はじめに、私の好きな小説の一部を引用します。
寝る間も惜しいくらい、読んでいて楽しい本があるのはいいものです。私が初めて徹夜したのは、チヨダ先生のデビュー作の「V.T.R.」を読んだ時でした。新刊が出る日はいてもたってもいられないくらい楽しみで、学校に行きたくありませんでした。だけど、この言い方は本当は違うんだって、最近気付きました。そうじゃなくて、どれだけ学校が嫌でも、チヨダ先生の本が読めるのが楽しみだから、私は学校に行けます。
アイドルも同じだと思うんですよね。アイドルだけでなく、この引用文に書かれている通り小説も、漫画もアニメもドラマも映画も音楽もイラストも文章も写真も。私が好きなものすべてに言えることだって。
好きなものがあるから楽しくて大丈夫だった今までの人生を経て、いつの頃からか私はこうも考えるようになったのです。「私はできるだけそれに縋らない生き方をしよう」と。
何故か。だって、それは危険なことだから。自分がどっぷりと依存している対象がふっと世界から消えたあと、それ以前の自分のパフォーマンスを維持できないのは許せないからです。生きていけなくなっちゃう。生きたとしても楽しみがなくなっちゃうのでしょう?それって嫌だ。
「縋らない」って、具体的にどういう状態か。私がやっているのは、楽しみにしているものが消えたと仮定して意気消沈しないのか自分?と自問することです。あとはリスクヘッジをすること。つまり好きなものをたくさん作ることです。好きなことが嫌いになっても。好きなことが突如目の前から消え去っても。落ち込まない体制づくりをしたいのです。
そうは思っていたはずなのだけれど。予防線を張りまくって、「ふふふん。別に楽しみじゃないんだからね!!(ツンデレっぽく)」と斜に構えてみても。やっぱりライブの前は心が躍ってしまう。あと3日でライブだ。頑張ろう…仕事。無意識にそう思っている自分がいる。今回は夢まで見てしまった。やばい。だいぶ無意識に侵食されている気がする。アイドル様に。じゃあライブが無くなったら頑張れないのか私。それはそれで生きていくのしんどくないか?
あと1時間後に私が好きなアイドルのライブが始まります。楽しみだけれど、果たして自分が楽しみなのかわからなくなる心もとないこの感じ。今日を人生最後の日にはしたくない。悲しいことに私は明日も明後日も生きていかねばならないのだ。ということで、ほどほどに楽しみたいと思います。気持ちは高くなればなるほど後がつらい。多分会場で一番テンションが低い人がいたら、それは私です。
楽しみましょう。
人間に生き甲斐を感じるのはリスキーだ。そう思って生きている。人間は良くも悪くも変わるから、と、やっぱり生きている感情を持った人だから、というのと。予防線を何重にも張っているのにそれでも惹かれてしまうこの力強さよ。
— 治野 (@harunote2016110) 2018年8月22日
私は勝手にあなたたちを好きになる。でも。あなたたちは誰かの希望なんだよ。あなたたちがそのまま生き生きとした姿を見せてくれるのが本当に楽しみなんだよ。それをせめて知っておいてほしい、と願うのは私の我儘なのだろうか。
— 治野 (@harunote2016110) 2018年8月22日