私の2019年のささやかな野望は10枚×12ヶ月、計120枚の写真に埋もれる、なのですけれどその話聞きます?
きっかけは間違いなくこれなのですが、
以来各月ごとに自分のベストショットを10枚決めています(自分を映した写真じゃなくて自分が撮影した写真、念のため)。
写真を並べることで自分の嗜好を視覚的に把握できる、ってことを書きましたが、この野望は好きなものを確認するためのものではないのです。
実は長年私を悩ませている「あること」がありまして。
どうも、現実感がない、ということ。
もはや砂上の楼閣なのではないか、とも思うのですが、どうも不安になる。陳腐な物言いだと「生きている実感が湧かない」ということです。手のひらで掬った砂が指の間からするすると零れ落ちてしまうように時が過ぎていくこと。その感覚に私は時々耐えられなくなります。
現実感を感じられないからその時思ったことぐらいは留めておきたい。そういうモチベーションが明らかに書くこと(そしてこのブログ)にもつながってくるわけですが、困ったことに文章は読まなければいけません。読むことが怠い時、写真ならパッと視覚的にその時の体験を味わえるのではないか。確かに2019年3月24日、私は生きていたということがわかるのではないか。ということで、写真を撮りそれを残すことにしてみました。
面白いことに、「撮りたい写真」(撮りたくない写真)というのがあるようで、写真を撮るために自分でイベントを作り出し外に出かける口実にしています(出不精なので出かけなくていいなら本当に引きこもっている)。そういう意味では、この試みは自分には良い作用をもたらしているのではないかと思います。
1月から3月は順当に写真を撮ったり外に出かけていますが、4月、忙しさにかこつけてほとんど遊んでないのにもう中旬。外の温度が緩みだす季節、外に出かけてみましょうか。