根津と時々、晴天なり

大好きなものをひたすら言葉を尽くして語りたいブログです。

【食】ラーメンライスというロマンの話

呑みの場に出席すると無性にジャンキーな食べ物が食べたくなる。

飲み会の帰りにコンビニの袋ぶら下げて千鳥足にもならずスタスタと家路につく女がここに一人、という話。

私はやつのことを考えている

目の前の大皿に乗ったサラダを取り分けながら、私は「やつ」のことを考えている。目の前の水菜とトマトのサラダ。この鮮やかな赤色をしたトマトを、均等に四つの小皿に分けねばならないミッション。青々とした水菜をとりあえず盛り付け、その上にバランスよくトマトを配置する。

そんな作業をしながら、私は考えているのだ。ああ、早くラーメンが食べたい、と。

 

テーブルを支配したい

余談ではあるが、私は飲み会だとよく大皿から取り分ける役になる。それは他人からそうするよう要請されているからではなく、誰よりもこの私がテーブルの上のものを支配したいという欲ゆえである。つまり、さりげなくサラダの上にあるプルンとしたゆでたまごを誰よりも多く自分の皿によそいたいからである。

 

さて、飲み会とラーメンの話であった。さらには、ラーメンとライスの話である。

私は飲み会に行くとラーメンとライスが食べたくなる。

 

ストレスとラーメン

この現象を分析してみるに、つまりは、ある種の自棄というか抑圧されたことに対するストレス、その反動が「ラーメン」と「ライス」なのではないか。

飲み会はとても消耗する。好きな人と飲むのではないのなら、なおさら。自分以外の人間の所作や言動に敏感にならざるを得ないのに、1つひとつの情報が粗い。アルコールが混じったことで情報はより凶暴に、大胆に、パワフルに、厄介になった。この情報がひっきりなしに襲い掛かってくるわけで、まあ、それはストレスだわな。

ということで、私はそんな状況をラーメンライスを頭に思い浮かべることで乗り切っているわけです。皆様はいかが?

 

その時

午後11時。少々緩んだ雰囲気の電車の車内。何かが起こりそうでドキドキしながら私は下車する。まっすぐ向かうは煌々ときらめくコンビニ。その光は神々しくさえある。迷うことなく陳列棚から目的のものを手に取り、レジへ向かう。そして家に着いたらとりあえず湯を沸かし、荷物を降ろす。ビニール袋から取り出すのは、おなじみ日清のカップヌードルとコンビニの塩むすび。この2つがあれば、その日の飲み会のあれこれは全部チャラになるのです。(なお忘れないでほしい、今は夜の11時である。)

 

日清のカップヌードル。久々に食べると、まったくもっておいしい。あの謎肉といい平べったくて細いあの麺といい、唯一無二の存在。無心で食す。

そして麺をすべて食べ終えたところでここまでは前菜。本番はここからなのです。

塩むすびの封をぺりっとあけて、割り箸で塩むすびを一口とる。はむっと口に箸を運び、もぐもぐしながら片手でカップヌードルの容器を持ちズズズっとスープを飲む。

なんたる至福のひととき。

 

飲み会のあとのラーメンは素晴らしい。

私はつい最近まで「ラーメンライスってどういうこと?」とロマンを理解しない人間であったが、間違っていた。ラーメンライスはロマンである。まあ、夜11時にラーメンを食べているのは狂気の沙汰ではない。あまり多くはできないけれど、そもそも飲み会に行かないのでたまには良いことだろう。

 

ちなみにライブの後のラーメンライスも最高です。こちらはストレスによる反動というよりは、ライブでとち狂ったテンション故の暴走だと思います。楽しい。

 

「飲み会嫌い」を公言しているといよいよ本当にそういう場がないのですけれど、飲み会が嫌いなのは飲み方がちゃんとしていない人と飲むのが嫌いなだけであり、お酒自体は飲めます全然、ということも補足として書いておきましょう。でもお酒飲んでて楽しいってことはあんまりないな。難しい。美味しいお酒を飲めば変わるのかしら。