恩田陸さんの『中庭の出来事』を読みました。
あらすじ
瀟洒なホテルの中庭で、気鋭の脚本家が謎の死を遂げた。容疑は、パーティー会場で発表予定だった『告白』の主演女優候補三人に掛かる。警察は女優三人に脚本家の変死をめぐる一人芝居『告白』を演じさせようとする―————という設定の戯曲『中庭の出来事』を執筆中の劇作家がいて・・・・・・。虚と実、内と外がめまぐるしく反転する眩惑の迷宮。芝居とミステリが見事に融合した山本周五郎賞受賞作。
(文庫本あらすじより)
感想
えらく複雑な小説でした。あらすじから見てもわかるように、「演じる」という観点で「○○を演じる○○」という層が重ねられてできている作品なので、全体像を把握するのがとても難しい。読んでいる私が置かれている状態を正確に把握しながら読みたい人にとっては、少々つらい作品かもしれません。「わからない」という状態に耐えられる人は、きっと大丈夫でしょう。
一番好きな作家さんは?と聞かれたら私は答えに窮しますが、一番影響を受けた作家さんは?と聞かれたら、私は「恩田陸さんです」と答えると思います。自分が思っている以上に、恩田作品から受けた影響は大きい様な気がしています。恩田さんとはもちろんお話したことはありませんし、どういう方なのかも存じ上げていませんが、恩田さんの作品に登場する人物の話を聞くのが、私は大好きなのです。
恩田作品の登場人物は、非常におしゃべりで想像力豊かな人が多い。どんどん妄想を膨らませ、色んなことを考えているけれど、一方でそういう自分を自覚している人が多い。私はその「おしゃべり」にうなづけることがとても多いのです。ああーわかるわーーということばっかり。むしろ、中学生ぐらいから読んできたのだから、私の方が恩田作品の登場人物に歩み寄っているのかもしれません。端的に言うと、恩田作品の登場人物は、私の憧れの一部なのです。
この小説は「演じる」ということが1つのテーマなわけですが、私は「観察される」ということについて読みながら考えていました。
なんというか、小説の醍醐味として「内面の思考が言語化されている」ということは外せないポイントで。なぜ外せないかというと、日頃、日常生活を送っていて少なくとも私に限った話、ですが、いちいち言語化して生きているわけじゃないってことです。例えば、目の前の人間の情報とか。情報というのは、五感を総動員して察することができる情報のことであり、表情とか言葉の選び方とか仕草とか服のセンスとか体臭とか好きな食べ物、とか。そんなの言葉にしていたらしんどいし、言葉にするって「残酷」だなとも思うから。小説はそういうところを容赦なく書いていく。だから面白い。
何が言いたいのかわからなくなってしまいましたが、実際言葉にしないだけで口にしないだけで、みんな絶えず相手を観察しているし観察する私も観察されているのだな、ってことを思い知らされました。少しばかり怖くなりました。多分これが行き過ぎると対人恐怖症の域です。
面白かったです。
難しいし混乱したけれどそれも含めての作品です。
私は「楠巴」という女性がお気に入りでした。