根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【物】ヨガマット買ったら体重が落ちた気がする

題名の通りです。いつだろう、いつだったかヨガマットを買いました。ヨガはやりません。やるのは簡単な筋トレです。

今まで自宅で筋トレするときはフローリングの上で直だったのですが、タオルを敷くとか毛布を敷くとかでは得られない快適さがヨガマットにはあって、しかも私のこだわりポイントで、ヨガマットを敷いたまま一日を終えることができないので、眠るためにはヨガマットを巻いて片付けなければなりません。朝、ヨガマットをささっと敷けば、その日は必ず何か筋トレやストレッチをやらなければなりません(絶対ではないけど緩やかなルール)。自ずと毎日何かしらの筋トレや何かしら体をストレッチすることになり、それが体重の減少に繋がってると思われます。ただそれだけではなく、有酸素運動を毎週取り入れてるのも大きいでしょう。結局、食事制限をしなあのであれば、運動でカロリーを稼がなければなりません。良き。

今年買ってよかったアイテム、ヨガマットはその筆頭でしょう。最初はかなり抵抗がありましたけど。過剰?な健康志向、健康であるために〜でなければならない、という「ねばならない論」こそ、大きく見れば健康を阻害しているのではないか、と思うことがあるからです。ヨガマットは私にとって、THE健康的な生活、の象徴だった。でもそれもまた私の個人的な見方でしかなく、そういう思い込みは意識的に解除することもあっていいだろうと、買いました。ヨガはあんまりしません。興味があったらやってみます。

ここ数年、緩やかに体重を落としており、ヨガマットはその流れの一端でしかない。短期的に体重を落とす必要がないなら、食事を変えなくても

  • 毎日ある程度の歩数を稼ぐ(目安8000以上)
  • 8000は無理でも毎日歩くことをやめない
  • 何かしら筋トレする
  • 何かしらストレッチする

で少しずつ落とせるようです。少しずつの目安は3か月に1キロペースで、世の中に流布しているダイエットから考えればスローなペースでしょう。食事を制限すればもっとペースは上がると思うけど、私には無理。食べることを制限するなら運動した方がましです。

体重を落とすことを目標にするとこの期限感に耐えられないこともあるので、体重を落とすことを目標にはせず、自分が決めた生活習慣を維持すること、それを楽しめるように時々新しいことを取り入れることがおすすめです。そうすればいつかは(自分が望む期限内ではないかもしれないけど)体重は減ります。

この文章を書いたら、また体重のことを考えるのをやめます。久しぶりに「わー落ちたな」と数字で実感できたので嬉しくて書きました。秋ぐらいになったらまた蓋を開けて様子を確認してみます。

【音楽】散歩プレイリスト Spring 2024

 定点記録です。前回からストリーミングサービスを変更したことに伴い、散歩リストも一新。今後も期が変わるたびにリセットしてもいいのかもしれないと思っているところ。

dorian19.hatenadiary.jp

 

  1. 牛尾憲輔 sunlight(映画 聲の形 オリジナル・サウンドトラック a shape of light)
  2. 米津玄師 LADY
  3. 蒼山幸子 PANORAMA
  4. 羊文学 more than words
  5. 春野 cash out feat. brb.
  6. ASIAN KUNG-FU GENERATION ソラニン
  7. 星野源 ステップ
  8. yonige 健全な朝
  9. Justin Bieber Yummy

 

 冬の高く澄んだ青空に似合う曲が多かった印象。ソラニンとかは冬の寒い日に聴きたくなるもの。

【音楽】とどめを刺して

 人間関係リセット症候群、なるものがあると聞いたとき、「私だって常々LINEを消したくなるし、人間関係じゃないけど突然思い立って日記を捨てたことある、そういう衝動があるのはわかるけど、まあうまい具合に軟着陸できたらいいよな」みたいなことを思って、だけど軟着陸できなかった、書き溜めていたEvernoteのノートを全消ししてしまいました。嗚呼。

 これは正直日記よりは後悔度は低いと思っていて、というのもまた色々できたらいいなと思っているからなんだけど、消したくなるときは消したくなるし、消したら気持ちがいいんだよな、と思います。ごみを一気に捨てるように、清々しさを覚えます。でも、それがとても健康的な心理状況で行われたことであればいいのだけど、そうでないとき、やっぱりそれは健康的じゃなくて、良くないことだと思います。そして、ある場合を除き、良くないと思っていることを赦す必要があると、思ってます。

 

 Evernote全消しをして、ふと思い出した曲があるので、そのことについて書きます。

 amazarashiの『とどめを刺して』という曲でして、曲を聴けば文意は各々解釈するだろうと思うので割愛して、


www.youtube.com

 このMVがとても好きで、あまりに具体的なリセット具合がお気に入りです。私はここまでやったことないけど、これぐらいはやりたいよな、と。

 リセットして生きのびられるならいくらでもリセットしていい。そもそもリセットしたくなる状況がおかしいですし、しかし、そのおかしさはなかなか消えてくれないから、死なない程度にリセットするなら、私は良いと思います。

【雑記】恋愛感情 is 何 の話

VERIVERYの'O'を聴きながら夜道を歩き、段々と鬱っぽくなっていくときの、泥沼に沈み込むような自棄と愉悦の感情はなかなか独特なもので、これだから私はこの曲のことが好きなんだよなあ、と思いながら、もうひとつ浮かんできたのは「寂しいのかもしれない」という感情で、前々から提起したかったことだし、提起しかけて辞めたことである「恋愛感情とは」ということについて、書いてみてもいいのだろうか。

 

という書き出しになりましたが、まあ考えてみてもいいかもしれないです。歩きながら考えてとりあえずの結論は「恋愛感情に限らず、私という人間はたぶん愛が足りてないし、愛を受け止められないのだ」ということでした。が、書きながら色々浮かんでくるかもしれないのでやっていきましょう。

 

さて、まずは恋愛感情というものについてです。昨今ありがたいことに「どうやら他者について恋愛感情を抱かない、あるいは性的欲求を抱かない人がいるらしいぞ」という認知が広がってきており「いや〜恋愛ってよくわからんのだよね」という考えは、昔よりは認められるようになったのかもしれない。

かもしれない、と言っているのは、「いや〜恋愛ってよくわからんのだよね」と思っていたとして、昔も今も「で?」という反応しか他人から得られなかった気がするから実感としてはあんまり変わらないのだよな、だからです。

さてここで言いたいのは「いや〜恋愛ってよくわからないのだよな」と私が今現在も思っているのは確からしいですが、それは私がアロマンティック(先に書いた他者に対して恋愛感情を抱かない人)を自認することとは別の話です。じゃあ私の考えは何なのかというと「んなこと、どうでもいい」です。ひとしきり考えてよくわからなかったので、あとは実践に任せるのみ、その時々で更新していきましょう、という方針になりました。もちろんこの問題をどう捉えるかは人それぞれであり、真剣に考える人、己の実存に関わる(つまりに生きることに密接に繋がっている)人もいて、それは尊重されます。この問題を矮小化したいわけではありません。ただ私の場合は、「自分は何者なのか」ということをどっぷり考え特定することに躍起になるより、他にやりたいこともやらなければならないこともあるということです。

なので、この文章を書く今この瞬間だけ私を仮に固定するならば「恋愛感情がわからない人間」とだけ、してみましょう。

 

恋愛感情がどうもよくわからないというのはどういうことでしょう。私の中で整理してみると

  1. 自分が他者に対して抱く感情のうち、恋愛感情と呼べるものがある(あった)かわからない

ということになります。常時この状態が発動しているわけではないですが、折に触れてこの思考に陥るのは結構疲れるというのが正直なところでしょう。直感的に「これは恋だ」と思えれば楽なのですが…。

パソコンやスマホアプリでいうと、時々予期せぬタイミングでアプリが勝手に立ち上がり、CPUの一部をひったくってバッテリーを消費させるみたいな感じですね。でもこれって、恋をしたことがある人でも陥る状態だと思っていますし、まあ、はっきりと数字でわかるものではないから仕方ないことだろうと思います。

私はよくわからないので、この辺り、具体的な事例を収集してとことん考えてみたいところではあります。でも悲しいことに、恋愛をする(した)ことがある人と侃侃諤諤と議論を交わしたことがありません。恋愛をする(した)ことがある人にとって大切なのは、今恋をしている人との関係性であり、これから恋をするかもしれない人といかに近づくか、出会うかになるからでしょうか。私が興味があるのは「そもそも恋愛感情とは何か」なのですが、その辺りニーズが違うのだろうなあと思います。

 

恋愛感情はよくわからないけど、これから恋をしたいかというとどうでしょう。正直よくわかりません。

恋愛に限らず、「この人だ」と全幅の信頼をおいて他者と関わることがよくわからないのかもしれません。他者を信用していないとも言えるし、いや、信用できないものだとも思います。信用できないというのは、十全に理解し切ることができないという当たり前のことなんですけど。

私の中で、人間関係というのは、内容の違いこそあれどれも均等であるべき、という風なのかもしれません。親友という言葉があるのはわかりますが、親友と親友じゃない友だちの違いはなんでしょう、私と誰かひとりそれがたくさん、の人間関係はどれも違うはずで、さらにそこに積極的に重みづけをする意味はあるのか。その重みとは何なのか、というのが私の考えていることのひとつかもしれません。であれば、恋愛関係という「特別」がいまいちぴんとこないのは、その通りかもしれません。たぶん私は、なるべく公平でありたいのでしょう、この辺はもう少し深掘りする必要があります。そして、この考え方自体はここまで整理されてなくても、小学校高学年くらいには感じていたことでした。

 

恋愛感情がよくわからない中で苦労したことはありますか?という問いには「ないんじゃないですかね」と答えておきます。幸いにも、身近な人たちから「あなた恋人はいないの?」ということを聞かれたことは一度もありません。また、他者から恋愛感情を抱かれることについては「ありがたいなあ」と思います。私がその人をどう思うかと、その人が私をどう思うかはまったく別のことだと思いますし。

 

難しいですね。なにより難しいのは、こういうことを誰かと考えることができないことです。なので、この文章を書くことで何か(何かとしか言いようがない)が開かれればいいなと思うし、これからも考えていきたいですね。

【雑記】時間のイメージとスマホゲーム

あんさんぶるスターズ!!Musicというスマホアプリゲームがある。ジャンルは音楽ゲームで、2022年から2023年にかけて結構叩いていて、それはそれはとても楽しかった日々なのだけど、iPadの冬眠と酷使(当社比)による動体視力低下の懸念から潔く引退した。でも辞めたいちばんの理由は、実はそこじゃなくて、あんスタ好きなんだけど、今も嫌いじゃないけど(そして嫌いになることもなさそうだけど)イベントのスケジュールにあると思うのだ。

話は変わるけども、私は決まった期間に区切られたスケジュール帳というものを使うことができない。

どういうこと?というと、例えば世の中にはたくさんのスケジュール帳があって、12月始まりとか1月始まりとか4月始まりとか10月始まりとか、開始月は様々だ。そして私は、開始月が決まっていて、かつ、終わりの月も決まっているのが、どうも我慢ならないらしい。じゃあどうしているかというと、無印良品のフリースケジュールノートを使っている。助かる。24ヶ月以上書き込むことができ、私のスケジュール帳は一年では終わらない。でも大概のスケジュール帳は一年と+αで終わる。そのことに私はいらいらする。

そのいらいらの根源は、年末年始が苦手ということとも関係するだろう。できることなら一年という単位で区切らないで欲しいのよな。生きるということは直線的に伸びていくものでもあるし、螺旋のようにぐるぐるするものでもある。大切なのは、生きるということの時間イメージを複数持ち続けるということ、異なるイメージを気ままに行き来することで、決まった期間のスケジュール帳というのは、螺旋的イメージを強固する効果があると思うのだ。

さて、ここまで書いて察しの良い方は気づくだろう。あんスタのイベントだ。

あんスタ内の時間というのは、イベントがあるときとないときを繰り返して進んでいく。イベントが始まるタイミングもおおよそ決まっていて、ああ、新しいイベント来たぞう、と胸高鳴る、飽きない工夫がされている。イベントの間隔が悪いわけではない。リズムが一定なのが私の中では駄目なのだ。

イベントは好きだ。音楽に合わせてタップするのが好きだ。でも、同じリズムでイベントがやってきて過ぎ去っていくことには耐えられない。一年の始まりが訪れ、終わりがやってくる以上に周期は短く、私の中の、時間に対するイメージはイベントがやってくる度に固定化されていく。きつい。

じゃあイベントをやらなければいい、意識の外に置けばいい。それもそうだろう。でも、私はやるからにはきちんとやるタイプなのだ。イベントのないあんスタは、ソフトクリームの乗っていないシロノワールと一緒だ。あのパン生地を溶けたソフトクリームに絡ませて食べるのが美味しいというのに。なので、シロノワールを食べること自体を、つまり、あんスタを遊ばなくなったということでした。

 

この話は、私がもう少し混乱せずに、折り合いをつけ、考え込まなければ、何ら不都合が生じない話である。そしてあんスタが悪いわけでもない。その証拠に、私は自身のスマホから、あんスタだけでなくあらゆるスマホアプリを撤去してしまった。イベントが無いものもあるものも、すべて。

 

あんスタのどのユニットも好きだけど、中でもお気に入りのSwitchのイベントが始まった。新曲は魔法をかけるSwitchらしいファンタジーな曲調で(特に序盤の逆先夏目の声は、吟遊詩人的な物語に人々を誘い込む歌声で最高だなと思った)私はそれを遊ぶことはできないけれど、良いものであるということに変わりはないのだ。あんスタに、スマホゲームに幸あれと思う。

【文房具】5本の万年筆をくるくるさせる

 MDノートジャーナル(ミドリ)というノートを手に入れてから、マジで毎日日記(内容はその日の出来事を書かないことも多いので「日記めいたもの」と呼んでいるけども)を書いています。もう少しで半年です。

 その「日記めいたもの」と併せて書かせないのが万年筆で、このノートを書く用に、5本の万年筆を日替わりで使っています。元々そうしたかったわけではなく、逆に5本の万年筆を使うために「日記めいたもの」を書いていると言っても過言ではないです。

 

LAMY safari skeleton

 私の万年筆デビューはたぶんコクヨのカクノで、次がラミー。2016,17年あたりか。元々MかFの青のラミーを使ってて、少し太い書き味だなと思ったのでこいつを購入。スケルトンなのでインクが見えるというのが好きポイント。このペンと併せてブルーブラックのインク瓶を使っていて、これがいつまで経っても無くならなくて「こいつサイコーな奴らだな」と思いながら日々使っています。好き。使い終わったら一回洗浄して、今度は暖色系のインクを使いたいところ。また4年ぐらいは同じ色と付き合わないといけないか。

 他の万年筆は結構むらっけがあるものもいて、インクの出が悪かったり質感が一定でないときがあるのだけど、safariについては常時一定出力で、安定感があるところも好きです。お値段5000円くらい。当時はもうちょい安かった気がするな。

 

プラチナ万年筆 プレジー

 次はプラチナ万年筆のプレジール。値段は1650円。細字。2017年ぐらいには買っていたけど、万年筆の打席に立ったのは遅め。それまでは引き出しの奥にしまっていた。

 文字は結構細いので「可憐」という印象を抱く。中字でもいいかもしれない。結構むらっけのある子、その1。ページを指で押さえていると、皮脂で書けなくなるような気がしていて、最近は書くとき注意しています。とはいえ、値段的に文句なしの万年筆で、万年筆スターターとして購入してもいいと思う一本。

 

プラチナ万年筆 センチュリー#3776

 インターネットで安い手帳を買ったらキャンペーンに当たって無料でついてきたやつ。お値段2万2千円。やばい。ボディがシュノンソーホワイトで気に入らないけど、文句を言うことはできないし言うつもりもない。加えて手帳メーカーのロゴが印刷されていて、もう3年くらい使っているので剥がれおちつつある。私の勝利も近い。

 価格帯を裏切らない、めちゃ良き万年筆です。これ買っとけって思っちゃう、万年筆らしい万年筆です。こいつのターンが回ってきたとき、日記を書く気持ちが一段ぐんと高まるパワーを持っています。インクの出量がちょうどよい塩梅で、綴られた文字がなんかかっこいい!って思っちゃうのですよね。このペンを壊さない、放置の末のインク詰まりを起こさせない、という固い決意から、この日記運用が始まったといっても過言ではありません。一定期間使わないと万年筆って書けなくなってしまうので…(洗浄すれば大丈夫とはいえ)。

 

セーラー プロフィット ライト 万年筆 ゴールドトリム

 2022年初春に自分で買ったお高め万年筆。1万5千円ぐらい。私の好きなVIXXのペンライトの色と一緒の、夜空に似た深い藍色とラメがめっちゃアゲです。このペンずっと機嫌が悪くて書き味最悪だーと思っていたけれど、最近やっと落ち着いてきた気がする。正規のインクを使っているのでインク詰まりとかは無いと思うけどなあ。このペンにはブルーブラックより明るい青のインクを詰めているので、このペンで書くページは明るい雰囲気になります。良き。

 

kaweko クラシックスポーツ万年筆

 新参者。2023年冬、自分の冬のご褒美で購入。値段は4千円ぐらい。

 このペンの特徴は小ささ。蓋をくるくると外してペンの尻につけることで完成。蓋をすれば私の手のひらの四分の三ぐらいのサイズに収まって、ジーンズのポケットにも余裕で入る。まあ、万年筆にコンパクトさを求めるかというと私はそうでもないけど…。むしろ安定や重厚さが欲しい。コンパクトだから何か劣るということもなく、書き味は柔らかめ。順調に仕事をしてくれる新参者という印象。

 

 

 経過時間を無視して金額だけ考えるならば「結構万年筆に使っているなあ」という感じだけど、買ってから壊れたことがないしずっと使い続けているので、「むしろ無料!?」みたいな感覚に陥っている。多分悪い考えだけどそれ。今はこの5本を、日替わりで日記を書く用に使っています。あと2本くらいはパーティーに追加できると思っている(悪い企み)。でも、7本にすると曜日固定になっちゃってそれは嫌だなあ、だからあと1本かしら(再びの悪い企み)。

 

 「万年筆の何がいいんですか」と言われたとき、答えることは難しい。じゃあ「シャーペンで日記書けますか?」と聞かれたら「I don't want」と答えられる。それとこれとは違うのだ。ここから万年筆の良さを考えるなら「しっかりと思考を綴ることができる確かさを持ちながら、疲れにくい」というのを挙げることができるのでしょう。万年筆で計算問題は解けないしなあ。これは個人の感覚で、勉強についてはもっと気軽にうだうだするためにシャーペンじゃないと無理だ。

 日記めいたもの以外で定期的に書く事柄で万年筆にぴったりの案件があれば、もうちょっと万年筆の領土を拡大したいところですが(それは万年筆が好きなので)逆に、日記用と他の用途で差別化をすることに自分が納得できるかはわからないです。

 ちょっと何を言っているかわからない話をしていると思うのですけど、「日記めいたものを書く為の」という共通した用途(場所)があるからこそ、価格帯がばらばらな個性豊かな万年筆たちをそれぞれ愛せているような気がしてですね…。だから日記を書くことと同じように、新しい使い道を好きになれたらその問題は解消できそうです。でも、日記を書くことと同じくらい好きになれる使い道って見つけられるかなあ、ああ、あるかも(想像一時停止)。

 

 ということで、万年筆について考える文章となりました。書いていて楽しかったな。

ダイヤモンドアート

年末からダイヤモンドアートを始めました。

きっかけはYouTubeのショート動画、というありふれたもの(?)で、ああ、アルゴリズムに導かれし人間たち、ハマるかハマらないかでいったら、ハマったけども、多分10年前の私ならあまり魅力に感じなかっただろうと思います。人間、変わるものです。

 

ダイヤモンドアートの魅力。

  1. 隙間時間に少しずつできる
  2. 小さな石をシートにつけるとき、真剣になるので気分転換になる
  3. ある程度進んだところでシートを引いてみてみると、絵ができつつあって達成感が得られる

私の中ではかなり好ましい楽しさに分類されます。手を動かすことができる、単純、結果的に何かができる、綺麗、こういった要素が楽しさを支えています。手を動かしてダイヤモンドアートを進めながら、動画を観ながら、脳の5%くらいの領域で考え事をするのが心地良いので、長く続けられるよう、あえて時間を短くしてこつこつぺたぺたと石を貼り付ける日々。

進捗率は65%ぐらい、大体一ヶ月くらいで完成しそうで、早くも次の絵柄をインターネットで探しています。この楽しみ、いつか飽きるでしょうか。今から飽きるときのことを考えるなんて後ろ向きなことと思いますが、いつかは飽きるだろうな、これ…。

何はともあれ、今は楽しみの只中ですから、満喫したいと思います。