根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【音楽】共感について考えた/ヨルシカ「藍二乗」

 Apple Musicを使っているのだが、その注目アーティストみたいなものにアルバム『だから僕は音楽を辞めた』で取り上げられていたことから知る(入り口を知ることはマーケティングに活きると思うので、私は自分が好きになったのものの入り口を出来るだけ書いておきたい派。まあ入り口なんて人それぞれだと思うけれど)。

 アルバムの感想としてはこのツイートが言いたいこと言ってくれている。これからの季節が楽しみなアルバム。もちろんテーマも好きだし音も好きです。

 私はK-POPアイドルが好きなのですが、その良さの1つにミュージックビデオ含む映像群の充実っぷりがあって、音楽を売ることと映像を作ることがセットになっているのが好きになり始めたときはただただ新鮮で楽しかった(今も楽しい)。一方邦楽を聴くとき、私は音と映像が一致していないことが多くてミュージックビデオもあったりなかったり、ひたすら音楽を聴くことが多いような気がする。要は楽しみ方がまた少し違うというわけなのですが(もちろん邦楽にも素敵なミュージックビデオはたくさんある)。

 で、この「藍二乗」という曲もまず音が好きになって、ミュージックビデオがあることを知る。ほい。

youtu.be

 

 えええい~~~~良い~~~~。

 ただ、ただ、綺麗。潔いほど綺麗。世界こんな綺麗じゃないと思ってしまう綺麗さ。開かれているようで、君しかいない閉じられた世界。あと私は文房具が好きなので、万年筆~~~~で引っかかっている。今年の目標は良い万年筆を買うことです。この万年筆どこのだろう?インクはPILOTの色彩雫シリーズですね!

 

 最近私は思っていることがあるのですが。

 それは「共感」について。

 あ、この人私と同じことを言っている。私もそう思っていた。

 昔はそんなことばかり私は求めていて、その言葉を探していた。私が思っていることに形を与えないと、なんか生きていけないって思ってたのかもしれない。あの頃のあの感じだ。誰かの「共感」の足掛かりになればそれはそれでいいかもしれないと思ってブログも始めた。私は共感を求めてインターネットを彷徨い、共感する言葉に出会いそれが嬉しかったから。

 でも。「共感」について考える。

「共感」なんて、どうでもよくない?詩人がたどり着いた、言葉の正体(最果 タヒ) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 詩人の穂村さんは、共感と驚異(wonder)みたいな話をどこかのエッセイでしていた気がするのだな。多分ここで言われていることは、私がやってきた「共感」ってのはもっとビジネス的なことであって、もっと面白いのは自分の制御から外れたところで生まれる意図しない心の動き、ってことじゃないのかなぁ。あ、別にビジネス的だから悪いとかじゃなくて(ビジネスって言い方も悪いのかな。作為的というか意図的な共感なんですよ。共感を探すってそのための目的があるわけで。生きるためって目的なんですけれど。)

 お前さん、曲の感想ではないじゃないか。いやいや。つながっているのですよ。

 「藍二乗」さっぱりわからない。わからないというか、自分の体験とうまく結びつかないからそういう意味では私がこれまでしてきた「共感」はない曲なのだけれど、でも、心がふわっと動くんだな。その作品の綺麗さは私が好きなのものでそれは「共感」なのだけど、例えばサビの透き通る声を聞いたときの気持ちよさと悲しさには言葉が与えられない。体験と上手く結びつかない。もう少しで思い出せそうだけど、もしかしたら思い出せないどこかで感じた私の悲しさという気がする。

 前はこんな音楽の楽しみ方、できなかった気がする。意味を求めていたし自分との共通点を探してしまって、共通点がない音楽には興味が失せた。それってすごく勿体ないことだった。もっと、楽しめばいいし、好きになってよかった。

 ということを考えさせてくれた素敵な曲なのです。藍二乗。好きだなぁ。