • リーベル、クウラ、フーガの吐血の原因は?
  • 黒縄夜行の宗教観と一族の生い立ち

 

 こんなもんでしょうか。カバネ、クオン、コノエという新しい登場人物たちについては現段階では推理するにも材料が足りないので特に考えません。にしても一瞬登場しただけで、コノエ(演:狗丸トウマ)のいい人っぷりが瞭然なのほんとすごいな。そもそも狗丸トウマがいい人なんだろうけど。

天子アルムについて

 『リベリオン』の面子がどうやら病に侵されているっぽいところで、『天子』であるアルム(演:亥清悠)が何らかの原因であることは見当がつきます。

 問題は、『リベリオン』の面子の症状と、プラセル(演:四葉環)の死因が同じであるかということです。同じであるならば、アルムに有事がある際に症状をより進行させるのか(あるいは致死量を超える毒みたいなものがばら撒かれるのか)。そう、現時点では「毒」と形容するのが一番わかりやすいか。アルムを背負っているリーベルがいち早く発症したのだとすれば、それもわかります。接触回数に比例して毒が回るという風に考えることはできる。

 また、肝心のアルムが自身の影響を全く理解していないことも謎です。『アーク』にいたときに人々から隔離されていたのも、人々がアルムと接触する回数をなるべく減らそうとした、というのであれば、お付き人みたいなことをしていたクヴァル(演:十龍之介)が今まで何もないのは解せない。ということは、その「毒」とやらは幼少期は存在しておらず、ある程度アルムが大きくなった段階で生じるもの(そのころにはクヴァルはお付き人の任を解いていることでしょう)なのか。

 そう考えると、これは仮説になりますが、黒縄夜行のヴィダとアルムは案外遠からず近い存在なのではないか、ということに思い至ります。ヴィダ(演:九条天)は公式HPによると

地上の抵抗組織で過激派の『黒縄夜行』のリーダー。粗野で残忍で自信家。個人としての戦闘力は最強。
死者の魂に囚われた民族で、人並外れた戦闘力は先祖代々の呪力によるもの。劣悪な環境で共に育ってきた仲間に対しての同胞意識が強く、それ以外はすべて略奪・破壊の対象。

 この「死者の魂」とか「呪力」をヴィダは攻撃力に全振りしているけれど、アルムは防御に全振りしているとか…。あー、『NARUTO』の我愛羅みたいなやつじゃないですか、てか、天子様制度って『NARUTO』の人柱力みたいなもので、『天子』ってのは人柱なんじゃないのー、ぐらいは考えました。違うかー。まあ、『ダンスマカブル』の世界には呪力とやらがあるらしい、毒もそれなのか?

 

 「世界は二分されている」というキャッチコピーは『アーク』と「地上」の二分というよりは、「天子様制度の真実を知っている人と知らない人」の二分じゃないですかね。

 ということで、私の現段階の予想はこんな感じです。『ダンスマカブル』=「『風の谷のナウシカ』の腐海システム+『NARUTO』の人柱力システム+FF13コクーン思想のごった煮」。いいね、わかりやすい。ここまで書いて盛大に空振るまでが遠足です。楽しみだなー後編。

 

メタに考える『ダンスマカブル』

 さてここからは、アイドリッシュセブンの世界の架空の物語である『ダンスマカブル』という観点での感想です。

 なんといっても、TRIGGERの八乙女楽と十龍之介によるバッチバチのアクションシーンはさぞ見栄えのするものだったでしょう。テキストだとアクションシーンは想像するしかないですが。特に龍之介演じるクヴァルが物語をたくさん引っ搔き回してくれて最高でした。温厚な十氏からは考えられない名言の数々…(地上に生きる蟲どもがっ…!みたいなやつ)。個人的には、自分も他人も世界も一切疑わないクヴァルみたいなキャラクターはかなり上位にランクインする嫌いなキャラですが、反面教師ですよねー、ほんと。ただクヴァルの良くも悪くもまっすぐなところが、ポジティブに働けば部下から慕われるエリート軍人だし、悪く作用すればぶっ壊れ鬼畜キャラみたいになるのかと。クヴァルも上からその性質を利用されているのだと思うと、環境が人に与える影響というのは本当に大きいです。

 個人的に「おお~」と驚いたキャラは棗巳波演じるフーガ、九条天演じるヴィダ、六弥ナギ演じるミゼリコルド(名前覚えらんねえよ)、百演じるエーテルネーア(名前覚え(以下略))。この4人は演者とキャラのギャップがかなりあるキャスティングだったのでストーリーを消化しててとても楽しかったです。特にフーガは好きだな。一番人間味のあるキャラクターのように思えるので。一方は抵抗組織のカリスマリーダーであるリーベルを、一方は信仰の象徴である天子様を尊敬するけど、落ち着く方向性は異なるフーガとクヴァルの対比よ…良かったですねえ。棗巳波は子役経験者なんですよね。頷ける演技力。荒々しい発言ばかりのヴィダも平生の九条天とは全くギャップがあるし、陽気なナギもなんだー理性的に話せるじゃーーーんとなるミゼリコルド(いや、ナギっちが実は相当クレバーな人だってのはわかりますけどねそれでも)。

 

お遊戯会

 ただメタ的に『ダンスマカブル』を考えると、この企画は一体どのように始まったのか???と気になるところではあります。

 話の全容はわからないものの、気軽な話ではないことは確か。シナリオの重たさから考えてもファンサービスでやっているわけでもない。そしてハッピーエンドにならないのも確か(もうプラセル死んでますし)。小鳥遊事務所は、八乙女事務所は、岡崎事務所は、そしてもちろんZOOLの事務所さんも、どういう理由でこれに参画しているのかしら。個人的には正月休み1月2日の夜9時くらいからやる新春特別ドラマかな、と思いました。『相棒』とかあの枠ね(『相棒』は年末にやるけど)。でも、そうであるならば致命的な欠陥があって、それは年齢が合ってないのよ。全然合ってない。『ナーヴ教会』のミゼリコルドもエーテルネーアももうちょっと年齢を重ねた人でしょう(これはステレオタイプですか?)。あるいはライデンも。「同世代の今を時めくアイドルたちが演じる」というキャッチコピーを添えるなら、そこら辺の設定を補正しないと。例えば「『ダンスマカブル』の世界で生きる、立場が異なる16人の青年たち」という枕詞を添えてもらえればこっちで勝手に消化するのにさ~。

 というので、何が言いたいって、シナリオの重たさガチさと、キャスティングと年齢設定がちぐはぐってことです。

 そこで私は『ダンスマカブル』を楽しみながら、一方で「お遊戯会」みたいだなとも。お遊戯会でオズの魔法使いの北の善き魔女を演じたのを思い出します。幼い子どもが北の善き魔女を演じる、それがお遊戯会です。幼い子どもは本来北の善き魔女にはなりえないからこそ、遊戯。そういうちぐはぐさが『ダンスマカブル』のキャスティングにはあるってのは何となく伝わるでしょうか。まあ、ほんの少しの違和感なので意地悪したいわけじゃないのですがね。「仕方ない」のです。

 ということで、『ダンスマカブル』というのはアイナナの世界で一体どういう位置づけのドラマなのかしら、ということが気になりました。

 

メタメタに考える『ダンスマカブル』

 私は本を読むのですが、その時によく思うのは「あらゆるフィクションは先に物語がある、私たちはそれを食べるか食べないか、それだけだ」ということです。

 フィクションだからこそできることがあります。私は人を殺してはならないけれど、私は物語の世界の中で人を殺すことができるでしょう。物語の功罪はそれとして慎重に語られるべきですが、基本的には「物語が先にある」。どんな酷い物語でも、存在は許されるのはそれが物語なのだからかなあ、、、とうっすらぼんやり思うわけですが、何が言いたいって、環君演じるプラセルがどうやら死んでしまったと気づいたとき、めちゃめちゃ悲しかったんですよね。環君にこんな役やってほしくなかった。環君にはおいしいプリンをにこにこしながら食べてほしい。でも、環君は私にとって、物語の中の登場人物なんです。それに仮に実在する人であっても、他人について「こうあってほしい」と祈ることができたところで、それを押し付けることはできないですよね。

 アイドリッシュセブンの面白いところに、彼ら彼女らがあたかも実在するように振る舞う、ってのがあると思っていて、先のクロネコヤマトとのコラボとか雑誌など、各媒体に登場するときも基本的にはそのスタンスですよね? これはアイナナに限らず他のコンテンツにも言えるかもしれない(詳しくはないけれどVTuberとか?)。

 このスタンスに対して私は良い/悪いの判断を下さないけれども、シビアなこと言えばやっぱり四葉環は実在はしないんですよ、多分ね。そういうつもりでたくさんの人が動いていることを否定はしないし、意味あることだと思うけど。

 で、何が言いたいかというと、環君演じるプラセルが死んでしまったのは悲しい。そもそも環演じるプラセルをそういう風にすることはいかがなものか?とケチをつけることはできないし、そもそもアイドリッシュセブンの世界で『ダンスマカブル』をやるってどうよ?も通用しない。それは物語だから。物語が先にあるから。私は出された皿を食べるか食べないしか選択肢はない、と。環君を事例に出してしまって申し訳ないんですけど。話は変わるけど、四葉環ってのは感覚派なのだろうけど、時にこちらが想像だにしないエネルギーを放つ人で、すごいアイドルですよね。MEZZOって演技もやっているのよね?環君の演技、もっと見てみたいわあ…。次はできれば死なない役で。でもそれはファンの我儘だよな、すまんな。

 物語が先にあるとは言いつつ、私たちは物語を「監視」することはできる。その物語が生まれた背景にどんな社会的問題があるのか、考えることができる。物語に抵抗することもできる。食べるか/食べないか、選択肢はこの2つだけれど、批判しながら食べることだってできるし、唯々諾々と受け入れつつ食べないこともできると思っている。でも、物語の存在は消せないんだろうなあ…なんてことも思うのでした。フィクションとの付き合い方は難しい。その難しさを面倒くさがらず色々考えていきたいものです。にしても、プラセルの演技は怖いものがあったよ…環君…。

 

まとめ

 さて、風呂敷を広げすぎたのでここらへんで終わります。

と、実は三層になっているのがわかるでしょうか。恩田陸の『中庭の出来事』もこういう多層構造の小説でしてね、私が好きな小説なんですけど。

 それはさておき。無課金でこんな楽しいコンテンツを味わうことができてありがたいです。それを胸張って言うものでもないけどな、だからいいグッズとかあったら買いたいけどな(あ、ウエハースは買った)。"fun"ではなく"interesting"な面白さが詰まった作品だと思うので、重たい暗めな話が好きであれば『ダンスマカブル』は遊んでみるといいと思います。私はとりあえず「全員死んでしまうかもしれない…」ぐらいに悲観的な予想を立てておいて「なーんだ☆みんな死ななかった、ハッピーエンドだ☆」となればいいなと思います。まあ、ならないと思うけどな。

 

参考

ダンスマカブル |【公式】アイドリッシュセブン

https://idolish7.com/ldm/

 

恩田陸『中庭の出来事』

 

【音楽】一緒に逃げるということ/『心中デイト』と『ゼロ』

 その時々で聴くのにふさわしい曲があると私は信じていて、そういう曲は記憶に残りやすい。具体的に言えば、聴いたその時に見た景色と絡めて覚えている。例えば新宿の高層ビル群とか、水平線まで見渡せる曇り空の下の太平洋とか、針葉樹林の中、延々と続く遊歩道とか、先ほどまで頻繁に車が行き交っていたのに、ほんの一瞬車の流れが途切れ、静けさが訪れた夜の交差点とか。

 その時私は女王蜂の『心中デイト』を聴いていた。そして、以前ちらっと考えたままどこかに仕舞ってしまった「アイデア」が浮上してきた。まあ、つまり、逃げるということについてなのだけど。

 「逃げる」ということを軽んじて語るべきではないと感じるのでどうしても口は重たくなるのだが、落書き程度につらつらと書いてみようか。大したことは書けまい。

 

 「ここじゃない場所へ行こう」(女王蜂『心中デイト』より)と歌う。

 「架かる虹の麓にいこう いつかきっと 他に誰も いない場所へ」(BUMP OF CHICKEN『ゼロ』より)と歌う。

 

 逃げることについて考える人は少なくないと思うのだけれど、私が惹かれるのは「誰かと一緒に」逃げることで、どうして気になるのかというと、私は一切考えたことがないからだ。つまり、誰かと逃げることを考えたことがない。一緒に逃げたいと思う対象がいない、という言い方はピンとこないが、まあそういうことかもしれない。

 『心中デイト』も『ゼロ』も好きな曲だ。そして、惹かれるその理由はわかりやすい共感ではないことが嬉しいというか、直接的な共感ではなく、曖昧な、なんとなくの感情で好きになれるのは過激にならずに済みそうで安心する。

 

 一緒に逃げるというのはどういうことなのだろう。相手への信頼は必要そうな気がする。そして逃げたいという気持ちがある程度一致していないと駄目そうだ。

 逃げることは勇気がいることなのに、一人だけでなく二人の人間が逃げたいと思って、逃げたさが(ある程度)同じぐらいで、逃げる方向も(ある程度)一致しているというすごさ!カードゲームは詳しくないが、ポーカーでいうロイヤルストレートフラッシュ以上のすごさ!

 すげえな、すげえなと思いながら、今も私は『心中デイト』も『ゼロ』も聴いている。いつまで経っても同じ場所にいる私からの餞別として恐れ多いながら言葉を贈るなら、無事逃げおおせたなら、逃げた先で、逃げたいという気持ちが溶けた果てにある凪の中で、幸せであってほしいということだった。

 一緒に逃げたいと思うその切実さに胸を衝かれ動揺してしまうと言ったら他人事なのだけど、やっぱり好きな曲だな。そして「一緒に逃げる」ということでまとめてしまったけれど、『心中デイト』も『ゼロ』も違う曲ってことも断っておく。

 

心中デイト

心中デイト

  • 女王蜂
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

ゼロ

ゼロ

  • provided courtesy of iTunes

 

【SVT】気負わず、しかし前を向く/SEVENTEEN『Run with you』

 体の中を走り抜ける興奮にどのような言葉を与えればいいのか。いや、逆かもしれない。この興奮を言葉にするにはどうすればいいのか。先ほどから考えあぐねている。

youtu.be

 

 疾走感溢れるメロディが私を逸らせる。まさにドライブしている感覚だ。胸が早鐘を打つ。感情が昂るあまり気分が悪くなってくる。こんな興奮を味わったのは最近だといつぶりだ? そして次の瞬間、愕然とするのだ。もう10月も終わりじゃないか。私は何をしていたんだ?(もちろん生きていた、これでも必死に)

 

 SEVENTEEN、久しぶりだなと思う。もちろん曲をまったく聴いてなかったわけではないけど(最近だとピクニックにStill Lonelyを聴いていた。この曲は外で陽に当たりながら弁当を食べるときにちょうどいい曲だ)彼らが何をしているのかほとんど追えてない。だから、驚いた。かっこいいやんか、SEVENTEEN

 これはあくまで私の印象なんだけども、憑き物が落ちたようなリラックスした雰囲気を感じるのは気のせいだろうか。良い意味で気負い過ぎていないというか。

 Rock with youという曲、アルバムを聴いた当初、活動曲だと思わなかった。活動曲にありがちな「気負い」が無いと思ったからだ。ところがどっこい、Run with youがミニアルバム『Attacca』の看板になるらしい。

 正直に言おう。気負っているSEVENTEENは怖くないが、自然体を手に入れたSEVENTEENは怖い。怖い? 敵として?(敵?) いいえ。人として。多分、次元が違うからだろう。SEVENTEENは一歩高みに行ってしまった。もしかしたらこの曲以前に既にそうだったのかもしれないけれど、少なくとも私は彼らの出立を、この曲で以て肌で感じることとなった。

 怖いのは、わからないからだ。どうしてそうなれるのかわからない。彼らはこれから先もしばらく一緒に音楽を作っていくことに決めた(私は「永遠」を信じない。申し訳ないけれど。だから彼らの「永遠」を「しばらく先」と表現してしまう。ごめんね)。それがどれほど難しいことはK-POPアイドルを知っている人ならわかることだと思う。その先にある世界がRock with youなのだ。

 

 ミュージックビデオで特に射抜かれてしまったのは、2番のサビだろうな。ホシくんの鋭い眼光とクールさ、そして自信たっぷりな表情を(挑発的ともとれるほど)浮かべて踊るディノちゃんに、射抜かれてしまった。君たちは、いつの間にこんなにかっこよくなっていたのだろう(元々かっこよかったけれどさ)。

 

 焦がれるような思いだ。今日はこの気持ちをなだめないと寝られそうにない。

 SEVENTEENのRun with you かっこよかった。もう一度言うけど、気負わず眼光の鋭さも失わないSEVENTTENは怖い。でも彼らは同時に一緒に歩こうと手を差し出してもいる(To youを聴け)。その心強さと畏れ多さ。

 

 私は君たちのようにはなれそうもない。だけど、私なりに頑張ることもできると思っている。

 

Rock with you

Rock with you