根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【雑記】私の読書感想文の書き方

 最初に書いていくと、これは例えば学校の宿題にもある「読書感想文」をいかに書くか、という文章ではないです。なので夏休み最終日、原稿用紙は白紙、血眼になってインターネットで検索した結果この記事に辿り着いた人の期待にはそえないかもしれないです。というか、学校教育から既に抜け出した立場としては、読書感想文って、本読んで気になるところをメモっておいて、どうしてそう思ったんだろうとか考えてそれを書けば良くない?食べ物が美味しそうでした、どうしてそう思うかというとそもそも私は食べ物に関心があるからです。また食と言うのは人々の生活を色濃く描き出すモチーフでもあると思います。云々。・・・。適当に書きました。こんな風に「かんたんじゃーーーーん」と思えるのは、多分私が読書感想文を書くことに比較的苦しまないタイプだからで、夏休み最終日に読書感想文が真っ白な人は、読書感想文を書くのが苦手な人のやり方を参考にした方がいいのかもしれません、アドバイスでした。ま、私は読書感想文が書けるタイプでしたが、計画的に宿題をこなせない人間だったので夏休み最終日に宿題を一気に片付けてました。思い出したくない思い出です。

 

 では、この文章は何故書かれるのかというと、私が日常を生きる上であらゆるコンテンツを楽しむうえで意識している(したい)ことを書いておくかーーーーと思ったからです。言語化するってことですね。別に誰かの役に立つとは思っていない、自分の為の作業です。

 

 『ワールドトリガー』を読み始めました。面白い面白い言われているなぁ…とは思っていて、なんだか暇だったので(他にやらねばならないことはたくさんあるんですけど!それらをやりたくない!)読んでみるか…という感じです。

 週刊少年ジャンプに連載されていた頃から知っている、それこそ第一話も本誌で読んでいたのではないかという『ワールドトリガー』ですが、見事に話の筋は忘れているので「初めまして」に近い出会い。ウィキペディアも今度ばかりは読まないぞ!!!と固く決意し、第一巻を読みました。

面白い…

 めっちゃ面白い…。めっちゃというか、なんというか、まだまだ謎めいていてどうなるかわからない。あとボケの挟み方が結構好き、、、読んでいて「クスッ」って笑っちゃう一コマが登場する、そのテンポが好きかもしれない。あとマニア向けの細かい設定を読んでいると楽しい。ワートリ、奥が深そう。これが世の中で言われている「面白い」なのか…。昔読んだ印象とは違う感覚があって、その頃とはだいぶ年が経っているし私も色んなことがあって価値観も多少なりとも変わって、過去の印象と今の印象が違うことが楽しい。

 ワートリのストーリーをほぼ知らないというこの白紙の状態。この白紙を少しずつ埋めていく作業。あと21巻も続くわけか(現状22巻が最新)。最高か。知らないって、強いなと思いました。(良くも、悪くも、です)

 感想文の話に戻すと、私が大切にしている(しようと思っている)のはこの「知らない」という状態です。

 

 こことは別に読書ブログというのもやっていて、読んだ本全部ではないけど感想を置いている場所があって(8月2日の書庫)。ここに書かなくても読んだ本についてはメモなりノートなりEvernoteなりにまとめるのだけれど、その際のルールが「他の人の感想を読まない」なのです。

 人の価値観って、これまで関わった出来事や人、得た情報、それらに対する考えの混合物だと思っているので、まったくもって自分オリジナルな意見ってのは無いと思っています(ただミックスの仕方や中身のバリエーションが個性)。そういう意味では他の人の感想を読んで自分はこんな風に思った、でもいいのでしょうけれど、私は他の人の感想が入る前の自分の状態で一回感想をまとめておいて、そのあとに他の人の感想を入れるようにしています。何故なら「他の人の感想を知らない」という状態に回帰することは無理だからです。思考のバックアップみたいなものです。コンピュータの領域ならバックアップしたものに戻すことも可能なんですけど、人間の脳はよほどのことがない限り無理。で私は「他の人の感想」が入る前と入った後の自分の考え方の変化を見ていくのも面白いんじゃないかなと思っています。

 あと、これは私の性格なのですが、簡単に他人の意見に左右されるので自分の考えがある程度整理できるまでは敢えて入れないようにしている、というのもあります。「他人の意見に左右されやすい」というのは良いか悪いかどちらの側面もあると思うけれど、何かの感想という領域においては私は割とネガティブに、自分の悪いところだなと思いがちなので、自己嫌悪を減らすための策というのもあります。自分の中である程度意見が固まった状態で他人の意見によって柔軟に変化していくってことと、自分の意見も持たず他人の考えをそのまま自分のものにするのは全然違うことですから。

 まとめると、自分の感想をある程度固めてから他の人の感想を調べること!!!が、私の読書感想文の書き方です。

 

 SNSで手軽に自分が感じたことを海に流すことはできますが、思わぬところでネタバレを食らったり、また誰かと何かの最初の出会いのすばらしさを損なっているのかもしれないなぁ…とワートリを読みながら考えていまして、自分が思ったことを共有できるということの難しさについて考えずにはいられません。あ、私は別にワートリのネタバレを食らってはいません。ありがたい!!!

 難しいですね。最近、宇野常寛『遅いインターネット』を読んでまして、その趣旨と一致するかは微妙ですが、SNSの速さと拒むことのできないある種の強さについて、懐疑的である方がいいのかな云々、考えています。例えば、この記事はブログなので調べたりして見つける必要がある、つまりある程度能動的である必要があるし、冒頭に前置きをすることで出会い頭にネタバレとぶつかることも避けられるかもしれない。

 Twitterにはミュートとかブロックという機能があってそれで防げることもあるけれど、あれはあくまで守りのツールであり限界もあるような気がします…。

 

 なので、自分が見ようと思っているものの事前情報はなるべく調べない、食べログ読まない、Twitter見ない、レビュー読まない!など、防御策を自分で講じて今後も何かとの素敵な出会いをなるべくプレーンな状態で味わえたらいいなと思います。マジで、読書感想文を書くなら最初は他の人の感想はあんまり読まない方がいいと思うぞ。知らない状態って、貴重だぞ。K-POPのカムバ祭りがあんなに楽しくてわくわくするのは、対峙しているのが自分にとって未知なことだからっすよ、多分ね。

 ということで、自分がSNSに感想を書くことに対しても厳しい目で見ていかねばな…って感じです。反省。ブログはSNSよりは遅いツールだと思います。

 

 

 

清純の先は/Lovelyz『Obliviate』とGFRIEND『Apple』

 私は両グループを丁寧に追ってきた立場ではないので『Obliviate』という曲と『Apple』という曲、そして彼女たちに対する私のイメージだけで語ってしまうことを始めに書いておきたい。

 GFRIENDの『Apple』のミュージックビデオが公開されて私は割とこのMVを見ていた気がする。

youtu.be

 踊りにくそうなことこの上ない衣装も印象的だったし(ちょっと違うけれど、f(x)の『4walls』やCLC『Where are you?』、GIRL'S DAYの『Something』の衣装を思い出す)このMVは『眠れる森の美女』を下敷きにしているのかなぁ…これは読まねばと思った次第(他にもキリスト教や『白雪姫』などの気配も感じる)。K-POPのMV神話や童話を下敷きにしたものが多いのは、考えてみれば不思議だ。なんというか、意味づけをしたい、数作にわたって一つの物語が続くものを作りたいという潮流は果たしてどこから…。私はついていけなくなったタイプの人間だけれど、本当に考えればきりがないし遡らなければいけない(神話などの知識も必要?)と考えると、その過程を楽しめる人はどれくらいいるのか。視聴する側の知識によって、解像度が変わるんだろうなというところだけはわかるMV。私はというと「そうかぁ…GFRIEND、そこに行くか」ぐらいの浅はかな感想で終わった。

 対して、GFRIENDのカムバックから約2か月後の9月にLovelyzがカムバックした。

www.youtube.com

 曲やビジュアルイメージで考えればまったく似通っていないと思うこの2グループだけれど、LovelyzのTeaserを見た時点で「なんだかAppleっぽいな…」と思ったのが面白かった。

 

 バッサリ言えば、Lovelyzは従来のK-POPぽい(異なるカットのコラージュのような、そんな感じ)でGFRIENDは今っぽい(もっとつながりが滑らかでドラマ的)感じ。どちらが良いとか悪いとかは、無い。LovelyzのMVにはやっぱり安心する気がすると、見る負担も少ない。GFRIENDは隠喩のオンパレードで考えごとが捗るけれど負荷がかかる。一長一短。でも、両者似ているなぁと思う。何かが燃えるし、何かと決別する。葛藤があったり秘められていたことが明らかになっていったり、光から闇へ。明るい場所から暗い場所へ。最後は決意。

 デビューした当初「清純」というカテゴリに入れられていた彼女たちが、同時期に同じような雰囲気のミュージックビデオを出したというのが面白いなぁと思っただけの文章なのだけれど、K-POPの女性アイドルはキャリアの移り変わり?過程が似通ってしまうのだということを意味するなら、それはなんだか味気ないなと思ったりする。もっと人間ってのは多様なのではないか?これはたまたまの事象なのだろうか。そもそも「雰囲気が似ている」と思う私の感想が、そう思いたい、ひとまとめにして現象として語ってしまいたいという欲なのでは?だとすれば?云々かんぬん。

 この流れから私は、LovelyzとGFRIENDとOH MY GIRLという女性グループは注目してみたら面白いのではないかと思っている。三大事務所のガールズグループはデビュー時点で差はあれど注目されてそのままキャリアを歩んでいるから除外、CLCも面白いのだけれどちょっと別、だからこの3グループ(パッと考えているだけなので他にも当てはまるよとかあったらすみません)。ネームバリューや成績、ファンの規模に差はあれど、今なおコンスタンスに活動しそれぞれデビュー当初からはコンセプトを変えつつも地位をある程度確立できているグループ。どうなるんだろうね…ガールズグループ。

 男性グループは割と道筋は見えるというか、ラインは生まれていると思うのだけれど(兵役を越えグループがそもそも続くかという問題もあるし)ガールズグループはさて、どこまで行くのだろう。少女時代、KARA、f(x)、GIRL'S DAY、Wonder Girls、2NE1、SISTAR、EXID…etc。多くのグループが解散したり休止したりしてきたなぁ。特にLovelyzとGFRIENDは「清純」とカテゴライズされたアイドルがどこに行くのかという点で興味がある。なんだかこの言葉は象徴的?そう、どこかの誰かの「かくあるべし!」という願望がより投影されているような。今や「あなたが思う私」ではなく「私が思う私」の時代になって、ガールズグループも変わってきていて。GFRIENDは吹っ切ったかな(いつ吹っ切ったかはわからん)と思うけど、Lovelyzはまだまだ面白くなるという余地がありそうなカムバックだなと思いました。おまごるちゃんはずっと異なる「可愛い」を見せている。それもまたすごい。

 

 ということで、まだLovelyzのアルバム全部は聴けていないので、これを書き終わったら聴きます。あれやね、スジョンちゃんソロの流れを受け継いでいるという雰囲気もありました。Lovelyz、タイプが異なるメンバーばかりでほんと面白いわぁ…。

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【戦隊】射水為朝になりたい人生

 射水為朝になりたい人生である(現在進行形)。

 『キラメイジャー』の登場人物は、それが例え敵対するヨドン軍だったとしても憎めずに好きになってしまう。だから特別為朝推し(LOVE!)なわけでもなく、キラメイ戦士6人の中だったら一番為朝が好きだなぁ…という感じ。そしてこの「好き」という感情。掘り下げてみれば、恋愛感情ではなく憧れや羨望なのだろうなということを考えていた。

 思えば、昔っから戦隊ヒーローのことは好きだったけれど、そこにあるのは恋慕の情ではなく憧れだった。かっこいいなと思っていた。まあ、私の初恋は仮面ライダー555の乾巧ではあるが。

 

 「射水為朝」というのは、毎週日曜日(私の住む地域では、ということだけど)絶賛放映中のヒーロー番組『魔進戦隊キラメイジャー』に登場するキラメイイエローである。詳しくはこちら。キラメイジャーというのはキラメイストーンと共鳴した輝きを持つ戦士であり、自身のフィールドにおいても第一線で活躍している人たち多し!な、超すごい人たちなのであるが、為朝もご多分にもれず、eスポーツ界のNo.1プレイヤーでその名を轟かせているわけである(が、eスポーツはまだまだ知名度が低く、コアなファンの中では、という注釈つき)。

 

 「どうして私は為朝になりたいのだろう」と考える。そこには何があるのだろう。そのことについて考えるには、押さえていなければならないことがある。はたして私の「なりたい」は、「射水為朝になりたい」のか「射水為朝みたいになりたい」のかということだ。

 前者は、射水為朝=私(ええ、ええ、気味が悪いことを言っているのは重々承知です)だということだ。「私」という人間が背負ってきたものを全部消し去って、射水為朝という人間が背負うものを背負うということだ。歴史とか、性格とか、価値観とか。そこまで徹底しなくても、射水為朝として生きていかねばならないということで、同一視という言葉が思い浮かぶ。時々「ポケモンになりてえな~~~」と思うけど、それ。対して後者は、射水為朝が持つ特長であったり性質の一部を、「私」に組み込む感じ。あるいは、「私」が「私」のままで射水為朝のようになるということだと思う。為朝の戦略的思考の一部でもいいから、私の脳に組み込みたい(ええ、ええ、だいぶヤバいことを言っている気は自分でもしている)。

 じゃあ、私は、というと多分後者なのだ。「射水為朝のようになりたい」なのである。もっと言うと「射水為朝的立ち回りっていいよな、かっこいいし」と思っているのだと思う。それは千明くんこと、シンケングリーンの谷千明に対する「好き」とも通じるのだけれど。

 

 「戦隊ヒーローは、関係の話でもある」というのが持論だ。K-POPアイドルを好きになったのも結局は「関係性オタク」な部分があるし(もちろんそれ以外の要素でも惹かれたけど)利害も価値観も異なる他者とどのように共存していかねばならないか、その試行錯誤の結果が戦隊ヒーローの1シーズンなのである(その点戦隊に比べるとライダーに惹かれないのは、ライダーは「個」の物語だからかもしれない)。

 そう、だから、その人によって「好き」の中身というのは様々、で二文字では言い表せない世界が広がっているのだろうなと思う。恋愛対象として見る場合もあるだろうし、私のように憧れが出発点もあるだろう。自分とは全く異なる他者として惹かれる場合も。その中身を言語化できるとも思わないし、言語化したところできっとまだまだわかってないものもあるのだろう。

 

 為朝さんの好きなところは、一言で言えば、自分をコントロールできるところ。自分がどういう人間なのかということに対しての眼差しを持っているし、それをきちんと頭の中で作ることができている。自己分析能力が高い。それはeスポーツという職業柄ということもあるし、逆に為朝自身がそういう能力に長けていなければeスポーツの第一線で活躍することは難しい。戦況と戦力を冷静に分析できる能力、相手の能力を把握し対抗手段を考える能力、コツコツとした地味なトレーニングも厭わない粘り強さ。自分をある程度客観視することができないと難しいのでは?というものばかりだ。

 自身の野心を自覚しつつも、状況を弁えたうえで己を律し最適な立ち回りを選択できる献身さ(それを「献身」と呼ぶのは微妙か。なんだろ、全体を見れるってこと)が歴代ヒーローの中でもユニークな為朝くん。エピソード5「ショベローまかりとおる!」が決定打だったね。

 

 でも、私は射水為朝みたいになれないことも知っている。今からでもなれるっちゃなれるかもしれないが、まあ難しい。自分の持ち物も御し方もなんとなくわかってくるし、己の立ち回りを試すにはフレッシュな人間関係を築くには若干遅い。学生時代でもあるまいし。だからここで「為朝のようになりたいけれど、なれなさそうな自分」という新たな問題が浮上してくる。憧れ、羨望、愛情が嫉妬に変わり、やがて憎悪の感情になるってのは、『キラメイジャー』が現在進行形で描いているテーマであり(ガルザ様…)為朝くんの活躍を毎週楽しみにしていながらも、私は心の中にガルザ様を飼っているのだ。この複雑な状況が楽しくもあり負担でもあるなー、毎週面白いよ、もちろんのこと。

 

 射水為朝みたいになりたいなーと思う。自分の持ち物はなんとなく把握した上で、それでも思う。この気持ちは、そもそも「自分と他者とは」という問題が芽吹いた頃、小学生の私の「なりたいなー」とは別物で。なりたいけれどなれなさそうなことがわかった上での「なりたい」は、それはそれで、ちょっとだけしんどい。

 畢竟、私は私以外の誰にもなれないということで、やっぱり人生を1周(書き手の私の人生)+ 追加であと6周くらいしてキラメイジャーの6人分の人生を生きたかったな。ま、無理ですけど。

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【ゲーム】私のFF13日記 第二章 下界のファルシ 異跡

 私のFF13日記 第二章 下界のファルシ 異跡編です。一章はこちら

 

ざっとしたおさらい

 FF13の舞台はコクーンという中天に浮かぶ球体のような世界。コクーンの外には下界(パルス)と呼ばれる世界が広がっていて、コクーンの中で生きる人は下界を恐れながら生きていた。下界がコクーンを侵攻してくるかもしれないと信じているのだ。

 第一章の舞台は、コクーンの辺境、打ち捨てられて人々が立ち入ることのない「抵抗領域 ハングドエッジ」。パージと呼ばれる隔離政策によって突如コクーンを追放された人々。彼ら彼女らが乗る列車内では元軍人のライトニングが抵抗を始め、物語はその場面から始まる。パージされた人々は武器を手に取り聖府(「政府」のようなもの)に抵抗するが苦戦中。

 登場する人物は5人。ライトニングと何故か彼女と行動を共にするサッズ。謎めいた少女ヴァニラと少年ホープ、そして大柄な体格の青年スノウ。スノウはライトニングの妹であるセラの婚約者であるが、セラは下界の異跡に囚われているという。ライトニングが抵抗したのも、そもそもは列車から脱出してパージ対象者と一緒に下界に護送される、下界の異跡に乗り込むためであった。スノウも同じく、ライトニングとは別で単独で異跡に向かおうとしているが、その道のりで彼を庇って一人のパージ対象者が亡くなっている。それがホープの母親。ということで、ホープはスノウに一言二言言いたいことがあるのでスノウを追いかけに成り行きで異跡へと。ヴァニラもホープと同行します。ここまでが一章のまとめ。

 

 なげえ。なげえよ。十三章とかまで続いたら(続けたいね)説明だけで一万文字ぐらいなるではないか?まあ、その辺はおいおい考えていきましょう。

 

パージ政策

 ということで、舞台は下界の異跡になる。そもそも事の発端は、神様みたいな超人的物体であるファルシコクーンに放置されていた下界の異跡に眠っていたことであった。何故下界の異跡がコクーンにあるのかというと、コクーンの建築資材に下界の異跡の資材を使うこともあったから、だそうです。コクーンまで引き上げていたわけですね。安全だと言われていたのに、実は安全じゃなかった…。そして下界を恐れるコクーンの人々は、下界の異跡ごと排除、さらには下界の異跡が発見された都市に住む人々も汚染されているかもしれないと排除することに。これ第三章で明かされますが、なんとパージ政策を支持する人はコクーン市民の90%だったか。70%だったかもしれない。とにかく高い支持を得ているらしい。怖え。他人事じゃない。

 この一般的なコクーン市民を投射しているキャラクターがサッズなわけで、サッズとヴァニラの問答によりプレイヤーはパージ政策について考えをめぐらせられる仕組みになっているというわけです。パージ政策については第三章以降も続いていく話なので今回はこの辺にしとこ。

 

異跡

 外の喧騒はつゆ知らず、異跡の中は非常に静かで穏やかです。異跡、好きです。天井が高くて、回廊や望楼、礼拝するところ、とさりげなく異跡の奥底に移動していく流れ。ああ、もうこの異跡に入ることができないなんて。先に進むのが惜しすぎる、FF13

 

シ骸

 今回印象的だったのは異跡に現れる「シ骸」というモンスター。これは元々異跡を調査していた(ファルシを発見した)調査団の人たちらしいですが、ファルシの命令(使命という)によってルシ(ファルシの手先みたいなもの)になり、使命を果たせず化け物になり果てた姿です。悲しい。シ骸を倒すとドロップする「~~の涙」というアイテムがさらに悲しい。人間に対して慈悲の欠片もないファルシです。そして人間も同様に。

 

武器

 第二章で初めてヴァニラとホープが戦闘するのですが、武器はヴァニラは異跡の隅で拾ったでっかい熊手みたいなやつ、ホープはなんとブーメラン。ブーメランですよ???最高なのだが。武器を手に取って戦うロール(役割みたいなもん)はアタッカーになり、ヴァニラやホープがアタッカーになるのは後半になるので貴重な場面。できることなら序盤からホープのブーメランでバシバシ敵をなぎ倒していきたかったよおおおおおお。あとヴァニラの熊手もめちゃめちゃ面白くて、熊手の先がワイヤーみたいになっていて、それがびよーーーーんと伸びて敵を打つ感じ。伸縮自在の鞭みたいな感じでもある。アーシェやパンネロが斧でドコドコ敵を殴っているFF12の自由さも好きだったけど、キャラクターの武器が固定化されているFF13も私は好き…。

 

ライトニング、ファルシに喧嘩を売る

 そして色々あって早くも残酷な絶望が彼らを襲うのが第二章でもありますが、絶望の淵で自棄なのか、ファルシに喧嘩を売るライトニング姉さんが最高です。人外のよくわからん生命体?ですよ。一応ファルシは怖い存在で、ファルシのルシになったら人生終わり、という概念が広く浸透している世界において、そんなこと知るかと突っかかるライトニング姉さんの負けん気がやばい。

 

スノウという人物

 そしてスノウという人物。これを遊んでいた当時(何歳だったんだ私)スノウというキャラが嫌いで奴のディフェンダーとか使ってたまるか、という戦力外追放みたいな姿勢で結局遊びきってしまった思い出があるのですが、今遊ぶとそこまで嫌悪感はないのが不思議。頭で考えず直感を信じ、向こう見ずで「ヒーロー」と言い続ける寒い奴。それがスノウなのだけど…でも、すごいっちゃすごい。

 スノウの婚約者であるセラは人々がパージされる前に下界の異跡に眠るファルシによってルシにされるのだけれど(ほんとFF13を知らない人にとってはなんのこっちゃという単語のオンパレード)スノウは動揺することなくセラを受け入れるし、なんならどうにか解決法を探そうと前向きでいてくれる。ルシになったやつは即刻殺せ、が当たり前の世界で、スノウには常識が通用しない。それはセラが彼にとって大切な人だからということもあるけれど、多分、セラじゃなくても意味もなくルシになった人を殺すという発想にはならないと思われる。じゃあスノウはどういう人物なのかというと…なんだろう、彼にとって大切なことって、多分指で数えきれるほどで、それ以外のことはどうでもいい(というか考える余裕がない)から寛容でいられる…みたいな感じ…。別に非難しているわけではなく、暴力性と拒絶する心がないヤンキー、みたいな。めっちゃ酷いこと言っている気がするが、私はスノウのそういうところは買っている。兎にも角にも印象的なキャラクターであることは間違いないです。遊びながら、やっぱり腹立つけど。

 

 ということで、やっぱり見どころいっぱいな第二章となりました。繰り返し言うけど、もうこの異跡に立ち寄ることができないなんて悲しい。シクシク。ファルシ=アニマ戦も楽しかったよ~~~。もう一回第二章やりたいよおおおお。

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 ライトニングさん、感情の表現が苦手というか、常に冷静沈着なので彼女の感情の揺れ動きを丁寧に追うってのも欠かせないんですよねFF13

 

【アジカン】『電波塔』の1:48の音を楽しみに生きる体

  久しぶりにアジカンことASIAN KUNG-FU GENERATIONの『君繋ファイブエム』(2003)を聴いている。『夏の日、残像』からの『無限グライダー』をループする2020年夏、を体験せねば!と思ったからなのだけれど、お目当ての曲に行き着く前に『電波塔』が私の前に立ちふさがって一向に前に進めない!素敵!仕方ないね。『電波塔』がその気なら私だって考えがある。徹底的に聴いてやるぞ!ということでこの文章を書き始めた次第です。『夏の日、残像』も聴きたいので私。

 

電波塔

電波塔

電波塔

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 アジカンはリズムと音がいい。韻の踏み方が心地よく思わず口ずさみたいし、何より歌詞がよくわからない(!)「よくわからない」というのは全然悪くない感覚ということを強調したいのだけれど、なんというか、わかりやすくはない。説明的ではないと思う。言葉と言葉の化学反応がどうなるかは、聞き手の体験や価値観によって変わりそうだな、面白いな、という歌詞だなと思っていて、それが昔からすごく好きだし、簡単に「好き」って言わない、わかりやすくしないところが私にとっては安心感をもたらすものだった。

 ということで、言葉を口に含んだ飴玉のように転がしながら楽しく聴く『電波塔』なのだけれど、ドコドコドコドコとピクニックをしていたら急に子熊が現れて「うぐっ」とボディーブローを私の腹に叩き込むパートが1:48から始まる。

 

 1:48からすべてが狂う。「すべて失ったあの日~♪」!?ちゃっちゃら~としたギター、ぼーんぼーんというベース、がちゃがちゃとよくわからん手数でなだれ込むドラム。なにごと。先ほどの子熊がゆらゆらと横揺れしながら「そうだ 言葉で確かめてもっと君の声~♪」と歌う。んんん?ここはどこ、私は誰。ピクニックに私は来ていたのではなかったか、どうしてこんなに胸がぎゅうっとなるのだ、腹が痛くなるのだ(それは一発お見舞いされたから)なんなんだこれは

 

 混乱していたらいつの間にかサビに戻った。・・・。なんだこれは。

 ぽち。再生ボタン。

 

 これを、数十回は繰り返す。聴いても聴いても1:48の魔力は衰えない。森の中を歩いていたら相変わらず子熊がひょこっと現れるし、一発殴ってくるし、楽しいし、いつのまにか間奏が挟み込まれ元通りのサビになっている。明らかに1:48の数十秒のパートが異質すぎて、何年聴いてもすごいなと思う。ある種の麻薬的な、そういう中毒性があって「ううううう」と頭をかかえてしまう(やばい)。体が反応してしまう。『電波塔』もちろん前後のピクニックモーメントがあっての麻薬であり(ピクニックというのはメロディを聴いて私が勝手に感じているイメージです)結局曲がサイコーなんだなと思いながらまた聴いている。

 

 すごいよ1:48。結局それだけが言いたいです。さて、先に進んで『夏の日、残像』を聴くぞ。

【ゲーム】私のFF13日記 第一章 抵抗領域 ハングドエッジ

 FF13ことファイナルファンタジー13(サーティーン)の日記を始めます。私が飽きるまでの試みなので続くかどうかは怪しいですが、とにかく第一章を終わらせたので日記を書きます。何故今(11年後)の今になって…?しかも何故この文章を…?というのは最後に書きます。

 

夜に

 FF13は2009年の12月に発売されたゲーム。多分発売すぐに買ってもらって(自分で買ったのではない)やり始めた。多分夜のことだと思う。最初の導入部、下界〈パルス〉へと強制移送される電車が封鎖区画ハングドエッジに入ったところで動き出すライトニング。照明が落とされて暗い車内や、人々に遺棄されて今や住む人がいない立ち入り禁止区域のハングドエッジの色が、リアルタイムの〈夜〉と混ざり合って綺麗だな、これを早朝にやるなんて勿体ない、夜に始めないと、と思った記憶があるからだ。当時の記憶は今はこれ以上引き出せないけれど、遊んでいくうちに思い出してくることがあるだろう。それを楽しみにしている。

 

語られすぎない

 FF13は情報量が多いなと思う。ストーリー上で語られている言葉だけを拾うとまるであらすじが理解できない。

  • ライトニングは何故、遺跡の中にいる下界〈パルス〉のファルシ人智を越えた存在。魔法が使える)を目指すのか
  • サッズは何故ライトニングに追随するのか
  • パージとは何か
  • 何故人々はパージされなければならないのか
  • スノウの婚約者が下界〈パルス〉のファルシが眠る遺跡にいるらしいが、何故?

 とか諸々が、ストーリー上ではあまり語られない。謎過ぎる。それを補完するための情報は別途提示してあって(設定資料みたいなもの。百科事典好きにはたまらんね)それを熟読してようやく状況を理解する、という感じ。これがめちゃめちゃ面白い。

 要は、語られすぎていない、ということ。説明口調にならないということ。これ、ゲームを遊ぶ上で不自然に導入されがちなチュートリアルを極力排した形になる感じ。誰もプレイヤーに親切ではないことが、心地よく感じてしまう。例えば、海外料理の食べ物屋さんに入るときの感覚と一緒。可愛い子には旅させよ。なんか違うな。

 

好き勝手

 こう、感情の置き場に困るというか、発言が行動が、ちょっとちぐはぐに思えてしまうのはFF13の特色で、寡黙なライトニングはさておき、饒舌なスノウとヴァニラの言動に対するひっかかりが面白い。特にヴァニラについては難しくて、彼女の存在が謎めいているから判断は保留にしたい。

 なんというか、FF13を遊んでいると説明が排除されている分、キャラクターの行動が突発的なものに思えてそういうところが良いなと思う。現実社会ではゲームほど極端な状況にはならないし、魔法もないし、武器すらないし、だから人々の行動を見てそこまで驚くことはないけれど。情報の入力→処理→出力(行動)の処理部分がブラックボックス過ぎるのだFF13。でも、人間ってそういうものではありませんか?

 

風景

 FF13は音楽と風景描写がとにかく素晴らしく、11年後の2020年に遊んでいてもちっとも見劣りしない。第一章は封鎖区画ハングドエッジが舞台。魔法を動力にしたマシンがそこかしこで動いていて、爆風や砲撃が止まない戦場。遠くに見えるハングドエッジの遺物に対する説明は当然なく、一章が終わればもうこの場所にやってくることは無い。一本道と揶揄されるFF13は、徹底的に一本道だ。それを私は出来ることなら肯定的に捉えたい。一本道、それでいいではないか。時間の流れだって巻き戻せないんだ。

 その他にも、例えばヴァニラが使う武器が昔から好きだったとか(でもこれは二章で初めて登場するので、二章の時に書く)ライトニングの武器の収め方が好きだとか。思えば男性陣は、露出抑えめで厚着なのは何なのだろうね。反対に女性陣の軽さは。

 

体験を書きたい

 さて、日記もこの辺にして最後に。

 どうして今更になってFF13をやっているかというと、うちにあるゲーム機、一番最新がPS3でして、持っているカセットのうち一番遊びたいなと思ったのがFF13だったからです。ちまちま遊ぶ分にはそれほど時間を取られないし(せいぜい30分程度)夏だし。

 そしてどうして日記を書くのかというと、楽しいからです。もう少しゆっくりとゲームをしたかった。昔はストーリーをこなすことに精いっぱいで細かいところまで楽しめてなかった。それでは勿体ないと思ったし、ゲームにせよなんにせよ、じっくりと味わうというのは面白いと思った。せっかく遊ぶなら存分に楽しみたい。そういう気持ちがあって、それならば自分が感じたことを文章にするのもアリかなと思った。はやさに抗うのもいいのではないでしょうか。

 

 ということでFF13日記 第一章はこれにて。

(ちなみに第十三章までストーリーはあります。どうかな。)

 

ファイナルファンタジーXIII - PS3

ファイナルファンタジーXIII - PS3

  • 発売日: 2009/12/17
  • メディア: Video Game